第2話 「東北自動車道」

僕はまだ開通していない東北自動車道の郡山インター付近の鉄柵を開けて“ヴィヴィヴィヴィ...”と情けないエンジン音のちっちゃなバイクを中に押し入れた。目の前には遥か遠くまで舗装された道路が続いていた。その道路には夏の陽の光を反射してゆらゆらと陽炎が立ちのぼっている。僕は警戒して周囲を見回した。そして誰もいないことを確認してから買ったばかりのホンダCB50のアクセルを何度も絞り込んだ。“ヴィーン...ヴィーン...ヴィヴィヴィヴィ...”間が抜けたおもちゃのようなエンジン音があたりに響いた。


ホンダのCB50は、当時発売されたばかりの文字通り50ccの原付バイクだった。当時の原付バイクはホンダのCB50、スズキのハスラー50、ヤマハからはMR50とミニトレ50、カワサキからも名前は忘れてしまったが原付バイクが発売されていた。当時はオートバイと言えば、ホンダのCB750“通称ナナハン”が僕たちの憧れの的だったので、その子供とも言えるCB50を僕は父にねだって買ってもらったのだった。父は僕がバイクが欲しいと言うと嬉しそうな顔をしていた。「あだまの悪いお前が一発で免許取れたらバイク買ってやるべ」と父はにやにやと笑った。


ところが僕は一発で免許を取ってしまった...ま、原付免許は簡単な筆記試験だけなのだから誰でも取れるのだが、僕の頭の悪さは相当なものだったから父は試験なんかに合格するはずがないと軽く返事をしたのだった。


しかし僕はどうしてもホンダのCB50が欲しいために、したくもないありきたりの交通法規の勉強をした。僕にとって生まれて初めての勉強だった。学校では本当に勉強しなかった。勉強のやりかたもわからないくらいだったのよ。あ、その後取った普通免許の学科も一発だったの...。え?そっちも当たり前だって。そうだねぇ・・・(笑)。


免許試験合格したって父に言ったら「やればできるんだな?」と、意外にも父は嬉しそうに笑った。そしてそれからひと月後にはCB50が届いたのだ。当時、僕は家庭内暴力の最中で、父親もその被害にあっていたはずなのに...今考えれば本当に申し訳ない事をしていたものだ。本当に優しい父だった。


届いたCB50はイメージとは違って“チンケ”なバイクだった。タイヤも細くて肝心のエンジンはラジコンの飛行機模型のエンジンのように小さく感じた。その後、後輪だけ太いものに変えた。それで少しは大きく見えるようになった。


さて、話を東北自動車道に戻そう。


僕はCB50のシートに座って何度もアクセルを絞っては放した。“ヴィヴィヴィヴィヴィヴィ・・・”憧れの“ナナハン”の音とはずいぶん違う。それからまた周囲を注意して見て誰もいないのを確認した。見上げると真っ青な青空に僅かに浮かぶ薄い雲が北に向かって動いていく。


僕は再度周囲を見回して誰もいない事を確認すると「いぐべ」とCB50に言った。


CB50はやっぱり相変わらず“ヴィーンヴィヴィヴィヴィ...”とおもちゃなエンジン音を響かせている。リターン式のシフトをガチャガチャとローに入れて、クラッチを少しずつ放しながら僕はアクセルを絞り込んだ。


“ヴィーーーーーーーーーン”という音で僕はクラッチをいきなり放した。“ヴィーーーーーーーーン”と、CB50は思った以下のスピードで徐々に加速していく。やっぱり原付バイクだから加速力も貧弱なものだったのだ。僕はシフトをガチャガチャと変えていく。“ヴィーーーーーーーーーーーーーーン”“ガチャガチャガチャ...”“ヴィヴィヴィヴィーーーーーーーーン”と、遂にギアはトップである。CB50は「ええ?やめてえ!!!」って言ってるくらいにさらに“ヴィーーーーーーーーーーーーーーーーーン”ってな悲鳴をあげる。


僕は気にせずにアクセルをさらに絞り込んでいく。バックミラーはブルブルと震えて後方は全く見えなくなった。それなのにまったくスピードを出しているといった感覚がない。前方を見ると実にゆっくりとしたものである。しかし、そのうちにCB50の車体もブルブルと震えだした。スピードメーターを見ると70キロを指している。さらにCB50は限界?まで加速する。メーターは80キロを指した。“ヴィヴィ.........”CB50は無理をしたような音を発した。


“ヴィヴィヴィヴィ...”CB50は徐々にスピードが落ちて行く...そして止まった。“ヴィヴィヴィヴィーーーーン”走り出す前のエンジン音とは明らかに異なる音がした。マフラーを見るとエンジン近くの根元がオレンジ色に焼けている。「うひゃ!」慌てて僕はキーを回し戻して、いきなりエンジンを切ってしまった。またまたエンジンに負担をかけることになってしまったようだ。


CB50のエンジン音が消えると...あたりはいきなり静かになった。周囲の林からは鳥や蝉の鳴き声しか聞こえなくなった。しかし耳をすますと鳥や蝉の鳴き声に混じって“チンチンチン...”という音が聞こえる。CB50の焼けたエンジンの音だ。「うひゃあ、やばいなあ...」僕は機械がこんなにも脆いものだと知ってがっかりした。


僕はCB50のスタンドを立てて舗装されたばかりの高速道路に仰向けに寝転んだ。真夏の道路は陽があたって熱くなっている。“チンチンチン...”CB50のエンジンの焦げた音が小さくなってきた。「冷えてきたのかな?」僕は少し安心してため息をついた。


青空にはさっきよりも雲が増えて動きも早くなっている。僕はその雲を目で追いながらため息を付いて目をつぶった。じきに東北自動車道が開通すると、二度とこんな経験はできないだろう。


起き上がって道路を見ると、僕の前にも後ろにもゆらゆらと陽炎が揺らめいていた。

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