第12話 Good bye Mother Earth
時計は午前7時。起床にはちょうどいい時間だ。
私の名はジョニー。ジョニー・ヤングマン。外を出るときはいつも右足から踏み出す男さ。
鏡に映るブリーフ姿の自分を見て、アヘ顔をしてみた。
先日テレビ番組で朝起きたらアヘ顔が健康にいいというのを知ってから毎日この習慣を続けている。おかげで胃腸の調子が良い。
アヘ顔は万薬に等しい、昔誰かが言った言葉だ。
電話を見ると留守電が入っていた。再生してみると聞き慣れた声がした。
「クルーガーブレント社のジムだよーん。突然だけどうちの本社、移転することになったんで引越しの準備よろしく。なおこの録音を聞いた者は3日以内に不幸がおとずれるかもよ」
なんてこった。会社が移転するとは。しかも3日以内に不幸がふりかかるという余計なおまけつき。
ジムめ、社長の座を利用して私たち社員を馬鹿にしているのか?
事実をたしかめようと、私はスーツに着替えて愛車のミニクーパーに乗ってマンハッタン6番街へと向かった。
会社につくと、室内がすごい埃臭かった。社長のジムと、同僚のキャサリン、ミッチが大掃除の真っ最中だった。
「もう、ジョニーったら遅いわよ」
掃除機をかけながらキャサリンが胸を震わせて言った。
「本当に会社移転するのかい?」
「あちらさんに訊いて頂戴」
そういってキャサリンは窓ガラスを腐臭のするぞうきんで拭いているジムのほうを指差した。
「やあ、ジョニー。突然のことですいましぇーん」
「社長、どうしてまた会社を引っ越すんだ?」
「きみのような一般社員にゃわからんだろうけど、企業というのは色々問題ごとや、やらなきゃいけないことがあってね」
「ふぅん。まぁ詳しくは聞かないでおこう。移転先はどこだい?デトロイトか、ロサンゼルスか?」
「日本」
「ジャパンだと!?」
「それも東京の葛飾区」
「しかも下町だと!?」
ミッチがトイレから帰ってきた。トイレの中をジュボジュボやるあの掃除道具を持っていた。
「トイレ掃除って大変だけど、綺麗にすればトイレの神様に褒めてもらえるんやで。……やあジョニーおはよっ」
「グッモーニン、ミッチ。朝からトイレ掃除とはご苦労様」
「会社は移転するけど、今後もよろしくねっ」
握手を求めてきたミッチの手を私は振り払った。
「トイレ掃除のあとは手ェ洗ってくれ」
ごめんごめん、とミッチは洗面所へ手を洗いに行った。
それにしても会社が日本へ移転か。日本というのは不思議な国だ。あんな狭い国土に1億3000万もの人間が住んでいる。
石油や金属資源もないのに世界有数の経済大国。日本産のアニメ、マンガ、ゲームは世界中で親しまれている。なんとも奇妙な国である。
「いきなりでちょっと面食らったが、日本で働くってのもよさそうだ。オラわくわくしてきたぞ」
「ジョニー、ドラゴンボールの真似?」
私は即指摘され、ちょっと照れくさくなってあごをかいた。
「あなたのけつあごも汚れてるわ。掃除しなきゃね」
掃除機の口を私のけつあごに押し付けようとしてきたキャサリンをひらりとかわし、私は壁にかかっていたモップを手にした。
「長らく付き合ったこの事務所ともグッドバイさ。念入りに掃除しようぜ」
キャサリンは掃除機をぶんぶん振り回して私のあごを狙ってきた。そんなに私のけつあごが汚いというのだろうか。
モップで応戦して、さながら時代劇のチャンバラのような状態になった。
「おいおい遊んでないで床磨いてちょー」
ジムに諭されて、私はモップがけをすることにした。キャサリンはふぅ、とかわいらしいため息をついて掃除機の作業に戻った。
西側の壁にはとある人物の写真が貼ってある。スティーブ・ジョブンソン。経営の神様と呼ばれたアメリカ有数の大企業社長だ。
ジムは彼を尊敬しているのだろう。
「これ邪魔だのおーベリベリベリー」
ジムはスティーブの写真を手ではがした。私の勘違いだったようだ。たんなる飾りとして貼っていただけだったらしい。
床を端から端まで掃除したキャサリンが机に腰掛けた。
「もうあらかた掃除終了ね。あとは引越し屋を待つだけね」
そういってキャサリンはキューバ製葉巻をくわえてぷかーっと一服した。
「キャサリーン!窓ふいたばっかなのにヤニついちゃうでしょー。タバコも葉巻もダメダメー!」
ジムは頬をふくらませてぷんぷん顔をした。キャサリンは舌打ちして床に葉巻を捨てて踏んだ。
どうしてこの会社の面子はこうまとまりがないのだろう?
「トイレ掃除は完璧にできたよ!」
ミッチが戻ってきた。ズボンからトイレットペーパーがはみでている。
「お尻拭く紙盗んじゃダメダメ!」
ジムにトイレットペーパーを取られて、ミッチはがくんと肩を落とした。
そのときドアをノックする音がした。ジムがどうぞどうぞと答えるとドアを開けて現れたのは陽気なゴンザレスだった。
「引越しボーイズ参上だっちゃ!」
「ゴン、きみピザ屋やめたのか」
「よぉジョニーちゃん。ピザ屋の廃棄物盗んで食ってるとこ見つかっちゃってピザ屋クビになっちゃったのだ。今は引越し屋さんのゴンザレスよ」
「そりゃクビになるわ」
「まっドジなところもおいらのチャームポイントだからネッ」
ゴンザレスとまともに会話をしていると頭のねじが緩みそうになる。体臭のきついイタリア人に早く荷物を外へ運ぶよう促して、私はキャサリンの肩を軽く叩いた。
「ジャパンへ行ってもきみと一緒ならなんとかやってけそうだぜ。今後もよろしくな」
「ジャップと一緒に暮らせるか不安だわ」
「まずはジャップ呼ばわりやめるとこから始めようか、レディ」
「イエローモンキーと呼べばいいのかしら?」
「うーんと、それもNG」
キャサリンは少し憂鬱そうに頭を垂れて、無言になった。何も怖いものなしの彼女でも異国での生活はかなり不安のようだ。
「ねぇジョニー。妹さんはどうするの?」
「キンバリーだってもう大人さ。私がいなくても1人でやってけるさ」
「……この街においてくのね」
私はちょっと口ごもって考えた後、答えた。
「キンバリーの意思を尊重するよ。ついてきたけりゃついてきてもいいしこの街での生活を続けるでもいい」
「立派な考えのブラザーもってキンバリーちゃん幸せね」
こうしてクルーガーブレント社はマンハッタンから東京の葛飾区へ本部を移転することになり、私たちは同じ飛行機でまだ行った事のない不思議な国、ニッポンで働くことになった。
不安半分、期待半分って感じだ。どんな人との出会いが待っているだろう。どんなトラブルや楽しいことが起こるだろう。私は少年のように胸をときめかせた。
飛行機に乗っている途中、後ろの席からゴンザレスの体臭がしたのは
気のせいだろう、たぶん。
―――第一部 完―――
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