Ⅴ-5
「迷惑をかけているなぁと自分で思うなら、かけないような人間になればいいんじゃなかろうか。それだけじゃなく、逆に嬢ちゃんに頼りにされるような人間に、お前さん自身が変わっていけばいいんじゃよ」
「そんなの、無理だよ」
老人が幸也にはとてもできそうにもないことを、いともあっさり言ってのけたので、少し拗ねたような声を出した。
「……なぁ、ぼうず。わしがあの嬢ちゃんを偉いと思うのはな、わしのような者にも優しさをかけてくれる豊かな広い心を持っているからでもあるが、それよりももう一つ、嬢ちゃんが常に上を見ながら歩いているからなんじゃよ」
「上を向いて……?」
「そうじゃよ。ぼうず。どんなことでも想うことから始まるんじゃ。誰だってなろうと想わなければ、何者にもなれんのじゃ。そうは思わんか?」
「……僕も、強くなろうと想えば、いつかは強くなれるかもしれないってこと?」
「そう。まずは、なりたい自分を作ることじゃな。そうして、少しずつそこに近づいていけるように、努力していけばいいんじゃ。……お前さんはどんな自分になりたい?」
幸也は考えてみたが、
首を傾げて考え込んでしまう幸也に優しく言う。
「堅苦しく考えて一つだけに絞る必要はないんじゃよ。いくつでも考えればいいんじゃ。そうやってなりたい自分をたくさん作って、努力しようと想うじゃろ。そうすると、歯車が動きはじめるんじゃ」
「歯車?」
「そう。時計の中にたくさん入っているのを見たことはないかな?」
幸也が横に首を振ると、老人はポケットに片手を突っ込み、古びた懐中時計を取り出すと、裏蓋を開けて内部を幸也に見せてくれた。
「これが歯車じゃよ。……たくさん入っているじゃろう。これらの一つ一つの歯車が噛み合わさって、全体が動いているんじゃ。一つでも噛み合わないと、時計は止まってしまう。同じように、心のほんの一部が向上を願うことをやめてしまうと、心全体が錆びついてしまって、運命まで止めてしまうことになるんじゃ」
幸也は老人に手渡された懐中時計の中を食い入るように見つめた。
その中には確かにたくさんの歯車が詰まっていて、老人の言う通り、歯と歯が噛み合わさり全体を動かしている。
その時計はひどく古びていて、とても使い物にはならなさそうに見えるのに、歯車がきちんと噛み合っているために正確に時を刻んでいるのだ。幸也の手の中で鳴る微かな音は、まるで心臓の音のようにも聞こえる。
「心が動きだすと、運命の歯車も回り始める。……お前さん、今は歩きはじめたいと思うとるんじゃろ?」
問いかける老人に幸也は素直に頷いた。老人はにこにこと嬉しそうな顔をして、うんうんと何度も頷き返した。
「それなら、その時計はお前さんにプレゼントしよう。わしにはもう必要ないんでな。……これは魔法の時計じゃよ。勇気が湧いてくる時計なんじゃ。時々ネジを巻いてやらにゃならんがな。そのときに、自分の心のネジも一緒に巻きなおすんじゃ。ほれ、このネジを巻いてごらん」
幸也は言われた通りに時計の上についている小さなネジを巻いてみた。
「さぁ、運命が音を立てて回り始めるぞ。ほうれ、後ろを振り返ってごらん」
言われるままに後ろを見た幸也は、遠くからこちらに歩いてくる真由美ともう一人──太一の姿を見つけた。
反射的に逃げようとしてしまった幸也の腕を、老人はつかまえた。その眼は”逃げないで、動き始めた運命に立ち向かっていってごらん”と言っているように思われた。
幸也はおもむろに立ち上がって二人を迎えた。少し足が震えたが、真っ直ぐに立った。手の中で時計が、幸也の心臓に合わせてカチコチと鳴っているようだ。
二人が近づくにつれ、いつもみんなの中心にいる太一が、真由美の後ろに隠れるようにしてついてきていることに気がついて、幸也は不審に思った。
「幸也。どこに行っちゃったのかと思ったじゃない。探したよ」
真由美は何事もなかったかのように微笑みながら言ったが、太一と一緒にいる以上、さっきの出来事を知らないはずがなかった。
「幸也。太一が話があるんだって」
真由美は老人に軽く頭を下げて挨拶をすると、一歩脇へ動いて言った。
「えっ……と、その」
太一は急に隠れるところを失って、おろおろした。
その様子はいつもの太一からは想像もできない。"マミさん、もうちょっと何とか言ってくれたらいいのに"と言いたげな眼で、恨めしそうに真由美を見ている。
「最初の一言はあんたが自分で言いなさい」
後はフォローしてあげるという意味を含んだその言葉を聞いて、太一は大きく一つ深呼吸をした。それに合わせて幸也も息ををのんだ。尋常でない太一の態度に幸也は不安になった。
真由美が"さぁしっかり"と背中を叩くと、その力に励まされて太一は両手の拳を握りしめ、眼を閉じて一息に言った。
「友達になりたいんだ!」
幸也はそのあまりにも意外な言葉に、耳を疑った。
今の彼の態度だけでも異常なのに、幸也と友達になりたいという。正に青天の霹靂だ。
だが現実に目の前で太一は耳まで真っ赤にして眼を閉じたままである。
幸也はそんな太一を見つめ、真由美を見、最後に老人に眼を移した。
歯車が噛み合ったら運命が回り始めるというのは、こういうことをいっているのだろうか。
老人はにっこりと頷いた。
「さぁ、今度はお前さんが返事をする番じゃよ」
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