ユニコーンの折れたツノはポケットの中へ01

 五月十日


 グレーの化け猫事件から五日が経過し、学園内でその話をする生徒は少なくなり始めていた。

 新型PCが発売されるようなリズムで、学園内の話題や噂話は日々、コロコロと変化する。

 私は教室に入った瞬間の違和感がどこからくるものなのか考えていた。


「オッハウェイ〜スッ」


 教室を一度ぐるりと見回す。

 眠い。

 朝は苦手だ。

 脳が目覚めを拒んでいる。


「レイン。オッハウェイ〜スッ」


 私が今眠いのは朝だからというのと、朝が苦手だから、という理由だけではない。

 あの鼠の妖怪が表紙の小説を読んでしまったからだ。

 始めはあの辞典のような分厚さに一瞬読むのを躊躇したが、読み始めてみると完全にやめ時をロストし、気づけば朝の四時二十分になっていた。

「ヘイヘイヘイ。シカトかよレイン。いいか。もう一度俺からの、モーニングあいさつだ。オッハウェイ〜スッ」


 あの小説を平日に読むのは危険だ。

 休みの日に読もう。


「おいレイン。てめえいい加減にしろよ。さすがの俺も、堪忍袋のロープが切れそうだぜ。絶対切れそうだぜ」


 私はもう一度教室を見回してみる。窓際に視線を向けてようやく違和感の原因を理解する。

 遠浪の机と椅子がない。

 一番後ろの席が昨日より一つ欠けていた。


「チッわかった。わかった。俺の負けだよ。確かにチョイおふざけがすぎた。おはようレイン」


 昨日の放課後、誰かが隠したんだ。

 遠浪リムは無口な生徒だ。きっかけは知らないし知りたくもないけど、入学してすぐにイジメラレテイル気配を私は感じていた。


「お、おはようございます」


 どうせ大した理由なんてないに決まっている。小さく軽い気持ちで始まったイジメはミルフィーユのように積み重ねられていく。いつしかそれは集団で認識する暗号のようなものになり、そうして一人の人間の明日は沈む。


「レイン頼む。一瞬でもいいからこっちを向いてくれ。大事な話がある」


 私は黒板の上に掛けられた、ノッポじゃない大きな古時計に、目を向ける。

 担任の上原がこの教室に姿を現すまで約二十分。


「なあなあレイン。おはようだよ。おはよう。聞こえてるよな? おはよう」


 寝よ。

 時間を貴重に使うため、ゆっくりと瞼を閉じ、眠りについた。









「……さん。花園……授業……」


 誰かが私の肩を揺らしている。

 ゆっくりと顔を上げてみる。

 そこには私の斜め前の席の草野タララの姿があった。

 彼女の家は先祖代々、刀鍛治の名家でタララという独特な名前も、刀鍛治に関係しているらしい。その意味を一度聞いた気がするが忘れてしまった。

 父親の名前は草野タイカン。

 なんだかノリで宮本武蔵に決闘を申し込み、あっさり倒した後、その足で佐々木小次郎にケンカを売りに行きそうな名前である。

 草野タララはイタズラばかりする親戚の子供を見るような目で、私を見ていた。


「花園さん。よく寝てたわね」


「……終わった?」


「え? 終わったってなにが?」


「……授業」


「終わってない。終わってない。これからだよ」


「……なんだ」


「あまり寝てないの?」


「ん……まあ昨日……本読んでたら……ね」


「へえ。漫画?」


「いや。小説」


「花園さん小説とか読むんだ」


「まあ……普通に」


 なんだコイツ。普段話しかけてくることなんて滅多に無いのに。確かトマリが休学してから、副委員長だったコイツが、委員長を引き継いだんだっけ。

 急に話しかけてきたのはそういうことか。

 私が小説を読むのがそんなに意外なんだろうか?というか失礼発言だ。お前に小説とか絶対似合わねえとでも言いたいわけ?上等だ。今度私の部屋にある小説ばかりがパンパンに詰まったThis is 最高にちょうどいいHONDANAの写真を見せてやる。


「私も小説読むけど、寝坊して遅刻しないようにね」


「あ、うん。気をつける」


 委員長らしい発言の一つでも言いたかったのか、草野タララはその一言を最後に、一時限目の教科書を開き真顔でノートにペンを走らせ始めた。

 有り余るエネルギーを感じる。

 少しでも自分のイメージする委員長像に、近づこうとするその姿にゲップが出そうになった。


「起きたかレイン。おはよう」


 草野タララと私の会話を隠すことなく全力で聞いていた、半年ぐらい海外留学して欲しかった隣の席の近藤も話しかけてくる。

 少しでも隙を見せるとすぐに絡んでくるんだから、マジでご勘弁頂きたい。


「うん」


「お前さっき俺のこと、全力で無視してただろ?」


「無視って言うか……いなければいいなって言うか……存在消えてなくならないかなって言うか……」


「え?」

「あっごめんごめん。独り言」


「いやっ だだ漏れだよっ 一語一句クリアに聴き取れたっつーの」


「聴き取れたっていうか……聴かせた?」


「さっきからなんだよその喋り方。そんなことより今日の昼飯、屋上で一緒に食わね?」


「食べない。普通に」


「頼むって。マジで大事な話があるんだよ」


 近藤とタイマンランチ。

 そんなことするぐらいならスーパーでタイ米を購入し、生でボリボリかじって、歯茎から血を流すタイ米ランチの方がマシである。


「なに大事な話って?」


「ここで言えねえから屋上で話すんだろ」


「……」

「頼む。ジュース一本奢るから」


 条件が安い。安すぎる。

 この男は私を馬鹿にしてるんだろうか?

 そんなもんに私が釣られるか。


「そんな志しの低い条件じゃ交渉成立は絶望的だよ」


「はあ? なんだよそれ? わかった。じゃあジュース二本でどうだ」


 本数の問題じゃないんですけど。

 小学生か。近藤は本物の高校生チルドレンだ。近藤チルドレンだ。


「一体いつ私がお腹タポンタポンになるまで、ジュース飲みたいって言った?」]


「いや飲むタイミングはお前のさじ加減だろ」


「うん。そうだね」


「わかった。今フリーの友達紹介するってのどう?」


「あんたの友達なんてNO THANK YOUだよ」


「マジか。それなりにツラ良くて、チョイ口わりー奴いた……」


「屋上ねっ 了解。遅れないでよ」


お手つきレベルで即決だった。なぜならイケメンで少し口の悪い男子が私の理想のタイプだから。

神様の存在を少しだけ、信じられたのと同時に、近藤にはもう少しだけ、真摯に接してあげようと思った。

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