お腹を空かせたケット・シー04

「お前、なんでアタシの名前……ていうか」


「なんでって言われても視えるんだから仕方ないじゃんか。ウチはスーパー相手の色んなのが視えちゃうよパワーって呼んでるんだ。この力のこと」


「ダッッッサイ名前だな。アタシがダッッッサイ名前だなってツッコムとこまでその力で視て、名前変えとくべきだったなそれ。なんかスーパーで万引きGメンしてるお前の姿が一瞬で脳内に浮かんだぞ」



確かにヒドイネーミングセンスだ。千里眼とIQはどうやら関係ないらしい。彼女の超越した能力への驚きが12%ほど薄まった。神は白須ミナイに千里眼の力を与え、ネーミングセンスを奪ったようだ。



「うっさいなぁ この力はコントロールできないんだから仕様がないじゃんか。ていうかそんな話はどうでもいい。ウチが猫に襲われた時のことを聞きに来たんだよね? 聞く気がないならウチは別に無理に話す気はないよ」


「キレるなよ。悪かったって。なあ? お前のその能力の名前、格好良いよ。うん。飛び抜けてカッコイイ。今度アタシがなんか嫌なこととかあった時に意識して今日のこと思い出してみるよ」


憂鬱になった時に、今のやり取りを想い出して笑うということだろうか?それはフォローになってないような気がする。



「だよねぇ? ウチもこの名前は絶対変える気はないよ。なんせこの名前に辿り着くまでに四日もかかったんだから」


「四日かぁ 四日なぁ。うんうん。確かに四日かけた名前っぽいよ。うん。ありだわぁ ありあり」



すでにリリィの返しが、友達に寝てないアピールされた時の、あのどうでもいいけど、何かしら言ってあげなきゃならないあの感じと同等のレベルに到達している。



「じゃあ、宴も竹馬だけどそろそろ本題に入るよ」


「ああ。頼むよ」



リリィはツッコムのを放棄したようだ。仮にこの場が宴の席だったとしても、リリィも私も竹馬に乗ってここまでやって来たわけではない。



「あれは二日前。ウチはピアノのレッスン終わりにいつもの道を歩いて帰ってた。多分時間は夜の九時二十分くらいだったと思う。ピアノ教室の通り沿いに一ヶ所だけ、何も建てられてない空き地があるんだ。別に気にも留めないでいつも帰ってるんだけど、その日はいつもと少し風景が違うように感じたんだ。それで歩きながらその空き地を眺めてみたら、紺のスーツを着た女の人が奥で倒れてるのが視界に入ったわけ」



白須ミナイは読みかけの本にきちんと栞を挟みながらその本をリクライニング式のベッドの足元に取り付けられたテーブルの上に載せた。それからパックに入ったストロー付きのりんごジュースを手に取り、弱々しくチューという音を鳴らし一口飲んだ。



「それで?」


「最初は酔っ払いかと思ったんだけど、そういう時に限ってこの力が発動しちゃったわけ。猫に噛まれた状態のままフラフラと歩く女の人の姿が脳内に視えた。目を開けて足元を見ると赤い血が点になって女の人の所まで続いてる。ウチもそこで帰っとけばよかったんだけど視えちゃったもんだから引くに引けない。気づくとその女の人を実際に、この手で触れられる距離まで来ちゃってた。恐る恐るスーツのジャケットをめくると左の脇腹がYシャツごと噛みちぎられて真っ赤に染まってた。ウチはすぐに帰ろうと思って振り返ったら、いつの間にかその猫がウチのすぐ後ろにいたんだ。口を真っ赤に染めてウチを睨んでた。速攻でその猫追い抜いてダッシュで逃げたら物凄い速さで追いかけてきたんだ。あっさり追いつかれて左の太ももに噛み付いて離れないでやんの。恐怖とあまりの気持ち悪さに猫の首つかんで、力一杯引き剥がしたら、太ももの噛まれてた部分がそっくりそのまま無くなってた」


「その状態からどうやって逃げたんだよ?」


「ウチはその場でコケちゃって尻もちついたんだ。手の平に砂とか砂利の感覚が広がった。ウチはそれを両手に握って猫の顔めがけて投げつけた」


「目潰し?」


「そう。まさにクリーンヒット。ウチは超急いで起き上がって、後ろを振り向かずにダッシュで逃げた。50mぐらい走ったところで振り返ると猫はもういなかったよ」


「その猫人間の言葉を話さなかったか?」


「い~や。一瞬だったし」


「そうか。猫の色は覚えてるか?」


「暗かったから微妙だけど多分グレー。あと上品な顔してたよ」


「やっぱりあの化け猫か……襲われた場所ってどの辺なんだ?」


「駅のすぐ近くだよ。あの辺は確か九字三町じゃなかったかな。駅近くの合田ピアノ教室まで行けば、襲われたのはその通りにある空き地だからすぐわかると思うよ」


「わかった。ありがとう。今からその場所に行ってみるよ」


「そう。き~つけて。暇してるからいつでも遊びに来てよ」


「ああ。そうするよ」



リリィと私は立ち上がり出口に向かう。私が扉を開けようと手をかけた時だった。



「最後に……君達2人はお互いの秘密をさっさと告白して共有した方がいいよ。今後のためにもね」



私とリリィは振り返り白須ミナイを見つめる。白須ミナイはすでに読みかけの小説を読み始めていた。完全に小説の世界に入ってしまったような、その真剣な眼差しは、無言の退出を無言で訴えていた。私とリリィは空気を読んでその場から何も言わずに退出した。

それから緩やかなエスカレーターに二人で足を載せる。



「あいつホントに怪我人かよ。テンション高すぎだろ」


「テンションも凄かったけど、あの千里眼にもビックリだよ」



私はスマートフォンをポケットから取り出し、グーグルマップのアプリを立ち上げる。マップを拡大させると目的地の合田ピアノ教室はこの病院からそれほど離れていなかった。



「リリィ病院を出てすぐみたい」


「よし。すぐに向かおう」



病院を出て十五分。合田ピアノ教室はすぐに見つかった。周りを見渡すと少し離れた場所に空き地のようなものが見える。



「あそこじゃないかな?」



私は力強くビシッと指をさす。



「ホントだ。あそこだな」



リリィの歩くスピードが途端に速くなる。私もそのスピードに合わせて後に続いた。空き地に到着すると、そこは誰に紹介しても恥ずかしくない、ごくごく普通で平凡でノーマルな空き地だった。風で飛ばされてきたのか、それとも元々そこにあったのか、つつましくタバコの空き箱やジュースの空き缶が落ちていて、入口にはその土地を管理している不動産が建てた売地の看板が刺さっている。それらの哀愁あるものたちが空き地の威厳を維持していた。



「目的地に着いてはみたけど、これからどうするの?」


「待つ」



少し食い気味に言われた。



「猫が……」


「待つ」


「もし……」


「待つ」


「世紀……」


「末」



そこまで待つつもりはないけど、化け猫があらわれるまで、ただただ待つのみだった。リリィと私は空き地の入口で、昔からそこに置かれていたオブジェかなにかのようにひたすら待った。



「……」


「……」



どれぐらい時間が経過したんだろう?

家を出てから何も飲んでいないので口の中が砂漠化しつつある。

つまり早急にオアシスを探し出し、水分チャージを始めなければこの張り込みに支障をきたす。私は合田ピアノ教室の前に置かれた自動販売機を思い出した。



「リリィ口の中がクッキーの大食い大会に出て、水分を一切とってないような状態になりつつあるんだけど……」


「アタシも少し喉が渇いた」


「あそこで買ってくるね。リリィは何がいい?」


「ミルクティーで」


「りょーかい。ではオアシスに向かいます」


「オアシス?」



私は自販機に向かってノロノロとゾンビのように歩き出す。歩きながら財布を取り出し小銭ZONEを開けて中を覗くと、五百円玉1枚と十円玉三枚、一円玉が八枚入っている。五百円玉を取り出したその瞬間、我が愛しの五百円玉が指からこぼれ落ちる。私はガッと目を見開く。今こいつと離れ離れになる訳にはいかない。道路を縦横無尽に横断する愛しの五百円玉。その光景はスローモーションとなって私の脳髄を駆け巡り、愛しの五百円玉の現在位置をこくこくと塗りかえる。というより絶対にスローモーションになって貰わなくては困るのだ。

排水溝に向かう愛しの五百円玉。あんまりだ。それはいくらなんでもあんまりじゃないでしょうか?あそこにホールインワンしても賞金が出ないことぐらい私にも分かる。

全財産は三十八円。

賞金どころかそれはもう、かぎりなくオケラに近いオケラなのではないだろうか?

排水溝にホールインワンすると思われた愛しの五百円玉だったが、排水溝手前にある小さな石に当たり、今までの動きが嘘であったかのように力尽きてその場で停止した。

待ってて。今迎えにいくからね。私は急いで愛しの五百円玉を拾い上げる。



「醜いな」



突然頭上で声がする。その声が誰の声なのか記憶と照合してみるも照合に少し時間がかかる。

あれ?こんな声の知り合い、私の知り合いにいただろうか?



「……」



巻き戻された記憶上の映像とたった今聞いた声が結びつく。両手が自分の意思とは無関係に小刻みに震え始める。私は恐る恐る声のした方向に顔を上げると少し高めの民家の塀に私とリリィが探していたグレーの猫がいた。



「リ……リリィ」



緊張か、口の中の砂漠化が原因なのかうまく声が出せない。グレーの猫に視線を合わせたまま大きく息を吸い込と、グレーの猫の瞳孔がそれに合わせて大きくなる。



「リリィィィィ ここに猫がぁぁ あの猫がぁぁ」



私はご近所迷惑などなど考えずに大声で叫んだ。私の声にリリィが猛ダッシュでこっちに向う音がする。私とリリィの焦りとは裏腹に、グレーの猫はとっくに興味を失ったマタタビでも見るような目つきで私を見ていた。リリィが到着しても逃げだす様子はない。



「おいっ いいか化け猫。そこから絶対動くなよっ」


「醜い。まるで獣だな。人間なら人間らしくもう少しスマートに考え、エレガントに行動できないのか?」


「黙れ。お前はこっちからの質問にだけ答えてればいいんだよ」


「なにが知りたい? なにを探している? なにを知ろうとしている? 答えか。答えが欲しいのか?」


「答えは……お前だろ化け猫」


「答えが俺? それはおかしい。そもそもわたしはお前達がなにを知りたいのか皆目見当もつかない」


「どうして三島トマリが死んだなんて言ったのか教えてくれよ?」


「違うな。違うだろ? なぜこのタイミングで本音を吐き出さない。これじゃあ真実が遠のく一方だ。本当に理解できない」


「どういう意味だ」


「お前を今突き動かしているのは言葉を話す猫。つまり俺そのものへの興味。それだけだ。同級生が無惨に殺された理由なんて本当はどうでもいいと思ってる。目を見れば分かる」


「すごいなっ ハハッ 全部お見通しってわけだ。じゃあお前が三島トマリをなんで殺したのか教えてくれた後に、アタシがお前をどうやって殺すかってとこまでわかってるってことだ。残念だったな。簡単に足で踏み潰されて燃えるゴミと一緒に捨てられるなんて思ってなかっただろ?」


「お前がその理由を知ることは永遠にない」


「いいからそのよく回る口でさっさと話せよ」


「そろそろ時間切れだ。本音を吐き出さない人間は信用出来ない。お前とこれ以上話す気はない」


「おい。また逃げるのかよ」


「……」


「なんとか言えよ」


「この世に存在する数々の問題は、その問題が発生したときと同じ考え方では解決できない」


「はぁ?」


「よく考えるんだな。アインシュタインの言葉だ」



アインシュタインの言葉など今はどうでもいい。相対性理論?写真撮影時に舌を出した理由?そんなことよりも今はもっと重要なことがある。



「待って」


「……なんだ?」


「トマリがもし本当に……本当に死んでるって言うんなら遺体の場所……教えて」


「死んだことを確実にその目で認識したいという気持ちは分かる。だがやめておけ、進行する腐敗を止めることはできない」


そう言うとグレーの猫は塀の上から私とリリィがいる道路とは反対の民家の敷地内に飛び降りた。私とリリィは急いで民家の入り口に向けて走り出す。黒い小さな柵を強引に開け、民家の庭を覗くがすでにグレーの猫の姿はなかった。グレーの猫が逃げたであろう、人一人がやっと歩けるぐらいの民家の脇を通り、裏手に回ってみてもやっぱりグレーの猫の姿はなかった。

進行する腐敗?その言葉を頭の中で繰り返すと突然一時停止された映像がスライドショーのように始まる。なぜかその映像でのトマリはホテルで死んでいた。


潰れた廃ホテルの一室。

輝きを失った廃ホテルの一室。

少女の死体。

正真正銘の死。

二度と本のページをめくることのない右手。

冷たい爪。

左脚はくの字。

肥大する供物。

天井のシミを見つめ続ける両眼。

眼球に埃。

なにかを伝えそうな半開きの口。

白い上唇と割けた下唇。

腐敗進行。どんな死者にも訪れる約束された現象。見たくない映像が私の意思に反して勝手に進行を始める。こんな時の想像力はいつにも増してリアルで、こんな時にかぎって生まれる想像力はいつにも増して生々しくて嫌いだ。



「また逃げられた。なにがアインシュタインだ。クソっ あの化け猫」


「帰る?」


「だな。なんか……疲れた」



私はジュースを買う途中だったことを思い出して、無言で自販機に向かいミルクティーを買ってリリィに渡す。



「ありがと」


「うん」



私は迷ったすえによ〜いお茶を飲むことにした。口の中が砂漠化していたこともあり一気に半分辺りまで飲んでしまった。



「おいレインっ 今すぐそのよ〜いお茶のペットボトルのラベルを剥がして捨ててくれないか?」


「えぇ? なぜ?」



リリィのどこかやるせない口調にラベルを確認すると、この飲料水メーカーのマスコットとして発売当時から君臨しているちっとも可愛くない白い猫がラベルの隅に描かれていた。

 


「これは……切ないね」



最後にこんなやるせないオチが待ち構えているとは思わなかった。マイナスイオンとマイナスのオーラを複雑に絡み合わせながら、私とリリィはお互いの家を目指し歩き出した。

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