09 天道洞窟
百貨店ビルの屋上から明るい光に包まれた広場を見渡す。
眩い黄金色の光を放つ水晶が組み込まれた石塔を中心に、小型・中型の飛空船が停泊するロータリーとなっているようだ。周囲は様々な商店で賑わい、溢れんばかりの人妖が往来している。
広場へと降り立ち、ロータリー沿いの道を進んでいく。
情緒あるデザインをした水晶の
ここが天道洞窟への入り口のようだ。
桜達は階段を下りていく。
壁から天井まで透き通る水晶が用いられている。その透明な水晶の中を温かみのある黄金色の光――大地の自然霊力がゆらりゆらりと清らかに流れていく。
階段を下りる中で電車の案内板を目にする。リリスに聞くとこの階段は神都地下鉄の駅とも繋がっているとのことだ。
階段を真っ直ぐ一番下まで降りると黄金色の光に満ちる霊力水晶の空間に出た。
『ここが天道洞窟よ』
天井は仰ぐほどに高い水晶の大空洞。道となる床は歩きやすいように白色のタイルが張られているが、それ以外視界に入る全てが透き通った天然の霊力水晶で満ちている。
「おお……!」
透明感溢れる広大なその光景に思わず感嘆の声が出た。
天然の霊力水晶洞窟は国内にもいくつかあるが、その中でも神都の水晶洞窟は一番規模がでかく、水晶の質も高い。
それも当然で、国内の大地に流れる良質な自然霊力が一番多く集う場所、パワースポットにつくられたのがこの国最初の都市、神都だからだ。
「桜様、とても……とても綺麗ですね!」
「そうね。本当にここが当たりかもしれないな」
『……そう言えば、今更だけど何で詩織さんは桜のことを桜様って呼んでいるの? 二人とも礼家なんだし、それはちょっとおかしいような』
「あー……それは」
小さく開いた口がそのまま固まる。
詩織が礼家でないのならそれなりの説明はつく。だが互いに礼家同士でかつ見た目は同じくらいの年頃。敬語はともかく、様付けは確かに異様だ。
『それにさっきも思ったんだけど、唯識の詩織さんと一緒に行動していて桜が唯識を知らないというのはやっぱり変だわ。もしかして二人は今日が初対面……? 二人はいったいどういう関係なの?』
「……いや、何かこいつ、私を他の誰かと勘違いしてるみたいでさ。それで付きまとわれてるって感じで」
「勘違いなどしていませんっ! 桜様は桜様です!」
またきつく詩織を睨みつけるも、詩織もこれだけは譲らないという目で桜の視線を受け止める。
『事情はよく分からないけど……でも二人とも同じ礼家で歳も近い女の子同士なんだし、仲良くしたほうがいいと思うわ。ねっ?』
これ以上話を広げない方がいいだろうと桜は足早に先へ進む。
そういえばリリスが一緒に来てから詩織はあまり話しかけてこなくなった。やはり国神や神核の話はリリスが側に居てはできないものなのだろう。
ここも地上と変わらず大勢の人で賑わっている。
洞窟内にはイベントホールなどもあるらしく、それらで行われているイベント目的でここに来ている人もいるようだ。
歩くスピードを落としていく。
またさっきみたいにリリスと話がしたいなと思うものの、今リリスは詩織の側に居るようでこちらに来てくれる気配はない。
後ろを見る。
詩織が何か困った顔をしていると思いきや、急に笑顔になった。
(……声は聞こえてこない……ってことは)
桜は意識を研ぎ澄ませる。
二人の間に微弱ではあるが
リリスは先ほどまで使っていた、近くに居る者全員に聞こえる思念とは違い、詩織にだけ聞こえる、特定の相手にだけ聞こえる指向性の思念を使って会話しているようだった。
そして詩織もまた同じようにリリスにだけ向けた思念で話をしているようで、二人が今何を話しているのか桜には聞こえてこない。
どんな話をしているのだろうか。とても気になる。
秘匿された思念を傍受、盗み聞くことは思念の波を掴み取ることができたのならそこからはそれほど難しくない。
だが桜は思念の傍受を行わなかった。
思念の傍受は思念という霊術の性質上、相手に察知されずに行うのがとても難しいのだ。もしも盗み聞いたことがバレればリリスからの印象が悪くなるのは必然。
ここは我慢だ。
水晶の洞窟を進んでいくとだんだんと道が複雑に分かれだしてきた。
案内板はあるものの、初めて訪れた桜にはどこをどう進めばいいのか判断がつかない。
大人しくリリスと詩織が追いつくのを待った。
リリスの案内のもと道を進んでいくと縦長の霊力水晶がずらりと並んだ広間に出た。
道行く多くの人が設置された霊力水晶に触れていて、水晶は様々な色の光を放っている。
立ち並ぶ水晶の間を進んでいくと、
『桜、詩織。少しだけいいかしら?』
そう言ってリリスは近くの空いている水晶に向かって飛んでいった。
(えっ、今……!)
聞き間違いでなければ今、リリスは詩織を、さん付けをせずに呼び捨てにしていた。
もしかして先ほどの内緒話で距離を縮めたのだろうか。
面白くないと顔をしかめつつ桜はリリスが待つ水晶の前に向かった。
『これは霊力計測水晶。水晶に霊力を流せばその霊力の元色、エネルギー密度、大まかな属性などを視覚的に見ることができるのよ』
「へぇー、これがそうなのか」
霊力とは生きとし生けるもの全てが持つ生命エネルギーだ。
ただし、誰もが持つ力ではあるが誰でも自在に扱える力というわけではない。
人間で霊力を認識、そして放出まで出来る者が四十パーセントほど。さらにその中から最低限の霊術が扱える者――四級の霊術師資格を獲得できる者が二十から三十パーセントほどだといわれている。
『ねえ桜、もしよければでいいんだけど、桜の霊力、見せてもらえないかしら?』
「え、何で?」
『何でって、こうしてせっかく道中に計測水晶が並んでるんだもの。桜の霊力がどれだけ凄いのか水晶で見てみたいわ』
「んー……」
だから桜が答えを渋っているのはそれとは別の理由だ。
『ねえ桜、お願い。ちょっとだけでいいから。ね?』
ああダメだと早くも桜は観念する。
こんなにかわいくせがまれては断れる気がしない。
「分かった。いいわよ」
少しくらいなら大丈夫だろうと桜は水晶に触れて軽く霊力を流した。
無色透明の水晶が桜の瞳と同じ深い青色へと光りだし、水晶の内側に立体的な波が現れて大きく揺れ出した。
『凄い! エネルギー密度が最高値だわ……! この大きさの水晶で計りきれないなんて……!』
桜が触れる水晶にリリスがぴたりと体をくっつける。
『燐の火のようなとても綺麗な青…………そしてなにより優しくて暖かい』
「あの、リリス? 別にそんな無理して褒めなくてもいいわよ?」
『桜、知っていると思うけど、私たち妖精は霊力を感じ取る力に長けているのよ』
魂に一番近い生命体とされている妖精。だからなのか、妖精は霊力・霊気の感知能力に優れている。
人間では感知できない微量な霊力・霊気を感知でき、遠く離れたものを感知、識別する力も人間の及ぶところではない。さらにそれだけではなく、妖精は相手の霊力・霊気から気質、感情等を感じ取ることができる。
妖精の多くが人を恐れるのも、その力で悪意や負の感情を過敏に感じ取ってしまうからなのだそうだ。
『それでね、私はその力が特別強いってカナリア様に言われているの』
「凄いじゃない。もしかしたらリリスは
『えへへ、どうだろう。……えっと、だからさっき言ったのは私が桜から感じる霊力の気質よ。桜、あなたの霊力は優しくてとても暖かい。とても心地良いわ』
「そ、そう? ありがと」
胸に湧き上がる感情がだらしなく表に出ないよう意識して桜は答える。
すると、
『……え?』
リリスがびくりと小さく驚いたような声を上げた。
「どうしたの?」
『……あ……いえ、なんでもないわ……』
しかし先ほどまでぴたぴたと元気よく動いていたリリスの二対の翅が今はとても大人しい。
(……まさか)
優しくて暖かい。リリスは桜の霊力をそのように褒めたが、それは霊力の気質だ。
妖精は霊力から感情も読み取ることができる。
そのことを知っていた桜はリリスと行動を共にするようになってからより一層体内霊力の制御に気をつかっていた。
リリスに霊力から感情を読み取られないために。
だから桜は水晶に霊力を流すことを渋っていたのだった。
しかし今、リリスにお願いをされたため水晶に霊力を流している。そしてその水晶に今もなおリリスが触れている。
もしも今、水晶に流れるこの僅かな霊力からリリスが感情を読み取っているのだとしたら。もしもこの加速度的に大きくなっていくリリスへの好意を読み取られでもしたら。
それはまずい。とてもまずい。
桜はすぐさま水晶から手を離した。水晶から光が消えていく。
『あっ』
「もういいでしょ。ほら、次はリリスの番よ」
『……え、ええ……。いいけど……でも、私の霊力なんか見ても何も面白くないわよ?』
リリスが触れる水晶がゆっくりとリリスの霊力色、紫色の光を放ちはじめる。
リリスの霊力はリリスの体が発している明るみのある紫の光とは少し異なる、深めの紫色をしていた。
「伊佐奈と似てるな」
『またいさな?』
「あっ、うん。別に、ただ知り合いと霊力の色がよく似てるってだけよ。それよりも」
桜は水晶に触れてリリスが流している霊力をじっくりと感じ取る。
とはいえリリスみたいに何かを感じ取れるわけでもなく、水晶の見方も詳しく知らないため分かることは少ないが、リリスの霊力には興味がある。
「リリスの霊力、なかなか良い感じの大きさなんじゃない?」
『桜と比べると全然だけど、そうね、一応エネルギー密度は二級の基準値を超えているわ』
「へぇ、やるじゃない」
やはりリリスは優等生のようだ。
「属性は?」
『今のところ無属性よ。カナリア様には特異属性になるんじゃないかって言われてるわ』
「特異属性か。それは楽しみね」
リリスは水晶から離れ、詩織の方へ体を向ける。
『ねえ、次は詩織もやってみてよ。詩織の霊力自体は感じ取れるんだけど、そこから感じ取れるものが何もなくてずっと気になってたの』
すると何故か詩織は困惑の表情を浮かべた。
「どうしたのよ。ほら、早くしなさいよ」
「はっ、はい」
桜が言ってようやく詩織は水晶の前に立った。
だが詩織は水晶には触れようとせず、何やら悩んでいる。
「どうした?」
「……いえ、何でもありません」
詩織は水晶に触れる。しかし水晶はなかなか光りださない。
『人間の霊力は基本瞳の色と同じ色。詩織の霊力は緑かしら?』
「いえ、リリスさん。私の霊力に、色はありません」
「は? 何言ってんのよ」
『えっ……これは……!? 桜、水晶に触れてみて!』
水晶にはまだ何の変化も起きていない。
何がどうしたというのだろう。
桜はリリスに言われた通り水晶に触れ――そして、大きく目を見開いた。
水晶の中には充分なエネルギー量の霊力が流れていた。だというのに水晶には全く光が見られない。
「ねえリリス、霊力の色を変えたり見えなくしたりすることは簡単にできる……。けど、たしか計測水晶に流れるのは素の、純粋な霊力だけのはずでしょ? つまりこいつの霊力は完全な透明……色も光も、ない……? こんなことってありえるの?」
『……聞いたことないわ。これは詩織が唯識だから……なのかしら。もっと大きくて純度の高い水晶なら何か分かるかも知れないけど……』
「桜様、リリスさん。いつまでもここで立ち止まっている訳にはいきません。早く祠へと向かいましょう」
話を断ち切るように詩織は告げて先に進み出した。
『え、ええ……そうね』
桜とリリスは促される形で後に続く。
霊力はたとえ光が薄くとも黒であれ白であれ必ず色を持っている。一切の光を持たない完全な無色透明の霊力。そんなもの聞いたことがない。
隣にいるリリスも詩織の霊力が気になっているのだろう、先ほどから体の光をぴこぴこと明滅させている。
長く伸びた道に入った。
長道にはランプやアロマなど水晶細工、装飾品、仮面などを販売している露天が並んでいる。
「ママ。ママ見て。妖精さん。妖精さんいるー。きれいきれい」
「あらほんと、綺麗ねー」
道ですれ違った小さな女の子がリリスに向かって無邪気に手を振った。
女の子に気付いたリリスはその場でくるりと円を描いて回り、りりん、とその体から鈴のような音を鳴らした。それを見た女の子は笑顔を満開にしてさらに手を振る。
周囲の視線が一気にこちらへと向いた。妖精がいるという声があちこちで聞こえてくる。
「リリス、サービスしすぎ」
『ごめんなさい、つい……。普段ならどうということもないんだけどね』
現在、街に居る妖精の数は極めて少ない。
そのため
今のでより一層注目を浴びてしまったようだ。
『…………』
「大丈夫よ。常に周りは警戒してる。周囲に変な動きをしてる奴はいないわ。まあでも、そろそろ追っ手が来てもおかしくない頃かもね」
『桜……』
「守ってあげるから、ちゃんと私の側にいなさい」
『うん! ありがとう、桜』
リリスが桜の右肩近くにまで寄って来る。
(ち、近い……!)
頬ですりすりしたい衝動に駆られる。だがいきなりそんなことをすれば確実にリリスに嫌われてしまう。
桜は懸命に自分を抑えた。
前に出ていた詩織に追いつき、真っ直ぐ伸びる長道を進んでいくとまた広間に出た。
その空間の水晶に流れる霊力の光は黄金色ではなく、白い静謐な光が流れている。
前方には白に包まれた空間の中で赤々と色濃く映える大きな鳥居。その側には白い着物に袴姿、そして顔に花の文様が入った仮面をつけた警備員らしき者が六人立っている。
『あの鳥居の後にある道を進んでいけば国神様の祠に出られるわ』
鳥居の後には大きく開いた道が続いている。だがその道を塞ぐように薄い白色の光壁――結界がいくつも張られているのが見て取れた。
「さてと、どうやって中に入ろうか」
『あ、やっぱり桜、中に入るつもりだったんだ』
「まあね。今のところ、ここが一番怪しいし」
『礼家であることを明かせば中に入れてくれるかもしれないけど……そういうの桜はいやそうね』
「うん。それはちょっと、ね」
しかし、ここまで警備が厳重だとは思っていなかった。
元からこういった警備態勢なのか、それとも突如現れる暗闇の件で警備を強めているのだろうか。
立ち並ぶ強固な結界。
祠内部できるだけじっくり調べたいため、騒ぎを起こす訳にはいかない。ゆえに強行突破はできない。
自分一人だけなら最小限の騒ぎで中に侵入する方法があるのだが、命を狙われているリリスと離れるわけにはいかない。
水晶の壁に背を預けてあれこれ考えていると、詩織と目が合った。
「桜様、私に任せていただけませんか」
どこか自信のある顔で詩織が言う。
「任せろってどうすんのよ」
『もしかして詩織は〈
「はい」
『凄いわ! そこまで〈意識〉を使いこなせているなんて……!』
「その〈意識〉ってのは唯識の力の……? あんたの能力を使えば中に入れるの?」
「はい。周りに気付かれることなく結界を抜けることができます」
「どうやって?」
「それは……、その……リリスさん」
詩織がリリスに向けて右手を差し出した。
『うん、分かった。……痛くはないのよね?』
「大丈夫です。痛みはありませんよ」
『そ、そうなんだ。わくわく』
リリスはちょこんと詩織の右手の平の上に止まった。
そして詩織はおずおずと桜に左手を差し出してきた。
「なに、その手」
「桜様……その、お手を、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「なんでよ」
『唯識の力は対象に触れることで作用するのよ。ほら桜、手を繋いで。仲良くいきましょ』
何故かリリスは嬉しそうな声で言う。
はぁ、と小さく息をつき桜は右手に持っていたレジ袋を左手に移し替え、詩織に右手を差し出した。
詩織はそっと桜の手を握った。詩織の顔がみるみる赤くなっていく。
「本当に大丈夫なの?」
「は、はい! 大丈夫です!」
詩織は目を瞑り、三度、深呼吸を行った。
「桜様、リリスさん、これから
落ち着きを取り戻した詩織は声を潜めて言った。
そして詩織はゆっくりと鳥居に向かって進み出す。
(もう能力を使ったのか? そんな様子も力の気配も感じられなかったけど)
疑問に思いつつも、桜は詩織の手を取りながら足音を立てないようにして後に続く。
正面から堂々と歩いて鳥居前に到達する。警備の者はすぐ側に居る桜達に全く気付く様子がない。
どうやら詩織の異能力はすでに発動しているようだ。
(こいつの使える唯識は〈
異能力は霊力を消費することなく力を発揮することができる。だから今こうして姿を消していても警備の者達の霊力感知は避けられている。
しかし、そこまでだ。
神域を守るために張られた強固な結界を誰にも気付かれることなく突破する。
唯識の力を良く知るリリスができるようなことを言っていたためついて来たものの、正直なところそんな離れ業ができるとは到底思えない。
鳥居の後に張られた薄く白色に光る壁――結界の前に来る。
結界に触れることになれば霊力を使っていなくとも体内の霊力が感知される。もしそれを誤魔化すことができたとしても結界に少しでも変化があれば警備の者達が気付くだろう。
気付かれることなく結界を突破するには、結界を正常に作動させたまま結界を無効化しなければならない。
詩織は静かにリリスが乗っている右手を前に出す。その指先が結界に触れる。すると詩織の手に乗ったリリス、詩織はするりと結界を何もないかのように通り抜けていった。手を引かれている桜も同様に結界をすり抜けていく。
桜はあまりにもあっさりと行われた結界抜けにただただ唖然としていた。
(これも、唯識の力……? リリスが言うには〈意識〉を使った結界抜け、だったか)
鳥居の後に続く道にはタイルが張られておらず、水晶の道が真っ直ぐに続いている。
桜は詩織に連れられながら次々と結界をすり抜けていく。
そのまま三分ほど息を潜めながら進んだところで白色の霊力の光に照らされるドーム状の広大な空間に出た。
太い水晶の柱がいくつも立ち並んでいて、その奥に水晶の塊と祭壇らしきものが見える。
『凄い……! 凄いわ! 本当に全部の結界をすり抜けちゃった!』
リリスは詩織の手に乗ったまま体を震わせている。
そして隣から視線。また期待の籠もった、褒めてくれといわんばかりの目が桜に向けられている。
まどろっこしい奴。
「手、離してくれる?」
「は、はい……」
詩織が手を離すとすぐさま桜は奥にある祭壇へと向かった。
祭壇の先には、水晶で造られた巨大な扉を思わせる精緻極まる建造物が設置されていた。
国神の祠はただただ広いだけで、祭壇以外に変わった物は見当たらない。
桜は水晶に触れて霊力を流してみる。
水晶は光りだし、精細な太陽の紋章を浮かび上がらせた。
それだけだった。他に仕掛けがあるようでもない。
少しして詩織とリリスが来た。二人も祭壇周辺を見て回る。
そのまま十分ほど辺りを調べてみたものの、結局手がかりになるようなものは何も見つからなかった。
「ここじゃないのか……」
国神の祠は高質な水晶の白い光で満ちている。
一般的にとても美しいと言える場所だろう。だが美しいなんて感想、人によって異なるものだ。
雛が残した暗号。〈そこにはとても美しいものが見えるでしょう〉という部分。
この美しいとは誰から見た美しいなのか。
それはやはり雛だろうか。
雛にとっての美しいを汲み取れる、雛をよく知る自分だけが暗号を解き明かし入り口を見つけ出せるようになっているのだろうか。
雛にとっての美しいものとは何か。
考えだしたところで突然、空間の中央に強い気配が現れた。
「リリス!」
見ると三十を超える赤と黒の光弾が桜達の居る祭壇に向かって来ている。
桜は持っていたビニール袋を地面に投げ捨てて、すぐさまリリスの前に出た。
右手を前に伸ばし、深い青の光を持つ
防壁を解除し、霊撃が来た方向を見る。
黒装束に身を包んだ者が三人立っていた。
真ん中に立つ、長い白色の髪をした女が一歩前に出る。
女の顔には鴉を思わせる形状をした硬質な黒い仮面。
「ごきげんようクソ妖精。わざわざこんな
冷ややかな女の声が空間に反響する。
「どうやらボディーガードを見つけたみたいね。かわいそうに。あんたが助けを求めなければそいつらも死ぬことはなかったのに、ねぇ?」
女の後ろから男二人が同時に前へ出た。
左側の男は黒い目らしきものが六つ並んだ赤い仮面、右側の男は灰色の大きな目が目立つ黒い仮面を顔につけている。
「殺せ」
女の低い一声で、男二人は全く同時に、全く同じ動作で仮面に手をかざした。
赤と黒の影が男二人の全身をそれぞれ覆う。マイナス質の威圧的な霊気が空間に走る。
またしても
影が散る。
だが先ほどの
二人とも大きさは人の姿に形を留めている。顔につけた仮面もそのままで、体の一部が魔物に変化したような状態になっていた。
左側の男は今にも前へと倒れてしまいそうな無気力な状態で立っている。その背中からは赤い骨のように隆起した異形の羽が六本広がっている。
右側の男は両腕の肘から先が鋭利な黒い刃へと変化していた。その刃の腕を交錯させ鋭い殺気を放っている。
『桜様、私も戦います』
隣に来た詩織が桜に思念を使って声をかけてきた。
桜もまた思念で言葉を返す。
『別に私一人でもいいんだけど……まあいいわ。じゃあ私は右の蟷螂みたいな奴を。あんたは左の赤い羽みたいなのが生えてる奴を相手して』
『了解です』
マイナス質の霊気が大きく膨らみ、半分魔物となった二人が爆発的な勢いを持って飛びだした。
桜は地面を一つ蹴り、黒い蟷螂のような腕を持つ男へと一気に距離を縮める。
間合いに入った瞬間、男の両腕の刀がじんと黒い光を放った。
音もなく黒い閃光が空間を横に大きく切り裂く。
その斬撃は桜の後ろにあった水晶の大柱にまで届き、真っ二つに切断した。
しかしその高速の居合い斬りは桜には届いておらず、桜は男の背後へと移動していた。男は振り向きざまに刀を横薙ぎに払うが、それもまた空振りに終わり、男の懐に入り込んだ桜は勢いを乗せた右拳を叩き込む。直撃。その瞬間、男の背中から薄い透明な翅が広がった。
ジュンッ! と衝撃波を出して男は桜の前から消え去り、宙を高速で移動しはじめる。
「ふぅ……」
一つ息を吐き、桜は強く地面を蹴った。
ザリンッ!!
水晶の大柱が音を立てて崩れていく中に、硝子の砕けるような音が鋭く響いた。
高速で空中を駆けていた男は桜の拳に貫かれ、水晶の天井にめり込んでいた。
飛行術を使っていない桜は重力に引かれ地面へと落ちていく。
ほどなくして男も力なく地面へと落ちていった。
落下する仮面の男は黒い影に包まれだした。
地面に落ちた男から仮面が外れ落ちる。同時に黒い影が散り、男の腕は元の人間のものへと戻り、背中から生えていた翅もなくなった。
七秒で戦闘を終えた桜はもう一人の男と戦っている詩織を探す。
戦闘を行っているというにはあまりにも気配が静かだ。
二十メートルほど離れたところで、赤い異形の羽根を生やした男を見つける。前後両側から何かに挟まれているかのような格好で動きが停止している。
そしてその男の背後に詩織が居た。
詩織は左手を伸ばし、男の背中へと触れる。
すると、
「ヴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
異形の羽根を生やした男は全てを吐き出すかのような呻り声をあげて倒れた。
(あいつ、今、何を……)
仮面が外れ、その男も赤い影に包まれて元の人の姿に戻っていく。
『すごい……! すごいわ! 桜も詩織も本当にすごいすごい!』
「な、なんなのよこいつら……ッ!! クソッ!!」
苛立ちを放つ女の声。
中央を見ると女の周囲を黒い靄が包みだしていた。その黒い靄は存在の移行で現れる影ではない。
桜はすぐさま女に向かって跳んだ。だが僅かに遅く、桜の拳が触れる寸前に女は黒い靄と共に姿を消した。
(今のは空間系の霊術……か? それもあの速度での展開……厄介な奴を逃がしたな。……まあでも、これはこれで悪くない)
桜は黒い蟷螂のような顔立ちをした仮面を拾い、倒した男の黒装束を引っ張って詩織とリリスの元へ向かう。
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