第55話

 セシオラは、普段は無為な励ましの言葉など要らないと思っている。

 だが不運だ、と言いたい時は逆にうわべでも良いから励ましの言葉が欲しいと思っている。

 それなのに、何故普段は無為な励ましの言葉をもらい、逆に励ましの言葉が欲しい時には厳しい言葉を投げられるのか。

 わたしは不運なのだ、と言うと決まって『もっと不幸な人はいる』と言われる。

 そう言われるのは辛い。そりゃあ紛争地域を見れば明らかに『いる』のは分かるんだけど、何というか、そうした事実でわたしの不運を否定して欲しくないのだ。今のわたしの不運に、ただ少しでも寄り添った言葉をかけて欲しいだけなのだ。

 でも、なかなかそうして寄り添ってくれる人なんていない。

 だからセシオラは心の中で呟く。

 わたしは不運なのだ、と。


 急激に気分が落ち込んでいく。人生って天邪鬼だなあ。それともわたしが?

 七星の情報について、当たり障りのないことを伝えただけのつもりだった。

 それなのに、メルグロイはとんでもないことを言い始めてしまった。

「良いじゃないか、七星を犯人に仕立て上げたって。地球人を憎んでいる奴がいて、そいつは凄い設計士、復讐のために立ち上がった……筋書きとしては申し分無いだろう?」

 何がそんなに楽しいのか、この男は笑顔で妄想を垂れ流している。不快だ。

 セシオラはぐっと拳を握り、俯く。

「そんなの、三文芝居みたいじゃない……」

 せめて文句をつけて、筋書きを変えさせたり諦めさせたりしたかった。

 しかしメルグロイは何も気にした様子もなく軽く流してしまうのだった。

「良いんだよ、大衆向けなんだから。高尚なものはウケが悪い、分かりやすい方が広まるさ」

「でも、そんなのおかしいって気付く人もいると思う」

「そうして気付く奴は少数さ。噂の凄いところは、そうした少数の声を大多数が掻き消してしまうところだ。大多数は真相なんて気にしちゃいない、娯楽として楽しめればそれで良いのさ。そして……娯楽として何度も話している内にそれが真実っぽく思えてくる……自己暗示みたいにな」

「なにそれ。そんなこと……」

「君にはまだ早いかもしれなかったな。もう少し大人になったら分かるさ。とにかく任せておけ。それよりも、一つくらい裏付けるような情報が欲しいな。七星の身辺を探るんだ。それっぽい物なら何でも良い。そうしたスパイスが一つでもあればやりやすい」

「嫌だよそんなの」

「セシオラ、これはだ」

「でも、人を騙すようなことは」

「作戦のためにすることは、仕方ないんだ。それは君のせいじゃない。君は上官に言われて仕方なく行動するんだ。だから悪いのは上官だ。そうだろう?」

「……うん」

 セシオラは耐えるように頷いた。

 作戦を遂行する上で最も邪魔なのは罪悪感だ。

 だから地球にいる間にカウンセリングで何度も何度も罪悪感から効率的に逃避する訓練を行ってきた。

 そして逃避することは悪いことではなく、むしろ人間の優れた機能であることも教わった。

 全てをまともに受け止めていたら生きていかれないのだ。

「そりゃ君も全ての罪から逃れられるわけじゃない。しかしそれは全てが終わった後にきちんと懺悔をすれば良い程度のものだ。カウンセラーでも神父でも君の好きな相談先を幾らでも国が用意してくれるし、何なら全く知らない土地で罪も忘れ一から人生をやり直すことだって全部国が面倒みてくれる。君の全てが保障されているんだ。問題無い」

「うん……」

 セシオラは反射的に頷いていた。

 何度も繰り返されたカウンセリングの効果がフラッシュバックのように浮き上がってくる。

 作戦を行う心へと最適化されていく。

 スイッチが入る。

 さっきまで拳を握りこんでいたが、それがふっと解けた。別に身辺調査をするだけだ。何か危害を加えようとしているのでもないんだから、良いじゃないか。これまで通り、てきとうに報告していれば良い。渡した情報をメルグロイがどうするか、についてはわたしは知らない、それで良い。

 でも、何かおかしい……そんな思いも並走して気持ち悪くなった。


 セシオラは虚ろな目をしたまま、どう歩いたのかも分からない状態だった。

 話しかけられて初めて我に返った。

 見上げてみると、話しかけてきたのは七星の隣の席に座っている女性だった。

「ちょっと、大丈夫? 調子悪いの?」

「あ、はい……」

 答えながらセシオラは辺りを見回す。どこだろう、ここは。それにこの人は、名前は何といったっけ。七星さんが教えてくれたんだけど。とりあえず、敵。わたしにとっての。

 辺りは通路だ。

 艦内は大半が通路。

 だからどこか、というのが一瞬では判断し辛い。

 ただ、目の前にある扉には見覚えがあった。

 扉の横にあるプレートには特徴的なマーク。

 走る人のマーク。

「トレーニングルームに用でもあったの?」

 女性がそう言ったので、セシオラはああそうか、と思い出した。

 ここはトレーニングルームだ。

 巣の破壊作戦まで毎日通っていた、だから見覚えがあったのだ。

 地球人は全員補充パイロットとして配属されたので、セシオラも例外なく訓練を受けた。

 正規兵でもない要員は『地球で飛行訓練をしてきた』と嘘の経歴で入ってきたので、宇宙戦闘機への適応は困難を極めた。

 さんざん宇宙人に馬鹿にされながら、笑われながら、必死に乗り方を覚えた日々が蘇る。

 そういえば、この女性は訓練の日々でも見かけたことがあった。

 直接関わったことは無かったが、元々【アイギス】にいたパイロット達に指導していた気がする。

 やはり名前は思い出せない……

 セシオラは単に首を振った。

 すると女性は優しく包み込むように慈愛の笑みを浮かべ、セシオラを隣の休憩所へ連れて行った。


 休憩所は艦内のいたるところに設置されている。

 それは息苦しさから少しでも解放されるように、との配慮だ。

 軍艦にそんなものが必要なのか、という声もある。

 しかし、軍艦は兵装さえ充実していれば良いというのは旧時代の考え方だ。

 最終的には人が動かすのである。

 計算に強い人達よりも心理学に精通した者達の方が現代では重要視されているのだ。

 トレーニングルームの隣にある休憩所には売店も入っており、スポーツドリンクや軽食が並べられていた。

 テーブルも十個以上並んでいて、その中にはまばらに人が座って歓談していたり突っ伏して寝ていたりした。

「何か辛いことがあったの?」

 女性は飲み物と軽食をテーブルに置き、言った。

 セシオラは困った。何か勘違いされている。今回はちょっとふらふらしていただけだ。ネルハから逃げ出した時のような、精神的に参っている状態ではない。でもきっと、この人には『何か泣きたいことがあった可愛そうな子』と思われているのだろう。わたしが敵視していることも知らずに。

 改めて見てみると、この女性は魅力的だった。

 体形は出る所は出ているし、おっとりとした微笑には余裕を感じさせる。

 セシオラの思う『大人の女性』そのもの。

 すぐ他人と比べて苛つくのは悪い癖だ、でもイラッとしてしまう。やはり七星さんもこういう人に魅力を感じるのだろうか。

 そこで唐突にこの女性の名前を思い出した。そうだ、ジェシカだ。わたしの敵。

 敵を知るのもこの際良いのではないか、という気持ちになってくる。


「…………はい」

 セシオラは頷いた。

 辛いことなら事欠かない。まずは話してみよう。

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