第30話
【グローリー】の中にあっても〈DDS〉のスペースは広く確保されている。
それは、機体の整備は作戦行動において生命線だからだ。
いざ戦闘になった時には傷ついて帰ってきた機体を一秒でも早く修理しなければならない。
戦闘が一度だけならば構わないが、連戦する場合にこれが大きく響くのだ。
スペースが狭い場合、同時に修理できる機体が少なくなる。
そうすると、次の出撃に修理が間に合わない機体が出てきてしまう。
それでは母艦を守れない。
資材もスペースもこうして遠征している時には〈DDS〉が優遇されるのは必然だった。
まるで外のダレきった空気が嘘のように〈DDS〉は喧騒に包まれている。
格納庫にずらりと並べられた損傷機たちにアリが群がっているようなものだ。
その働きアリたちは様々な工具を駆使して機体を修理している。
「お前さんたち、ちょうど良いところに来てくれたな!」
ゴルドーはタオルを首にかけニタリと笑った。
顔には汗が噴き出しており、拭っても拭ってもまた流れてきている。
普段はマフィアの下っ端にしか見えないのだが、汗水たらした今は若干爽やかな笑顔に見えなくもなかった。
「俺達で役に立つかどうか分からないが、手伝いに来たぞ」
電志がそう言うとゴルドーはぜんぜん構わないぞ、と続けた。
「なぁに、ほんとに細かいところは俺達でしかできねえが荷物運びとか単純作業だって山ほどあらぁな」
「ボクはか弱くてか弱いから荷物運びとか無理そうだなー……」
愛佳が遠まわしに荷物運びを辞退するとそれもゴルドーは構わない、と言った。
「まあ愛佳は重い物は運ばなくて良いぜ。他にもやることはいっぱいあるしな。そうだ、あいつらのところがある……おーい!」
ゴルドーが呼ぶとぱたぱた走っている女の子が振り向いた。
その娘は〈DPCF〉のエースパイロット、ナキだった。
「あれー電志に愛佳じゃん! やっほー!」
底抜けに明るい声は紛れも無く彼女だ。
しかし何故〈DPCF〉が?
電志と愛佳が同じ疑問を抱いていると、それを察したゴルドーが説明してくれた。
「〈DPCF〉もすることがねぇからな。ただし〈DPCF〉はウチの手伝いに強制参加みたいだが」
「ウチも暇人ばっかりだから良いよ! それに普段乗っている機体を労う良い機会だよ!」
ナキが妙に堅い表現を使うので電志が突っ込みを入れた。
「『労う』って意味分かってるのか?」
「……うん、分かってるよ!」
大方頭の良い相棒が言っていたのを真似しているだけだろう。
その相棒・シゼリオはどこかな……と視線を走らせると該当する少年が見つかった。
こちらに背を向けているが、銀髪のイケメンでよく目立つ。
彼は既に整備班に溶け込んでいて、透明なフェイスガードを着けて工具からは火花を散らせていた。本当に何でもできる奴だ。ああいう良い要素を集約した奴がいるから他がそのあおりを受けているんじゃないのかと訝ってしまう。それとも逆なのか? いや、そもそも世界全体でバランスが取れているのかというのも怪しいか。
「とりあえずナキは愛佳の面倒を見てやってくれ。俺は電志をビシバシ使ってやるからよ」
ゴルドーが言うとナキは任せて、とうなずいた。
「愛佳はあたしについてきて! みんなの昼ご飯作るよ!」
「む、料理か……ふっそれはボクの得意分野だね! じゃあね電志、ゴルドーにこき使われるが良いよ!」
ナキに連れられ愛佳は去っていった。
「まあ俺も体力はそんなに無いんだがな」
見送りながら電志は呟いた。まあ部外者の俺にそんな無茶はさせないだろう。
そんな甘い考えでいると、ゴルドーが含み笑いをしていた。
「ククク、電志……覚悟は良いか?」
そうしてサングラスを光らせ、早業で工具を手中に収める。
指と指の間に工具を挟み、右手に三本、左手に三本の工具。
鉤爪のように工具を生やし胸の前で腕を交差させる。
電志が唖然としているとゴルドーは悪役そのものの声で言った。
「これより
そこには今まで見たことのないゴルドーがいた。
闇医者が危険な実験に臨むみたいな、怪しげな空気だ。
ごくりと電志は喉を鳴らした。
ゴルドー……お前、中二病だったんだな。
電志は文字通りこき使われた。
「電志、壁際にある緑の箱持ってきて!」
「了解……って重っ! 何が入ってるんだこれ」
電志は気合を入れて一段階目で腿の高さまで、二段階目でようやく胸の高さまで持ち上げる。
それからよたよたと歩き始めた。
「電志、このネジ外しておいて!」
「了解。ぐおおっかてえっ!」
言われるままに工具でネジを外しにかかったがびくともしない。
顔を真っ赤にしてふんばる。
すぐに手の皮が剥けた。
「ここからここら辺までカッターで切っておいてくれ!」
「アバウトだな! どうなっても知らないぞ」
専用の回転刃で機体の一部を切断していく。
フェイスガードを着用し間近で火花が散るのを体験した。
振動も伝わってきて音も周囲の声を掻き消すほどだ。
この工具も非常に重く、五分もしたら腰を痛めてしまった。
休憩になる頃には体中が痛くなった。
「どうよ電志、〈DDS〉体験入部の感想は?」
ゴルドーがお茶を渡してくれる。
電志はそれを一気に飲み干した。
肉体労働で熱くなった体に冷たい飲み物が気持ち良い。
喉から体中に染み渡っていく。
「そうとうな重労働だな、これは」
今まで知らなかった。〈DDS〉はこんなに大変だったのか。これでも〈DDS〉を気にしながら設計してきたつもりだったが、甘かったようだ。例えばネジなんて設計書上は何の問題も感じていなかったが、狭い場所に設置されていると手が入れにくかった。手を入れにくい場所ではうまく力を入れられず、外すのも普通より何倍も困難だった。きっとネジを留めるのもかなりの苦労があっただろう。『設計書上は可能』というのは作業時に困難を引き起こすこともあるのだ、と学んだ。これは貴重な経験になった。
電志はもらったタオルで額を拭い、張り付いた髪を後ろへ払う。
壁に寄りかかり、背中を流れていく汗を感じる。
背中もタオルでちょっと拭ってみたが、止まらないので放置した。
最終的には顔さえ拭えればそれで良い。
止まらない汗をいちいち全部拭き取れはしない。
運動部に入っていれば、こんな感じだったろうか?
サッカーでも野球でも良い、さんざん走らされて、厳しい特訓をして。
きっとこんな風に汗まみれだったろう。
ゴルドーは、というか他の面々もよくこんな重労働に耐えられるものだ、と感心した。
「ウチは体力勝負だからな。その代わり頭を使う方は苦手だ。俺はお前さん達みたいに頭を使う職業には素直に感心するよ。毎度送られてくる設計書を見てはよくこんなもん書けるもんだなーってな」
「設計も慣れだよ、慣れ。今度ゴルドーも体験してみるか?」
「おっそりゃあ良いねえ! 俺のオリジナル機体を作ってみるか!」
「名案だな。〈DDCF〉に無い新鮮なアイデアを期待しているよ」
二人で壁にもたれかかり、笑い合う。
周囲も汗まみれの男たち。
勢いあまって肩を叩き合っている奴らからは鼻をつまみたくなるような臭いが放たれている。
女の子たちは臭い臭いと遠巻きに罵っていた。
ゴルドーはしばらくして真面目な顔に戻すと、声のトーンを落とす。
「なあ、俺の妹のネルハなんだが」
「ああ、どうした」
確かゴルドーには似ても似つかない可憐な妹がいたはずだ。
「俺に似て宇宙一可愛いネルハがよ、地球生まれの友達を持っているんだが……これがどうも厄介なことになっているみたいなんだよな」
「厄介なこと? 何だそりゃ」
「ネルハの友達は靴を隠されたりとか仮想上で悪口を書き込まれたりとか、まあ簡単に言えばいじめに遭っていたわけだな。そこでネルハが助けに入ったんだが、案の定今度はネルハも標的にされちまってよ。その代わりその地球生まれとは友達になったんだ。そこまではネルハも納得づくで行動したからそれで良いって言っていた。地球生まれの方もありがとうありがとうって、割と人懐っこい笑顔でな、俺も何度か会ったんだが良い子だった。それがなぁ……祝勝会の時から急に変わっちまったんだと」
ゴルドーはため息をつくように俯いた。
「ほう……?」
「みんなが馬鹿騒ぎしてるのによ、地球生まれは次第に思いつめたような顔になっていった。それでネルハがどうしたの、と尋ねた。そうしたら妙なことを言い出した。すぐに家族を連れて逃げて、だとよ」
「逃げる? どこへ?」
電志は意味が分からず問いかけた。
「逃げる、なんて地球生まれ独特の発想だよな。俺達はこの通り、どこにも逃げる先が無い」
「だよな。仮に小型艇で
地球生まれと【アイギス】生まれでは決定的に感覚が異なる。
地球生まれには宇宙のことを便宜的に『そら』と呼ぶ者がいる。
しかし【アイギス】生まれにとって、宇宙は『そと』だ。
建造物の中にいるか外にいるか、そうした感覚しかない。
逆に、【アイギス】が便宜上用いているのは『星空』である。
空という感覚は無いが、宇宙を景色として捉える時はとりあえず星空と呼んでいるだけ。
「ネルハはよく分からなくて、どうしてそんなことを言っているのか聞き出そうとしたんだが……言えない、の一点張りだったそうだ」
「謎な反応だな。はぐらかすでもなく、言えない、か」
「うむ。だから嘘をついているにしては……ってことでネルハが俺に言ってきたんだよ。しかもそれからは地球生まれが口もきいてくれないし、避けられてるんだってよ」
「いったいなんなんだ……」
祝勝会という楽しい雰囲気で、何故か思いつめて。
すぐに家族を連れて逃げろと言う。
理由は言えない……か。
「まったく、よく分かんねーよ、子供の考えてることは」
「俺たちも大して年の差は無いんだが……」
「中学生は特に分からねーって話」
「そういや、通ってきた道なのに全然分からないな」
たぶん、渦中にいる時しかその複雑な変化を感じられないのかもしれない。
それだけ中学時代というのは変化が激しいのだ。
電志はふと、周囲の賑わいを眺めた。
汗まみれになって肩を叩き合ったり肩を組んで唄ったり熱心に語り合ったりしている者たちがいる。
何年かしたら、この感覚も忘れてしまうのだろうか。
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