深く・・・沈む・・・太陽

三八式物書機

第1話 消失

 僕の名前は前田祐樹。

 あの時の年齢は10歳。小学校5年生だった。両親と姉が居て、何不自由なく、過ごしていた。当たり前のように平穏な日々を送り、平和が何かをわからぬまま、僕達は生きていた。あの時までは。

 あの日、僕達、5年生は社会見学を楽しみにしていた。僕も仲の良い友達とその事ばかりを話していた。登校する時もいつもならランドセルを背負って来るのに今日はリュックサックを背負って登校する。そして、学校で緑色のジャージに着替えて、僕たちは校庭へと出た。

 小学校の校庭には3台の観光バスが駐車された。その前に僕達、小学校5年生の児童が列を成して並んだ。皆、普段、見ることの出来ない工場見学にワクワクしているのがわかる。先生達が時折、「静かにしろ」と注意をするが、私語は止まない。

 僕達の担任の今枝先生はテキパキと生徒達に指示を与える。30代前半だが、若々しい感じの女性教諭だ。彼女は赤いジャージ服姿で、観光バスの前を歩き回っていた。そして、最後に生徒達に点呼を取らせた後、バスへと誘導した。バスの運転手は中年のおじさんで笑顔で僕らをバスの入り口で迎えてくれた。

 社会科見学は5年生になると必ずある行事だ。毎年、学校の在る富山市から港の方にある缶詰工場を見学に行く。丁度、蟹が揚がる時期なので、缶詰工場も活気に溢れているだろう。僕達は工場でお土産に貰える蟹缶が楽しみで仕方がなかった。

 観光バスに乗り込むと今枝先生が皆に社会科見学の注意事項を説明する。それから、バスは静かに走り出した。校庭には見送る校長先生の姿もある。皆が手を振って、校門からバスはそのまま、出て行った。僕達はここに戻って来れなくなるなんて思いもしなかった。

 学校から工場までの道のりは1時間程度。全てが下道とは言え、普通に走っても迷子になるような道では無い。僕達が乗ったバスは3台のバスの内、最後尾を走っている。やがて、信号などで、前のバスから離されていく。だが、それに不安を感じるような事は誰も無かった。それからどれだけ走っただろうか。今枝先生が何かに気付いた。そして、運転手さんに近付き、話し掛ける。

 「あの、この道って・・・」

 だが、そこで言葉が途絶えた。そして、僕達も徐々に意識が遠退いていく。何だろう。凄く・・・眠いんだ。最後に見た光景は今枝先生が通路に倒れていくところだった。それが僕が見た最後の日本の光景だった。

 その日、最後のバスは現地に到着する事は無かった。先行したバスの教師や運転手はすぐに事故を疑い、学校やバス会社などに連絡を入れる。だが、バスが事故を起こしたという連絡は無く、ただ、バスだけが忽然と姿を消した。バスの到着予定時間から2時間後。警察に通報がされた。

 警察はすぐに周辺の捜索を開始する。彼方此方の監視カメラの映像が集められた結果、バスが経路から外れて、目的地とは違う方角に走り去った事がわかった。所轄警察はすぐに拉致事件と断定して、運転手の身元を捜査するが指示される。捜査員はすぐに任意で富山市にあるバス会社への家宅捜索をして、運転手についての情報を集める。事故として対応していた社長や従業員も何事かと思って驚いているような有様だった。

 運転手の男は小林雅夫。45歳。独身。新潟県新潟市出身。当然ながら、彼の自宅はすぐに家宅捜索された。捜査員が見たものは、ガランとした生活感の欠片も無いような部屋だった。あるのは小さいな折り畳み机と蒲団とラジオだけ。少しの着替えが部屋の片隅にあるだけの異様な光景だった。幾ら孤独な中年男性でもここまで物が無いのは異常だった。捜査員はすぐに彼がこの事件の犯人だと目星をつけた。多分、犯行に及ぶ為に、事前に私物を減らしていた。かなり計画的な犯行だ。

 新潟県警本部から応援に来た捜査一課の角田警部は運転手の小林の住民票から、生まれた場所を掴み、そこへ向かった。彼が生まれたのは新潟県新潟市の海岸寄りの場所だ。すでに両親は亡くなっており、兄弟も居ない。親戚を探り当て、彼の顔写真を見せた。だが、どの親戚も覚えが無いという。彼の両親が亡くなったのは20年前だそうだ。その頃は東京で商社に勤めていたそうだ。葬式の時に会った限りだが、その時の顔とは似ても似つかないと誰もが証言した。

 角田は最初に感じた違和感を確信した。こいつは小林雅夫じゃない。身元を偽った別人だ。この事件は最初から用意周到に計画されたものだ。だが、問題は誰が、どんな理由で36人も一度に拉致をしたかだ。これだけの人数を一度に拉致すれば、幾ら組織だからと言っても捜査網も大きくなり、逃げ切るのは難しいはずだ。

 そして、捜査は拉致があった夜に動いた。富山県と新潟県との県境にある山の路肩にて、30代女性が激しい暴行を受けた状態で死亡していた。顔は潰され、火で焼かれていた。指も全て切り落とされ、歯も全て折られていた。着衣も無く、身分を証明する物は一切、所持していない状態だった。この状態ではすぐに彼女が引率していた女性教諭だとはすぐにはわからないが、捜査本部はこれを手掛かりとすべく、見切り発車した。遺体があった周辺の捜査に重点が置かれる。だが、角田はそれに疑問を感じた。遺体はすぐに見つかるように捨てられていた感じだ。角田は部下の泉を呼ぶ。

 「こいつは多分、ブラフだ」

 「何でわかるんですか?」

 「刑事の勘だよ。俺らは港方面を当たるぞ」

 「でも捜査本部の意向を無視すると上からどやされますよ」

 「いいよ。俺が責任を取る。相手は山になんか逃げ込まない。自分から檻に入るようなもんだからな。車を出せ」

 角田は泉に車を運転させて、魚津港へと向かった。魚津港は、新潟との県境に近い富山の比較的小さな漁港だ。停まっているのも漁船がほとんどだ。泉は周辺に観光バスが無いかを確認したが、それらしき物は無い。

 「この辺は富山県警の連中も探していると思いますが、さすがに30人以上が乗るような船もありませんし、ここは無いんじゃないですか?」

 角田はそんな泉の投げやりな言葉を無視して、漁港を見ていた。

 「俺の予感では途中で観光バスを捨てているはずだ」

 「まぁ・・・こんだけ探して見付からないなら、その線はありっすね」

 「だとすれば、一度に大量に運べて、尚且つ、人が乗っていると怪しませない車って何だ?」

 「30人も乗ってですか?さすがにワゴン車とかに小分けしたんじゃないですか?」

 「馬鹿野郎。ワゴン車なら、すぐに検問に引っ掛かる。答えは簡単だ。トラックだよ。大型トラックなら可能だ」

 「トラックですか?でも検問で荷台だって確認してますよ?」

 泉の言う通りだ。トラックの荷台も検められる。荷台に押し込められていたとしても検問で発見されるだろう。

 「荷台は見ても、厳重に梱包された荷や大量の荷の全てを確認するわけじゃないだろ?」

 「あっ・・・しかし、動いたりするんじゃ?」

 「しっかり麻酔薬でも吸わせておけば、問題無しだろう」

 そう言って、角田は港近くにあるトラックを見て回る。その多くは何処にでもあるトラックだ。だが、角田は一台のトラックを気に掛ける。そのトラックは積荷を半分以上、放置した状態になっていたからだ。周囲には運転手などの姿が無い。付近に居た人に尋ねる。すると2時間程度前にここで荷卸しをしていたそうだ。

 「2時間前に荷卸しを始めて、まだ、半分以上、荷卸しをせずに残したまま、運転手は何処に消えた?そもそも、どこに荷卸しをしたかだ。誰が見ていた奴を探せ」

 角田と泉は手分けして、付近の聞き込みと監視カメラ映像のチェックを行った。するとある、漁師から情報が得られた。トラックから降ろされた荷は数人の男達が漁船に積み込んでいたそうだ。大きさは長方形のダンボール箱で、どうして漁船に積むかが良くわからない物だったから良く覚えているそうだ。その漁船は1時間以上前に出航をしているとの事だった。角田はすぐに水上警察や海上保安庁に応援を要請するように捜査本部へと連絡をする。だが、山への捜索に執着する捜査本部は彼等の要請に対して鈍重だった。

 角田は海を見ながら、動きが見えない事に苛立った。

 「捜査本部は何をしてやがる?」

 「仕方がないですよ。山が本命だとして、捜査員のほとんど投入しちゃってますからねぇ」

 「ちっ、俺らだけでも行くぞ。船を出せる奴が誰か居ないか、探せ」

 角田はすぐに釣り船をチャーターした。

 釣り船の船長はこの道20年のベテラン船長だった。

 「警察が何だって海に出る?」

 彼は訝し気に角田達を見た。

 「捜査中の案件だからな」

 角田は素っ気なく答えると船長はそれが不満だったようで、少し声のトーンを落として

 「そんな事をやっているなら、今、子ども達が集団で誘拐された事件の捜査をしろよ」

 泉が少しカッとなったようだが、角田は肩を叩いて、落ち着かせる。

 「悪いな。世の中には色々事件があるんだ」

 「そうかい」

 釣り船は港から出て、沖へと向かった。

 「この辺りであまり人が寄らない場所ってどこだい?」

 「人が寄らない場所か・・・そうだな。潮の流れのせいで、あまり魚が集まらない場所がある。そこなら誰も来ないだろう」

 「じゃあ、そこへ向かってくれ」

 釣り船がその場所へ向かうと一艘の漁船があった。

 「珍しいな。こんな所で停船してやがる」

 船長がそう言うので、角田は必死になって漁船を見た。船の上に人影は無い。

 「あの船に寄せてくれ」

 角田の指示で船長は慎重に船を近付けた。

 「おーい!誰か!誰か返事をしてくれ」

 声を掛けるが、漁船から何の返事も無い。

 「おっかしいな。これぐらい大きい漁船なら10人ぐらいは人が乗っているはずだが」

 船長は不思議そうな顔をしている。角田はその様子を見て、すぐに漁船に乗り移ろうとした。

 「おい、あぶねぇぞ」「角田さん、危ないですよ」

 船長と泉が止めようとするが、角田は何とか漁船の縁に飛び移って、乗り込んだ。そこはガランとした感じだった。不気味に誰も居ない船上。

 「マジかよ」

 刑事は常に拳銃を携帯しているわけじゃない。携帯命令が出た時だけ携帯する。すなわち、今の角田と泉は丸腰だ。

 「泉!何かあったら、すぐにここから離脱して、応援を呼べ!」

 角田はそう釣り船に声を掛けてから、船の中へと入っていく。船の中は狭い。慎重に中を探索するが、船内にはネズミ一匹すら居なかった。念のために魚を入れて置く、魚倉を覗く。すると、何か臭った。それは魚の臭いじゃない。酷く小便臭い。それも人間の尿だ。ここには魚では無い、人間が入っていたと考えるべきだろう。

 「やられたな」

 角田はすぐに捜査本部に連絡を入れて、漁船を証拠品として押収した。警察はすぐに海上保安庁などにも通達して、付近の捜索を始めたが、何一つ、発見には至らなかった。

 結局、1週間が経って、判明した事は遺体はDNA鑑定の結果、担任教師の今枝千佳だとわかった。死亡時間ははっきりしないまでも、事件発生して数時間は生きていたと仮定される。その間に拷問のような暴行を受けていたと推定されるからだ。そして、角田が発見したトラックや漁船からは確かに人間の尿が検出された。

 事件は外国による拉致の線が濃くなり、拉致には潜水艦が使われたとされる事から、海上自衛隊が日本海付近で不審船を探ったが、時すでに遅く、その探知網に引っ掛かる事は無かった。

 日本全土を揺るがす事件は外交問題として、日本政府は某国に強く抗議をするが、某国も知らぬ事の一点張りで、5年という月日が経った。

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