Ⅷ-2
「座ろっか」
真由美がそう声をかけるまで、幸也はずっと立ちつくしてた。
促されるままに真由美の隣に腰かけても、幸也はまだ昇らぬ陽光の織りなす鮮やかに美しい空に目を奪われたままだった。
「綺麗だね」
「うん」
「夜明け前って好きよ。これから一日が始まる期待で胸がいっぱいになるでしょう?今日は何があるだろう、何ができるだろうっていうわくわくする気持ちが体の内側から湧き起ってくる気がするの」
真由美は両手を空に向かって伸ばし、草の上に座ったままで上半身を思いっきり伸ばすと、その両手を後ろへ投げ出して空を仰いだ。
ひんやりとした空気が少しほてった体に心地よい。山のあちこちで小鳥たちの囀っているのが聞こえる。
「幸也」
星の消えていく空を見上げたままでも、幸也が自分を見たのがわかる。真由美はそのままの姿勢で話し始めた。
「おばあちゃんが、幸也にその能力をできるだけ使わないようにしなさいって言っていたのを覚えてる?」
視界の隅で幸也が小さくなっていく。
「ああ、さっきのこと、怒ってるんじゃないよ」
幸也に顔を向けて、優しく言う。
そう、弥生は幸也がそれを使うといつも言っていた。
「今のは、能力を使わないとできなかったのかい?」
そう言うときの弥生の顔は怒っていたわけじゃなかった。いつも笑顔で優しく、諭すように言っていた。
「あたしもね、人前ではそれは使わない方がいいと思うんだ」
ちょっと考えて。
「今まで、幸也に友達がいなかったのは、幸也自身が外に出ようとしなかったから。……いじわるする子もいたと思うけど、全員じゃなかったはずだよ? 幸也が自分の殻に閉じこもっていたせい。幸也が心を開いて近づけば、たくさんの人が受け入れてくれるよ。太一もそうだったでしょう?」
考えながら慎重に話す。
「だけど、もし幸也が人前でその能力を使ってしまったら。──幸也を変な眼で見る人が出てくるかもしれない。幸也がなんの悪意も持たず、誰にも危害を加えるつもりがなくっても、怖がる人もいるかもしれない。──幸也のお母さんがそうだったように」
「怖い?」
「うん。そういう人もいるよ。……普通の人はね、自分にない能力を持った人を羨ましがるの。それが、努力すれば得られる能力である場合、努力せずして才能に恵まれた者をうらやむけど、憧れる。そこには妬みも生まれるかもしれない」
「……だから小さいころ、苛められてた?」
「それもあるかもしれないね。嫌なことだけど」
顔をしかめて吐き捨てるように言い、後ろに投げ出していた手を前に持ってきて、膝を抱える。
「だけどね、それが努力しても普通の人間には得られない能力である場合───妬みではなく排除しようとする気持ちが生まれてしまうかもしれない。自分とは異なるものとして、特別な眼で見るよ。異質なエイリアンを見るような目で。好奇心で近づいてくる人もいるかもしれないし」
言いたくない言葉をしぶしぶ言っているような表情。真由美はそういう考えが嫌いだから。
「おばあちゃんは、幸也がそんな目で見られるのが嫌だったんだと思うよ。幸也はまだ小さくて、家の中と外で使い分けなんてできなかっただろうし。だからできるだけ使わないようにって教えてくれたんだよ」
確かに、今の幸也にならわかる。それでなくとも仲間に入れてくれなかった彼らの自分を見る眼。もしこの能力のことを知ったら、あれは、もっと違う眼になるだろう。簡単に想像できる。
「それにね、その能力でなんでもやってしまうと、それがないと何もできない人間になってしまうじゃない? 幸也が、一つ一つ自分の手でやっていけるようにっていう意味もあったんじゃないかな」
幸也は共感して頷いた。
確かにそれはそうだ。やろうと思えば座ったままでなんでもできてしまう。自分が動く必要などないとなれば、そうなるかもしれない。
「それと、さっきみたいなときに他人に助けを求めることができるように。他人に頼ることもできるようになるために」
「頼る?」
「うん。でもね、そればっかりが正解じゃないんじゃないかなってこの頃思うようになったんだ」
ついっと手を伸ばして幸也の手を取り、きゅっと握る。
「今言ったことと矛盾してるんだけどね?幸也が使いたいときには自由に使ったらいいじゃない! って思うの。だって、その能力は幸也に元から備わっていた力だもの」
真由美は今度は全く正反対のことを言い出した。幸也はその意味を理解しようとじっと聞き入った。
「誰もが神様から一人一人違う顔や性格、才能を授かるように、幸也はたまたまその能力を授かって生まれてきただけなんだから。何も人から隠すことはないはず。これが自分だ! って胸を張って誰にでも言えるほうがいいんじゃないかな」
問いかけるように幸也を見るが、答えを待っていたわけではない。正解なんてないのだから。幸也も勿論何も言えない。
「そうでないと、幸也はありのままの自分でいられない。自分を制限してしまって、大きくなれないよ。自分で自分をせばめてしまうことになるんじゃないかって思う」
本当はこれが正解と思っているのか、呟くように言う。
「誰もがありのままの幸也を受け入れてくれるのなら、本当は隠したりすべきじゃないんだと思う」
つらつらと続ける真由美の言葉を、幸也は真剣に聞いていた。真由美は、真剣に自分のためにいろいろ考えてくれている。それが、本当に嬉しかった。
「だけど、実際はそうじゃない」
さらに小さな声になり、ふうっと溜息を吐く。
「結局、おばあちゃんが言ったように、使わないようにするのが一番いいのかもしれない。どっちが正しいのかなんて、わからないけど」
正解なんてわからない。だけど。
「おばあちゃんだっていろいろ考えた末でそう言ったんだろうから、あんまり使わないいのがいいのかもね。人前ではやめた方がいいのは確かだよ。”幸也”をきちんとわかってくれる人の前以外はね」
話をしているうちにもどんどん空は明るくなっていく。
「いつか、その能力が本当に必要となる時が来るよ。その時のために、その能力はあるんだよ。きっと」
真由美の話を黙って聞いていた幸也は、もうこの能力を使うのはやめようと決心した。
いつか───真由美が言うように、本当に必要になるときまで。はたしてそんな時がくるのかどうかはわからないけれど、それまでもう絶対に使わないことにしようと決めた。
その決心が表情に出ているのか、真由美はふっと微笑んで幸也の頭を軽くぽんぽんと叩いた。ほんとに真由美にはなんでもお見通しだ。
「これから、新しい一日が始まるよ。新しい世界が、幸也を待ってる!」
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