第113話

【黒炎】が近付いてくる。

 光が近付いてくる。

 あの光を浴びれば、痛みを感じることもなく分解されるだろう。

「ジェシカ……」

 七星は惜しむように呟く。


 艦内に流れた噂について。

 最初は戸惑った。だが電志やジェシカに俺を疑わせるにはちょうど良いと思い、使わせてもらった。

 電志にも悪いことをした。お前の腕を見込んでのことだったんだが……お前なら確実に地球侵攻を止めようとしてくるだろう。そしてその通りに、対【黒炎】用の機体を作ってくれた。設計では間違いなく俺の上を行っている。

 だが子供に権力争いの複雑さはさすがに分からない。

 そういったところは大人が背負うべきだ。

 ジェシカが思い通りに動いてくれるかは賭けだった。

 だが、最終的にこうして【黒炎】に乗り、俺を討ってくれた。


 これで良い。


 地球艦隊は敗北を隠さなければならず、そのために脱出艇をうまく利用しようとするだろう。

『悪の親玉、七星から救い出した』という宣伝で。

 そしてジェシカを『七星を討った英雄』に祭り上げる。

 そうして敗北があたかも勝利したように響きが変わる。

 何せ地球艦隊が大敗北、しかも大国の首脳がごっそりいなくなるという失態で各国は大混乱。更に人質作戦が暴露され混乱が拡大、各国の中枢の者達は火消しに躍起になる。そうしたら脱出艇とジェシカをプロパガンダに使わないはずがない。新政権を組織して安定するまではそれで乗り切る計算をするだろう。

 そうなれば【アイギス】の住民が殺されることはない。

 地球に行きたい者は行ける。


 また、大敗して国も混乱してしまった地球はしばらく宇宙に上がることはできなくなるだろう。

【アイギス】に残りたい者は残り、対策をしっかりとれば良い。

 宇宙で常に目を光らせていれば、今後地球艦隊が【アイギス】へ侵攻するのは格段に難しくなる。

【アイギス】は独自の文化を発展させ、いずれ国家として地球も認めざるをえなくなるだろう。


 全てをやり尽くした。

 後は巨悪である俺を討ち、完了だ。


【光翼】が迫ってくる。

 七星は【黒炎】のコックピットへ手を伸ばす。

「ジェシカ……ずっと伝えられなかった……俺は、死んでもお前を地球に返すと決めていた。何とかそれは達成できたよ。すげー無理をした。慣れないことはするもんじゃないな。でも……一生で一度くらい、良いだろう? なんたって、お前のためだもんな」

 胸の奥が締め付けられる。

「ジェシー、俺は……お前のことが……」


 走馬灯。


 出会って初期の頃、お前は怒り顔だった。鬼気迫るというか、切羽詰まったような戦い方をする奴だった。

 せっかく新型機を設計してもすぐ壊す。

 そして毎度のように怒鳴り込んでくる。

『あんたがこんなヘボな設計してるから敵の攻撃を避けられないんじゃない! 他の人も何機も撃墜されたわ、どうしてくれるのよ!』

『もっと機体を丁重に扱ってくれよ』

 俺がそんな風にぼやいた時、お前は烈火のごとく怒ったんだったな。

『あんたはっ……人が死んで機体だけ帰ってくれば満足なの?!』


 しばらくしたら、お前は違う顔も見せるようになった。バツの悪い時の顔。

 何かの会議が終わってから、急に棒菓子を渡してきたんだったな。

『今までさんざん罵倒してしまったから、その迷惑料よ』

 俺の受けた迷惑料にしてはずいぶん安い気もしたが……まあ値段は問題じゃないだろう。これで和解した。

 和解してからはもっと別の顔も見せるようになった。遠い目をした、寂しさの見える顔。

『実は、旦那がいるの。子供もね。でも、もう……指輪をはめることはできない。今でもこれで正しかったのかどうかは分からない。けど……これで正しかったんだと思って死ぬしかないのよ。わたしが撃墜されたら、指輪は地球の引力に引かれて、指輪だけでも帰っていくかな……?』

 これを聞いて、俺は絶対にお前を地球に帰すと決めた。


 はにかんだ顔を見せてくれた時もある。

 友人の結婚式でブーケが俺の頭に命中したものだから、渡してやった。そうしたら周囲が騒いで、俺とお前で写真を撮ることになった。

 新郎新婦の格好をして、写真を撮った。

 手を繋ぎ、緊張した表情の俺と、はにかむお前。

 それは写真の中だけのものだ、現実にはあり得ない。だが、なんか……こいつ可愛いなと、思った。


〈DUS〉に入ってからは、いたずらっぽい顔をするようになった。

『ふふ、これでホシさんと一緒の職場です。よろしくお願いしますね』

 この頃から敬語を使うようになったんだったな。何か雰囲気が大人っぽくなって、こう……魅力的になった。

 電志たちが訪ねてきた時は、電志と倉朋をくっつけようとからかっていたが、そんな時のジェシカは楽しそうだったな。

 そんなジェシカの横顔も、俺の楽しみの一つだった。


 そうしている内に、傍にいるのが当たり前みたいで、安定して。

 安心できるコンビだった。

 それは心地良くて、ずっと手放したくないほどの貴重な時間になった。


 一度だけ、距離感を崩してしまったことがある。

 お前が艶っぽい顔を見せた。

 祝勝会の時に酔った勢いでキスしてきたんだよな、あれは突然でびっくりした。でも後で聞いたら……

『え?! わたしそんなことしたんですか? ぜんぜん覚えてないんですけど』

 これだもんなあ……だからノーカンだ。

 でも、ノーカンだから、いいよな……旦那にも許してもらえるよな?


 思い出だ。

 かけがえのない、思い出。


 思い出をかき集め、ここで眠ろう。


 七星は手を伸ばす。

 心の中で、この手をジェシカが握り返してくれるのを夢想する。

「ジェシー、俺は、俺は……お前のことが……!」

 光の翼がブリッジに届く。

 全てが光に包まれていく。


 光に包まれていく中、七星はずっと伝えたかった気持ちを告げた。

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