第1話 Katsushika City Blues
窓の向こうからスズメの鳴き声が聞こえた。私は重い身体を起こしてテーブルの上のエアガンを手に取ると、鳴いていたスズメをBB弾で撃ち落した。静かになったのでエアガンをしまうと大きく伸びをした。
私の名はジョニー。ジョニーヤングマン。寝起きのあとの寝癖は洗面所で水かけて直す男さ。
マンハッタンから日本の東京葛飾へと突然の会社移転。ジャパンもトーキョーもテレビやインターネットの中でしか情報を知らなかったので、最初にこの国の地に降り立ったときは妙に緊張したものさ。
当然ながら日本は黄色人種の国だ。私たちのような白人は奇異の目で見られる。私の場合特にあごの部分を注目されることが多い。そんなに日本ではけつあごが珍しいのだろうか?
洗面台の前で髪を櫛でとかしてリーゼントヘアーを整えた。東芝製の電動シェーバーで無精ひげを綺麗に処理していく、鼻歌まじりで。
もみあげも綺麗に整え、鼻毛も抜いて外出の準備は完了。と思ったら今日はまだ出勤日ではないことに気づいて、なんだか損した気分になった。
私は着かけていたスーツをハンガーに戻すと再びベッドへ寝転がった。
マンハッタンでの暮らしに慣れてきたから、東京での生活は色々と面食らうことがある。良い面では銃社会じゃないのでこちらも武器を持たずに外を歩ける。
平和で安全なので暴漢や窃盗犯にも出会うことがない。人々はおおむね親切で、外人の私にも親しく接してくれる。
悪い面はやはり、外国人への奇妙な偏見や思い込みだろうか?
前に小学生くらいの子供から食べかけのハンバーガーを出されて、『アメ公、これ好きなんやろ?』と言われたことがある。
今ではハンバーガーはアメリカだけでなく世界中で食べられているというのに。腹がすいていたのでそのときは食べかけバーガーをもらって食べたがいい気分はしなかった。
それから交通量の多さ、電車のラッシュ時間の混み方。狭い東京に1000万人も住んでるのだから当然かもしれないが、本当に人の多さに驚く。
人の世は住みづらい。どこへ行っても住みづらさを感じたとき、そこに詩が生まれ、絵が生まれる。夏目漱石の小説の一節だ。
漱石の小説は日本人の思考や哲学、暮らし方をわかりやすく文章で語ってくれる。さすがは元1000円札の人だ。漱石が10人いれば福沢諭吉と互角だろう。
私は野口英世の札を財布に入れて自動販売機へコーヒーを買いにでかけた。仕事に行くわけではないので上下ともジャージ姿、履いているのはサンダルだ。
「おやおやジョニーさんおはよう」
コーヒーを買った後、私のアパートの隣に住んでいる老婦人が挨拶をしてきた。笑顔のかわいらしい温和な女性だ。
「グッドモーニング、ミセスのぶ子」
のぶ子は、ポケットをごそごそ探って何か取り出した。半分溶けている塩飴だった。
「ジョニーさん、飴ちゃんあげる」
「サンキューのぶ子」
塩飴は、溶けているぐらいが丁度うまい。私はお礼に自販機で買ったコーヒーを1本差し出した。
「こりゃあジョニーさんたら優しいねえ」
「YOU TOO」
「ようと?そういう名前のコーヒーなんだねえ、いただきます」
のぶ子はゴクゴクとコーヒーを飲んだ。言語の壁というものは難しくて厄介だ。
私も自分用のコーヒーを飲んで、カフェインを身体に含んだ。頭がさえてくるこの感覚は朝にしか味わえないものだ。
「ジョニーさんは何の仕事でしたっけねえ?ニートさん?」
私は眉をひそめて首を振った。
「私はサラリーマンさ。こっちに引っ越したばかりでまだ勤務は始まってないんだ」
「へぇそりゃあ立派だねえ。仕事始まったら忙しくなるからそれまで遊んで日本を知っておくんだよ」
「……ミセスのぶ子、あなたのことをもっと知りたいぜ」
やあねぇ、とのぶ子は私に軽く平手打ちをして、私はおどけて後ずさりした。本当に魅力のある女性とはこういう人をいうのだろう。さぞかしノブ子も若い頃はイケイケでモテモテなタイプだったに違いない。
4畳半の部屋に戻って、私は畳の上に寝転がった。
クルーガーブレント社は日本クルーガー社に社名を変更して、社長のジムは今までの社員、私とキャサリンとミッチだけでは仕事が回らないと日本人社員を募集している。
英語が堪能で真面目で体臭の悪くない人なら誰でもクルーガー社にカモン、と求人誌に掲載した。
今のところ3人ほど求人を見てやってきた日本人がいたが、面接担当のジムによると、いずれもニートで全員35歳以上、日本の企業で雇ってくれるとこがないと陰気な顔で面接にきたそうだ。
ジムは誰でもカモンと言いながらも、やっぱり人選って大事だよねってことで社員志望者には面接の際、1発芸をやらせるという暴挙に出た。
最初の人はガチョーン、次の人はゲッツ、最後の人はヒットエンドラーン、といういずれも日本では老朽化したギャグだったため全員不採用にしたらしい。
ということは、最近流行ってる一発芸のできる人がクルーガー社最初の日本人社員になるということだろうか?それはそれで色々と問題かもしれない。
私の室内には14型ブラウン管テレビが1台。旧式ノートパソコンが1台。エアコンはなくコタツが部屋の中央にある。
質素な感じがするが生活には特に困ってはいない。駅まで徒歩10分、風呂なしトイレ共同で家賃2万3000円は格安だろう。
不動産屋に「あそこの部屋……霊が出るんですよ、ええ」と脅されたが、幸い私は霊感などないし霊に被害を受けることもないと思っている。
もしオカルト体験でもしたときにはテレビ局へ売り込みに行って心霊番組のゲスト素人参加者として出演させてもらうつもりだ。
東の壁には本棚があって、私の愛読書が並んでいる。
サリンジャー、ドストエフスキー、ヘッセ、カフカ、フィリップ・K・ディック等々。
ジャンルには特にこだわらず評判がよかったり人から薦められた本を読み、気に入ったらその作家の別の本を購入している。
日本には驚くほど本屋がある。大きくて国内の作品も海外の作品も揃えてある。日本人は読書好きというのは本当のことだったのかと紀伊国屋へ行って痛感した。
ちなみに私が紀伊国屋で最初に買ったの森山欲八郎先生のマンガ『いけない放課後!ボイン女教師大ピンチ!』だった。
今日は特にやることもなく、キャサリンやミッチに電話してもつながらない。のぶ子に会いに行ってゲートボールでもやろうかと思ったが、面倒くさくなって1日家にいることにした。
『ボイン女教師大ピンチ!』を最後まで読むのは6回目だ。さすがに良質な日本ポルノコミックでも6回も繰り返し読んでは飽きがくる。
私は新しい本を買おうとYシャツにネクタイ、下はジーンズという格好で近所の本屋へ歩き出した。
今日は世間も休日なのか、子供たちが元気に走り回っている姿をみかけた。日本には日本しかない祝日がけっこうあるようだ。
小学4年生くらいの子供3人組が何かおもちゃをつかって遊んでいる。
「いけぇオレのカブトボーグ!」
「敵なんて蹴散らせ!」
「チャージイン!」
ドギャッ!グシャッ!ボギッ!ブシューッ!
「まさか、このオレが……ぎゃああああ……意識が……」
なんというおもちゃか知らないが随分と盛り上がっている。子供は子供らしくおもちゃで遊んでるのが一番さ。
へたに大人の世界に入って、小学生にして性体験を持ったりするよりずっと健全だ。
アパートから一番近い本屋「大黒堂」にたどり着いた私は、レジで眠そうに座っている店長にハローと声をかけて店内に進んだ。
『ボイン女教師大ピンチ!』を超えるポルノコミックを求めてさまよう探検者と化した私は、18禁コミックコーナーに着くと森山欲八郎先生の新刊が出てないか探してみた。
18禁コミックコーナーはまるでこの世のパラダイスとでもいえるようなピンクの花園さ。ロリッ子から巨乳ギャルまでよりどりみどり。表紙をみてよさそうなマンガはいくつかあったが欲八郎先生の作品はすべて売り切れだった。
「あんちゃん、何か探しものでっか?」
不意に背後から声をかけられた。振り向くと角刈り頭でサングラスをかけた肥満体の男が腕組みをしてこちらを見ていた。
「さっきから見てたけど、随分と熱心に物色してるのう」
「いやあ、森山欲八郎先生のコミックが好きでね、探してたんだけど売り切れっぽいんだ」
「ヨクハチとはなかなかわかってんねんな。まぁでもピークは過ぎたってところや」
ふーん、と私は軽く聞き流す感じで男の話を聞いた。
「ロリで巨乳のギャップさでいえば股丘なめ蔵の『なめっ子クラブ』や『童顔同盟』清楚な大人の美女なら花田Q次郎の『ぱっつん黒髪えみ子の秘密』に『OLゆりえの大人塗り絵』ってとこやな」
「なるほど、詳しいな。おまえさんオタクってやつかい?」
男は口を尖らせチッチッと指を振った。
「オタクなんて生易しいもんじゃねえぞ。オレは、この辺のエロマンガをほぼすべて網羅してる、安田万吉。通称”エロマンガソムリエの万”やで」
エロマンガソムリエの万、と名乗る男は胸を反らせて本棚中のポルノコミックを見渡した。
「今はロリもの萌え絵が人気だが、この道18年のオレからいわせりゃ軟弱になっちまったと嘆いちまうぜ。現実にいそうでいないいい身体の女ってのがすっかり減っちまった」
「私は日本来て日が短いからよくわからないが、そうなのか?」
「まーいうても人の数だけ性癖、性嗜好があるから一概にこれが一番、なんてこたぁいえねぇ。ヨクハチが好きってんならヨクハチと画風の似てる玉盛金次郎を薦める」
万さんは本棚から一冊手にとって私に差し出した。『SM調教師の憂鬱』というタイトルで、表紙は派手な格好の美女が中年男を鈍器で殴ってる絵だ。
「Oh!こりゃあいけるぜ」
「だろ?また困ったらオレに訊きに来い。毎日この店きてるからな」
万吉さんに礼をいうと私は薦められた本を持ってレジに行った。
店長はうたた寝から覚めて、私の購入する本のバーコードをピッと読み取った。
「580円になりまっす」
私が本を脇に抱えて店を出ようとすると、店長が小声で耳打ちした。
「万吉のいうことは概ね正しいが、影響されすぎんじゃないぞヤツの性癖は特殊すぎる」
ずっと書店にいたため時間を忘れてしまい、気づくと午後2時になっていた。アパートへ帰る途中、また近所の老女、のぶ子と偶然対面した。
「あらあらジョニーさんどこか行ってたのかしら」
「ええ、ちょっと欲しい本を探しに『大黒堂』まで」
「若いうちに本を読むのは大切なことよ。たくさん読んでたくさん知識を身につけるのよ」
サンキュー、グッバイとのぶ子と別れて私は狭いアパートの自室に戻った。
万吉さんに薦められたSM調教師もののビニールを破っていざページを開くと、なぜか全体的に黄ばんでいた。
なぜ黄ばんだか、誰の仕業かわからない。しかし、この悪行をやったやつとは、いつかどこかで会えそうだ、と直感したのだった。
――― to be continued……
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