八 泥沼

「あいたたたた、おのれ女王竜め」

 木に引っかかったアダムは、枝に打ちつけた腰をさすりつつ、空を見上げた。

「ぎゃおう」

 女王竜はアダムを探して飛び回っているようだ。アダムが身を潜めていると、甲高い悲鳴が聞こえた。

「あの声は、シリム・チーリか」

 声の方角を見ると、シリム・チーリが上空に舞い上がって悲鳴を上げている。彼女はそのまま悲鳴の尾を弾きながら落下し、そして再び空へと跳ね上がった。

「なるほど、尻から落ちたのだな……いや待てよ、そうなるとあの高度はおかしい。なぜなら彼女の尻は反発係数15であり、あの高さから地面に落ちた場合、もっと高いところまで跳ねあげられるはずだからである」

 そう、シリム・チーリが尻から地面に落ちた場合、地面がどれほど柔らかくとも落下開始地点より二倍は高く跳ね上がるはずなのである。しかし、彼女はどう見てもそこまで跳ね上がってはいない。

「あれはシリム・チーリの履いているズボンの衝撃吸収能力のせいか? しかしそんな耐震ゴムのようなスボンを履かせた覚えはない。ということは、地面があまりに柔らかいせいか」

 アダムは木の枝をぽきりと折り、下の地面に落としてみた。それは地面の下へずぶずぶと沈み込み、その姿を消した。

「なんと、この森は沼の上にあったのか」

 下が泥では、シリム・チーリがあまり弾まないのも頷ける。泥沼の中に木々が生えているこの森は、後にコクド・チリーンによって「ドロヌマングローブ1」と名付けられたのだが、実は泥沼の上にある森はここの他にもあと二つ、ちょうど正三角形を描くような位置関係で存在している。よって残りの名前は当然「ドロヌマングローブ2」と「ドロヌマングローブ3」である。このことから、このようにずぶずぶした恋愛関係を「泥沼の三角関係」と呼ぶ。

「これは困った、森の中では散り散りになった部下たちと合流することさえ難しいのに、地面があれでは満足に移動もできぬ」

 アダムがぼやいたそのとき、「アダム殿」と下の方から声がかかった。

「むっ、プリンプリン博士、それは何だ」

「小型の一人乗り飛行船ですじゃ、フライング壺と名付けました」

「ネーミングセンスのない奴だ」

 現れたプリンプリンは大きな壺のようなものに乗っており、それはゆらゆらと空中に浮いていた。

「やっと見つけたぞ。こんなところにいなさったか。このフライング壺はUFOの破片をかき集めて造ってみたのじゃが、ワシも歳で、乗りこなすことができぬ。ここに砲門も備え付けておいた。アダム殿、あの竜を倒すことができるのはあなたをおいて他におらぬ。火炎弾を避けたときの操縦技術は素晴らしかった。これに乗り、あの竜を打ち倒してきてくだされ。ワシはあそこで弾んでいるシリム・チーリの元へ一足先に向かっておりますので」

「仕方ない。操作方法を教えよ」

「十字キーで平面移動、 Aボタン長押しで上昇、 Bボタンで大砲発射」

「うむ、なんだか乗りこなしやすそうだぞ」

「もちろんですとも。緊急時はLとRを同時に押せば座席が射出されてパラシュートが作動します」

「なんとも至れり尽くせりなことだ」

「そして十字キーを下、右下、右あるいは下、左下、左で」

「波動拳が」

「右、下、右下あるいは左、下、左下で」

「昇竜拳が」

「……が、残念ながら撃てません」

「撃てんのかい」

「しかし昇竜拳や波動拳などなくとも、アダム殿ならあのような竜、けちょんけちょんにできるはずですぞ」

「そこまで言われると、やらぬわけにはいくまい。シリム・チーリがあそこで跳ね続けているので、きっと部下達もあれを目印にして全員あそこに集まるだろう。お主はそこで皆をまとめつつ待機しておいてくれ」

「かしこまりました」

「ではゆくぞ、それっ」

 アダムはAボタンを長押しし、上昇していった。

 さて、アダムが現れぬことに痺れを切らした女王竜は最も手近な標的に狙いを定めたが、これは言うまでもなく跳ね続けているシリム・チーリである。ばっさばっさと羽ばたきつつ、女王竜の口から再び火炎弾が吐き出された。ひとつひとつの直径が人間一人分ほどもある火球が数十個シリム・チーリに襲いかかっていく。

 いくら彼女の尻でも炎を弾き返すことはできぬ。シリム・チーリが迫り来る火炎弾を前に死を覚悟したそのとき、アダムはフライング壺を操って飛び出し、横からびゅんとシリム・チーリを掻っ攫い、森の中へ舞い降りた。

「まあ、アダム殿!」

 窮地を救われたシリム・チーリが目を潤ませてアダムを見上げ、泥まみれの部下たちもシリム・チーリの無事を喜び合った。

「話は後だ、私はあの竜と決着を付けてくる」

 彼女を部下達の上に投げ落としたアダムは再び空へ舞い上がり、部下たちの声援と悲鳴(後に聞いたところ、尻から落ちたシリム・チーリが木々と部下達の間を乱反射して多大なる被害を及ぼしたそうである)を背に、女王竜と向かい合った。竜はアダムを睨みつけ、口を開いて火炎弾を吐き出そうとしたが、アダムの声にその動きを止めた。

「あなたはもしかして女王であるか」

「いかにも、我はデップリ王国の女王である」と竜は唸った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る