誰かの歪な贈り物
時俊(ときとし)
1 死の宣告という名のプレゼント
悲嘆にくれた僕の前で、親友の遺族が泣き崩れながら電報を読み上げるその声が、葬儀場内に虚しく響いている。
外は暗く静まり返り、冬の空に雨音だけが静かに流れていた。
「どうして、飛田先輩が――」
「いくらなんでも早すぎる、働き過ぎだったんじゃないか――」
周りからする同僚たちの沈んだ声が、遠くに感じる。
出世を約束され、みんなから慕われていた僕の親友、
プロジェクトの打ち上げから二週間が経ち、あの時の楽しかった酒の席は今、悲痛な宴へと変わっていた。
打ち上げの帰り道、二週間前にされた死の宣告が、本当に起こるとは思いもしなかった。
世界からまるで色が失われたような、何とも言えない底知れぬ絶望感が、僕を襲う。
次は僕の番だ。
僕、
二週間前の週末、僕は会社の同僚たちと、祝賀会に集まっていた。
「よし、みんなそろったことだし、そろそろ始めるか!」
賢治はそう言うと、宴会の幹事に目配せする。
「みなさんお酒は手元にわたりましたか? いいですか?」
「それではいきますよ! プロジェクト大成功おめでとうございました! みんなでかんぱーい!」
宴会の幹事はそう言って、高々とビールの入ったグラスを掲げた。
「「カンパーイ!」」
駅近の居酒屋を貸し切って、会社の打ち上げ会が始まった。
「飛田先輩、昇進おめでとうございます!」
「この宴会は先輩の昇進祝いも兼ねてますからね!」
隣の席に座る賢治は、後輩達に注がれたビールをぐいっと飲み干す。
「ありがとうよ! これで晴れて三月からは部長になるわけだ、これからも俺に任せとけ!」
賢治は豪快に笑いながら後輩達と話す。
明るく誰とでもすぐに打ち解けられる人柄や、面倒見が良いから、人望も厚い。後輩達が頼っている姿を上司も見るわけで、気配りも出来るから、大概の上司からも信頼されていた。
「何をしけた面して飲んでるんだ?」
そう言って賢治は僕のグラスにビールを注ぐ。
「隣の暑苦しいやつが喧しいから困ってた」
注がれたビールをぐいっと飲み干し、僕は吐き捨てるように言う。
「そう言うなよ、まったく宗一郎は素直じゃないね」
そう言いながら、賢治は空になった自分のグラスを、僕に向ける。
僕はため息をつきながら、賢治のグラスにビールを注いでやる。
賢治はそんな様子を気にも留めていないようで、僕に注がれたビールを手に取る。
「お前は相変わらずつれない奴だな」
グラスに入ったビールを一気に飲み干すと、そう言って賢治は豪快に笑う。
「今回のプロジェクトはお前のおかげでもあるんだぜ?」
言いながら、同僚一人一人を見渡すその顔は、どこか満足げだった。
賢治は視線を手に持った空のグラスに落とし、ぽつりとつぶやいた。
「本当言うとな、今回のプロジェクト、上層部からぼろくそに言われてたんだ、利益が出ないとかで」
会社の上層部は保守的すぎて嫌気がさすと、賢治はよく言っていた。
そういう方面からは賢治のアグレッシブさは嫌われているのだろう。
「そもそも、お前さんがそこらの上層部抑えてくれたから、話がすんなり進んだんだ」
僕は逆に、自分で言うのもあれだが、そいつ等からは好かれていた。
まじめで言われたことを無難にこなす、何でも言われた通りに行う都合の良い人間、上層部はそんな評価を勝手にしていたらしい。
賢治は腕を組みブスッとした顔をして、次長の声真似をする。
「笹塚君を、プロジェクトの補佐として付けるなら、推し進めてもらっても構わん」
たいして似てもいないものまねに、お酒が入っているせいか、思わず吹き出してしまった。
かくして、僕はこのプロジェクトの監視役を押し付けられた。上層部はもし賢治が暴走した時、それを止める役目に僕を選んだのだろうけど。
「それにしてもあいつら! あいつらも、何を勘違いしていたんだかなぁ!」
賢治はこらえきれずに声を出して、笑いだした。
それと同時に自分のグラスを僕に向ける。
賢治のグラスにビールを注いでやると、満足げに話を続けた。
「俺たちは高校からの親友だっていうのに、こっちとしては、やり易くてしょうがなかったぜ」
全くその通りだ。
賢治は周囲を見渡して舵を取るのがうまい。そのことがわかっている以上僕は、正直何もしなくていいのだ。全く問題ない、むしろ余計な事をして場の状態を壊して仕事を止めるほうがだめだ。
だから上層部には適当に報告だけしておけば良かった。
「笹塚先輩、あの、お疲れ様です」
ふと気が付くと横に後輩がいてお酒を注ごうとしている。
僕は自分のグラスを一気にあおり、空にして、後輩にグラスを向ける。
後輩は目が合うとビクッとして、引きつった笑顔をこちらに向ける。
「あぁ、ありがとう」
僕の空になったグラスにぎこちなくお酒を注ぐと後輩は逃げるように去っていった。
僕は一つため息をついて、注がれたビールを見ていた。
「まぁ、お目付け役っていうのは、このプロジェクトチーム内でも分かっていたから、皆にはこの嫌われようだけどな」
ぽつりとつぶやく。
「なーにいってんだ、お前さんのおかげだってみんなも分ってるよ」
相変わらず豪快に笑う賢治につられて僕も少し笑ってしまう。
賢治には人を楽しませる不思議な力があるように感じた。
そんなこんなで打ち上げは終わり、店を出て二次会組と帰る組に分かれていた。
「飛田先輩二次会行きましょうよー」
帰る組は僕と賢治だけのようだった。
僕は場の雰囲気を壊しかねないから、行かないのは良いとして、賢治が行かないのは意外だった。
「いや、今日は帰ってやることがあるからな、すまないがみんなで楽しんでくれ」
そう言ってみんなを見送る。
二月も半ば、星の輝く夜の外は一層寒さを増している。
駅前の騒がしさもどこか少し寂しそうに感じた。
「じゃぁ僕も帰るよ賢治、また月曜会社でな」
別れを告げて駅のほうに向かおうとした時、肩をぐっとつかまれた。
「宗一郎、ちょっと付き合え、」
振り向くと、さっきまでの酔っぱらって豪快に笑っていた賢治は、そこにいなかった。いつものまっすぐな瞳をこっちに向けている。
「一緒に来てほしいとこがある、と言うか拒否権はない」
仕事をしているときの賢治の顔だ。
今、この状況を逃がさない、とでもいうかのように目の奥が燃えている。
こうなった賢治に、何を言っても無駄なのは昔から分かっていたので、僕は連れられるままに足を進める。
「どこまで行くんだよ賢治」
駅前の飲み屋街から離れ、夜の静かさが増す道を歩く。
打ち上げをしていたところから歩くこと数十分、賢治はやっと足を止める。
そこまで大量に飲んでいたわけではないが、日頃の疲れもあったのか、お酒が入った体ではさすがに軽くふらふらする。
「ここだ、着いたぞ、ここに入るぞ」
賢治の指さす先を見て、一気に酔いがさめる。
古い木造家屋に、小さめの暖簾が出され、いかにも落ち着いた雰囲気が醸し出されている。
そこにはどう見ても、お高い料亭が見えた。一般サラリーマンが行くようなお店には、どう見てもみえない。
「なぁ、賢治、おいちょっと待ってくれよ、そんなにお金持ってないぞ」
僕の返事に、賢治は一瞬固まったが、飲み会の時と同じように豪快に笑い出した。
「まぁ、お金の心配はどう考えても、要らねぇよ、いいからついてこいって」
そう言うと立ち尽くす僕を置いて、お店に入って行ってしまった。
僕は仕方なくついていく、池のある中庭をぐるりと回る様、縁側を女将さんに通されて、少し広めの和室に案内されると、部屋の奥から聞きなれた声が聞こえた。
「遅いよ二人とも、いつまで待たせればいいと思ってるの?」
「これはこれは、社長令嬢殿、大変お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」
賢治はそういうと声のするほうに、頭を深々と下げる。
「そうよ私は社長令嬢なのよ?待たせるだなんて考えられないわ」
そういいながら彼女は上品に笑い出す。
「千川さん、久しぶり」
目を部屋の奥に移すと、
僕と賢治と千川さんの三人は高校からの付き合いだった。
何か月ぶりかに見た彼女は、相変わらずきれいで、目が合うだけで胸の鼓動が早くなる。
雪のように白い肌、その肌を際立たせるようにさらっとした黒い髪が腰まで伸びる。大きく胸元の空いた女性用スーツが、はち切れんばかりの我儘な胸を主張している。目は釣り目で、笑うと少しえくぼができて、春の日差しようにとても温かく優しく笑う。普段から明るく、気さくにかけるその声は、さながら春の清流ような麗らかさ。僕らの会社の社長令嬢、千川財団社長令嬢がそこにいた。
前髪をかきあげると、少し怒ったように、ジトッとこちらを見る。
ただこちらを見ただけなのかもしれないけれど、彼女の美しい顔立ちからか、睨まれたように錯覚してしまう。
僕は千川さんと目が合った時に、ビクッとした反応をしてしまった。
彼女はそのことに気が付いたのか、こっちにやんわりとした笑顔を向ける。
「宗ちゃん、賢ちゃん久しぶり、茶番はやめにして、二次会しましょ?」
無事終えたプロジェクトで、影の立役者と言えばこの人だ。
上層部のうるさい連中を文字道理に力でねじ伏せて、介入させ無くした本人だ。
パパに言って条件付きだったけど、このプロジェクトへの介入をやめさせた。
その一言ですべて丸く収まってしまうのだから。
その代わり、条件の監視役として僕がプロジェクトにつけられたわけだが。
そもそも条件になっていたのだろうかこれは?
「このたびはありがとうございました、社長令嬢殿」
僕の疑問をよそに、笑いながら賢治が茶化すように言う。
「私が悪かったわよ、その呼び方やめて賢ちゃん」
「いやいや、社長令嬢のお力添え無くして、このプロジェクトは――」
悪乗りした賢治を千川さんは冷たく睨む。
僕も、賢治をめんどくさそうに見る。
千川さんは何かを思いついたように、ハッとする。
「ふーん、じゃぁ今度! 私へのお礼として、手料理の試食をお願いしようかしら?」
千川さんはそういうとにやりと笑った。
「もちろん、私の作った手料理の試食会ね!」
一瞬にして、血の気が引いていく。
それは賢治も同じだったようで、両手を手を前に出して、頭と一緒にすごい勢いで振り出した。
「め、めめめめ、めっそうもございません!」
「賢治、謝れ! 今すぐ謝れ!」
千川さんは、悲しいことに、料理の腕が致命的だった。
「……もう、二人して、そこまで言うことないじゃない」
千川さんは軽くほほを染めて目をそらす。そのしぐさが何とも可愛いかった。
「でもすごいわね」
千川さんはこっちに向き直るといつものように優しく微笑む。
「本当にプロジェクトを成功させたんだもの!」
全く賢治も人が悪い。
「千川さんと飲むなら、飲むと言ってくれればいいのに」
僕は誰に言うわけでもなく、ぽつりとこぼす。
そんな僕を賢治はニヤッと笑う。
「いやいや、お前さんそれ言ったら来ないだろ」
賢治は、はにかみながら席に向かう。
それはそうだ。
賢治は千川さんに好意を持っていて、千川さんも賢治のことが好きなのだ。
こんなの邪魔してるだけじゃないか、と思いながらも用意された席に腰を下ろす。
賢治は互いにお猪口をもったのを確認して、乾杯の音頭を取る。
「それじゃぁ改めて、プロジェクトの――、」
賢治は言いながら首を傾げた。
僕と千川さんをちらっと見てから、少し照れくさそうに鼻を触る。
「……そうじゃないな」
軽く頭を振ってから、改めてお猪口を掲げた。
「親友三人の再会を祝して乾杯!」
こうして高校以来の親友である、僕ら三人の二次会は始まった。
「まったく、パパったらね、今日出かけるときもうるさかったのよ」
すっかり出来上がった千川さんは楽しそうにお酒を飲んでいる。
途中でまた、手料理の話が出た時は、僕と賢治で、全力で話題をそらしたりもした。
千川さんのお酒で上気した頬も、少し着崩れた服装も何とも色っぽい。
僕が目で追っていると、隣で僕に賢治がひそひそと声をかける。
「今日、お前さんに来てもらいたかったのは実は、こういうわけなんだ」
何か冷たい表情でこっちを見る。
賢治のその瞳にはいいのか? と僕に疑問を投げかけているようにも思えた。
「お酒が進んでいるときに言うのもなんだが」
賢治はその場で正座して、千川さんに向き直る。何か決意した様に、大きく深呼吸する。
その様を見て、僕は心に針を刺されたような、痛みを感じた。
「麗子、結婚しよう」
静かになった部屋に千川さんのお猪口を置く音が響く。
その様子を見ていると、やっぱり、僕は来なくて良かったんじゃないか? そんな考えが頭に浮かぶ。
三人は高校からの付き合いで、賢治が千川さんを好きなのも知っていて、千川さんは、前に賢治が好きだと言ってたし、二人ならお似合いだ。
何かを正当化させるように、頭に言い訳が浮ぶ。
正直言って僕の入る隙間もないと思う。
「何よ賢ちゃん、酔っぱらっちゃった?」
千川さんは茶化すように笑う。
でもそう笑う千川さんの瞳は、どこか冷たさを帯びていた。
これ以上は何も言わないで、とでもいうような、冷たい瞳の笑顔だった。
「いや、大まじめだ、俺、いや私、飛田賢治は、千川麗子に結婚を申し込む」
ひんやりと静かになる空気、中庭にある鹿威しの乾いた音が響く。
そんな静寂を破ったのは千川さんだった。
手に持っていたお猪口を静かに下ろす。
「賢ちゃん、本気なの? 本当に千川財団令嬢、千川麗子に求婚してるの?」
千川さんはさっきまでの酔っぱらいの顔ではなく、いつになく真剣な表情をしていた。
賢治も真っすぐ見据え続ける。
「あぁ、本気だ。ただ、高校からの親友、千川麗子に求婚している」
あぁ。賢治はこういう男だ。
社長令嬢だとか、財団の跡取り娘とかそいうんじゃない、真っすぐとその人を見据えているんだ。
千川さんは視線を落とし、一つ小さく息を吐いてから冷たく話す。
「一人の女性として、宗ちゃんと賢ちゃんはとっても魅力的で、結婚するなら、二人だと思う、……けど、」
下ろしていたお猪口を手に持ち直して、千川さんはお酒を飲み干す。
しばらく間をあけて、何かをあきらめたように冷たくほほ笑む。
「千川財団社長令嬢として、今その話は受けられない、」
「まってくれ、麗子俺は――」
「賢ちゃん、その話はやめましょう、今日は親友三人で飲んでいるのよ?」
千川さんは僕のほうを見て、潤んだ瞳でにっこりと笑う。
どこか寂しそうに、その瞳は何かを伝えようとしているようにも見える。
僕は自分でも気が付かないうちに声が出ていた。
「千川さん、本当は――」
「宗ちゃんは!」
僕の言葉を遮るように、言葉をかぶせる。
僕は続く言葉を飲み込んだ。
千川さんの目にはうっすらと涙が浮かぶ。
「宗ちゃんは、優しすぎるのよ、誰に対しても、周りに対しても、ね」
鹿威しがまた乾いた音を立てる。
僕は千川さんから視線をそらし賢治を見る。
賢治は一つ深いため息をつくと、軽く頭を振る。
「わかった、この話は無しだ、ただ一つだけ言わせてくれ」
賢治は千川さんに改めて向かいなおすと真っすぐ見据えて続ける。
「俺は、俺は絶対あきらめないからな」
相変わらず豪快な男である。
真っすぐで、誠実で、豪快で、自分の信念に対して突き進む男。
あぁ、とてもかなわないな。
そう思うと、僕は思わず吹き出して笑ってしまった。
それにつられて2人も笑いあった。
でも二人の笑顔は、どこか寂しげだった。
しばらくしてお開きになり、賢治と二人で冬の寒空を歩いていた。
「くそう、脈はあると思うんだけどなぁ」
ぽつりと賢治がこぼす。
まぁ、脈はあるだろうよ。
ただ、彼女は、自分の事を一番に考えられない人だからな。
心のどこかで何かが引っ掛かる。
「賢治には頭が上がんないよ全く、いきなり言い出すんだもんな」
千川さんの寂しそうな笑顔が頭に浮かぶ、あの瞳はいったい何だったのだろうか。
「いつか籠から、出してやりたいんだ」
千川さんが優しすぎると言っていたのは、僕じゃなくて賢治のほうじゃないのか、これだけ良い奴はそうそういないと思う、僕が女なら速攻で惚れてそうだ。
ふとそんなことを考えて、少し先を歩く賢治の後ろ姿を見ていた。
賢治は急に立ち止まり、唐突に気の抜けた声を上げた。
「おい、宗一郎、お前あれが、みえるか?」
呆然と立ち止まり空を見上げている賢治、つられて顔を上げると、賢治の見ている先には何とも不思議なものがいた。
「天使?」
白い布を纏い、背中から羽が生えていて、ブロンドの肩まで伸びたツインテールの髪、頭の上には輪っかまである。
右手に弓を持っていて、首には何か名簿のようなものをかけていて、見た目は小学生低学年くらいの女の子がふわふわと漂っていた。
「いやいや、そんな馬鹿なものがあるわけないでしょう、賢治さん」
僕は見なかったことにして歩き出そうとした。
酔いが回ったのだ。きっとそうだ。そうに違いない、飲み屋のはしごだなんて何か月ぶりだって話だしね。
「いや、お前今、天使って言ったじゃねぇか、見えてるんだろお前にも」
横を通り過ぎろうとした僕の肩を、賢治はがっつりとつかんで離さない。
こいつはわくわくしているようで、新しい遊びを見つけた小学生の様に目が輝いていた。
「いあいあ、酒飲み過ぎたんだろ、普段から飲んでないからきっと酔いが回り過ぎたんだって」
そうこう話しているうちに、ふわふわ漂っていた見た目天使は、ゆっくりとこっちに向かってきていた。天使のような物体は僕らの目の前まで来ると、驚いたことに話しかけてきた。
「冥土おおきに、ちゃった。まいどおおきに、冥土のアイドル、ラブリーエンジェルギフトのチャミュちゃんでーす!」
開いた口が塞がらないとはまさしくこのことだろう。
目の前をふわふわ漂っている自称天使は、俺と賢治の顔を見比べてにっこり笑いかけてくる。
「賢治、飲み過ぎたんだよ、早く帰ろう」
僕はその物体から目を離さずに賢治に話しかけた。
賢治も自称天使が放った今の一言で、かかわっちゃいけない物と判断したらしく、僕の肩から手を放す。
「あ、あぁ、そうみたいだな、帰ろう、宗一郎」
二人でその物体をよけるようにして、目を合わせないようにお互い視線をそらして歩き出す。
「ちょちょ、ちょっと、お二人さん、私のこと見えてるんでっしゃろ?」
言うや否や、回り込んで僕らの前に現れなおす。
周りを道行く人にはどうやらその物体が見えていないらしく、酔っぱらいが叫んでいる程度に、通り過ぎていく。
「えーっと、あぁ、あった! 飛田賢治はん? でっしゃろ?」
賢治のほうに指さして話を続ける自称天使。
「飛田賢治さん、貴方は二週間後に死にます。よかったですね」
僕ら二人は、自称天使が何を言っているのか理解できずに固まっていた。
何で名前を知っているのだろう? とか、
なんでこんなかっこしてるのだろう? とか、
何で宙に浮いているんだろう? とか、いろいろな考えが頭を駆け巡る。
「もしもし? お二人さん? あれ? 固まってらっしゃる?」
人間、わからないことがいっぺんに起こると無かったことにするようだ。
僕は一つため息をついてから、賢治に改めて言う。
「賢治、酒飲み過ぎたんだろ、とりあえずもう帰ろう」
それはどうやら賢治も同じだったようで、やれやれとため息をつく。
「どうやら、飲み過ぎちまったみたいだ、かえろう宗一郎」
「ちょっと、まってーな、話をちゃんと聞いてーな」
天使は過去ろうとする僕らを止めると話を続ける。
「改めて言わせていただきます。飛田賢治さんあなたは二週間後に死にます」
漂う自称天使は悪びれた様子もなく話す。
「二週間後には冥土の世界にご紹介ですよ、よかったですねー」
全く悪い冗談だ。
今日の賢治は、厄日か何かか?
告白してふられた後に、謎の生物に死の宣告されるなんて。
「あっと、そうそう、笹塚宗一郎はん、貴方にも見えてるってことはあなたもいずれ死にます。近いうちでっせ」
「え?」
僕は急に自分の名前を呼ばれて、間の抜けた返事をしてしまう。あっけにとられていると、自称天使は持っている名簿をぺらぺらとめくっていく。そもそも何で僕らの名前がわかるんですか? とは、今は聞けそうにない。
「あぁ、ありましたよ、えーっと、あぁ、死ぬまで結構ありますね、あなたは賢治さんの後に約一か月余生がありますね」
隣にいる賢治は急に笑い出した。
どうやら賢治のキャパシティーを超えたらしい。
「こんな、ちんちくりんな、白饅頭みたいなのに死にますよ。って言われて信じられるかよ!」
賢治はあきれたように首を振ってから歩き出す。
「お、おい賢治」
僕は歩いていく賢治を目で追う。
自称天使は気怠そうに、ため息をついて話を続ける。
「まぁ、信じてもらわなくても結構ですけども、冥土はすべて受け入れますから、安心ですね」
「宗一郎行くぞ」
賢治が低い声で、少し前を言ったところからこっちを振り返り、僕を呼ぶ。
「あ、あぁ、待ってくれよ」
僕は小走りに賢治のほうに向かった。
その後はお互い振り返らずに、家に帰るまで口数も少なかった。
この時少しでも真に受けていれば、賢治は死ななかったのだろうか?
心に穴が開いたようだ。ふらふらする足を無理やり動かし、葬儀場から外に出る。
外の雨は雪に変わり、僕の差しているビニール傘に所々白い点を作る。
僕は、目の前の深く暗い道を力なくゆっくりと歩いた。
「……賢治、……本当に行ってしまったのね」
ぽつりと、涙を含んだ冷たい声が聞こえる。
僕の行く道に、千川さんは目に涙を浮かべ、肩を震わせ、手を握りしめている。
「……宗ちゃん」
押しつぶされそうな声に向けて、傘を差しだす。
千川さんは僕の胸に飛び込んで、声にならない声で泣いていた。
胸で泣く彼女の冷たさが、どれだけこの寒空にいたかを教えていた。
心に穴の開いたような感覚が、僕を襲う。
僕の親友である賢治は死んでしまったのだと。
僕は賢治に会う前と同じように、また取り残されてしまったのだと。
千川さんのすすり泣く声が、僕にその事実を伝えていた。
しばらくして、だいぶ落ち着いた千川さんと別れ、どうにかこうにか家に帰る。
服を投げ捨てるようにして脱いで、部屋着に着替え、力なく椅子に座る。
「あの天使の言っていた通りだとしたら、僕は一月後に死ぬのか?」
目を閉じると賢治の笑顔や、飲み会でのバカ騒ぎが瞼に浮かぶ。
二次会で見せた、賢治のどことなく寂しそうな顔。
千川さんの温かくて優しい笑顔や、時折見せる寂しい瞳。
三人一緒に過ごした、高校、大学時代や、社会人になってからの思い出が、頭に浮かんでは消えていく。
心が屈折してく、このやるせない感覚は前にも一度経験している。
”ピンポーン”
遠くで玄関の呼び鈴がなる。
出る気力くも無く、居留守を使うことに決め込んで、僕は天井をぼーっと眺めていた。
「あのー、もしもし? ほおけているところ申し訳なんですけど」
声に驚き、椅子から飛び起き声の主を確認する。
そこにはあの時の、自称天使がふわふわと宙に浮いていた。
「冥土のアイドル、まいどおおきに、ラブリーエンジェルギフト! チャミュちゃんでーす」
うんざりするほど明るい声に、思い出にふけっていた頭が冷たく引き戻される。
僕の睨むような視線で満足したのか、自称天使はにっこりと笑いながら話を続ける。
心がざわつく。
前に言っていた通りなら、目の前に浮かぶこいつは天使ではなく死神なのではないか?
「飛田賢治さんは、冥土の世界にいらっしゃいました。というわけでー」
チャミュと名乗る天使は、肩から掛けてある回覧板のような名簿を確認してからこちらを指さし、満足げにほほ笑む。
「改めまして、笹塚宗一郎はん? 本当はこのお知らせ、二週間前なんですけど、こないだ貴方には会っていますし、特別サービスで教えて差し上げます! 笹塚宗一郎は一か月後に死にます。よかったですね」
自称天使の発言に、僕は今まで疑問に思っていたことをぶちまける。
意外なことに、言葉はすらすら出てきた。
「ちょっと待ってくれ、僕は本当に一か月後に死ぬのか? どうしたら死なないで済むんだ? もし死んだらあの人たちと同じところに行くのか?」
チャミュは頭を軽く振ってまるでナンセンスとでも言うように手を肩まで上げる。
「質問がいっぺんに多すぎでっせ? そうですね。とりあえず、笹塚宗一郎は一か月後に死にますね」
僕はがっくりと首を垂れる。
言い表せない不安が沸き起こる。
ふらふらと浮く自称天使を心に揺れる怒りに任せ睨みつける。
そんな僕を見て自称天使は悲観した様に、ゆっくりと首を左右に振る。
「あーっと、まぁ、死ぬのは別に悪いことじゃないですよ? まぁ、どのみち? 賢治はんと同じとこに行くかは、わかりませんけどね」
こいつは今何と言った?
死ぬのが別に悪いことじゃない?
その言葉に、僕の心の撃鉄が起こされた。
「死ぬのが、死ぬのが悪いことじゃないって、どういう意味だよ」
自称天使に食って掛かった。
「ふざけるなよ! 残された人の気持ちが! どれほどの心の喪失があるか! お前に! お前なんかに分かるものか!」
いきなり現れたこんな奴の一言で、僕の人生が決められてしまっていいはずがない!
頭の中に、どす黒い憎悪が駆け巡る。
ふざけるな。
残された人間の痛みを知れ。
「それは人それぞれでっせ? そもそも人はいずれ死ぬのです。まぁ、後は死なない可能性ですが、ひとまず言わせていただくと、笹塚宗一郎さんは一か月後には100%死にますね」
そんな僕の心情を、知ってか知らずか、自称天使は名簿を確認して、ふんふん頷きながら何かを書き足していく。
「まぁー、余生を何かに注いでもいいと思いますよ? 普段しないこととか? どうせ一か月ですし、いろいろ思い残さないようにやってみれば良いんじゃないですか?」
肩が震えているのがわかる。
自称天使が話を終えると、静かな部屋に響く時計の音がうるさく聞こえる。
こんな一言で、目の前に浮かぶ自称天使に、僕の未来は決められてしまったのだろうか?
「まぁまぁ、私はほかにも行くところがありますので、それでは、さようなら」
そう言うと、自称天使は頭を深々と下げてから、壁をすり抜けて部屋を出ていった。
自称天使の去った一人の部屋で、耳に触る針の音が、お前の残り時間はわずかなのだと教えているようだ。
乾いた笑い声がする。
それが自分のものだとすら気が付かなかった。
「一か月? たったの一か月なのか? 僕の命は」
改めて口にすると、心が締め付けられる。
椅子に崩れ落ちるように座り、自称天使があられる前と同じように、天井をただ愕然と見ていた。
時を刻む音が妙に響くこの空間で自覚する。
僕、笹塚宗一郎は、一か月後に死ぬのだ。
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