そいつはただ、一人ぼっちだっただけさ

Side A

6月3日(金)

 今日は何だか早く目が覚めてしまった。ゆっくりと朝の時間を過ごしたはずだが、結局いつもより早めに校門をくぐることになった。

 そして、下駄箱を開けると、なんと手紙が入っていた。


     昼休み、あなたの部室で待ってます。

                     朝比奈みくる


 こ、これは…… だが、この前の出来事を考えるとな…… しばらくの間、精神がどこかへ飛んでいたようだ。校門の方から、獣の雄叫びの様なものが聞こえて我に返った。ぼーっとしてたら他の生徒に迷惑だったな。早く教室に行こう。


 そして昼休み、俺は文芸部室へ向かった。だって、気になるじゃないか。

 ドアを開けると、一人の女性が立っていた。白いブラウスに黒のミニタイトスカートを履いている髪の長いシルエット。

「キョン君…… 久しぶり」

 朝比奈さん、か? いや、なんだか違う。すごく大人っぽくて、美人だ。

「私は、もっと未来からやってきました。今この学校に居る朝比奈みくるよりも、っていう意味でね」

 な、なるほど。そういうことなら、確かに。

「ふふ、口がパクパクしてる。何か言いたいの?」

「そ、それは、その……」

 余計にあたふたしてしまった。


「キョン君にどうしても伝えたいことがあって、ここに来ました。長門さんには、お願いして外してもらっています」

「なるほど…… そういうことか……」

 すると、朝比奈さんの目には少し光が…… まさか、涙、か……?

「キョン君。この数か月にあなたの周りに起こったこと。これは紛れもなく世界の中心でした。ここを基点にあらゆるものが動き出したの。でも、そんなことは今のあなたには関係ない。あなたは、よく頑張っています。本当よ」


 ……やめて、くださいよ…… そんな、ことを言われたら、おれは……


「うん。大丈夫。私は気にしない。いいえ、あなたが感情を出してくれるのは、とても嬉しい」


 ……ちょっと、……待って……



 それから、しばらく朝比奈さんは黙っていた。


「大丈夫かな? 話しても。……うん。そして、ここから先は、私達にも、そして誰にも分からない。あなたが動けば、そして世界が動けば、未来だけじゃなく過去も変わる。そして、その果てには過去も未来も区別がつかなくなる。そこで、いえ、どんな所でも、あなたたちは、思う通りに行けばいい。私には何の力も無いけど、責任は私が取ります。こういえばきっと1%くらいは背負えるわ」

 いったい、何を言ってるんですか?

「そうね。私がここに居るのは、涼宮さん、佐々木さんが居たからだけど、あなたが居なかったら私も居ない。そんなところね」

 どこかで、そんなことを……

「ただ、一つだけ覚えておいてほしい。そして思い出してほしいことがあるの」

「何です?」

「『ジュディ・アボット』。解りますか?」

「! はい、分かります」

「だったら大丈夫。私の役目は終わりです」

「……そ、そうなんですか」

「これ以上いると、帰れなくなりそうだから、もうここで終わりにします。えーと、またね!」

 そう言って朝比奈さんは部屋から出て行ってしまった。


―――――


 その後、俺が自宅に戻った時、唐突に古泉が現れた。

「こんにちは」

「どうしたんだ?」

「いつぞやの約束を果たそうと思いまして、帰りを待たせてもらいました。少しばかりお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「涼宮ハルヒ関係か? それとも……」

「両方ですよ」

「わかった」

 古泉は手を上げる。するとタクシーが止まった。俺はそれに乗り込んだ。もう何処へでも行ってしまえる気分なんだ。


「えらく、いいタイミングでタクシーが止まるもんだな」

 古泉は、微笑みながら語り出した。

「この間、超能力者なら証拠をみせろ、とおっしゃったでしょう? 丁度いい機会が到来したものですから、お付き合い願おうと思いまして」

「わざわざ遠出する必要があるのか?」

「僕が超能力的な力を発揮するためには、とある場所、とある条件下でないと…… 今日これから向かう場所が良い具合に条件を満たしている、というわけです」

「まだ、ハルヒが神様だとか思ってるのか? ことによるとあいつも」

 古泉は窓から外を眺めながら言う。

「人間原理、という言葉をご存知ですか?」

「ご存じで……ある」

 古泉は俺を見た。

「ほう。それはまた。どこでそのような知識を?」

「知り合いに、恐ろしく物知りな奴がいてな…… そいつと話しているうちに、いろいろと俺も知識が増えていっちまった。ただ、ちゃんと理解しているとは思ってないけどな」

「では、人間原理についてあなたの考えを聞かせてもらえませんか?」

 今度は、俺が窓から外を見て言った。

「この宇宙が存在しているのは、人間がそれを観測して、いろいろな事を発見しているからだ。なんて話だったと思う」

「まさに、僕の言いたいことは、それですよ」

「その辺の事を、記憶を頼りに再生するとこんな感じだな



 そんな馬鹿な。宇宙がもともとあったなら、ずっと存在しているはずだろ? 人間がいようがいまいが、関係ないと思うぜ。


「まあ、それはそうなんだけどね。人間は自然を探求することで技術を進歩させてきたと思うんだ。そしてそれは、人の思想みたいなものにも影響を与えてきた」


 まあそうだろうな。


「人が自然を探求する際に行ってきたことは、何よりもまず、『はかる』ということなんだよ」


 ふうん。


「距離をはかるために、定規や物差しを作る。重さをはかるために、天秤なんかを作る。速さや時間をはかるために時計なんかを作る」


 まあ、そりゃそうだな。


「その先には、この世にある見えないものを探る、というところに行き着く。重さはなぜあるのか、その力はなぜあるのか、それを表すにはどうすればいいのか。光はなぜ見えるのか、見えない光は存在するのか、光の量を表すにはどうすればいいのか。音はどうか、色はどうか、匂いはどうか、体が感じる風はどうか、そして人間の心はどうなのか……」


 なんだか、考えが追いつかなくなってきたな。


「実は、話している私もだけどね。えーと、なんだっけ。ああ、それでね、水1Lの重さは1kgなんだけどさ。ずいぶん解りやすいと思ってたんだけど、人間がそう決めたんだってね。そりゃ解りやすいわけだよ。だから、宇宙の観測と人類の進歩は同じ歩みをたどっていて、人間と宇宙はともに認識の範囲を広げているんじゃないか。ってところかな?」


 へえぇ。


「だから、ふと思ったんだけど、この世のいろいろな仕組みを過去の人たちが決めてきたとしたら。それは偉大で立派なことだと思うけどね。もしも、私たちの考えもその仕組みに取り込まれているとしたら」


 うぅん?


「私も、何を言ってるのか良く解らない部分もあるんだけど、私たちの考えが無茶苦茶であっても、はかる基準を決めたのが人間なら、同じ人間の私たちが基準を作っても良いよねってことでさ」


  うぅぬ?


                        まあ、そんな感じだったか」

「それはまた、聡明なお知り合いで」

「それで、そっちの話は?」

「ええ。つまり、その方の言っている事、そのままですよ。涼宮さんにはその基準を、そして、その先の法則や出来事を思いのままに作り出すことが出来る」

「そんな馬鹿な」

「そう断言せざるを得ません。事態はほとんど涼宮さんの思い通りに推移していますから」

「……」

「彼女が宇宙人がいて欲しい、いるに違いないと思ったから、長門有希は存在する。同様に未来人を望み朝比奈みくるがいる。そして、この僕もね。なんとなく、あなたの考えが解りますよ。どうにも氷解しない謎があり、それが思考を妨げている。実は僕もそうなんです。ちょっと整理させてくださいね。僕と僕の所属する『機関』は、ある仮説を立てていました。それは次のようなもの


 涼宮ハルヒという人間には、世界を自分の思い通りにする力がある。

 それは、脅威であり、下手をして彼女の機嫌を損ねれば、世界はまるごと創り変えられてしまう。

 そして、彼女がSF、ファンタジーな世界を望みながらも、そうならないのは、彼女自身が常識的な思考を持ち、それと非常識な願望がせめぎ合っているからだ。

 そんなギリギリの均衡である以上、我々は下手に刺激をするべきでない。じっと見守り、我々の役目を果たすことにのみ注力すべきだ。


こんなところですね。」

「役目ってのは?」

「これから向かう場所で、お目にかけることが出来ると思いますよ。ですがね、最近になって少し妙なことが起こり始めた。それは、あなたのせいだと思っていました」

「俺の?」

「あなたが、妙な考えを吹き込んだから、涼宮さんはSIS弾なるものを立ち上げてしまった。というものです」

「濡れ衣だ」

「そうでもないのです。ですがね、今、あなたという人間が存在するのために、非常に重要な役割を果たした人物がいる。そして、その人物の影響はあなただけにとどまらない。我々すら把握することは困難です。もしかしたら、涼宮ハルヒに匹敵する何かなのか。ことによると、それ以上の何かか。それによって我々の仮説は大きな修正が行われるかもしれません」

「あいつのことは……」

「あ、失礼。着いたようです」

「ん」

 俺達はタクシーを降りた。降りた場所は、多くの人が行き交うスクランブル交差点。横断歩道を渡りながら話す。

「ここまでお連れして言うのもなんですが、今ならまだ引き返せますよ」

「いまさらだな」

「では、ちょっと失礼」

 古泉は俺の手を握った。

「何だ?」

「すみませんが、しばし目を閉じていただけませんか? すぐすみます。ほんの数秒で」

「いいだろう」

 俺は目を閉じ、しばらくそのままにしていた。

「もう結構です」

 そして、俺が目にしたのは、灰色に染まった世界だった。

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