Chanson de la fin

立川

Chanson de la fin


 終わってしまったこの世界で私はどう生きていけばいいのだろうか。

 人っ子一人いなくなってしまった世界。回りを見回しても残った残骸が私のことをあざ笑うかの様に見つめてくる。

 行く場所も目的も何もない。ゆっくりと歩くことしかできない私は無力でしかなかった。

 どうしてこういう状況なってしまったかも私には到底わかる筈もない。ただ私にもわかることは誰も助けてはくれないということそれだけだった。

「どうして私だけなのかな……」

 一本の木が立っている。それはとても力強くてどんなに足掻いても私には届くことが出来ないだろう。

 今まで普通に暮らしていたのに私の世界から色が唐突に失われていった。仲の良かった友達も、お父さんもお母さんもみんなどこかにいなくなってしまった。

 なぜだろう、悲しくても辛くても泣くことすらできなかった。

「こと音なんだろう……ピアノ……?」

 ピアノの音がする方へ自然の足を運んでしまう。『誰かいるかもしれない』その希望だけが私を突き動かした。

 

 そこには一人の女の子がピアノを弾いていた。

 

 とても美しい音色が私の耳へと響く。嗚呼、この旋律を聞いていると悲しかった気持ちもどこかへ飛んで行ってしまいそう。

「あっ……」

 女の子は私の存在に気付くとピアノの手を止めてしまった。

「あなたは……人間……?」

 とてもかわいらしい声で質問してくる。それでもどこかおどろおどろしそうにしている。

「私は、カナ。あなたはどうしてここでピアノを弾いていたの?」

 どうも私に怯えているらしい。無理も仕方ない、見ず知らずの人に声をかけられるのは私だって緊張する。

「どうして……」

 彼女は小さい声でこう言った。

「どうして……人間がこの世界に生きているの……?」

 私はその質問の意図がわからなかった。彼女が一体何者なのか、どうして人間にここまで警戒をしているのか知りたくなってしまった。

「私もわからないの。どうして、どうしてみんないなくなっちゃったのか。わからないの。あなたは何か知っているの……?それにあなたは何者……?」

「……」

 彼女は何も言わない、ずっと黙っている。

「私の名前は……ユー、ユー・ストマ」

 それでも彼女はこっちを向いてくれない。私は視線に入ろうと何度も試みてみたけどなかなか頑固なようだ。

「ねえ、ユー。あなたは何か知っているの」

「……じきにわかる」

 彼女の言っていることがいまいちわからないが、多分彼女と一緒に居ればなんらかの手がかりが手に入る。そんな気がする。

「私、まだこの世界のことわからないの人もいないし。だからさあなたについていてもいいかしら?」

「……」

 私のことを見つめている。警戒はしているようだけど、彼女の話や様子を見ていると私はどうも異端らしい。彼女自体も私と一緒に行動することでなんらデメリットは生じないはず。

「構わない……でも妙な行動はしないで……」

「交渉は成立したみたいね……」

 こうして私、カナとユー・ストマのちょっと変わった日常が始まった。


 目が覚めると彼女はピアノを弾いていた。美しい音色を聴きながら起きられるのはなんだかちょっと幸せだなって思った。

 曲名はわからない。とにかく明るくて、晴れ渡った空の草原に一人立っているような気分になる。清々しいというかなんといのか。

 彼女はピアノを弾く手を止めた。

「おはよう」

 そう言うと彼女はどこかへと行ってしまう。

「待って」

 彼女の足は止まらない。とりあえずついて行ってみよう。ずっとこの場所に居ても何事も起きなさそうだ。

 ついていったもただ木が生い茂っているだけ。あの大きな一本の木の奥にはこんな世界が広がっていたんだ。それでもただ同じような道をずっと歩いて行くだけ。それでも私はついていきたくなる。なんでだろう。

「ねえどこまで行く気なのユー」

 やっぱり答えようとはしない。ただ黙々と歩いて行くだけ。すると薄暗い緑に覆われた世界の先から少しずつ真っ白な一筋の光が大きくなっていく。その先は何も見えない。

「なに……これ……」

 あたり一帯に広がっていたのは青い世界。その真ん中にはお墓のようなものがあった。作りはとても質素で木の板を十字にしてある。1本のリボンも縛りつけられていた。

「カナ、あなたに見せたかったの、この世界を……伝えたかったの、本当のことを……」

 彼女の目はどこか潤んでいるように見えた。でも周りの明るさで良くは見えなくて、どういう表情なのかはわからなかった。

「いつも弾いてた曲。あれはこの中で眠っている人が作ったの……名前はわからないけど……ピアノを教えてくれたのも彼……私は、何もできなかったの。助けられなかった、恩返しできなかった。だからあの曲を弾いてせめて罪の償いをしたかったの。だから毎日弾いてる。かかせずに」

 雨が降って来た。空は青く澄み渡っているのに、雨が、降って来た。その雨は冷たくて、悲しくて……手に取ると直ぐに蒸発して消えてしまう。

 私はユーの話を一文字一文字逃すことなく聞く。聞かなくちゃいけない、理由はわからないけどとにかくそうしなくちゃいけないんだ。

「そんな時にあなたがこの世界に来たの、ついさっきみたいに感じるでしょ? 私と会ったの。この世界は時間軸がない」

「じゃあどうして私はこの世界に来たかも知っているの?」

「それは……」

 私は目を逸らさないこの世界に来て何も知らないけど絶対に目をユーから逸らさない。

「あなたは、あの海で身を投げた」

 ああ、そっか。私は何もかも失ってしまったんだ。友達も、家族も、何もかも……。行く当ても、帰る場所もない私はみんなと過ごせた思い出の海で終わりを迎えようとしたんだ。きっとその先に救いがあると思ったから。

「じゃあ……この世界は……天国か何か……? それとも地獄?」

 ユーは俯いて黙ってしまう。それでも前を向いて彼女は口を開く。

「私の役目は元の世界に返すこと……」

「それって……?」

「ここに眠っている彼も元の世界で自殺したの。そしてこの世界が決断の場所」

 言っている意味がよくわからなかった。決断とは? もうすでに私は死んでいる筈なのにどうして?

「でも私もう死んでいる筈なんじゃ……? だって、ほら、ね。過去の記憶消えてたじゃん」

「カナ、あなたは死んでないの。正しく言えば死ねなかった。だからこの世界に迷い込んだの。決断の場所に」

「け、決断って言ったって何を決断しろって言うの!?」

 私は、訳が分からず思わず怒鳴ってしまう。彼女に当たっても意味がない、わかっているのに……。

「生きるか、死ぬか。時機にその時が来る。だから、その時までに私があなたを最前の道へと導くのが仕事……彼みたいにならないように……」

「その『彼』はどうしてこのお墓で眠っているの……? なんで……? あなたが救うはずだった『彼』はそう決断をしたの……?」

「彼は最後の決断の時、私は彼の傍にいなかったの。それで探したら一緒に弾いたピアノの上に手紙と彼が良くつけてたリボンが一緒に置いてあった。その手紙がこれ」

 ちょっとくしゃくしゃになってしまっている小さい紙、その紙にはあまり上手とは言えない字でたくさんのこが書いてあった。一緒にピアノを弾いてくれたこと、楽しかったこと、青い世界で目一杯遊んだこと……。最後の文にはこう書いてあった。

『ユー、ありがとう。僕は君に遭えてよかった。こんな僕でも精一杯笑えることが出来た。一杯泣くこともできた。いっぱいいっぱい愛情を感じることが出来た。ユーのお蔭で感情を取り戻すことが出来た。あの曲、最後まで教えられなくてごめんね。最初の頃と比べるとユー、物凄くピアノうまくなってたよ。僕よりうまいかもしれないね(笑)

あっとそろそろスペースがなくなって来たね。こんな手紙でしかさよならを言えなくてごめんね。ユー、最期は君の傍で眠りたい。僕はそう決断することにしたんだ。だからこのリボンと一緒にあの青い世界に埋めて欲しいんだ。僕からの最後のお願い。ありがとう、さよなら。ユー・ストマ』

 紙の最後には濡れたような跡があった。

 

 私の決断……。


「っ……!」

「ユーっ!」

 彼女は唐突に倒れた。なんとか私が間に合って抱き上げるような形になる。

「ごめん……カナ……」

「きゅ、急にびっくりさせないでよ」

 最初見た時よりも何かが違う、明らかに違うんだ。そう体が消え始めている……。

「ユー、あんた足……!」

「あ、はは……もう、時間が、ないみたい……」

 時間がない、どういうことなのかわからなかった。

「時間がないって……最初会った時はあんなに元気にピアノ弾いてたじゃない……」

「実はあの時も、終わりに向かって動いてたんだよ私の体が……」

 ユーは既に弱っている。きっともう長くないかもしれない。私に何かできることは? きっとあるはず、きっと。

「ねえ、ユー。ピアノを教えて。私があなたの代わりをやる」

「で、でも……」

「あの曲最後まで出来てないんでしょ? だったら最後まで作らないといけないじゃん。私がそれを作る。だからユー、あなたはその曲を最後まで弾きぬくのいい?」

 私は、彼女をおぶり走ってピアノまで向かう。どうしてこんな気持ちになっているのかはわからない。それでも長い間ずっと、ずっと一人だったユーに何か出来ないか。その強い想いだけが私を突き動かしていた。


 そこからはいろいろ大変で、ピアノの知識がない私は一からユーに教わることとなった。元の世界でこんなに一生懸命になったことってあったっけな。ああ、あの時の私とユーは似ているのかもしれない。ずっと一人ぼっちで生きてきた私には大切なものを失ったユーが自らの分身に見えたのかも。

 音に命を宿していく。とにかく時間がないんだ。私が出来ることはきっとこの位。ユーと協力してこの曲を完成させる。その後はどうしようかな。まあ、いっか私のことなんて。もう何も望むことはないんだ。今は彼女の為に精一杯頑張ろう。

 一音一音丁寧に決めていく。ユーが何度も聞いたという最後のメロディを一つずつ書き足していく。あっているのかは彼女にしかわからない。それでも進めていくしかない。

 

 とにかくずっとピアノと向かっていた。何日ぐらいだろうか、あんまり記憶にない。そっか、この世界は時間がないんだっけ。そりゃ感じないわけだな。

「ここは? この音でいいの?」

「違ったと思う。うん、その程度位かな……それで最後の音は……ここ……」

 ああ、終わった。ユーと『彼』が一緒に練習したであろうこの曲が完成したんだ。その頃にはユーの足はほぼ消えていた。もう一人では歩けないだろう。

「ユー、お疲れ様。これでいいんだよね?」

「ありがとう……ありがとう……」

 彼女は私たちで再び作り上げた最後の歌の譜面を抱いて、ピアノの席へと座った。これがユーにとって最後の演奏なんだろう。

「ねえ、ユー、この曲に題名をつけない?」

「え……? でも……」

「あなた決断をしなきゃいけないって言ってたじゃない。私、決めたのもう一度頑張ってみようって。この曲を、この旋律をいろんな人に届けて『彼』とユーの物語を伝えていきたいの」

「Chanson de la fin……」

 ユーの言ったことがあまりよく聞こえなかった。それでも彼女は譜面の上に『Chanson de la fin』とタイトルを書いた。フランス語で『最後の歌』というらしい。

「それじゃあ、弾くね……」

 ユーが最後のリサイタルを始める。聞いているのはこの大きな木と私だけ。それでもこれまで以上の力でピアノを弾くユー。初めて会ったときよりも力強く、そして儚く、切なく……。一音一音が丁寧に演奏されていく。

(ああ、始まってしまった)

 『彼』とユーの思い出が、『彼』とユーの想いが、『彼』とユーの物語が創造されていく。音を聞いている筈なのに匂い、風、感覚が体を覆っていく。自然と目から雫が落ちるのを感じた。

 ユーも泣いていた。きっと『彼』と一緒にいた思い出が一つずつ脳裏に焼き付いた光景が流れていっているのだろう。

 曲も中盤に入った。少しずつ切ないメロディーへと変わっていく、きっと別れのシーンへと近づいて行っているのだ。彼女は目を瞑ったまま何かを感じ取るように弾いていた。そんなユーはとても美しかった。まるで女神が一音一音奏でているかのように。

 ユーの体が少しずつ光に包まれていく。ああ、きっと別れの時が来たんだ。短い間だったけどユーと過ごした日々が頭の中で流れていく。一つ一つ、ゆっくりと。終わりの時間が近づいてきた。

「ユーっ……!」

 彼女は返事しない。体が少しずつ光と共に消えていく……。

 終盤になって大きく風が吹いた。周りの木々たちがまるで拍手しているかのような錯覚に陥る。するといつもピアノの近くにいた大きな木が真っ白に輝いた。一瞬眩しくて何も見えなかったがユーの隣に一人の男の子が座っていた。多分あれがユーのいっていた『彼』なんだ。『彼』は大きな木となってずっと、ずっとユーを見守ってくれていたんだ。

 ついさっきまで一緒に書いていたフレーズ、もうユーはほとんど力がなくなっていた。それでも隣の『彼』がユーを支えてピアノを弾く。最後の一音を弾き終わると同時に周りの木々が花を咲かせまるで春が来たような世界へと私たちをいざなっていく。

 

 Chanson de la fin、最後の歌。今、全てを、終えた。


 私はユーの元へ走るせめて最後の一言ぐらい会話がしたくて。ありがとうを言いたくて。

「ねえ、ユー、ありがとう……私、この世界のこと忘れないからっ……!」

「カナ……ごめんね……こんなにおせっかい焼いてもらったのに恩返しできなくて……」

「ううん、いいの。この歌がChanson de la finが私への恩返しなの。それにほら隣を見て」

「え……」

 彼女はピアノに弾くので精一杯で気づいていなかったみたい。私も、ユーもその『彼』も大粒の涙を流す。すると空から雨が降って来た。あの時と同じ冷たい雨。なのにどこか暖かくて心地がいい。

「ユー……突然君の前からいなくなってしまって……ごめん……ずっと待ってたんだ、この曲が出来る時を。この曲が出来た時君に会おうって決めていたんだ」

「っ……」

 空が青い、光がまぶしい。ああ、意識が遠のいていく。

 あ、ユーにさよならを言わなくちゃ。

「ユー、私も時間、来たみたい」

 精一杯笑って見せる、最後くらい笑顔でいたい。あっ、ユーも笑ってくれた。良かった、初めてユーが笑った顔が見れた。みんなそれぞれの世界に戻るのか、このまま成仏してしまうのか分からない。それでも彼女たちに出会ったことを絶対に忘れることはできないかもしれない。いや絶対に忘れない。

「カナ……ありがとう……あなたのお蔭で完成したの……だからせめてものお返しに……」

 カナの最後の言葉、最後まで聞き取れなった。それでも彼女なりにきっと何か恩返しをしてくれたんだと思う。私はもう一度頑張る、二度と同じ過ちは犯さないそう誓って目を閉じた。


 目が覚めると白い天井が一面に広がっていた。ここはどこだろう見渡すと機械がいっぱいあってよくわからない。

 ここ病室かな。窓から射す光が眩しくて思わず目を瞑ってしまう。

「帰って来たんだ……」

 ベットから立って窓を開けると数枚の紙が飛んできた。これは楽譜だろうか、その譜面のタイトルの横にはこう書いてあった。

 

『カナへ ありがとう』 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Chanson de la fin 立川 @tatikawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る