ストロベリィプ・クレーピア

沢菜千野

ストロベリィプ・クレーピア

焼きたてのふんわりクレープ ~白い苺を添えて~

第0話 今夜はきっと、雨が降るでしょう。

 さて、突然ですが、世の中には昔話やお伽噺といった物語が存在しますよね。


 皆さんは、そういった物語は実際にあった本当のことをありのままに、時に面白おかしく書いたものだと思いますか。それとも、それを書いた作者が創り出した想像上の出来事だと考えますか。


 と、尋ねておいて申し訳ありませんが、今を暮らす私たちにその真相を確かめる術はありません。


 例えばここにある古書ですが、これは平安時代初期までには記されていたとされる日本最古の物語です。現在においては娯楽のための作り話ということになってはいますが、このまま研究が進んでいけば、もしかすると事実を書き留めた記録であった、そんなことが判明することもあるかもしれませんね。


 しかし、重ね重ね申し上げておきますが、その研究結果が果たして真実なのかは、当人以外知る由もないですよね。


 ……とまあ、長い前置きはこのくらいにしておきましょう。


 では、私に残された時間を使って、皆さんにお伝えしたい一編の物語がございます。とはいえ、これからお話ししますこの物語に関しましても、先述の通りです。


 ですから、この物語が真実なのか嘘なのかの判断は、皆さんにお任せいたします。



 あるところに、小さな田舎町がありました。それはそれは立派なお城と綺麗な街並みがその町にはあり、豊かな緑で澄んだ空気と一面に広がる満天の星空が自慢です。


 その町にあるお城は、町が属する島国の王様が休暇を過ごすための場所で、普段は誰も住んではいません。


 その王様はこの田舎町出身の人間でした。彼には気品に溢れたとても美しい妻と、綺麗な淡紅色の髪をした可愛らしい娘が一人おりました。


 王様は、家族を大切にするように国民を大切にし、家族を愛するように国民を愛しました。その甲斐もあって、ほぼすべての国民から愛され、敬われておりました。


 そんな王様が治める国でしたから、それはたいそうゆったりとした時間の流れる、暖かで優しい場所でした。


 しかし、そんな平和も永遠というわけにはいかなかったのです。


 それは、王様が毎年のように年末の休暇をお城で過ごしていたある年のことでした。その年の瀬は、いつにも増してたくさんの行商人が町の中央広場にやってきていました。海を越えてこの国に入り、海の近くにあるこの田舎町にやってきたのだそうです。


 彼らは、この町では見ることもできないような面白い物品や珍しい食物を、荷車いっぱいに運び込みました。町の住人は目を輝かせ、その行商人と酒を飲み交わしたのです。


 町に異変が現れたのはそのすぐ後の事でした。住民が次から次へと原因不明の高熱に見舞われ始め、治療法もわからないまま命を落としていきました。


 行商人が持ち込んだのは、物品や食物だけではありませんでした。それらと一緒に、感染力の強い病原菌が紛れ込んでしまったのです。


 田舎町から感染を広げていったその菌は、瞬く間に国全体を呑みこみました。多くの国民を蝕み、たくさんの命を奪ったのです。


 もちろん、お城に帰ってきていた王様一族にも関係のない話ではありません。王様は最愛の妻をその伝染病で亡くしてしまうのでした。


 王様はショックのあまり、倒れ込み、塞ぎ込み、精神を病んでいきました。ついには国の統治をも放棄してしまうのです。


 すぐに後継者争いが始まりました。しかし、なかなか統治者が決まることはなく、国土は瞬く間に荒れ果てていきました。


 それから数年が過ぎ、無残な姿になった街々には、心の荒んでしまった国民たちの生活がありました。


 内戦は終結したもの、もう立ち上がる力はこの国にはありません。


 王様はお城に籠ったまま、生きているのか死んでいるのかもわかりません。彼の一人娘もそんな王様の姿に、お城を出ていってしまい行方不明になりました。


 当時の面影など一つもなく荒廃したこの国に、希望は少しも残されていませんでした。


 さらに幾年の時を経て、王様は突如、お城から姿を現しました。お城の見晴台に立った彼の姿は変わり果てたものでした。


 王様の姿を見つけた町の住民は、どんどんお城に近寄っていきます。


 色を失った聴衆に向け、彼は高らかに宣言するのです――




 その瞬間、鐘の音がけたたましく鳴り響き、周囲一帯を包み込んだ。


「えーっと……チャイム、鳴っちゃいましたね」


 真夏の灼熱を空調で打消し、長袖の上着を羽織っても寒いくらいにまで冷え切った大学の教室内。そんな教室の前方に、灰色のスーツを着た一人の男性が立っていた。彼はマイクを握ったまま腕時計の時間を確かめ、残念そうに肩を落とす。


「皆さんはこのお話を、どこかで起きた遥か昔のことのように思い描くかもしれません。もしかしたら、そんな事実はなくてただの絵空事だ、とお思いになるかもしれません」


 今回の講義のために用意した内容が早めに終わってしまい、余った時間を利用して何やら不思議な話をしだした福庭ふくば教授は、最後まで話し切れなかったことに、少し申し訳なさげな表情を見せた。


 その反面、学生たちはつまらない話がようやく終わったと、のそのそと顔を上げて筆記具やノートを意気揚々と鞄に詰め込んでいく。


 話を真面目に聞いていた学生なんて、両手の指で足りるくらいだったのかもしれない。


「ですが、お話を始める前にも言ったように、この物語に出てくる登場人物以外、真相はわかりません」


 二限目の講義が終了するのはちょうどお昼時だ。廊下ではすでに講義を終えた学生たちが、大きな声で笑いながら言葉を交えていた。室内の学生も、そわそわと落ち着きがない。


「本当はこの先もお話ししたかったのですが、皆さんからの許しはなさそうなので諦めます。……来週のテスト、皆さんの健闘を楽しみにしています。それでは、講義を終わります」


 福庭がそう告げると、大勢の学生が待ってましたと言わんばかりに席を立ち、出席票を手に教卓へ向かう。次々に用紙を提出し、学生たちは教室を出て散り散りになっていく。


 一気に活気を失っていく室内に、桃色の山だけが次第に築き上げられた。


 あかねが黒板に書かれたテスト内容をノートに書き写していると、荷物を先に片付け終えた千穂ちほに腕を掴まれ、左右に大きく揺さぶられる。


「あっかね~、ご飯行こっ。お腹空いたー」

「ちょっと待ってー、今写してるから」


 ぐにゃぐにゃになった文字を消しゴムで消し、改めて書き直す。ついでに、いつの間にかノートに書き込まれていた解読不能な文字と線も消しておいた。


 茜は概要をまとめ終えると筆箱にシャーペンをしまい、大きく伸びをした。机の上の荷物をリュックに放り込んで席から立ち上がると、千穂と一緒にまばらになった人影を横目に歩き出す。


 福庭は黒板に書いた文字を、せっせと消しているところだった。


 千穂から出席票を受け取ると、茜はその用紙を教卓に堆く積み上げられた山の頂にそっと重ねた。


 乱雑に置かれた出席票の頂点に輝く自分の名前を見つめながら、ここに来るまでの道のりを思い返す。覚えている限りでは、机の上に桃色の紙を残している学生はいなかったはずだ。


 ぐちゃぐちゃのまま放置して帰っては、一番上に名前のある学生が整えなかったことは誰の目にも明らかである。


「あーかねー、はーやーく~」


 先にドアへ向かっていた千穂が、こちらを振り返って大声を出した。


 はーい、と適当に返事をし、茜は急いで出席票を寄せ集める。


「こんなもんで大丈夫かなあ」


 ある程度一ヶ所に固めた紙を満足そうに見下ろし、教室の出口へ駆け寄っていく。


「お待たせ~。お昼、何にしよっか」


「ん~、うちはやっぱりラーメンかなあ」


「ここのラーメン、美味しいけどちょっと辛いよ……」


「わかってないねえ、茜。その醤油の濃さがいいんじゃん」


 どうでもいいラーメン談義を交わしながら、他の学生のように二人も教室を後にする。


 室内には、コンビニで買ってきた昼食を食べる数組の学生と、白髪交じりで細身の教授。


 福庭は一通り荷物をまとめると、誰もいなくなったドアの方をじっと見つめた。


 しばらくの間そうしていたが、思い出したようにふっと目線を外し、窓の外に広がる灰色の雲の交じった、それでもまだ青い空を仰ぐ。


「今の王様は自分を見失っています。彼は自制心を失ってしまいました」


 視線を手元に戻し、鞄を掴んで肩に掛ける。


「どうかあなたの手で彼を、そして国民を救ってください。そして、私たちを未来へ導いてください」


 束になった桃色の紙を掴んで袋にしまい、そのまま鞄の中に押し込んだ。


「さあ、そろそろ帰りましょうかね。今夜は雨になりそうだ」


 頬に一筋の光を反射させながら、福庭もまた教室を後にした。


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