第27話

 電志と愛佳は休憩区画にいた。

【アイギス】の公園区画の縮小版みたいなところだ。

 祝勝会の準備もほぼ終わったので抜け出してきた。

 第三波襲来の館内放送を聴いて、電志は険しい顔をする。

「大丈夫なのかな……?」

 こうも立て続けに襲撃があると、不安になってくる。敵もこちらが巣を破壊しに来たことを察知して本気で抵抗してきているのか。蜂の巣をつついてしまったようだ。だが〈コズミックモンスター〉もこれだけの戦力を保有しているなら、何故普段は二~三日に一回しか襲撃してこなかった? 総力で攻めてこられたら【アイギス】は滅ぼされていたんじゃないのか。いったいこいつらは何のために俺達に攻撃を仕掛けてきているんだろう。謎だ。こういう独自の感覚を持った生物なのか、それとも何者かに造られた自律型の兵器なのか……

「作戦の想定を超えちゃったね。想定では第二波までしかないはずだった」

 愛佳は不安な表情だ。

 二人は木の下で肩を寄せ合って座っていた。

 木は紛い物だが、よくできている。

 風も無く単に自然を模した空間がそこにあるだけ。

 無機質な空間に柵でぶつりと境界線を引き、その外側とのコントラストは明確を通り越し異様ですらある。

 仕事中の者が廊下を歩いていくのも見えてしまうので、落ち着くには少々物足りないものがあった。

「悪い方に超えたのは困ったな。何で良い方に超えないんだか。まるで人生だ」

「なに悟った風に言ってるのさ」

「悟った風とか言うな」

「電志が悟ったみたいなこと言うの珍しいね」

「似合わないか?」

「うん」

「ひでえ……」

「…………大抵はさ、悲哀とか嘆きとか、マイナスの感情が無いと言わないじゃあないか。そういうことってさ。自分に納得してなかったりとか」

 愛佳は膝をぎゅっと抱える。今彼女が何を考えているのか。それは分からない。自分の過去を思い起こしたりしているのだろうか。

 電志も過去を思い起こしてみた。自分に納得していないことか。やはりかもしれない。

 棘。心に残った棘……

 シュタリーとは約束しなかった方が良かったのだろうか。そうではないのか。いや、それは答えが出るものでもないか……納得云々ではないかもしれない。

 ただ、あの時浮かれていた自分には、納得できない。浮かれていた自分は彼女が帰ってくることに疑いを持たなかった。そして運命は悪い方に転がってしまった。イライナとの乗り換わりを、事前に察知できなかったのか……そこが悔やまれる。いや、それだとイライナに死ねと言っていることになってしまうのか……複雑だ。

「まあ、そういう感情が、あるのかもな」

「やっぱり……?」

 愛佳も電志の考えていることは分かっているようだ。

「まあな……」

 意識はしていなくとも、やはり深層心理では気にしているのかもしれない。何気無い会話で特定の話題を避けてしまったり、行動では特定の場所を避けてしまったり、いつの間にかそういうことをしていなかっただろうか。倉朋はそういうところで変に気を遣うから、俺のせいで気疲れとかさせていなければ良いのだが。

 少しすると、愛佳は何度か躊躇ってから急に話を変えた。

「ねえ、【特別機】制作の時、ボクがカイゼルと約束をしていたのを覚えてる?」

「ああ、新素材を何が何でも仕上げる代わりに何か約束したんだろ?」

「それは実は、まだ約束を果たしていないんだ。勇気が出なくて」

「へえ、勇気がいるって何だ?」

 今まで電志は疑問に思っていた。ギブアンドテイクが信条のカイゼルがタダで動くハズが無い。一体何を要求されていたんだ。

 そうしたら、愛佳は膝に顔を埋めて恥ずかしそうに声を出した。

「……キス」

「…………は?」

 以前も聴いたことがある単語だな。コスト低減コンペの時か。

「キスをしないと、いけないんだ……」

 そう呟く愛佳は、諦めているように見える。

 その様子に電志は呆れた。

「あのなあ、自分を大事にしろって俺言わなかったか?」

 確かそう言ったハズだ。コスト低減コンペの後、こいつがキスしても良いって言ってきた時に言ったハズだ。学習能力が無いのか?

「そうだけど、でも、病院に行く前だったから急ぎだったし……焦ってたし……」

「それにしたってそこまでする必要はないだろ? 倉朋は軽率すぎる」

「でも、ちゃんと今回は考えたよ! それで、しても良いかなって……思ったんだよ」

「は? カイゼルと?」

「カイゼル?」

 訊き返してくる愛佳に電志は困惑する。カイゼルとの約束なのに違うのか?

「え? じゃあ誰だよ?」

「そ、それはっ……別に良いじゃあないか。電志には関係ないでしょ?」

 急にむすっとする愛佳。わけがわからない。何に怒っているんだ。

 でもまあ、関係ないと言われてしまうとそれまでで。

「まあ、確かに……関係ない、な」

 電志はそれ以上訊けなかった。彼女の気持ちを尊重するしかない。設計の時みたいに訊かなければならないことを隠しているわけでもない。拒絶されたらそれまでだ。

 だが何故か、愛佳は更にヒートアップしてしまった。

「関係ない……? 電志、本当にそれで良いの? 本気でそう言ってるの?」

「関係ないって倉朋が言ったんじゃ……」

「そうかもしれないけど! 電志のはそれで良いの? って訊いてるんだよ!」

 眉も肩も怒らせ、今までにないほど愛佳は怒っていた。

 その剣幕は凄いもので、電志も気圧されてしまう。関係ないでしょって言われて同意すると怒られるのは何なんだ。意味が分からない。滅茶苦茶だ。

 感情で言えば、確かに気になる。個人的には、まあ。

 でも、関係あるのかと問われると……電志の論理思考ではそこで『ある』のためのルートが見付からない。

「だって、俺は倉朋の……恋人とかじゃ、ないし」

 こう返すのが精一杯だった。

 すると、愛佳は目に涙を溜めてガバッと立ち上がり、叫んだ。

「電志のバカ!」

 そして走り去って行ってしまった。

「わけわかんねえ……」

 去って行く背中を見つめ、電志は頭を掻いた。何か間違ったことを言っただろうか? 怒っているポイントが分からない。何に怒っているんだ?

 でも、何だかああいう反応をされてしまうと、自分が悪かったのではないか、という気持ちが生まれる。罪悪感というか。もっと他に言葉はなかったのか、とか。

 関係ある、と言えば良かったのか。だがそれは間違いだ。願望だ。いや願望と言うのも変だよな。あいつが誰とキスするか知ってどうするんだ。そんな下世話なことで盛り上がるつもりはない。でも、何だかモヤモヤする。あいつが誰かと一緒に楽しそうに歩いていたり、俺達みたいに木の下で隣り合って座っていたり、それから二人の顔が近付いていって……それはあいつの自由だ。自由のはずだ。俺がどうこうとかじゃない。

 はあ、と溜息をついて周囲を見渡した。

 ここには石碑が無い。それでもこういう所があると、つい来てしまう。これはまだ見ぬ地球への憧れだろうか。地上というのは【アイギス】と違って果てしなく広いらしい。山とか海とかもあるらしい。自然の神秘というのがあるらしい。

 地上。

 地上に降りてみるのも、悪くないかもな。戦いが終わったら。

 俺は、俺のルーツがある地球を旅してみたい。野生動物というのも見てみたい。野生植物というのも見てみたい。それから海だ。【アイギス】から見えている青い部分は果てしない量の水だと言われている。見渡す限りの水の世界なんて物語の中でしか見た事が無い。だから俺達にとって地球は物語の世界だ。異世界みたいなものだ。そこに暮らしている人達がいると思うとワクワクする。

 倉朋は、地上に行くと俺が言ったらついてくるだろうか?

 ぼんやりそんなことを考えていると、突然ぐらりと振動が起きた。

 それからドン、ドン、という重低音と断続的な振動。

 砲撃。

 それが真っ先に思い浮かんだ。

 館内放送が入る。

『敵が本艦に接近、戦闘要員及び機関などの必要人員以外はただちに避難区画へ移動されたし。繰り返す……』

「敵が接近?!」

 旗艦に敵が接近などただごとではない。戦況はどうなっているのか。

 その後ガガガガンッというけたたましい音と爆音振動が起こった。けっこう近い。

 それから走る足音も続々と聴こえてくる。

 悲鳴も。

「倉朋……っ」

 思わず愛佳が駆けていった方に顔を向ける。

 避難指示が出された以上、避難は開始しているはず。避難区画に行けば会えるのでは。それに、避難する時のマニュアルでもこういう時他人に構うな、二次被害が出る、とある。

 そんなことが頭をよぎったが。

 頭を振った。全ての雑念を振り払って。

「ちくしょうがっ!」

 愛佳の走り去って行った方へ駆け出した。

 ここで論理を優先したら、きっと、一生後悔する。そんな予感がした。これは全然論理的じゃない。俺に未来予知なんていう特殊能力は無い。設計でなら論理を積み重ねて将来的にどうなるということはある程度予測できるが、これはそういうのじゃない。何の根拠も無い単なる予感。でも……

 追いかけのだ。

 初めて感情を優先した。


 ナキは絶えずメンバー達に指示を出し、旗艦【グローリー】に迫った敵を撃退しようとしていた。

 第三波が来てからは悲惨だった。

 ナキやシゼリオは補給が間にあったが、帰還の順番待ちをしていた機体は残弾ゼロのまま戦場に取り残された。

 修理や補給で多くの機体が艦艇の腹の中に収まっているため戦場に残っている機体も少ない。

 こういった補給に専念すべき時期に襲撃があった場合、いくら戦力があってもまともに戦えないのである。

 戦線は崩壊した。

 前衛の駆逐艦だけでは対抗できず、後衛の戦艦まで敵が到達している。

 もう何隻か船が沈んだ。

 艦砲射撃が行われている中戦闘機達は救出に向かわなければならないが味方の射撃で撃ち落とされることもある。

 地獄だった。

「シゼ、艦の下にWVが三体、左舷にJF六体、正面からは色々合わせて一五くらい」

 メンバーからの情報を集めてナキはシゼリオに伝える。

『僕達は正面を片付ける。残りをナキのチームでお願いしたい』

「了解、DGはいないハズだから」

『他の艦にとりついているかもしれないな。情報が入ってこない。もう滅茶苦茶だ』

「こんな何回も襲撃してくるなんてズルいよ!」

『敵も最終決戦だと分かっているのかもしれない。発着口だけは絶対死守してくれ!』

 旗艦【グローリー】は他と比べればまだ軽傷だった。

 ナキはブリッジをちらりと見やり、シゼリオと入れ替わるため機体を傾ける。

 絶対に守る。

【グローリー】には電志も愛佳も、みんながいるのだ。


 司令部は騒然となっていた。

 我先にと逃げ出す者もいたが、しばらくすると指令長官以下数名を残して退避命令が出された。

 避難区画へ行かなければならない。

 だが七星とジェシカは人の流れから抜け出て通路を歩いていた。

「やばいな、一番マズイ時に襲撃を受けた。もはや戦況もよく分からない」

 七星が淡々と述べる。

 さすがに十年前の地獄の時から一線で活躍していただけあり、肝が据わっていた。

「ホシさん、どこに向かおうとしてるんですか?」

 ジェシカが尋ねると、七星は肩を竦めた。

、だな」

「へえ、ホシさんはわたしを秘密のところに連れこみたいんですね?」

「そういうこった。〈DDS〉や〈DPCF〉に連絡入れないとな。電志にも連絡入れるか」

 喧騒から離れ、静かな中を進む。

 張り詰めた空気。

 このままでは駄目だ。

 ここから逆転してやる。

 二人は軽口をたたくが、その目は戦場のそれへとなっていった。

 二人の足取りは引かれ合う連星のようにぴったりと合っていた。


 愛佳は腰が抜けて動けなくなっていた。

 ここは商業区画の一角。

 元はオープンテラスになっていたようだが、今は無残な姿になっていた。

 突然の轟音、振動、それから衝撃。

 敵の銃撃が壁を貫いて一帯をめちゃめちゃにしてしまったのだ。

 即座に宇宙側にはシャッターが下りて穴が開いた箇所には充填剤が詰め込まれていった。

 しかしまばらにいた人達は我先にと逃げ出し、愛佳は一人置いていかれた。

 外ではまだ轟音が鳴り続けている。

 早く逃げなければ。でも立てない。

 へたりこんだまま動けない。誰か助けて。

 電志の顔が思い浮かんだ。さっき大声でバカと言ってしまった。助けに来てくれないかもしれない。それに、電志は論理思考だ。避難指示が出されたらこっちも避難区画へ向かっているだろうと思うハズ。でも、こんな時来てほしいのは他の誰でもなく、電志だった。

 このまま死んだら嫌すぎる。喧嘩別れしたまま永遠に会えなくなるなんて嫌すぎる。この微妙な距離感のまま終わったら嫌すぎる!

 もう這ってでも出口へ向かおうか。

 そう思い始めた時。

 聴こえてきた。

「倉朋――――――っ!」

 叫ぶ声が近付いてくる。

 心臓がドクンと鳴った。

 待ち望んでいた声だ。

 ここにいる。

 それを示すために力一杯叫び返す。

「電志―――――――――――――――――――っ!」

 声は届いた。

 電志はやってきた。

 出口へその姿が見えた。

 そうしたら、また周囲にけたたましい音が響いた。

 再度の銃撃がオープンテラスの残骸を更に粉砕していく。

 生きた心地がしなかった。

 電志がそんな中を走ってくる。

 愛佳は手を伸ばした。

 電志も手を伸ばした。

 そして手が届いた。

 握り合った。

 銃声がやんだ。

「走れるか?」

「無理かも」

 そう答えたが、不思議と身体が自由に動かせるようになってきた。

 怖さで動けなくなっていたのが解消されてきた。電志がそばにいるからだ。

「くそーじゃあおぶっていくか」

「いや、大丈夫。やっぱり走れるよ」

 愛佳は立ち上がった。電志といれば、助かるような気がしてきた。

 電志に手を引かれ、愛佳は走った。つんのめりそうになると、電志が少しペースを落とす。ペースを合わせてくれる。こんな時まで優しい。

 出口に来た時にそこでもシャッターが下り始めた。

 区画を放棄するのだ。

 間一髪で出口を抜ける。

「危なかった!」

 電志が声を上げる。

 愛佳はゾッとした。もし間に合わなかったら。もし電志があのタイミングで来ていなかったら。もし電志が銃撃に躊躇していたら。

 それからしばらく走り、休憩区画に入った。


 木の幹に背中を預け、ゼエゼエと乱れた息を整えた。

 二人とも体力には自信が無い。

「俺と同室の人で毎日ランニングしてる人がいるんだが、これからは見習おうかな」

 電志の軽口に愛佳は安堵を覚える。

 まだ避難区画じゃないのに、もう助かった気持ちになった。軽口も、もしかしたらこちらを安心させるために言っているのかもしれない。

「それは名案だね。ボクが監督するよ」

「俺はタイムを計りたいんじゃない」

「ボクは計りたいんだ」

「じゃあ勝手に計ってろ。俺はマイペースでやる」

「電志は自己中にランニングをするんだね?」

 愛佳は会話している内に胸が熱くなっていくのを感じた。

 今ようやく、危機を脱したのを実感できた。

 電志がそばにいるのを実感できた。

 それから、嬉しさが込み上げてきた。電志は来てくれた。危険を顧みず助けに来てくれたのだ。

「無理矢理俺を悪者にするな」

「電志が悪者顔なのが悪いのさ」

 だんだん気持ちが膨らんできて胸がいっぱいになってくる。

 どんな気持ちか分からないほどざわざわとしたものだ。

 胸がいっぱいになると、今度は顔も熱くなり、頭も真っ白になってきた。

 鼓動が速く、強くなってきた。

「生まれつきだ」

「生まれつき仏頂面だったら親は泣くよ。電志だって生まれたばかりの時は可愛かったハズ」

「どうだか」

 そして、わずかな沈黙。

 愛佳の気持ちが、溢れた。

「…………電志っ!」

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