第17話 作戦

 萩生田とマイヤーズの会話は続いていた。


「話を元に戻しましょう」

 萩生田の言葉に、マイヤーズは軽く頷いた。


「先程長官が言われた話をまとめると、“作戦”の目的は、ハリケーンを操作しているエモーションアンプと呼ばれる装置を破壊する事。

 そう考えて良いのですね?」

「その通りです」


「それは即ち、ブラジル内のどこかに存在する、ファゼンタと言う場所を叩くことに他ならない」

「そうです。まず我々は、ファゼンタの場所を特定しなければなりません。

 そのためにこれから、ミスター萩生田のご協力が必要となるのです」


「私が何をすべきなのか、詳しく話していただけますか?」

 萩生田はマイヤーズに視線を向けた。


「我々はホンファが、日本の太平洋側に被害を与えるものと考えています。これは学術的な気象予測ではありません。

 極めて政治的な、或いは経済的な見地からの予測です」


「どういう意味ですか?」

「これまで、進路操作されたハリケーンの大半は、有力な油田地帯を狙い撃ちしてきました。

 今、ホンファがいる石垣島周辺を見渡すと、日本の太平洋側に分布するメタンハイドレードの採掘地が、最も資源の産出量が多く、価値の高い場所だと言えます。

 言い換えれば、最も相手に狙われやすいターゲットだと言うことです」


 メタンハイドレードは、『燃える氷』と称される、天然ガスと水が結合した氷状の結晶だ。燃焼時の二酸化炭素の排出が少ないクリーンエネルギーである。


 大陸棚が海溝に向かう深海斜面に分布しており、日本の沿岸部は特にその埋蔵量が大きかった。


「もしもそうだとすると、四国沖の大鉱床が一番狙われやすい場所でしょう。

 今ホンファがいる緯度付近は、長江気団と偏西風によって、東に向かう力が潜在的に働いています。

 エモーションアンプによって、北向きのベクトルを抑え込むことができるのなら、恐らく四国までは容易に到達できるはずです」


「なるほど、容易に到達――ですか。それではここからが本題です。

 ホンファが四国に誘導されるとすると、その過程で通常の気象現象では起こりえない振る舞いをする瞬間が必ずあるはずです。

 先程言われた、北向きの進路を抑え込む操作が行われる際などは、正にその時でしょう」


「確かに、誘導を行うならば、異常行動は起きるでしょうね」

「我々はそのタイミングを正確に知りたいのです。それがミスター萩生田への依頼です」


「それが作戦行動と関連しているのですか?」

「はい。ハリケーンを誘導する原理が何であれ、あれだけのエネルギーの塊を操る以上は、ブラジルの周辺で必ず何らかの物理的な現象が観測されるはずです。

 例えば強力な電磁波の放射のようなものです。我々はそれを察知し、相手の装置の在処を特定したいのです」


「観測の体制は?」

「アメリカ海軍を中心にして、イギリス、フランス、カナダの各海軍、およびNATO即応部隊が中心です」


「準備はできているのですか?」

「はい、既に作戦海域周辺に艦艇が集結しています。指令が下り次第、3時間以内に50隻を越える艦艇と、有人、無人の偵察機を投入し、ブラジル全土をカバーする巨大なセンサー網が構築できるでしょう。

 言うまでも無く、内陸ではブラジル陸軍が作戦を支援します」


 

「まるで戦争ですね」

 萩生田はあまりのスケール感に驚かされた。


「それだけ、我々が真剣だという事です。後はハリケーンが操作されるタイミングを正確に掴むだけなのです」


 マイヤーズは真剣な面持ちで、「ご協力いただけますね?」と念を押すように萩生田を見つめた。


「私がわざわざここに呼ばれた理由が良く分かりました。ご協力しましょう」

「感謝します。ミスター萩生田」


 マイヤーズの顔には安堵の表情が浮かんだ。


        ※


「最後にお訊きしたい。この大規模な作戦は、どのように計画されたのですか?」


「相手の拠点を炙りだす手法として、作戦対象エリアに、動的に高密度センサー網を構築するプランは、ずっと以前からNSAが立案していたものです。

 必要となる技術開発も既に終わっていました。そんな中で、6か月前にディープスロートからの接触があったという訳です」


「それで作戦が具体化したのですね」

「観測すべき対象エリアがブラジル一国に限定されましたからね。

 作戦規模が絞られたことで、急速に実現性が増し、そこから一気に各国間の調整が進みました。

 多国籍軍の配備と増強は、6か月前から計画的に行われてきたんです」


「今日がその作戦の決行日である理由は何ですか? もしかすると、私の拉致が関係しているのでしょうか?」


「もちろん関係しています。実はここ数か月の内にも何度か、作戦を実行できるタイミングがありました。しかし、作戦の最終決裁者である我が国の大統領から、承認が下りなかったのです。

 ミスター萩生田の拉致は、大統領に作戦決行を決意させた、最後のトリガーだったということです」


「やはりそうでしたか。なぜ大統領はこれまで作戦を躊躇われていたのでしょうか?」


「今回の作戦は表面上、ハリケーンを巡る見えざる敵との攻防に見えるかもしれませが、実を言うと事はもっと重大です。『世界規模でのエネルギー安全保障問題』、それが本件の本質なのです」


「世界規模とは……、ずいぶんと大げさですね」


「アメリカ政府にとって本件は、喫緊に解決しなければならない最重要課題です。

 大統領はこの戦いを、新しいテロリズムとの戦いだと認識しており、ファゼンタを叩くためには、核兵器の使用も容認される覚悟です」


「核兵器ですって?」


「はい、もしもエモーションアンプが、ハリケーンの操作だけでなく、それ自体が兵器として使えるものなのだとしたら、その威力は計り知れません。

 アメリカ政府は、核兵器でなければそれに対抗することは難しいと考えています」


「それはアメリカが本作戦のために、ブラジル国内で核兵器を使用するという意味でしょうか?」

「やむを得ません」


「倒すべき敵は、たまたまブラジル国内に拠点を設けているに過ぎませんよ。

 幾ら人類共通の敵を倒すという大義名分があったとしても、第三国に核兵器を使用するのは行き過ぎでしょう」


「本件に関しては、既にロシアとも事前交渉が済んでいます。

 核兵器を使用しなければならないと判断された場合、アメリカとロシアの両国から、対象国に外交ルートで理解を求める事になっています。

 それはブラジル以外の国であっても同様です」


「そこまで筋書きが出来ているという事ですか……」

 萩生田の言葉にマイヤーズは、沈痛な面持ちで頷いた。


「ミスター萩生田、我々もそれを望んでいる訳ではありません。しかし事はそれほど緊急で、重大だと言う事です。どうぞ心中をお察しください……」


 マイヤーズの言葉を最後に、目の前のモニターからは映像が途切れ、画面は元の鷲の紋章に戻った


 萩生田が時計を見ると、いつのまにか日付が変わっており、既に1時近くになっていた。


       ※※※


「この大使館内で、IMLの気象情報は得られるのですか?」

 萩生田は椅子を回転させると、背後に控えていた将校に訊いた。


「もちろんここにも、気象情報の専用端末が設置されていますので、IMLが提供している気象情報は、全て受信可能です」


「この部屋に機材をセットできますか?」

「すぐに出来ます。5分だけ待ってください」


 将校は内線電話を取り、テレプレゼンスルームに、気象関係の機材一式を移動するように指示を出した。


「アイリーン、アニルに電話を繋いでくれ」

 萩生田は言った。


「アニルに、ですか?」

 アイリーンは、不安げに萩生田に聞き返した。


「そうだ。IMLが外部に配信している情報は、一旦スクリーニングしてデータ処理を加えた最小限のデータに過ぎない。

 正確な判断をするためには、IMLが配信していない生データが必要だ。アニルにそれを報告させる」


「所長は彼に対して、疑いを持っていらっしゃったはずです。大丈夫なのでしょうか?」


「アニルは長年のパートナーだ。私が欲している情報が何なのかを、瞬時に理解できるのは彼しかいない。こんな時だからこそ彼を信じようと思う」

「わかりました」


 アイリーンがアニルの携帯番号をコールすると、数回の呼び出し音の後に電話は繋がった。


「アニルか?」

「はい萩生田所長。ずいぶん遅い時間ですが、どうなさいました?」

「これから言う事を良く聞いてくれ」

「一体、何でしょうか?」


「ホンファは何者かによって進路を操作されており、これから四国沖に向かう可能性が強い。

 ホンファが通常の気象現象を外れた動きをした場合、その挙動に関する生データが欲しい」


「ホンファが操作されている? いったいどういう事ですか?」

「細かい経緯は後で話す。今は私の言った事を信じて欲しい」


「わかりました」


「今後はホンファ中心部の気圧変化を、注意深く監視する必要がある。

 昨日の会議室で皆に見せた、解析プログラムを覚えているだろう、あれを使って欲しい。

 パラセル諸島で張が開発したものだ。これからプログラムの起動コードを伝える」


 萩生田は記憶している16桁の数字とアルファベットをアニルに伝えた。


「アニル、状況は刻々と変わる。細かな変化も見逃さないように、こちらに報告してくれ」

「了解です」


「君を信じている。頼む」


        ※


 萩生田がアニルと話している間に、部屋の中には気象関連の機材が運び込まれた。


 大使館のスタッフが、壁に埋め込まれたコネクターに専用回線を接続すると、すぐにモニターには、IMLのオペレーションルームと同じ情報が表示された。


 ホンファは萩生田が地下にいる間、ほとんど移動をしていなかった。しかし渦は見るからに大きく成長しており、カテゴリー4の表示に変わっている。

 恐らくは更に成長するだろう。


「なるほど、そういう事か」

 表示された画面を一瞥するなり、萩生田は唸った。


 一時間前、萩生田がTV会議の前に、最後に確認したホンファの移動速度からすると、ホンファはもう東シナ海に入っていなければおかしい。

 しかし現実には今もまだ、石垣島の南側に止まったままだ。


 時速100㎞の車が、急ブレーキをかけて停車したのと同じ状態である。萩生田はホンファの挙動を見て、すぐにその意図に気が付いた。


「どうなさったのですか?」

 アイリーンが萩生田に声を掛けた。


「ハリケーンの成長には、十分な海面温度と水深が必要だ。

 東シナ海に入ってしまうと水深はせいぜい200m。

 温度が充分であっても、成長に必要な海水が補給されないため、勢力を拡大できない」


「すると、わざとこの場所にホンファを止まらせているということですか?」

「その通りだ。今ホンファは、東シナ海に入る直前で、エネルギーを蓄えている。

 恐らく相手の奴らは、ここでホンファを充分な勢力まで成長させておけば、東シナ海を越えたとしても、上陸先を破壊するのに十分なエネルギーを維持できると考えているのだろう」


 萩生田はホンファを操る者の悪意を実感すると共に、自分の中に強い怒りが湧き上がってくるのを感じていた。


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