楠秋生

プロローグ

 夕闇が夜に溶けて辺りがぼんやりと薄暗くなる頃、秋の気配を漂わせた涼やかな空気の中を、真由美たちは動き疲れてくたくたになった体で、ゆっくりとおしゃべりしながら歩いていた。


「疲れた~」

「どっか寄って帰ろうよ」


 真新しい制服に心まで引き締まった気がした入学当初。あの頃は一日の練習が終わるともう動けなくなってしまっていたっけ。家に辿り着くのもやっとで、体中がぎしぎしと音をたてるような感覚を覚えながら重い足を運んでいたのがもうずいぶん前のように思う。でも校庭や町の所々に見られる木々が慌ただしく衣替えをするこの頃は、半年の間に蓄えられた体力で練習後に皆で寄り道もできるようになっていた。


「……あ」


 思わず最後尾の真由美の口から微かな声が漏れたのは、薄闇に紛れるように歩く見慣れた顔を見つけたからだ。

 久しぶりに見た端麗な横顔は、俯きがちのせいかひどく思いつめているようにみえる。小さい身体と不釣合いな大人びた表情。


幸也ゆきや!!」


 真由美は考えるよりも先に叫んでいた。そして声が口から出てしまった瞬間、しまった! というように口元に手をやった。

 名を呼ばれた幸也はびくっと身体を打ち震わせて足を止め、ゆっくりと振り返ると意思のない瞳でじっと真由美を見つめ返した。他人を見るような無表情に、真由美はどうしたらよいのかわからず、立ちつくしてしまう。


 薄紫に染まった街路を、ひんやりとした風がそよと吹き抜けていく。


「何? 知り合い?」


 真由美のすぐ前を歩いていた友達が声をかけるのとほぼ同時に、幸也はふいっと顔を背け、また歩き始めた。他人を寄せつけまいとするその態度に、真由美の胸がずきんと痛んだ。


「感じわる~い。ホントに知り合いなの?」

「不愛想な子ね。きれいな顔してるのに」

「……」


 何気ない友達の言葉が胸に刺さる。自分が声などかけなければ、こんな風には言われなかったのに。


「ね、どこに行く? お腹すいちゃったよ~」


 親友の朱里あかりがことさら明るい声でおどけたように言い、その場の雰囲気を吹きはらった。

 真由美はほっとして、朱里にちらりと視線を送る。

 朱里、感謝! と彼女にだけ分かるように片手で小さく拝んでみせると、朱里も親指を立てて合図で返してくれた。


 みんなはそれきりそのことを忘れたようだったけれど、真由美の中ではずっと気にかかっていた。幸也の能面を貼りつけたような表情が頭にはりついて消えず、おしゃべりも聞き流して生返事しかできなかった。


 真由美が中学校に入学してから半年間、一つ下の幸也とは、数えるほどしか会っていなかった。小学校の時は同じ登校班だったから、毎日顔を合わせていたのに。

 中学生になって自分をとりまく環境がめまぐるしく変わった。自分のことだけで精一杯で、慌ただしく日を送っているうちに幸也を思い出しもせず、いつの間にか半年が過ぎてしまっていた。

 真由美はこの半年間を思い返して、もうそんなになるのかと時の流れの速さに驚いた。幸也の変化の中に確実に時が過ぎていたことを痛感した。


 さっきの瞳を思い出すと、真由美は言い知れない不安が心の奥底から湧き上がってくるのを止められなかった。

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