そりかえる 三
「もうあきらめなよ、勝てないって」と、イナミが今日も可愛く微笑んでいるのを尻目に、「ふざけんな、もっかいだ!」と顔も真っ赤にソウヘイが息を巻いている。
場所はどこかの屋根の下。外はまたも雨模様で、室内には微かな笛の音が、水滴の落ちる音に紛れてどこからか聴こえてくる。
格子状にマス目の描かれた台を挟んでソウヘイと向かい合っているのは、イチロウの弟、小太りのジロウである。多少は困ったような表情をしながらも、別になんてこともなさげに頭を掻いている彼の姿は、なるほど
「えー……まだやるの?」
「もっかい! もっかいだけ頼む!」そう言ってソウヘイは、その盤の上に置かれていた黒と茶色の木玉をジャラジャラと色分けして、黒玉を自分の側にかき集めてから、台のマス真ん中あたりにポンと一つ、それを置く。
「よし、勝負!」
ジロウはフーっと鼻で息を吐きつつ、その横……マス目で言うと斜め前か……に、自分に配られた茶玉(というより色を塗っていない玉)を置く。その後も交互に玉をパチパチ並べている姿を見るに、どうやら順番に一手一手打っていく類の勝負のようだ。
……あれ、なんだかこれ、知っているような気が……。
五石(※五目並べ)。
パッと頭に言葉がよぎり、それに連れて遊び方も思い出した。
そうだ、先にあの石を五つ繋げて並べた方の勝ちって、確かそんなもののはず。これの勝ち方、私知っている気が……。
あぐらをかいて、アゴを左手に乗せて、いかにも真剣味を帯びた表情で一回一回長考の末に石を置いているソウヘイと違い、ジロウはあくまでも無表情に、一定の間隔で手を打ち続けている。あー……こりゃジロウの方が断然強いな。ソウヘイは先手取らせてもらっているくせに、結局は後手後手に回ってばかりで、なかなか自分の攻めに入ることができていない。両端が空いている状態で四つ並べられたらダメなことは知っているみたいだけど、直線と斜めに交差させて、三つ並べれば勝てることには気づいていないようだ。
そんなわけで、またもあっさりジロウの勝ち。
「だーっ!! なんでだー!!?」ソウヘイがひっくり返って、ドンドン床を叩いて暴れている。「ど、う、し、て、だっ!!?」
「だから、ソウヘイ
「うるせえ! なんも言うな!」ソウヘイがガバッと起き上がって、指南しかけたジロウを睨む。「教えてもらっちゃ勝った気しねえんだよ!」
「だって負けてるじゃん」意地悪くイナミが笑う。
「うるせえなぁ、イナミだって勝てないだろ?」情けない声でソウヘイはしょげながら、腕を組みつつ起き上がる。
「勝てないよ? ジロウって強いもん」負けん気のなさそうなイナミは、むしろ嬉しそうな表情でアマコを見た。「アマコも勝てないよね?」
「うん」盤面を熱心に眺めながら、色々と手筋を考えていると
「でも一番強いわけじゃないし……」と、ジロウ。見た目はトロそうなのに、ジロウってなかなか結構なものらしい。「ソウヘイ兄、イチロウ兄には勝てると思うよ?」
「ホントか?」
「なにもう機嫌よくなってるのよ-」と、イナミに背中から抱きつかれてたソウヘイは、「うっせえな離れろよ」と口では言っておきながらも、どこか嬉しそうだ。ソウヘイの顔はイチロウと違って男らしいから、デレデレしてるとすぐわかる。
「ヨシたち、おそいね」と、リンを抱くカヤが一言。この時初めて気がついたけれど、みんなの中でカヤだけが着物の下に黒っぽい灰色の何かを着ているようだ。雨だし、寒いのかな。
「イチロウのバカ、どこまで行ったんだよ、まったく……」と、ソウヘイが文句を言っている中、ダッダッダッと、木の床を誰かが駆けてくる音。どこかに行ってたみんなが帰ってきたのかと思ったのだけれど、戸の影からにゅっと顔を出したのは残念なことに、嫌われ気味のヤキチだった。
ヤキチの脚が思っていたよりも幾分太くてびっくりする。意外と体格、がっしりしてるんだなぁ……。
「なぁ、カイリどこ行ったか知らねえ?」と、細い目を更に細めてヤキチが聞く。
「ヨシたちと一緒にイチロウとゼンタ探しに行ったと思うよ」カヤが、ソウヘイの黒石を取ろうとするリンの手を引っ込めながら、答える。
「は、あいつら外行ったの? バカでぇ……」ヒヒッと、ヤキチは笑う。「雨降りそうって言われてたじゃねえか」
「ゼンタとキリギリス取りに行く約束してたからね」今度はイナミが返事。「すっごいいっぱいいるところ見つけたんだって……でね、またソウヘイってばイチロウとケンカしちゃって」
「はっ」
「イチロウ怒っちゃって、ソウヘイには教えないって言い出したから、私たちは残ったんだよね」
「もとから雨降るなら行く気なかったんじゃい」ソウヘイは苦々しく口角を歪ませる。「ヤキチぃ、五石やる? 俺じゃあジロウに勝てん」
「いいよんなの、下らねえ……」ヤキチはジロウから目をそらす。
「でもヤキチって頭いいんでしょ?」と、イナミ。
「いや……いいって……」
「もう疲れたからやめるよ」ジロウが、ヤキチの見栄を助けるように身を引く。「ヤキチ兄、なんでカイリ探してるの?」
「なんでもいいだろ」なぜか怒ったような表情で、ヤキチは鼻を掻く。「そう言えば……えっと、アマコ?」
「……え?」まだ五石の盤を見ながら目をクルクルさせていたアマコが、びっくりして顔を上げる。「なに?」
「あの……あれだ、ゲンがお前のこと探してたぞ」目を逸らしつつヤキチは頭の後ろをかく。歯にものの詰まったようなヤキチの口ぶりから察するに、彼はアマコのことが苦手なようだ。きっと大人しすぎて話しかけにくいのだろう。
「え? ゲン兄ちゃんが?」心配そうな顔が、ほんの心持ちだけ明るくなる。
「なんか、あれだ、いつものところでよう、アマコはいないのかとか言って……」戸のところに寄りかかりつつヤキチは話す。「めっちゃ木とか広げてたけど」
そう聞いたアマコの顔が、急に曇った。
「それってアマコがいないから木彫りやりたい放題ってことじゃね?」ソウヘイがケラケラ笑う。「ゲン兄あれ散らかすからなぁ、人近くにいる時はやめろって前ヨシ姉に怒られてたんだよ」
「いや、でも……」と、否定の言葉を紡ぎかけたヤキチは、しかし自分の間違いを取り繕えないことに気がついて、「チッ」と舌打ち。
ごつっと、イナミがソウヘイを肘で小突く。
「いてっ!? あにすんだよ?」
「……バカソウヘイ」
「はぁ?」
ツンとした表情でイナミに睨まれているソウヘイは、しかしワケがわからないらしく、天を仰いで考え込んでいる。
……男って、本当に鈍い。
うつむくアマコの表情はいつもとそんなに変わらなかったけれど、どうやらかなり傷ついてしまったらしく、膝の上で指を絡めて沈んでいる。なぜだろう、確かにちょっと期待してしまったのかもしれないけれど、そんなに落ち込むことだろうか。ジロウもそれが疑問なのか、彼女の隣でちょっと気まずそうに目を泳がせている。しかしカヤは訳知りなのか、リンを抱いたままアマコの横まで移動して手を握った。
「大丈夫だよ、ね? ゲンもそんなつもりじゃないよ」
「…………」
……あ、わかった。
自分が兄に邪魔だと思われてるって、そういうことか。
あちゃー……それは傷つくね。ヤキチってホント余計なこと言う奴だな。
一方のヤキチは、誰も聞いてないところで「蚊ぁ、多いなぁ……」とか呟いてるけど、どうやら先ほどの間違いがよほど恥ずかしかったらしく、耳まで赤くしてイライラしている。こういう時に自分ばっかりに目がいって、アマコを気にする余裕がないあたりが本当に浅薄である。
その後ろに、人の影。
「ヤキチじゃん、どうしたの?」
「うぉ!?」ビックリしたヤキチは、寄りかかっていた肩を滑らせて危うく転びそうになる。
「あれ、ヨシ姉、イチロウたち探しに行ったんじゃねえの?」ソウヘイが聞く。
「タケマル兄がね、場所わかるから一人で行ってくれるってさ」と、ヨシ。「なんか珍しいね、ヤキチがいるの。五石してたの?」
「別に珍しくもねえだろうが……ヨシこそじゃあ、どこ行ってたんだよ?」
「ゲンにお昼運んでって、おっ
「この時間にか?」ソウヘイが、目を丸くする。
「そ。相変わらずあいつって放っとくと何も食べないのよ」はぁーっと、腕を組みながらヨシはため息。「ここ置いとくよーって言っても振り向きもしないから、蹴り入れてやろうかと思ったわ」
「ははっ……」
「あれ、じゃあカイリたちはどこ?」今度はイナミが聞く。「タケマル兄と一緒?」
「いや……だから戻ってきてるかと思ったんだけど」ヨシはキョロキョロと、頭をかいた。「どこ行ったんだろうね」
「しゃあねえ、ここで待つか、な?」そう言ってヤキチが、目の前にどかっと腰を下ろす。
ぐっと、視界が引く。
ヒリつく、むず
最初、私はその不快感というか、焦燥感の原因に気がつかなかった。ただただ言い知れぬ不安というか、なんとも落ち着かない、いたたまれない、居心地の悪いような気分のまま、右へ左へと視線を動かさずにはいられなかった。
夢の中でも、視界は私の意志に従って、ついてくる。
相変わらずソウヘイはイナミとじゃれあって、アマコとリンはカヤにくっついて、ジロウはひとりでボーッとしていて……。
ヤキチは、私の前で頬を引きつらせて、笑っている。
ハッとする。
初めは気がつかなかった、今までにない状況に気がついたから。
ヤキチは、こっちを向いている。
誰もいないはずの、私の方を見ている。
私を、見ている。
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