第8話  用心棒

西牙丈一郎は、扉ごとフロアに飛び込むと、すばやく飛び上がり体を起こした。

二階フロアは殺風景な造りになっていて、パイプ椅子が二・三個転がっているだけであった。

そして、二人の男がいた。

目の前に。

すぐ目の前に二人の男がいて、鉄パイプで殴りかかってきていた。

西牙は軽く跳躍すると、一人の男の顔面に右拳を走らせた。

その男は顎を軽く打ちぬかれて床に倒れる。持っていた鉄パイプが大きな音をたてて床に落ちた。

西牙の動きは速かった。

床に降り立つまでに、もう一人の男の股間に蹴りを放つ。

「・・・・・!」

その男は変なうめき声を上げると、膝から倒れ込んだ。

西牙は床にフワリと降り立つと、落ちている鉄パイプを蹴り上げた。

鉄パイプが金属音をあげて床の上を転がる。

カラララン。

カラカラ。

鉄パイプが床を斜めに横切って転がって止まった。

いや。

自然に止まったのではなかった。

誰かの靴先で止められたのである。

そこには、鉄パイプの上に黒い靴をのせた男がいた。

「・・・・・」

西牙は顔を上げてその男を見た。

白い髪を綺麗に整えた男がいた。

顔立ちは細く、体格も細い。

唯一つ言えることは、仏のような笑顔であるということだ。

身長百七十センチ程で、体重約六十キロ程であろうか。

年齢は四十歳前半ぐらいに見える。

黒いスーツを綺麗に着こなし、両手をズボンのポケットの中に入れている。

「誰だ、お前は・・・」

西牙は静かに言った。

「他人の事務所に勝手に入ってきて、何を言っているんだ、お前は?」

その男はゆっくりとした口調で話した。

「ククク、お前・・・死ぬぞ」

西牙はそう言うと床を蹴って跳んだ。

その男の顔面に蹴りを放つ。

その男は軽く体を揺らすと、西牙の蹴りを数ミリ単位でかわした。

そして。

右足で踏んでいた鉄パイプを力強く踏んだ。

鉄パイプが凄い勢いで回転して、床から跳ね上がった。

ギュルルン。

煙を上げて飛び上がった鉄パイプが、西牙の頭部に向かって走る。

「チッ!」

西牙は頭を振ってその鉄パイプをかわす。

鼻頭に鉄パイプの先が触れた。

一ミリ以下。

いや、その十分の一の単位程であろうか。

その瞬間。

その男の右足が西牙の顔面に飛んで来る。

西牙は両手を顔面の前に持っていくと、その蹴りを防いだ。

西牙の体が後方に飛ぶ。

「ほう・・・」

その男は右足を空中に高く上げたままの状態で言った。

両手はあいかわらず、ズボンのポケットに入れたままである。

鉄パイプが床に落ちる。

西牙は体を空中で回転させると、ゆっくりと床に降り立った。

「ククク、やるじゃねぇーか」

西牙はニヤリと笑った。

鼻頭に赤い傷が出来ていた。

鉄パイプの先が当たった痕だ。

その男は右足を空中に上げたまま、静かに西牙を見ている。

顔の表情は笑顔だ。

「お前、何者だ・・・?」

西牙はじりじりと床を動く。

「俺か?俺はこの事務所の用心棒をしている、黒川如水くろかわにょすいだ」

その男はそう言うと、空中に上げていた右足をじりじりと天高く上昇させた。

ゆっくりと。

ゆっくりと。

そして、黒川如水の右足裏が天井に向いた。

「黒川だと?」

西牙は言った。

「仏の黒川と言った方がいいかな?」

黒川如水は静かに言った。

「ククク、そうかそうか。あんたがあの仏の黒川か・・・」

西牙は両手を空中に上げると、ニヤリと笑った。

重い空気が二人の間を包み始める。

黒川は、天高く上げていた右足を勢いよく床に叩きつける。

轟音がフロアの中を響き渡る。

黒川はその勢いで跳躍すると、ズボンのポケットに両手を入れたまま西牙の顔面に右足蹴りを放った。

西牙は左手でその蹴りをさばく。

しかし、今度は黒川の左足による蹴りが飛んで来る。

ずしりと重い上にキレがある。

「チッ!」

西牙は右手でその蹴りを止める。

しかし、黒川の動きは止まらない。

右足蹴り。

そして、左足蹴り。

その交互の蹴りが、西牙の顔面、上半身、腹部、下半身へと怒涛の如く襲ってくる。

速い、そして、重い蹴りだ。

西牙は両手両足でそれらの攻撃をさばいていく。

黒川はさらにスピードを上げていく。

打撃音と空気の裂ける音が交互に聞こえてゆく。

しかし、この足蹴りの速さはなんだ。

普通の人間が行える行為ではない。

そう、速すぎるのである。

黒川はさらにスピードをあげていく。

それも、両手をズボンのポケットに入れたままである。

西牙はニヤリと笑った。

「最高じゃねぇーか・・・」

西牙はそう言うと、黒川如水をじっくりと見た。

左右の蹴りは止まることなく、西牙の体にぶちこまれていく。

西牙は両手で黒川の蹴りをさばく。

「ヒョウッ!」

黒川は小さな奇声を発すると、左足首に力を入れて回転した。その反動をつけて、右足が大きく揺れて西牙の体を襲った。

回し蹴りである。

先程の蹴りの二倍は重く、速い蹴りである。

西牙は両手でその蹴りを受け止めた。

体が揺れる。

そして、西牙の両目が妖しく光った。

(な・・・なんだ?)

黒川は背筋に寒い何かを感じた。

身の危険を感じた黒川は、後方に勢いよく跳んだ。

西牙はニヤリと笑った。

黒川は、ズボンのポケットに両手に入れたまま西牙を見た。

「おいおい、どうしたんだよ・・・」

西牙は静かに言った。

「いやいや、あんまり攻めたら悪いだろ・・・」

黒川は軽くお辞儀をして言った。

「そうかそうか・・・」

西牙は両手を空中に上げたまま、じりじりと黒川に近づいていく。

「それじゃあ、今度はこっちから行かせてもらおうか・・・」

西牙はそう言うと、床を蹴った。

床に散らばった小さな砂が舞い上がる。

動きは速く、野獣のようである。

黒川は軽いステップを踏んで、左右に体を揺らした。

しかし、西牙の動きはさらに速かった。

黒川の目の前に西牙の体が滑り込む。

「・・・?!」

黒川は両目を見開いた。

西牙は両手をすばやく動かした。

そして。

黒川の両手首を掴んだのだ。

「さて、どうする?」

西牙はニヤリと笑った。

黒川は、右足を床から離すと、西牙の腹部をめがけて放った。

西牙はその蹴りを腹部で受け止める。

轟音がフロアに鳴り響く。

西牙は受け止めたのだ。

自分自身の腹筋で。

「おっさんよ・・・、ポケットに両手を入れていたら駄目だろ?」

西牙はそう言うと、両手に力を入れて黒川の両手を引き抜いた。

「お・・・お前・・・」

黒川の声色が少し変わったが、表情は笑顔である。

「ホラ、両手を出して戦おうぜ」

西牙は、黒川の両手から手を離すと、左右の拳を放った。

黒川の顔面に向かって走る。

黒川は両手でその拳をさばいて、スーツの上着を空中に投げた。

黒いスーツが空中を舞う。

黒川はフロア上を滑る様に動き、西牙の体に近づいていった。

黒いスーツはまだ空中を舞っている。

黒川は大きく息を吸うと、右足を左右に揺らして、連続で西牙の体に蹴りを放っていく。

西牙は、黒いスーツが空中に舞っているのをじっくりと見ていた。

その瞬間。

黒いスーツが大きく空中で舞い上がり、その中から黒川が飛び出してきたのを見た。

「チッ!」

西牙は、二・三歩後ろに下がると両手を前に出して身構える。

黒川の右足による蹴りが連続で飛んできた。

速い。

そう、速いのだ。

通常の人間の動体視力では、到底判別できない程の速さなのである。

西牙は左右の手でそれらの蹴りをさばき、前蹴りを放った。

黒川は右足でその蹴りを受け止めると、左右の腕をスラリと真横に伸ばした。

「ククク、ようやく両手を使う気になったようだな・・・」

西牙はニヤリと笑うと静かに言った。

「どうなっても知らないぞ・・・」

黒川は両手の指をゆらりゆらりと動かした。白いシャツを着込んではいたが、柔軟で引き締まった肉体であることは一目瞭然である。

「ククク、仏の黒川の真骨頂は打撃ではないだろうが・・・」

西牙はもう一度ニヤリと笑った。

「知っているようだな・・・」

黒川は笑顔のままそう言うと、床を力一杯蹴って西牙の腹部に右足蹴りを放った。

西牙は後方にすばやくよける。

その瞬間。

黒川は両手を蛇の様に動かして、西牙の右手を掴んだ。

そして、体ごと回転させると、西牙の右腕の靭帯を捻りにかかった。

「・・・・・!」

西牙は危険を感じて、同じように体を回転させる。

西牙は黒川の顔を見た。

仏のような笑顔。

その表情は恍惚としていて、気味の悪い程である。

「この曲者が」

西牙は黒川の顔面に左拳を放つ。

黒川は西牙の右手から両手を離すと、両足でステップを踏んで左右に跳ねた。

二人の距離が離れる。

その時。

「黒川さん、大丈夫ですか・・・?」

上の階から二人の男が慌しく降りて来た。

迷彩柄の上下の服を着て、手には鉄パイプを握っている。

どうやら、ヤクザ事務所の人間らしい。

「ああ、大丈夫だ・・・」

黒川は笑顔の表情で二人の男を見た。

「あれでしたら、私らで片付けますよ・・・」

二人の男は西牙に睨みを利かせて言った。

「いや、大丈夫だ。この男は私にまかせてもらおうか・・・」

黒川は静かに言う。

しかし、二人の男は少し興奮しているのか、全然引き下がらない。

「お前、どこに不法侵入しているんだ!コラ!」

二人の男は、手に道具を持っているためなのか、いつも以上に威勢がよかった。

車に乗ったり、ナイフを持ったりすると、威勢がよくなる人間がいるが、まさしくその典型であった。

そして。

二人の男が、手に持っていた鉄パイプを振り上げて動き出した瞬間、黒川は二人の男に飛びかかっていた。

「・・・・・?」

驚愕しているのは二人の男であった。

それはそうである。

味方であるはずの男に飛びかかられたのである。

黒川は満面の笑顔のまま、一人の男の右手首を掴んで上方向に捻る。

めききっ!

骨の折れる音が鳴る。

鉄パイプがフロアに落ちた。

「うぎいいーーーーーーーーっ!」

その男は背筋を伸ばすように空中に浮き上がった。

地面から三十センチ程は浮き上がったのではなかろうか。

そして。

黒川は、その男の後方にすばやく回ると、左腕を両手で掴んで逆方向に捻る。

ばつん!

ゴムが切れる様な異音がフロア中に響く。

「い、いがあくあぁぁーーーーー!」

その男は叫んだ。

左腕の靭帯が断裂した音である。

もう一人の男は、呆然としていた。

まず、何が起こっているのかがわからなかった。

最初に思った事は、なぜ黒川如水に攻撃されているのか、だった。

その時点で、頭の中が混乱していた。

黒川は、もう一人の男に焦点を合わせると低い体勢で体を走らせた。

「ひいぃぃーーー!」

もう一人の男は叫び声を上げると、手に持っていて鉄パイプを黒川に投げつけた。

黒川は軽くよけると、その男の右膝に前蹴りを放つ。

右足がぐんにゃりと真横に曲がる。

そして、男の動きが止まった。

黒川はその男の左右の鎖骨に指を掛けると、そのまま下方向に力を加えた。

ぺきっ!

べきっ!

乾いた異音が、その男の耳の鼓膜を刺激する。

左右の鎖骨と言う骨が折れていた。

黒川は左右にステップを踏むと、その男の後方に回って右手首を掴んで背中に押し付けた。

「うぎややああぁぁーーー!」

男は大声で泣き叫ぶ。

「お前ら、手出しするなと言っているのが聞こえないようだな・・・」

黒川は笑顔で言うと、その男の背中に回った右手首を押し上げる。

ぼきききっ!

めききっ!

右手首と右肘、そして右肩から骨の粉砕した音がした。

黒川はその男の背中を蹴ると、フロアに転がした。

「い、い、いだああぁぁぁーーーーーい!」

その男はフロアの上で激しく転がり回る。

黒川は笑顔で顔を上げた。

黒川の両目は、すでにその男を見てはいなかった。

西牙丈一郎の姿を見ていたのである。


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