人生カフェ

@sasuke

第1話

都会から少し離れたベッドタウン。静かに流れる川と大きな銀杏の木のすぐそばにそのカフェはあった。知っている人しか行かないような、駅からも少し離れた不便な場所。でも、ドアを開けると心地よいサーフミュージックが流れるこじんまりした店内は、まさに都会の喧騒を忘れ、心を癒してくれる優しい空間だった。コーヒーは生の豆をその場で煎って、挽いてくれるこだわり様で、スウィーツのメニューは、マドレーヌ、バナナケーキ、ベイクドチーズケーキの3種。もちろん全て手作りだった。

その店の主人は、30歳を目前に迎えたマリ。結婚も考えた愛する男との恋を失い、仕事もうまくいかず、そんな中で初めて自分の夢を具現化したという。小柄で目の大きな笑顔が印象的な素敵な女性だった。いつもその笑顔は少し寂しげだったけれど、彼女には不思議な力があった。

そのカフェに訪れる客は、みな彼女に魅かれ、自分の人生について語りだすというのだ。


「僕はね、昔鞄のデザインをしていたんだよ」

見るからに昔モテていたであろう70歳くらいの男性。その日は明るい水色のシャツに白いジャケット。グレーのパンツに白いハット、そしてサングラスをかけていた。その年代の男性で、そんなにお洒落な人を私は映画の中でしか知らない。マリが煎れたコーヒーを飲みながら私は興味深くそのおじいさんを横目で観察しつつ、話を聞いていた。

「僕は大きなバッグメーカーで商品企画をしていたんだ。その時にね、一緒に仕事をしていた男がいた。彼はすごく仕事が出来る奴だった。40歳になる前に単身イタリアに渡ってバッグメーカーを作ったんだ。」

マリは目を輝かせながら話を聞いている。推定70歳くらいの男性だからおよそ30年ほど前の事だろうか。

「僕はそいつと一緒に仕事がしたかった。彼も同じ気持ちだった。そしてそのメーカーが軌道に乗った頃、彼は僕をイタリアに呼んで、一緒にバッグを作り始めた。」

「素敵ですね」

マリが相槌をうつ。

「すごく楽しかった。自分の才を活かした仕事を異国のフィールドで展開できたんだからね。だが、やがてうまくいかなくなってね。商売をたたんで僕は日本に逃げてきたんだよ」

マリの表情が少し曇る。

「携帯電話も解約したんだ。そして日本でひっそり暮らしてる。この服だって、ファストファッションだ。」

彼の話はそこで終了だった。彼は黙って、コーヒーを飲み干し、カフェを後にした。

マリは変わらない表情で後片付けをしている。


「あの人は、常連さんですか?」私は聞いた。

「いえ、初めていらした方です。うちはああしてご自分のお話をしてくださるお客様が多いんですよ。私は、お客様の人生に少し触れさせていただけるほんの一瞬のコーヒータイムを提供できることが本当に幸せなんです」

マリは優しい笑顔でそう言った。人生はいつもハッピーエンドではない。だが、自分の人生を少しだけ周囲に漏らした時、かける言葉に特にパワーがあるわけでもないけれど、なんとなくその場の空気感に優しい気持ちが集まっていた心地よさを私は忘れることができなかった。


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