15 真明の森



 しんめいの森は、満月に近い白々とした月光に照らされている。

 森の中は結界により街明かり、賑わい満ちる騒ぎ音からも遮断され、まるで別世界にでも来たかのように静寂に満ちていた。


 しんひらじんぐうの東西南北に聳え立つ正門。

 それぞれの正門からは大きく長い石階段が下へ伸びていて、その周囲を覆うように背の高い木々が並ぶ森が広がっている。

 それがしんめいの森だ。

 正門以外からの侵入を防ぐため、真明の森には特殊な空間結界が張り巡らされている。そのため森の中は外から見るよりも遥かに広大であるらしい。

 リリス曰く、真明の森とその上空からは神都平日神宮へ向かうことはまず不可能なのだそうだ。神都平日神宮へ向かうには一度森を出て、正門へと続く正しい道から進む他ない。

 立ち入り禁止となっているこの森ならば周囲に人が居ないため存分に襲い来る敵と戦うことができる。そしてここは人目を避けようとしていた敵側にとっても望ましい場所のはずだ。


 真明の森に忍び込んだ桜達は木々のない広い空間、その中心に陣を取り、そして戦いの準備を始める。

 桜は右手を胸に当てる。内に宿るはくえんの封印を強めていく。

 これで戦いが始まっても最低三分間は全力で戦うことができる。

 封印を前もって強めるこの行為は多量の霊力を使用するため封印の不安定さが増し、残された時間が大幅にすり減ることになる。

 だが今はもうそれは問題ではない。


 桜は続けて霊術で感覚を強化、かんりょういきを広げていく。

 結界により広がり、結びつけられた真明の森の空間、そのおおよそを把握。

 これで領域内に少しでも変化があれば桜は瞬時にそれを知ることができる。


 敵に居場所を探知されているのなら不意打ちは必然。

 おそらく空間系霊術を使えるあの女が国神の祠に突然現れたのと同じように、森のどこかに入り口を作って一気に仕掛けてくるはずだ。

 その入り口が現れる瞬間を捉えて逆に叩きつぶす。


 詩織の携帯で時刻を確認する。

 時刻は八時四十七分。しんひらじんぐうさいじょうで春の大祭、最後の儀式が始まるまで十五分を切った。

 敵は必ずここにリリスが持つ仮面の結晶を奪いに来る。

 桜はなお一層鋭く気を強めていく。


 リリスは静かに桜の方を向いて宙に止まっている。

 体の光も穏やかで、思った以上に落ち着いてくれているようだ。


 真明の森に敵をおびき寄せて戦うことについてリリスと話し合っていた時、桜は敵が狙う仮面の結晶を自分に渡して欲しいとリリスに提案した。

 それなら敵がリリスを狙うこともなくなるだろうと。

 しかしリリスはとても申し訳なさそうに桜の提案を断った。

 足手まといになるのは分かってる。けど、せめて一緒に命だけは張らせて欲しいとリリスは言った。


(私が結晶を持っておくのがベストだったけど、でも……)


 桜はぐっと強く拳を握りしめた。

 リリスの決意は受け取った。必ずここで決着をつける。


『桜様』


 詩織の思念が桜に届く。

 リリスには聞こえていない、桜にだけ向けられた思念。


『桜様、お願いします。どうか今一度、話をさせてください』


 桜は仮面越しに強く詩織を睨みつける。


『あんた、今どういう状況か分かってんの?』

『しかし、桜様は今多量の霊力を使って無理に封印を強められたのではないですか? そのようなことをすれば桜様に残された時間が……』

『そうね、もってあと三時間ってところか』

『……っ、でしたら尚更です……! どうか、話を……』

『もう入り口は見つけた。あと三時間もあれば私にはそれで充分なのよ。あんたもいい加減に――』


 ふと、リリスが目の前に来て止まったことに気付く。


「リリス? どうしたの?」


 リリスは答えない。


「いつあいつらが襲って来るか分からないわ。もっと私の近くにいなさい」

『ごめんなさい。今の二人の会話、聞かせてもらったわ』

「……え?」


 今の二人の会話というのは詩織と交わしていた思念での会話のことか?

 近距離とはいえ、こちら側に一切感付かせることなく指向性思念を盗み聞く。そんなことできるはずがない。


てんとうどうくつで桜の霊力を感じ取ってから、ずっと引っかかっていたことがあった……。やっぱり桜は……』


 とても、嫌な予感がする。


「ねえリリス、それは、今話さないといけないことなの?」

『もって三時間、なんでしょ? 桜に残された時間はあまりにも少ないわ』

「……っ!」


 リリスは本当に今ほどのやり取りを聞いていたようだ。

 すぐに詩織との会話を思い返す。

 大丈夫だ。致命的な事は言っていない。


「リリス、なにか、勘違いをしているわ」

『ええ、勘違いだって思ってた。天道洞窟で桜が水晶に霊力を流してくれたあの時、私は桜の霊力を深く感じ取った。桜の霊力は暖かみに溢れていた。でも、その暖かさの奥底にほんの一瞬、ほの暗い死の欲動を感じたの……。死の欲動なんて、桜みたいな暖かな霊力をした人が持つものじゃない。なにかの間違いだって思った。だけどその後、桜が急に苦しそうに倒れたのを見て……少し、引っかかった』


 妖精は霊力の感知能力に優れている。

 霊力から相手の感情、気持ちを読み取ることができる。

 だから桜はリリスが側にいる時は常に感情を読まれないように体内霊力の制御に気を遣っていた。

 だが、さすが大妖精に一目置かれているだけのことはある。

 あの時、霊力水晶に流したほんのわずかな霊力から、桜の心の奥底にある死を望む意志をリリスは読み取ったのだ。


『その後、何度も桜の霊力を確かめようとしたけど、桜、とても綺麗に霊力を制御してるから、どれだけ近づいてもちゃんとした霊力を感じ取ることができなかった。だから桜から話を聞いて確かめようって……それで、やっぱり勘違いなんだって、安心した』


 思い返せば二人きりの時にリリスはいきなり生きることは何かと問いかけてきた。

 どうやらそれは桜の内側を探ろうとしてのことだったらしい。


『でも、そうじゃなかった』


 そして今、桜と詩織の思念を聞いて確信を得たという訳だ。


『ねえ詩織、桜は今、一体どういう状態にあるの?』


 まずい、と慌てて詩織を見る。

 だが桜の心配をよそに詩織は重々しく首を横に振った。

 そうだ。これまで詩織はリリスと二人だけで話す機会が何度もあった。それでもまだリリスがくにがみや桜の状態について知らないということは、詩織にとってもそれらは決して話せないことなのだ。

 しかしリリスは続ける。


『詩織、桜の命は今、何らかの危機的状態にある。詩織が桜に何かを説得しようとしている様子から、おそらく解決方法はある。だけど桜は詩織を拒絶している。つまり……死を受け入れようとしている。そういうことじゃないの?』

「いい加減にしろよリリス……! こんな時に訳分かんないこと言ってんじゃねぇよ」

『……分かってる、今がどういう時なのか。でも……でもっ! このままだと、桜がっ……』


 今にも泣き出しそうなリリスの声が桜の中で響く。


『桜、あなたが何を抱えているのかは分からない。でも桜、逃げないで。詩織の言葉をちゃんと聞いてあげて』

「……私は、逃げたりなんかしないわ」

『そうよね。真っ直ぐに強く生きるって、あの時、桜はそう言ったよね?』

「…………」


 月の光ががらんどうの森に染み渡る。

 静かな視線が見守る中、桜はうなずくように息をした。


『もう盗み聞きなんてするつもりないけど、私が側に居ると話はできないよね。話が終わるまで少し二人から離れるわ』

「待ってリリス……! 今私から離れるのは絶対にダメよ。ちゃんとこいつの話は聞くから、だから……」

「リリスさん、結界を張ります。桜様と私の周りに音を遮断する結界を。それならリリスさんが側に居ても話はできます」

『……わかったわ。それで二人が話をできるのなら、側にいさせてもらう』


 リリスは桜達からほんの少し離れた位置で二人を見守るように止まる。

 詩織が桜に右手を差し出す。


「桜様。手を、お貸しいただけますか」


 空間にではなく特定の相手にだけ対象をとった結界を張ろうというのだろう。

 だがたとえどんなに小規模であろうと結界は外と内を遮断する。結界の種類にもよるが、音を遮る結界であれば桜が今広げている感知領域に大きな影響が出てしまう。

 桜の沈黙から考えていることを察したのか、詩織は小さく頷いた。


「桜様、大丈夫です。私の結界は桜様が広げている領域を阻害するようなものではありません」

「……分かった」


 桜はしぶしぶと詩織の手を取った。


(クソッ、こいつが思念で話しかけてこなければ、こんなことには……)


 握手をしあうような格好で二人は向かい合う。


「桜様、結界を張り終えました」

「え?」


 詩織の手に触れて五秒と経っていない。

 詩織が結界を張った様子は一切なかった。そして今も結界が張られている気配も感じられない。桜が広げている感知領域にも全く影響が出ていない。


「大丈夫です。リリスさんに私たちの声が聞こえることはありません」


 到底その言葉を信じることはできない。

 桜はリリスに顔を向けず、リリスの名前を呼んだ。仮面を被っているためリリスから桜の口許は見えない。声を発していることは見た目では分からない。

 桜は五回、段々と声を大きくしながらリリスの名前を呼ぶ。だがリリスは一度も桜の声に反応することはなかった。

 どうやら本当に結界が張られているらしい。


 霊気が全く感じ取れず、感知領域に何ら影響を与えない、音を遮断する結界。

 てんとうどうくつの霊力計測水晶で見た、いや、見えなかった詩織の透明な霊力。その特殊すぎる霊力がこのような結界を可能にしているのだろうか。

 とにかく今は。


「リリスの気持ちをにはできない。だから話は聞くだけは聞いてやる。さっさと話せ」

「はい」


 詩織もまた蝴蝶の仮面を被っているため表情は一切読み取れない。

 互いに仮面で表情を隠したまま、桜と詩織は話を始める。


「桜様のお心は変わりありませんか」

「変わらないわ」

「ですが、桜様はあの時たしかに、死にたくないと、そう仰いました」


 仮面の中で桜は小さく息を吐く。

 やはりそれを出してくるか。


「うん、私も驚いた。まさかこの期に及んで死にたくないだなんて。情けない」


 嘲るように桜は笑う。


「ええ、私は死にたくないと思ってる。でもそれが何? 私はもう一度あの炎に呑まれて死ぬ。私は私を終わらせる。その意志になんら変わりはないわ」

「死を望む、意志……」


 詩織はしばらくの間顔を俯かせる。そしてゆっくりと顔を上げた。


「桜様はあまね様が何かを企んでいると、そうお考えですか?」

「…………」

「いくらあまね様と言えどしんかくに手を加えることはできません。アレはそういうものです。そして国神になるということはすなわち、この国内において絶対的な力を手にするということ。力を受け渡す周様に何か裏があるとは思えません」

「……あんたは、あいつのことを何も分かっていない」

「やはり、桜様はあまね様を怖れていられるのですね」

「違う……。私は、あいつを怖れてなんかいない」


 仮面の中にはちゃんと空気が通っているはずなのにひどく息苦しい。

 もう嫌だ。やめてくれ。

 手を離して話を終わらせようとしたその時、


「大丈夫です。桜様には私がいます」


 とても穏やかな声で詩織は言った。


「……え?」

「私は桜様の味方です。決して桜様を裏切るようなことはいたしません。そして私には桜様をお守りする強い力があります。そのために今日まで精進して参りました。たとえあまね様であろうと、桜様の敵となるのであれば容赦はしません。私が打ち倒してみせます。この命に替えてでも、必ず桜様をお守りいたします。……ですからっ」


 詩織の掴む手にぐっと力がこもる。


「ですから桜様、お願いします。どうか、生きてください」


 それは強く切実な、感情の詰まった声で。

 気付けば桜は後ずさっていた。


「……分からない。あんたは、なんでそこまで私を……。だけど、あんたが何を言おうと、私は――」


 じりっと体内に嫌な痺れが生じた。


(ッ、これは……!)


 辺りに黒い靄が漂いだしていた。

 あっという間に空間を侵食し、視界全てが黒い靄に包まれる。

 全身の霊力が一気に乱れ始める。


『桜……! 詩織!』

「リリス!」


 桜はすぐさま詩織の手を離し、側に居たリリスを抱きかかえた。


『桜……詩織、どこ? どこに居るの? ……さくらぁ……』

「リリス?」


 抱きかかえているリリスは桜に気付かず、体を震わせて桜と詩織の名前を必死に呼びかけている。


「リリス、落ち着いて。大丈夫よ。私がいるわ」

『桜……近くに、いるの?』


 霊力の乱れのせいか、リリスは今いくつかの感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。だがどうにか声だけは聞こえているようだ。


「ええ、今私がリリスを抱っこしてるわ。安心して。絶対にリリスは私が守るから」

『桜……』


 乱れる体内霊力の制御につとめながら思考する。

 敵が現れたことはまず間違いない。

 そして突然周囲を覆った黒い靄。この黒い靄が現れてから全身の霊力が乱れだした。それにより桜が広げていた感知領域もほとんど無意味なものとなってしまっている。

 ほの暗い黒い靄の中、桜は魔物が暗闇と共に現れると警官が言っていたことを思い出していた。

 おそらくその暗闇が、今この森全体を包んでいる黒い靄のことなのだろう。

 リリスも仮面に封じ込められた時のことを話している時に霊力が乱れたというようなことを言っていた。桜はそれをその場に現れた魔物が放ったマイナス質の霊力による影響だと考えていた。

 だがそうではなかった。

 魔物と共に現れる暗闇。この黒い靄が霊力を乱す力を持っているのだ。


「桜様!」


 詩織の声で背後から迫り来る気配を感じ取った。

 不覚だ。霊力の乱れで感覚が狂ってしまっているとはいえここまで接近を許すとは。

 すぐさま全身に防壁を纏わせる。しかし体内霊力が乱れるなか展開した防壁は呆気なく崩壊し、桜は強烈な衝撃を受けて横に吹き飛ばされた。

 空中で受け身をとるも、体に力が入りきらず体勢を少し崩して着地する。


『さくら、だいじょうぶ? けが、してない……? ごめんなさい……わたしの、せい……で……』

「リリス……!」


 リリスの思念はとても弱々しく、体の光も消えかかっている。

 いつまでもこんな霊力が乱れる空間に居ればリリスが死んでしまう。すぐにこの靄の中から抜け出さなければ。

 立ち上がった矢先、ぬるりと目の前の空間が歪んだ。

 その歪みの中から硬質な黒い鴉を思わせる仮面が現れた。


「無様ね、人間」

「お前は……!」


 国神の祠でリリスを襲い、そして逃げ出したあの女だ。

 黒鴉の仮面をつけた少女は右手を前に伸ばし、捻った。

 すると桜の周囲の黒い靄が途端に濃くなりだした。それに伴って体内の霊力がさらに激しく乱れていく。


「クソッ――!」


 地面を強く蹴って上空へと跳ぶ。

 だが上昇した直後、背後から風切り音が迫った。

 ガリンッ! と纏った防壁を貫く重い拳を背中から腹へと二撃喰らい、桜は地面へと打ち付けられた。


「……っ、……リリス!?」


 右手で抱きかかえていたはずのリリスがいない。

 空を見る。上空には黒い靄の中、赤い眼光を放つ黒い獣の仮面をかぶった男がいた。

 その男の右手には――――


「リリス!!」


 男は手に持ったリリスを自身の顔、黒い獣の仮面へと近づけていく。


「やめろ……ッ!」


 仮面の中にリリスは沈んでいく。


「リリス……っ!」


 リリスを呑み込んだ仮面はどくりと黒い波紋を放った。


「お手数をおかけしました、兄様」


 月光の中、黒い獣の仮面をつけた男の隣に黒鴉の仮面をつけた少女が並ぶ。

 両者共に異彩を放つ白い頭髪。そして『兄様』という呼び方。


(そうか、こいつらが……!)


 奥歯を噛みしめて桜は立ち上がる。


「兄様、あいつが例の女です。仮面をつけてはいますが、間違いありません」

「リリスを、返せ……!」


 地面を蹴り、上空に居るリリスを奪った仮面の男へ飛びかかろうとした。

 だが、


「ぐ……ッ」


 体内の霊力がまた急激に乱れ出し、大きく体勢を崩して桜は再び背中から地面に倒れた。

 桜の周囲を色の濃い黒靄が包んでいる。


「兄様に近づくな、クソアマ。消えろ」


 上空から白髪の少女が桜に向けて特大の黒い閃光を放った。

 桜の視界が闇に染まっていく。

 本来ならすぐに体勢を立て直して回避し攻撃を仕掛ける。

 だが今の桜にはそれができなかった。


(こんな時に……!)


 桜の内側にはくえんが現れていた。

 桜は先ほど戦闘に備えて白炎の封印を強めた。最低でも三分の間は全力で戦える状態だった。

 だが、この急激な霊力の乱れのせいで強めた封印がすぐに弱まってしまった。

 体が動かない。迫り来る霊撃を防ぐことも躱すこともできない。こんな最悪な形で終わりを迎えるというのか。


 ザガンッ!!


 耳をつんざく甲高い轟音。そして白髪の少女が放った黒のれいげきは空中半ばで目に見に見えない何かとぶつかったかのようにして消えていく。

 霊撃が散り、漂う靄の中、宙に浮かぶ黒装束の兄妹が姿を現す。


「な…………き、消えた……?」


 少女が驚く声と共に、何かに背中を押されるようにして桜の上半身が勝手に起き上がった。

 気付くと桜の側に詩織が居た。

 桜の手を握り、詩織はじっと注意深く空を見上げている。

 白髪の兄妹はすぐ真下に居る桜達に気付いていない。妹の方がとても困惑した様子を見せている。

 これは、ゆいしきの力か。


「桜様、封印を強めることはできますか」


 詩織は桜の右手を胸へと動かし、焦りの帯びた声で尋ねる。

 桜は封印を強めようと試みた。だが何故か霊力を操作することが全くできない。封印を強めることができない。


「そうだ、今は私のせいで……。どうすれば……! このままじゃ桜様が……」

「私のことはいいから、早くリリスを……! あの男が、リリスを、仮面に……」

「リリスさんが仮面に……ッ!? ですがっ……今は、動くことができません。どうか今は耐えてください」

「どうしてっ……、早くしないとリリスが……!」


 どれだけ訴えても詩織は動こうとはせず、緊張を孕んだ目で空を見上げ続ける。


「申し訳ありません、兄様」


 上空から女の声。


「はい。確実に捕らえたはずのもう一人の女も消えています。…………はい、そうです。いったいどうやって。……いえ、それが……」


 妹の方の声は聞こえるが、兄の方は思念を使って話しているのか声は全く聞こえてこない。

 そして、


「そんなっ、無茶です!」


 長い白髪を左右に乱して少女が叫んだ。


「結晶石を取り込んでまだ時間が経っていません。今消えた女二人も気がかりです。兄様、少し時間を置きましょう。…………いえ、そんなことは……!」


 しばし沈黙の時間が流れ、そして、


「……はい。……分かりました」


 周囲を覆った黒い靄が蒸発するかのようにして消えていく。そして辺りから一斉に黒い影の群が飛び立った。

 上空に仮面をつけた黒装束の者達が映り込む。

 その数は、白髪の兄妹と合わせて十七。

 黒装束の者達は夜の闇に溶けるように消えていった。


「桜様、今なら大丈夫です! すぐに封印を強めてください!」

「なんで、戦わなかった……! あんたが戦えばリリスを助けられたはずでしょ……っ!? なのにどうしてあんたは、うぐっ……!」

「桜様っ! ……桜様、今はどうか封印を……鬼神の炎を抑えてください!」


 まだ死ぬ訳にはいかない。

 桜は内にある封印を強めていく。

 体内の霊力の調子がすぐに戻らず、五分、十分と今まで以上に苦しみながらも、桜はどうにか白炎を抑え直した。


 確実に終わりが近づいてきている。

 封印を強めて白炎を抑えられるのもおそらく次が最後だ。


「リリス…………リリス……ッ! すぐに……助けるからっ」


 桜は詩織を押しのけて立ち上がる。しかし、


「桜様!」


 桜は力なく地面に倒れた。

 霊力の乱れはなくなったが、まだ体が回復できていない。

 だが休んでいる暇などない。一刻も早くあの男の仮面を破壊しなければ、リリスが。


「桜様、私が向かいます! リリスさんは必ず私が助け出します……! ですからっ、どうか桜様はここで休んでいてください!」


 全身の力を込めて立ち上がる。

 飛行術を使い、体を宙に浮き上がらせる。


「桜様……っ」

「絶対に……守るって、約束したのよ……!」


 ふらつきながら上昇していくも、すぐに飛行術が維持できなくなる。

 桜は地面へと落ちていく。

 その最中、ふわりと下から身体が持ち上げられた。

 柔らかな感触に清涼な香り。

 詩織が桜の体を支えていた。


「急ぎましょう。ですが、決して無理はなさらないでください」

「…………ありがとう……」

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