第19話 隠された目的

 アニルがモニター画面を注視する中、ホンファは段々とスピードを上げていった。


 既に速度は時速60㎞。勢力は既にカテゴリー5に拡大している。


 相変わらず方向は真北に向かったままだ。


 コンピュータの進路予測との異方性は40%を越えた。気圧変化を解析するまでもなく、最早異常行動であることは疑いない。


 ホンファの中央部には、目の東側だけでなく、南側にも時折赤いポイントが現れはじめた。後方から高気圧がホンファを押すような形だ。


 ホンファがスピードを上げたのはそれが理由だろう。


 このまま行けば、あと1時間もしない内にホンファは尖閣諸島の上空に達することになる。

 もしも四国沖が目的地なのだとすれば、もうそろそろ東向きの進路をとるはずだ。


 アニルは注意深くホンファの挙動を追い、データを萩生田とアイリーンに送り続けていた。


 ホンファが移動を始めてから、もうすぐに30分が経とうかという頃だった。ホンファに小さな変化が起きた。


 予想していた東向きにではなく、西向きに微弱なベクトルが加わり始めたのだ。


 それを裏付けるかのように、画面内のポイントの明滅は、先程よりもより赤みを増し、ホンファの東側により強い高気圧が生じている事を示していた。


 アニルは反射的に受話器を上げ、萩生田の電話番号を押した。


        ※


「所長、大変です。ホンファに西向きの力が加わり始めました」

「何だと、いつからだ?」

「たった今です」

「進行速度は?」

「スピードを上げており、現在80㎞です。最新のデータは既に送信してあります」


 西向きの力――、つまり四国とは逆方向に向かう力だ。それは一体、何を意味しているのだろうか?


 萩生田はホンファのその動きを訝った。

 西にあるものといえば、即ち中国大陸だ。


       ※※※


「アイリーン、マイヤーズ長官とTV会議の回線を繋いでくれ。現状を報告して、対応を協議する必要がある」


 アイリーンは室内に控えている将校に、マイヤーズ長官との緊急会議を要請した。


 将校は一旦部屋を退出し、それから1分も経たない内に、正面のモニターは映像表示に切り変わった。

 同時にスピーカーからは先程と同じ、ポーンという電子音が鳴った。


「お待たせしました。ミスター萩生田」

 マイヤーズの声が、静かな室内に響いた。


「長官、ホンファの進路は四国では無いようです。ターゲットは日本ではなく中国です。地理的に考えて、上海辺りではないかと思います」


「確実ですか?」

「確実です。既に西向きの力が働いています」


「もしもターゲットが上海だとすると、我々は相手の洞察力を見くびっていたのかもしれません」

 マイヤーズは眉間には微かな皺が浮かんだ。


「上海には、一体何があるのですか?」

 萩生田が訊ねた。


「実は日本と中国を主体に、米国を加えた3国で、ある共同の国家プロジェクトが進んでいるのです」


「3国での国家プロジェクト? 初耳です」


「2010年代に東シナ海で、巨大な油田群が確認されました。埋蔵量は中東全体に匹敵する規模です。

 本プロジェクトはそれを採掘するものです」


「中東全体に匹敵ですって?」


「埋蔵深度が深く、技術的に採掘が困難だったため、従来は小規模な試掘プラントしか稼働できませんでした。

 しかし日本がトンネルの掘削技術を応用した、新しい採掘方法を確立した事で状況が一変しました。

 現在、上海沖で深海採掘用の浮プラントを建造中です」


「なぜそんな重要な情報が、公になっていないのですか?」


「今やエネルギー関連のプロジェクトは、国家の最高機密です。ミスター萩生田がご存知ないのも当たり前でしょう。

 浮プラントは人民解放軍のドックで建造されているために、一般の目には触れる事はありません」


「大規模なものなのですね?」


「世界最大です。完成して採掘が本格化すれば、世界的な資源不足は大幅に解消されるでしょう。

 しかもこのプラントは、ハリケーン襲来に万全の備えを持っています」


「万全の備え?」


「このプラントはボーリングを行う場所まで曳航した後、バラストタンクに注水して、海底に半固定とする設計です。

 海中であれば、ハリケーンを心配することなく、安定的にエネルギー資源を供給できることになります」


「そのような設計なのであれば、今すぐ海底に避難させてしまえば、被害を避けられるではないですか?」


「今はまだ未完成で、耐圧殻が完全でないので、沈める事ができないのです。

 このまま海上でホンファの直撃を受ければ、ひとたまりもありません」


「浮プラントが完成する前に、相手が仕掛けてきたという事ですか?」

「まず間違いないと思います」


 萩生田が見守る気象画面内では、ホンファは目に見えて西へコースを変えつつあった。


 ホンファは移動を再開してからずっと、東向きの動きを堰き止められ、同時に北向きには急激な速度増加が行われている。

 そこに西向きのベクトルが加わり続けているとなれば、異常行動のレベルはこれまでで一番高いはずであった。


「とにかく長官、現在はホンファが疑いようもなく、異常な振る舞いをしています。ファゼンタのあぶり出しを急いでください」


「分かりました、すぐに多国籍軍に指示します。結果は後程お知らせします」


 マイヤーズの言葉と共に、彼の映っていた画面はブラックアウトした。


       ※※※


 TV会議を終えた萩生田は、腕組みをして考えた。


 マイヤーズ長官の懸念は浮プラントの1点に集中しているが、被害がそれだけで収まるはずがない。


 ホンファは巨大なエネルギーの塊だ。当然上海の街を広範囲に破壊するであろうし、それを行った後も、尚有り余る威力を保っているはずだ。


 萩生田はIMLから送られてくる気象情報を元に、ホンファがこのまま上海に到達してしまった場合の、その後の進路を予測した。


 パラメータは刻々と変化していくため、現時点での進路予測など、単なる参考値にしかなりえないが、それでも被害の規模を推し量るには十分だと萩生田は思った。


 ホンファの勢力は現在カテゴリー5。

 大陸棚を進むために、今後は勢力を落とすだろうが、それでもカテゴリー4を下回ることは絶対にあるまい。


 北半球では赤道付近から北極に向けて大気が動いてる。

 極付近の空気は冷たく重いが、それに対して赤道付近は暖かく、常に大気が上昇しているからだ。


 ホンファが上海に上陸する場合、そのすぐ南の浙江省がホンファ勢力圏に入る。

 シミュレータ上のホンファは、その後、見事なほど綺麗に、海岸線をなぞって北上していった。

 上海から江蘇省、山東省と順に舐め、天津、北京を経て、遼寧省まで悠々到達する。


 萩生田は見えざる相手の悪意を感じ、怒りに身を震わせた。


       ※※※


 萩生田の目の前のモニターに灯が入り、ポーンという電子音が響いた。

 画面はマイヤーズの姿があった。


「どうでした、長官?」

 萩生田は待ちかねたように、マイヤーズに訊ねた。

「実は――、まだ進展がありません」

 マイヤーズは困惑した表情で答えた。


「何も感知できないのですか?」

「まだ何もです。今はエリアを調整しながら、走査を続けているところです」

 

「長官、もしもホンファがこのまま上海に到達してしまった場合ですが、被害は浮プラントに止まらないと思います」


「何が起きるのですか?」

「南の浙江省から始まり、北は遼寧省まで、海岸線が総舐めされると思われます。シミュレーターがその結果を示しています」


「そんなに広範囲にですか?」

「そうです。中国の沿岸部は広い大陸棚に守られているので、これまで超大型のハリケーンは経験したことがありません。

 暴風雨や水害への備えが無い中をホンファが通過すれば、中国の被害は計り知れません」


「ちょっと待って下さい。ホンファがそんなに広い地域を襲うのだとしたら、他にも懸念すべき事があります。

 浙江省から北の沿岸部には、原子力発電所が集中しているのです。優に20を越えています」


「それはまずいですね」

 萩生田はすぐに、マイヤーズの言葉の意味を理解した。


 米国ではハリケーンや竜巻で、時速75マイル以上の風を予測した時点で、原発は停止させることになっている。

 強固な原子炉が風で壊れる事は無いが、冷却系や送電系がダメージを受けた場合に、不測の事態に陥る可能性があるからだ。


 萩生田はオクラホマ大学時代に、何度もその停止命令に遭遇したことがあった。


「あの国は老朽化した設備を放置したままで、危機管理のレベルも低い。きっとただでは済みません」

 マイヤーズは中国への不信感を露にした。


「警戒警報を発令して、発電所を止めるべきですね」

「駄目です。今すぐに全てに緊急停止命令を出したとしても、冷温停止状態になるには数日かかかります」


「しかし、このまま稼働させておくわけにもいかないのでは?」

「私はむしろ、止めた方がリスクが高いと思います」


「なぜですか?」

「冷温停止状態に持ち込むためにも、冷温停止状態を保つためにも、冷却用の膨大な電力が必要です。

 近隣の発電所を同時に停止させたら、外部から電力の供給を受ける術が無くなる。予備電力だけではとても持ちません」


「つまり中国の原発では、今回のような広範囲の危機が、そもそも想定されていないという事ですね?」

「何も中国に限った話ではありません。原発というやつは、本当の意味での危機的事態に対応できないのです」


「しかしこのままでは」

「おっしゃりたい事は良く分かっています。しかし、仕方がない」


――最悪の場合は複数の原子炉が、同時にメルトダウンを起こす――


 萩生田もマイヤーズも、同時に同じ考えが頭をよぎった。

 そして予想される被害の大きさに、背筋が凍りつくのを感じた。


 メルトダウン、メルトスルーならまだましだ。

 冷却をしていない原子炉には、必然的に臨界を迎えた核爆発が待ち受けている。


「長官、危機を回避する方法は一つだけ。ホンファを早い時点でコントロールから解放するしかありません」


「解放ができた場合、ホンファはどうなりますか?」

「長江気団が噴き出す風と、偏西風に乗って、東向きに進路をとるはずです」


「上海には到達することはないと?」

「私の予想では、現在の進行速度から考えて、3時間以内に手が打てれば、ホンファは上海には行かず、日本海に抜けて北上します」


「エモーションアンプの破壊に、全てが掛かっているという事ですね……」


 マイヤーズの表情からは、言いようのない重圧が彼を襲っていることをうかがわせた。

 

 マイヤーズのその言葉を最後に、モニターはまたブラックアウトした。


 

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