この魚が何を食べるか、いろいろ試してお確かめください。

小さな小さな水族館 <前編>

○o。 エサやりの時間が楽しくなる 。o○


  [死ぬまで飽きないアクアリウム]

        は

  たった1匹の魚で実現できた!?




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 商品名:???(備考:とても珍しい魚です)

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 小さな町にあるその水族館は、もとはといえば、ただの小さな水族館だった。


 小ぢんまりとした館内は、せいぜい十分もあれば、中にあるすべての水槽を、じっくり眺めて回ることができる。そんな小さな水族館は、いつもお客が少なくて、館内を歩いていても、すれ違う人など滅多にいないので、水槽と水槽の間の廊下が細く、狭くても、それで困ることもないような具合だった。

 お客の少ない小さな水族館は、当然のことながら、あんまり儲かってはいなかった。それでも、その水族館の持ち主である館長さんは、少ない儲けをどうにかこうにかやりくりして、たった一人で水族館を経営していた。お客があんまり来なくても、お金があんまり儲からなくても、その水族館は、館長さんにとって、とても大事なものだったのだ。


 ところが、ある年から、小さな水族館のある小さな町は、土地の税金がみるみる値上がりし始めた。

 小さな水族館は、小さな土地の上に建っていたけれど、その土地の税金さえも、館長さんは、あっという間に支払うことができなくなった。それで、館長さんは仕方なく、水族館が建っている土地の半分を手放して、小さな水族館は、それまでの半分の大きさになってしまった。

 さらにそれからも、その小さな町で、土地の税金は値上がりし続けた。

 税金が支払えなくなるたびに、館長さんは、水族館の建っている土地を、また半分、またその半分と、手放さなければならなかった。


 そうして小さな水族館は、しまいには、信じられないくらい小さな小さな水族館になってしまった。

 残ったわずかな土地に、なんとか置くことができたのは、深い風呂桶ほどの大きさしかない水槽が、たった一つだけだった。



          +



「さて、まいったぞ。たった一つのこの水槽に、いったい、どんな魚を入れたらいいんだろう?」

 長い休館日のさなか。からっぽの水槽を前にして、館長さんは、腕組みしながら悩んでいた。

 目の前にある水槽の広さは、足を伸ばして入れる風呂桶くらい。水槽の高さは、館長さんが子どもを肩車したくらい。そんな四角い縦長の水槽を、見上げたり、見下ろしたりして、館長さんは「うーん」と唸る。

「この水槽じゃあ、大きな魚を悠々と泳がせることはできないな。かといって、小さな魚をめいっぱい、入るだけこの水槽に入れたところで……」

 たとえば、色とりどりの熱帯魚がたくさん泳ぐ水槽は、それはそれで、きれいな眺めではあるだろう。でも、この小さな小さな水族館に残っている水槽は、これ一つだけ。たった一つの水槽に入れて展示するのが、ただのきれいな熱帯魚というのでは、芸がない。

「きれいな熱帯魚なんて、今までのこの水族館でも、もっと大きな水槽を使って展示してきた。今までよりも小さくなった水槽で、今までよりも少なくなった熱帯魚を見るためだけに、いったいどれだけのお客さんが、この水族館に来てくれる?」

 ひとり言を呟いて、館長さんは溜め息をついた。


 もとから少なかった水族館の入場客は、水族館が小さくなるたび、減って、減って、減り続けていた。これ以上お客が来なくなったら、いよいよ儲けのなくなった水族館の館長さんは、残ったこのわずかな土地を、ぜんぶ手放さなくてはならなくなる。

「やっぱり、ここは、ありきたりの魚じゃだめだ。たった一つ残ったこの水槽には、何か、とびきり珍しい魚を入れよう。お客さんが、その魚を見るためだけに、この水族館に足を運んでくれるような。……そんな魚が、見つかれば」

 けれど、そんな珍しい魚、どこを探せば手に入るだろう。

 魚が手に入るまで、たった一つの水槽が空っぽの、この小さな小さな水族館の入口から、「休館日」の札は外せない。


「ん。待てよ? そういえば」

 館長さんは、そこでふと、あることを思い出した。

「そうだ。もうすぐ、隣町で〈珍しものいち〉が開かれる時期じゃあないか」

 館長さんは、ポン、と手を打った。

 小さな町の隣の町で、毎年この時期に開かれる、珍しもの市。

 それは、その名のとおり、この世の中のありとあらゆる珍しいものが、そこに集められて売り買いされる市場いちばなのだ。

「あそこへ行けば、きっと、見たことも聞いたこともないような、とびきり珍しい魚が手に入るぞ」

 空っぽの水槽を眺める館長さんは、元気を取り戻して、その顔に笑みを浮かべた。


 それから館長さんは、珍しもの市の開かれる日を待って、念入りに水槽の手入れをしながら日々を過ごした。

 この水槽の中を、はたして、どんな魚が泳ぐことになるだろう?

 そのことに思いを馳せつつ、今はまだ空っぽの水槽を見るたびに、館長さんの胸は、不安と期待で膨らんだ。



          +



 そうして、やがて、珍しもの市の開かれる日がやってきた。

 その日、館長さんは朝いちばんの電車に乗って、隣町へと赴いた。それでも市場に着いてみると、まだ早い時間だというのに、そこはもう、たくさんの人々でごった返していた。

 数えきれないテントの下では、たいていの人が見たことも聞いたこともない、この世の中のありとあらゆる珍しいものが、いろいろと並べられて売られていた。

 立ち並ぶテントの間を、ときには人波に押し流され、ときには人波に逆らって、館長さんは進んでいった。

 珍しい食べ物や飲み物。珍しい古道具。珍しい骨董品や美術品。珍しい武器に防具。珍しいおもちゃに本。珍しい毒と薬。

 それらを横目に通り過ぎ、館長さんはへとへとになりながら、やっとの思いで目当ての一角にたどり着いた。


 そこは、市場の中で、珍しい生き物を売っているお店が集まる場所だった。

 獣のにおいがする。かと思えば、そこにあるのは小さなカゴに入れられた、ふさふさの毛で覆われた、虎模様やパンダの模様の毛虫たち。鳥の羽ばたきがした。かと思えば、そこにいるのはぐるりぐるりと木の枝に巻きつく、背中に翼を持った蛇。虫の鳴き声がする。かと思えば、そこにいるのは目を細めて歌うように喉を鳴らす、耳の垂れた赤毛のウサギ――。

「うーん。さすが、珍しもの市だ」

 ひしめくテントの下に広がる、それらの奇妙な光景に、館長さんは感心して声を上げた。

 そのとき。

 どぽん。

 と、水音が響いた。

 館長さんは、はっと音のしたほうへ目をやった。途端、その目にチカリと光が飛び込んだ。それは、陽射しが水槽に反射した光だった。

 館長さんが目をやった先には、たくさんの水槽や、小さなプールや生け簀を並べたお店があった。

 それこそが、館長さんの探していた、珍しい魚を売る魚屋さんだった。テントの下の生け簀の中で、カエルの足を生やしたナマズが、どぽん、と水音を立てて跳ねていた。

 館長さんは、そのテントに歩み寄り、並べられた商品と、商品の横に貼られた説明書きを、一つ一つじっくりと眺め、読んでいく。


 虹色の鱗を持つ小魚は、【水槽の中に、全長20~25センチの虹を、一日一匹につき約10個生み出します。別売りの専用餌を食べさせることで、金色や銀色の混じった虹を生ませることもできます。】――というものらしい。

 一枚の鏡が入った水槽の中にいる、複雑な模様が細かな箇所までまったく同じ魚の群れは、【水槽の中に、この魚1匹を鏡と一緒に入れておくと、翌日には2匹、その翌日には4匹……と、一日経つごとに、魚の数が前日の二倍に増えていきます。 ※ 二枚以上の鏡を合わせ鏡にして水槽に入れることは、絶対におやめください。】――というものらしい。

 水の入っていない、蓋の付いた水槽の中を、羽衣のような長いひれを揺らしながら泳いでいる魚は、【画期的! 今話題の、空中で生きられる『無水魚』。面倒な水質管理も必要なく、水槽のお手入れも簡単。初心者の方にもおすすめです。】――というものらしい。


 そのほかにも、見渡す限り、どれもこれも珍しい魚ばかりである。

 ここで売っている魚をいろいろ集めて展示できれば、水槽がたった一つしかない水族館でも、きっとたくさんのお客を呼ぶことができるに違いない。けれど、いかんせん、珍しもの市で売っている魚は、珍しいぶん、どれもこれも値段の高いものばかりだった。ただでさえ儲けの少ない水族館の館長さんには、珍しもの市の魚を何匹も買うことなんて、できやしないのである。

「まいったな。値段が高いだろうとは思っていたが、ここまで高価なものばかりとは。これじゃあ、持ってきたお金で買える魚は……ううむ、一匹だけだ」

 財布の中身を確かめながら、館長さんは呟いた。

 この中から、どれか一匹。

 たった一つの水槽に展示する、たった一匹の魚を、選ばなければならない。

 できるものなら、たった一匹だけでも、水族館に末永くたくさんのお客を呼んでくれるような、そんな魚を――。


「ん? これは……」

 迷いつつ歩いていた館長さんは、そこでふと、一匹の魚に目を留めた。

 その魚は、水槽ではなく、小さな金魚鉢に入った、赤い金魚だった。

 館長さんは、金魚鉢の前で立ち止まり、赤い金魚をしげしげと眺める。それは、姿も、泳ぎ方も、まったくもって普通の金魚だった。変ったところなど、何ひとつ見当たらない。金魚鉢のそばを探してみたが、その金魚についての説明書きも、特に書かれてはいなかった。

 どう見ても、珍しくもない、単なる金魚。

 しかし、値札の値段は、単なる金魚に付けられるような値ではなかった。

 そして、ここは珍しもの市である。珍しくもないものなんて、ここで売られているはずがない。

「もしかしたら、一見なんの変哲もないこの金魚が、意外な掘り出し物だったりするのかもしれない……」

 館長さんは、そのように考えて、じっと金魚を見つめた。

 金魚もまた、ガラスの鉢の中から、じっと館長さんを見つめ返した。


 買うべきか、買わざるべきか。

 この金魚のように、いっさいの説明書きもなく売られている品は、珍しもの市ではときどき見かける。店の人に聞いてみても、たいてい、その正体はわからない。店の人は、それがどんなものか知っていて、あえて教えてくれないこともあるし、あるいは店の人にさえ、その品がどんなものだかわからないこともあるという。

 だから、珍しもの市で説明書きのない品を買うのは、運試しのクジのようなものだ。

 その品は、珍しいことは珍しくても、値段のわりにはさほど珍しくないものかもしれないし、たとえものすごく珍しいものであったとしても、扱い方のわからないその品を、買って帰ったはいいものの、扱い方を間違えて、それを壊したり死なせたりしてしまうことだって、あるかもしれない。


 買うべきか。買わざるべきか。

 長い時間、館長さんは、金魚鉢の前に突っ立って、赤い金魚を睨み、悩み続けた。

 その間、ガラスの向こうにいる金魚のほうも、館長さんのことを、ずっと見つめ続けていた。

 そのうちに、館長さんは、自分と向き合っている金魚の目が、なんだか、こちらに語りかけているかのように思えてきた。

〈幸運なお客さん、よくわたしに気づいたね。さあ、わたしを買っていっておくれ。きっと、後悔はさせないよ……〉

 そんなふうに言われている気がして、いったんそんな気がし始めると、その金魚がいったいどんな「珍しい品」なのか、知りたくて知りたくて、仕方がなくなってしまった。

 これも、縁というやつか。

 そう思い、館長さんは、指先でガラスの金魚鉢をちょんとつついた。そして、金魚鉢の中からこっちを見ている金魚に向かって、にっこり笑いかけたのだった。


「どこにでもいそうな金魚さん。小さな小さな水族館の、たった一つの水槽には、君が入ってくれるかな?」

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