天地無境の迎撃者《インターセプター》

出島 創生

Chapter:0 明星の叛逆者

 自分が決意したことを最後までやり遂げることができる奴は、この世にどれほどいるのだろうか。

 諦め、逃避、都合のいい曲解、忘却、それら全てを跳ね除けて、自分に嘘をつくことなく頑なに一直線に進める奴はそうはいない。なぜなら、誰にでも間違いはあるのだ。間違った道を進んでも、それは後から正すことができる。

 

 では、戻ることもできず、正すことのできない道に入ってしまったら?

 それは、これから自分が進もうとする道のことだ。一歩でも踏み出せばもう二度と引き返すことはできない。

 

 だけど、何故だろう――


 自分以外の誰かに、この道を進むことができないという確信が、胸の中にどこからともなく湧いてくる。無論、自分は普段はこんな自信家でもなく、どちらかといえば物事を悲観的に捉える方だ。

 だとしたら、この胸の中で溢れんばかりに輝き続けるものの正体はいったいなんなのであろう?

 

 もしかしたら、これは自分の進む道、 ― 運命 ― というものなのかもしれない。


     ✝


 ――この扉の向こうに、真実がある。

 

 立ちはだかる古い大きな扉の前で、黒いフード付きの外套ローブに身を包んだ少年は思う。

 目の前にある扉は古いとはいえ、施された装飾には曇りもなければ、埃の一つも積もってはいなかった。その出で立ちは荘厳かつ神聖、誰彼無しに自由に出入りできる雰囲気ではない。そしてこの扉の中は〝神聖不可侵の領域〟とされている。

 

 しかし、自分の中の知りたいと思う欲求を抑えられない少年は今、それを冒そうとしていた。

 秘密裏に発せられたという『熾天使の至上命令セラフィックコード』、それをこの目で確かめるまでは。

 

 ほう、と大きく息を吐きだしてから決意すると、彼はおもむろに扉に触れ、そのまま押し開ける。この扉に鍵が存在しないことは前から承知だった。

 大きな扉は思っていたほど重くはない。なんだか拍子抜けするようだった。

 音をたてないよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと人ひとり通れるだけの隙間を空ける。そして急いで体を中へと滑り込ませた。

 

 ここまで来るのにかかった苦労はほとんどなく、言ってしまえば楽勝。そして彼は誰もがなし得なかった聖域への侵入に成功する。

 

 聖域とされている部屋はドーム状になっており、至る所に置かれた燭台に灯る蝋燭ろうそくの光が唯一の明かりだった。薄暗い聖域の床には赤い絨毯が敷き詰められ、大理石の壁の一面には装飾として黄金がこれでもかというほど贅沢に使われていた。そして部屋の一部の壁には神に選ばれし者たちの名前が整然と刻み込まれている。

 

 少年がここに来たのは単に悪事を働くためではない。そんな下劣なことのためにわざわざ、聖域を冒すほど愚かではない。ただ、確かめたいことがあったからだ。

 

 少年の目的は部屋の中央に鎮座していた。それは白い布に被せられた巨大なオブジェである。大きさは目の前に立つ少年の二回りほど大きく、小山と言いってもいいほどであった。

 少年はオブジェに覆いかぶさる白い布に手を掛ける。よくよく見れば、ただの布だろうと思っていたのは我らが神国、『アリュデシオ』の国旗であった。

 

 金糸に縁どられた天使を象徴する双翼が中央にあしらわれている。双翼の付け根には上下に細長い六角形が乗っかっている。六角形にはきらめく星をかたどった十の印が独自の規律に則って配置されていた。そして六角形の下にはこの国のレガリア、交叉こうさする熾天使セラフの儀仗と剣が縫い付けれられている。

 

 ただの布だろが、国旗であろうが関係ない。少年はオブジェを覆う旗をすっと引き下ろした。


「なんだ、これは……」

 

 思わず、驚愕の声が漏れた。

 旗の下から現れたのは、淡い青みがかった一塊のクリスタル。

 向こうの様子が透けて見えるほどの透明度の高さは、一見するとそれ自体が高い価値を持っているように思える。しかし、ただの巨大な宝石の塊などではない。

 

 青く美しいクリスタル、その中心部には七つの光点が燦然さんぜんと輝いていた。蝋燭の光を遥かに凌駕するその光は瞬く間に聖域の間を明るく照らしだす。

 夜空に瞬く綺羅星のようにも見える光はただの点ではない。目を凝らしてよく見てみると、七つの光はそれぞれ紋章のような形態をしている。

 

 しかし、光を放つクリスタルが少年の驚きの理由ではない。なぜなら少年は以前にも間近で見たことがあるからだ。

 少年が驚いたのは、クリスタルの中にある光が〝七つしか〟ないということだった。

 

 聖紋。今、目の前に輝く光はこの世界ではそう呼ばれている。

 それは世界に生まれる遥か昔に存在した種族が守り続けてきた神との唯一の接点。あの光の一つひとつに奇跡を起こす力が秘められ、使い方を誤ればこの世界は滅びるとも言い伝えられている。

 

 ここまで聞くと、単なる昔話の言い伝えにしか思えないだろう。だが、聖紋は実際に数々の奇跡を世界に見せつけてきた。それゆえ、神がこの世界に残した至宝は畏怖いふの対象となりつつも、誰も持つことのできない力を持った奇跡そのものとして崇拝されているのだ。それゆえ、聖紋を保持するこの神国、アリュデシオの国旗にもその威光を示す意匠が施されている。

 

 十の聖紋が互いに繋がりあうことで力のバランス、いわば世界の均衡を保っている。だが目の前のクリスタルにある光点はどんなに数えても七つ。つまり、三つが消失していた。

 聖紋の消失だけではない。ひび割れ一つなく、純粋にひとかたまりだったクリスタルには真横に大きくひびが入り、消失する前につながっていた聖紋の、ちょうど下三つを分断するようだった。

 

 少年は我が目を疑う。このような世間、いや世界が騒然とするような出来事が外部に漏れることなく隠されていたことに。だが、すぐに落ち着きを取り戻した。


(やはり、あの話は本当だったか。なら……、あの計画もいつ実行されてもおかしくはないはず――)


 少年はある日、同じ組織の友人から聖紋の消失を冗談交じりで聞かされたことがあった。その時は特に気にも留めなかったがその疑惑は日を経るごとに大きくなり、ついには自分自身の目で確かめようとして、今に至る。

 

 そして、現実としてその答えが真の前にあった。世界を揺るがすほどの大事件への驚愕と共に、不思議とその状況を受け入れてしまう自分がいることに気が付く。

 こんなことになることを期待してなどいなかった。だがこの後、自分がとるべき行動はあらかじめ決めておいてある。

 少年は大きく深呼吸すると、背負っていた荷物を床に投げ捨てた。


(ここまで来たんだから、もう後には退けない。たとえこれから先、どんなことが待ち受けていても、どんな結末になろうとも後悔はしない)

 

 クリスタルに封じられた聖紋と向き合いつつ、少年はその場で膝を折り、頭を地面へ垂れた。そしそのまま両手を顔の前に前に組み、そっと目を閉じた。

 記憶の海の中、父が言った言葉を探す。短い間だけ一緒に過ごした懐かしい記憶。そして〝元〟神に選ばれし者であった父が、聖紋に捧げた祈りの言葉。思い出すにはそう時間はかからなかった。


「天より我らを見守りし神よ。我、天上に住まいて汝に選ばれし者なり。しかして我、汝に乞う。我らが創られる遥か古に、天より分かたれた地の世界へ橋を架けんことを。どうか天と地の不要の交わりを赦し給え」


 神より選ばれし者とはとんでもない大嘘を神の眼前でついたものだ。

 少年は神への祈りと請願の言葉を述べたところでそう思った。歴史上の選ばれし者たちは奇跡をこのような言葉を聖紋に向けて述べることで起こしてきた。

 

 しかし、同じ言葉を一般人が述べても奇跡が起こるのかは未知の領域であった。何しろ聖紋に言葉を掛けることができるのは〝選ばれた〟者にしか許されていない。

 その禁を破るどころか、嘘をつくというのだから少年の行動は甚だ馬鹿げている。おそらくこの国の歴史上、最悪ともいえる背教者といわれてもあながち間違いではない。


(やはり、駄目か……)

 

 少年は閉じていた目をゆっくりと開けた。目の前に輝く聖紋の光が目に飛び込んでくるだけで、何も起こることはなかった。顔を上げて確認しても、七つに欠けてしまった聖紋は何一つ変わることなく、ドーム内を照らしていた。

 

 なかなか上手く行くものでもないなと、少年は自分を慰めつつ、その場にへたり込む。

 期待が外れて苦い表情を浮かべるも、失意に沈むことはなかった。なぜなら、ここへ来たのは自身が聞いた噂話の真偽を確かめるためであって、奇跡を起こすことではない。

 

 だが、あまりここでのんびりしている訳にもいかない。ドームの天頂部分はガラスが嵌めこまれ、そこからは青黒い夜の色が広がっていた。

 時刻は深夜をとうに過ぎている。そして日が昇れば当然、聖紋が安置されている建物〝神殿〟の中に人が入ってくる。そうなれば神殿の内と外を合わせて人目につかないように離れるのはかなり難しい話になる。

 

 少年はおもむろに立ち上がると、床に広がる旗を掴む。ずるずると引き摺りながら、聖紋が封じられているクリスタルにかけようとした時だった。

 

 少年の視界が突然白む。


「なっ⁉」

 

 ――光だ。目も開けられないくらいに白い光が部屋の中に溢れている。その眩しさは目の前に太陽が現れたのと言われれば信じてしまえそうなくらいに苛烈なものである。

 目に飛び込んでくる膨大な量の光に、思考が正常に働かない。

 

 考えられる状況のパターンとしては警備の連中に見つかり、目眩ましをかけられたか。もしくは、神の眼前で狼藉を働いた神罰か。


 ――どちらにしろ、笑っていられる状況ではない。

 

 今にも警備の連中が自分を取り押さえるのではないかという恐れを抱きつつも、真白の視界の中、手探りで出口を見つけ出そうとするが、状況は一転する。

あれほど苛烈に輝いていた光が突如として、消えたのだ。

 

まばゆいばかりに溢れる光が消えたといっても、すぐに視界が回復するわけもない。暫くの間、少年は白い闇のなかでもがき続けていた。白が焼き付いた視界の中、頼りになるのは唯一正常に機能する聴覚と手当たり次第に振り回す腕の触覚だけである。

 

 だが、虚しく空を掻く腕や、張り詰めた空気の中で澄ました聴覚から得られる情報は何一つなかった。それどころか、周囲の状況に特に変化はないようである。

 

 視力が色を取り戻すにつれ、少年は今部屋の中で起こったことが現実だったのか理解するのに時間を要した。数秒前と変わらぬドーム内の調度品のレイアウト、一つも消えることなくオレンジ色に揺らめく蝋燭たち、そして眼前には七つに減ってしまった聖紋が何も変わることなくクリスタルの中に封じられていた。


「幻覚、だったのか……?」

 

 何も変わらぬ状況の中、少年は外の様子を伺うためにドームの西側にある両開きの窓に足早に駆け寄る。こちらの姿が見られないように注意を払いつつ、ガラス窓から少しだけ顔を出す。

 神殿の前にある広場がそこからは見える。だが彼が注視する広場の中央には小さな明かりが次々と集まり、大きなまとまりとなろうとしていた。

 

 どうやら、先ほどの光は幻覚ではなく、本当の光だったらしい。さしずめ、今の光は天使長が仕掛けた侵入者用の罠だったのかもしれない。

 あれほど眩しく輝けば、神殿が建つこの島のどこからでもあの光を見ることができよう。


 (まずいな、急いでここから脱出しないと――)

 

 流石の少年もこれには焦りの色を隠せない。窓の鍵をしっかりとかけ、カーテンを閉じ、頭の中で脱出の方法を考えるのに必死だった。

 

 広場にいる見張り役の天使たちにドームを包囲され、姿を一目でも見られれば全てが水の泡。さらに捕まりでもすれば、もう二度と外に出て太陽を拝むことなどできはしないだろう。

 早急にもと来た道を引き返そうと、例の古びた扉に向かった時だった。ガチャガチャと吊り輪上になっているドアノブを荒く操作し、扉を強引に開けようとする音が響き渡った。

 

 聖域に侵入したときに、手近にあった燭台を無理やりドアノブに通しておいて助かった。正直、追っ手がここまでやって来るのがこんなに早いとは想定外だった。

 

 どうやら、下の階は既に警備の連中におさえられたらしい。こうなればかなり強引な手段だがこのままドームの天頂を突き破って突破する以外にないようだ。

 だが、時すでに遅し。ドーム内にある窓を覆っているカーテンの隙間からは、天使たちの持つ明かりの光が行きかう様子が垣間見えた。

 

 ――完全包囲。もう他に打つ手はない。お手上げだ。

 

 少年の心が黒雲に覆われだす。だが絶望はしない。後悔は決してしないと自分自身に誓ったゆえに、立ち止まるわけにはいかない。むしろ世界に真実を広めてから命を散らすくらいの所存でもある。

 

 ……しかし、いつになっても扉を破る様子はない。

 

 ガチャガチャという雑音は止みはしたのだが、扉の向こう側から人の気配がきえた様子はない。耳をそばだててみれば、聞き取れはしないがなにやら会話をしているようだった。

 呑気にしているようにも思えるが、今のところ外の状況を伺うしか打つ手がない。

 そうこうしている間に扉の向こう側から聞こえてくる声は次第に大きく、荒々しいものになっていた。


「主任! なぜ扉を目の前にして突破しないのですか? 聖域に入り込んだ侵入者をみすみす逃すどころか、我らの至宝に何らかの工作を仕掛けている可能性だってあるんですよ。ですからどうかご命令を!」

 

 正義感をたぎらせた若い声の主は、上司に対して強行突破を提案しているようだった。


「だからさっきも言っただろう! ここから先は聖域、許可なく天使長様以外の天使が勝手に入ることは許されないのだ。だからこうして外と中から逃げ道を完全に塞いでいるではないか。おい! 許可はまだ出んのか⁉」


「そ、それが天使長様直々に、ここにいらっしゃるそうで。それまでここに待機との命令を承りました。もし、許可のなく突入した場合は評議会の下で将軍と共に審問にかけることも辞さないとも……」


「なにぃ! それなら天使長様はいつになったら現れるのだ――」

 

 上司と思われる声の主は明らかに苛立っているようだった。

 その会話を聞いていた少年は思わず、口端を上げる。


(天使長と、神殿の警備をしているイージスの奴らは所属が違う。縦割り行政の弊害とはこのことだ)

 

 だが、先ほどのやり取りの中に興味深いことを聞いた。まさか天使長が直々にここにやってくるとは思わなかった。それならご尊顔を拝するまで待つのもありだと思う中、少年は聖紋をもう一度拝むことにした。

 

 振り返った少年の顔を、聖紋から放たれる光が照らす。

 三つの聖紋が欠けてもなお、輝き続けるそれらは長い間世界を導いてきた。しかし、この異常事態は何かの前触れという予感がしてならない。

 例え世界を相手にしようとも、少年の心には何があってもやり遂げる強い意思が宿っていた

 

 突如、背後で爆発音が轟き、歴史のある古い扉が破壊された。同時に、何人もの部屋へと入る多数の足音が部屋中に響き渡る。


(天使長様のご登場か)

 

 少年は特段、驚きはしなかった。


「そこを動くな!」

 

 背後から強い敵意を持った声が彼の背中に投げかけられる。その声には老いを感じることはなく、むしろまだ若々しささえ感じるようだった。

 少年は抵抗することなく、両手を頭の高さまで上げる。


「そのままこちらに体を向けて、面を見せよ」

 

 手を上げたまま、少年は後ろへと振り向く。そこには金糸がふんだんに用いられた絢爛たる法衣を身に纏い、金髪碧眼で整った顔立ちの男が怒りで顔を赤く染めていた。

 

 階級『熾天使セラフ』、そして現天使長、カイル・ヴィナ=ロイヤネスその人だ。

 

 そして天使長の背後には、こちらも金糸で襟や袖口が縁どられた白い制服に身を包んだ集団が控えていた。各々が剣や槍を構えて武装し、物々しい雰囲気で天使長の命令を今か今かと待っているようである。


 神国アリュデシオ国防府直轄、『守護機関イージス』の治安維持部隊〔通称イージスⅡ〕であることが一目で見て取れた。


「フードを早くとれ!」

 

 せかす天使長を前にして、少年は落ち着きながらフードを取り去った。ぼさぼさの黒髪に、そこそこに整った顔立ちの少年の顔が露わになる。そしてカイルを鋭く見据える少年の黒い瞳には焦りや恐れの色はなかった。


「きっ、貴様は……」

 

 カイルは少年の顔を見るなり、その赤らむ顔色がみるみるうちに蒼白へと変わっていく。そして動揺したのはカイルだけではない。少年を取り囲む天使の一部も困惑していた。


「な、なぜ貴様がこんなところにいる? それに貴様、自分が何をしでかしたのか分かっているのか⁉」

 

 動揺をすぐさま拭い去ると、こちらを威嚇するようにカイルは少年を問いただす。その語調の中にむきだしの怒りが隠しきれていなかった。


「もちろん、自分のしたことの重大さは分かっているつもりだ。しかし天使長、あんたはこの重大な事実を今まで国民に隠していたんだな」

 

 カイルに悪びれる素ぶりを見せることなく、はっきりと少年は言い放つ。そして彼は両手を上げたまま、やれやれ言わんばかりにと肩をすくめてみせた。

 少年の言葉はカイルの背後に控えていたイージスの面々を驚かせるのに十分であった。


「な、なぜ聖紋が……て、天使長! あれは一体どういうことですか⁉」

 

 警備主任と思われる年配の天使が、カイルに問いかける。


「…………」

 

 天使長カイルは、表情一つ変えずに佇んでいた。いや、顔色を変えないように気を配っていた。その証拠に、瞳の奥では狼狽の色が見え隠れしている。


「隠すつもりはない、この問題は後々公開する予定だったのだ。とにかく、今はあの目の前にいる神聖な場を穢した背教者を捕えるのだ!」

 

 天使たちが少年めがけて飛び掛かろうとしたときだった。


熾天使の至上命令セラフィック・コード、第40578号」


「なっ⁉」

 

 それまで動揺しまいと保っていたカイルの表情は突如、崩れる。天使長のあまり慌てぶりにその場にいた天使たちも少年を捕えることを一瞬、忘れてしまったようだった。


「……何のつもりだ?」


(この反応、やはり真実か)

 

 明らかに警戒の色を浮かべるカイルを前にして、少年の疑念は確信へと変わる。


「聖紋を封じる護石に直撃させない限りにおいて、この場で魔法を使うことを許可する。早くあの者を捕えよ!」

 

 これ以上、ぼろを出さないようにカイルは再び、イージス達に命じる。しかも、魔法使用の許可まで出すとは、聖紋の消失よりも表に出したくないらしい。

 

 その場にいる天使は天使長のカイルを含めて、十七人。戦ったとしても勝ち目は全くない。なら、必然的に逃亡を図ることになるが、ドームの外側にも大量のイージス2の天使たちが待機していることを考えれば、答えは自ずと決まっている。絶望的だ。

 

 それでも少年は諦めない。例え、捕まることになったとしても覚悟は捨てるつもりなどない。


 カテゴリー:エレメント、下位魔法ロワークラス〈炎のつぶて〉、〈旋風の刃〉、〈氷塊のつぶて〉……

 

 少年を包囲するイージス達はあらゆる方向から魔法を放つ。その発動数は約十三。色とりどりの魔法の光が少年に向けて一分の隙間なく降り注いだ。

 

 凄まじい爆音がドーム内の空気を振るわせ、衝撃で舞い上がった埃が、煙のようにその場に漂っていた。

 数人の天使が魔法の着弾地点に集う。もちろん、手にする武器を構えつつ、細心の注意を払いながら。

 埃が漂う中、大理石の床が足首の深さほど抉られている部分を見つける。だがその場に少年の姿はなく、変わりに大きく引き裂かれ、焼け焦げた黒い外套ローブがそこに転がっていた。


 「どこだッ!」

 

 天使たちは、消えた少年の姿を追う。再びその姿を捉えるのにそう時間はかからなかった。彼はいつの間にか聖紋を封じるクリスタルの反対側に移動していたのだった。

 

 ローブの下に着ていた少年の衣服が露わになる。それは彼を捕えんと迫るイージス達と全く同じ制服であった。ただ一つ違う点として、天使長を除いたその場にいる者たちのネクタイの色は青であるのに対して、彼のものは燃えるような赤色である。

 

 見つけた少年へのもとへイージス達は距離を縮めると、持っていた武器を躊躇いなく振う。

 頭上から降り下ろされる剣の一撃に、彼は前方へ飛び込むように身をかわしたところで、今度は脇腹を狙った槍の鋭い突きが待っていた。

 何とか体を捩って槍の穂先をかわし、そのまま突っ込んできた槍の持ち主を背負うようにして赤絨毯の敷かれた床に叩きつける。叩き付けた相手にとどめを刺さずに身を引くと、少年が先ほど立っていた場所に数本の矢が突き刺さった。

 

 この様子から分かるように、一対一で相手するのが精いっぱいである。身を隠すところもなければ、逃げ道の塞がったドーム内で彼はじり貧状態に陥っていた。

 多勢に無勢。少年は息を荒げながら、じわじわと追い詰められる。その様子を天使長カイルは満足げに見ていた。


 「さあ、もう諦めたらどうだ? 貴様に勝ち目がないのは一目瞭然。大人しく神の審判を待つというのも選択肢の一つだ。我らが一族の恥さらしめ」

 

 さきほどの動揺した表情とは違い、優越感に浸ったように頬を緩ませていたカイルは少年に告げる。

だが、少年はふっ、と息をつくようにその忠告を一笑に付す。その反抗的な態度にカイルの頬の緩みはもとに戻る。


「全員で一斉にかかれ。それでも抵抗するというのなら、やむを得ない。〝殺せ〟」

 

 無表情のまま、カイルは冷たい声でイージス達に命じる。イージス達は忠実に少年を壁際へと巧みに追い込んでいった。

 

 死んでしまっては元も子もない。冷たい大理石の壁に背をもたれ、じりじりとにじり寄ってくる天使たちを前に流石の少年もここまでかと観念する。

 どうあがいても、この現状を打破する方法などない。自身の持つ奥の手もこの状況下では意味をさない。〝奇跡〟でも起こらぬ限りは。

 炎のような少年の心の勢いは次第に弱まっていく。何か冷たいものが自分の足元から登ってくる感覚さえした。


 ――その時、少年が願う〝奇跡〟は起こる――


 ズンという衝撃を少年の頭上から感じた。何か頭の上で起こったのか、上を見上げてもドームの天頂は何も変わったところはない。

 しかし、衝撃はその場にいた天使の全員が感じていたようで少年を取り囲みつつも、頭上を気にしていた。何が起こったのかどよめくドーム内に、外で待機していた天使が慌てた様子で飛び込んできた。


「たっ、大変です! 神殿の直上の空に何か、渦のようなものが出来上がって……」


 平静さを失った若い部下の報告を受けた警備主任の天使は、うまく状況が理解できていないようだった。なにが起こったのか多くの天使が疑問を浮かべる中、全く異なる表情を浮かべる人物が二人、そこにはいた。


 天使長カイルは、唖然とした様子でドームの天頂のガラスを見上げている。そしてもう一人、追い詰められていた少年は歓喜に心を躍らせながら、同じく天頂を見上げていた。


(もしかして、成功……したのか?)


「きっ、貴様、あろうことか、祈りの言葉を!」


 それまでにないカイルの激しい怒号がドーム内に伝わる。あまりの剣幕にいくつかの天使は肝を冷やすほどであった。だが、カイルが怒った相手はその場にはいない。


 突如天頂のガラスが何者かによって突き破られ、冷たく乾いた外の空気が室内に雪崩れこんだ。

 突き破った張本人は誰でもない、少年だ。

 

 彼は背中から黄緑色に輝く、薄いガラス細工のような一対の羽を生やし、真上に向かって飛んでいた。羽は鳥の翼のような形をしておらず、細長くいくつか筋のような模様が浮かび上がっている。


 ドームから脱出したところで、外にはドーム内の倍近い天使たちが少年と同じく羽を広げて待機している。だが、外にいた誰もが暗い夜空の一点を眺めていた。

 暁に白み始めた夜空の中、一点だけ光を吸い込むような漆黒の渦が天上に張り付いている。


 『天穴てんけつ』、それは天と地を結ぶ古より言い伝えられた奇跡のひとつ。

 

 少年は天空に空いた穴へひたすら突き進んでいた。だが、呆気にとられていた天使たちも彼の存在に気が付くと、すぐさま追跡しつつ魔法を発動させる。

 数えきれないほどの魔法が少年目がけて飛んでゆく。いくら一歩先を進んでいるとはいえ、放たれた魔法の速さは彼の飛行速度の非ではない。


 カテゴリー:エクストラ、上位魔法アッパークラス遮断領壁アイソレート・フィールド

 

 自身へと巡ってきた最高のチャンスを逃すわけにはいかない。少年はそれまで使うことを温存していた魔法を惜しげもなく発動させた。

 背後から迫る光の嵐は何かに遮られるように、何もない空中で一斉に爆ぜる。同時に少年の体に重い疲労感がのしかかった。

 

 カテゴリー:エレメント、下位魔法ロワークラス〈炎の礫〉〈氷柱の槍〉〈旋風の刃〉

         同じく、中位魔法ミドルクラス〈火天の氷霰こおりあられ〉〈颶風ぐふうの圧縮波〉

 

 自身に迫る魔法の第一波は何とか凌いだものの、すぐさま苛烈な第二派が押し寄せる。何とかうまくかわし、時には防いだりもしたがいずれ限界がやってこよう。

 そんな中でも少年は着実に『天穴てんけつ』へと近づいていく。


「全員その場から離れろ!」

 

 あともう少し、手を伸ばせば届きそうな距離までやって来た時だった。天使長カイルの怒声が彼の耳に飛び込む。

 

 カテゴリー:フェノメナ、上位魔法〈重力倍化グラビティ・アディッション


 すぐに地面に向けて思いきり押し付けられるような圧力が全身にかかる。力はその場に何とか滞空するのがやっとだった。

眼下を見下ろせば、ドームの真上に立つカイルが少年に向けて手を上げていた。カイルは重力を操作するほどの魔法を操れる数少ない天使の一人であったことを彼は忘れていた。


 「なんとしても奴を天穴に通すな。〈遮断領壁アイソレート・フィールド〉で入口を塞ぐのだ!」

 

 少年と天穴の間に、イージス達が展開する魔法陣のような模様をした領壁が次々と張り巡らされる。


 (あともう少しだ。いまここで止まるわけには――いかない)

 

 それは意地でもあった。

 重力の網に捕えられた右手を直上に伸ばし、少年は力の限り足掻く。地に落とせんとするカイルと、天へと昇らんとする少年との駆け引きが火花を散らすようだった。


 先に力を緩めたのはカイルであった。重力に作用するという点からその魔法は長く持続できない。しかし、魔法の発動を止めたところで、天穴は既に無数の領壁に塞がれている。少年がそれ通り抜ける隙間は皆無である。

 

 網から解放された少年は、そのまま張り巡らされた領壁に取りつく。領壁を破るにはそれ相応の力をもってすれば、一応破壊は可能である。だが、それは一枚だけに限った話だ。幾重も広がるそれらを破壊するのは、単独では不可能であることは彼自身もよく知っている。

 

 しかし、少年は不敵に笑う。それは諦めからくる自嘲ではない。なぜなら、彼にはまだ〝奥の手〟が残されていたからだ。

 

 カテゴリー:エクストラ、等位不明アンノウン霊素壊散ファンタジア・デモリッション

 

 少年の両の手が黄緑色の光に包まれる。そして彼は目の前に展開する〈遮断領壁アイソレート・フィールド〉に手刀を突き立てた。

 周りでその様子を見ていた天使の誰もが皆、驚く。あらゆるものを拒絶し、跳ね返す〈遮断領壁〉であるが、彼の両手はそれをものともせずに突き刺さったのだ。

 

 そこから少年は重い両開きの扉をこじ開けるように、左右へと力を込める。すると一枚の壁とも言える〈遮断領壁〉に上下にかけて亀裂が入る。

 

 その場にいた天使たちが気付く頃にはもう手遅れである。亀裂は徐々に広がり、やがて人ひとりが通れるほどの穴と化していた。


「今すぐ奴を止めろおぉぉぉ!」


 真下から天使長カイルの叫びが聞こえる。だがもうどうしようもない。

〈遮断領壁〉を突き破った少年は既に混沌の渦へ触れていた。

 

 あの闇の先に〝開闢かいびゃくの日〟より分かたれた地の世界が広がっている。だが、地の世界が本当に広がっているかは実際に通り抜けてみないと分からない。

 だが、少年の心には不思議とあの混沌の中から何とも言いようのない懐かしさを覚える。それがまた彼の胸の高鳴りを一段と刺激した。

 混沌の中へ飛び込んだと思うと、少年の意識は暗黒の中に消え去る。

 

 誰もが唖然と見上げる空の東に、一つの星が煌々と輝いていた。


     ✝


《報告》

 報告者:神国アリュデシオ将軍、国防府最高責任者ジン・コーサス

【名前】モリト・ヴィナ=ノークス

【年齢】十五歳

【階級】能天使パワーズ

【所属】神国アリュデシオ国防府直轄、『守護機関イージス』、国防部〔通称イージスⅠ〕

【身分】イージス候補生

【家族構成】なし。約三年前に父親で元天使長、アベルト・ヴィナ=ノークスは暴徒による襲撃で死亡。母親は不明

【場所】アリュデシオ神国、神都、エピテリオン神殿、聖域内

【行動】イージスの隊規違反、神国法典における重大な戒律違反、神に対する深刻な背信行為

【処遇】対象は聖紋の奇跡を利用し、現在地上界に逃亡したものと推測される。対象の階級と身分は剥奪。本人の思想や信条、隊や訓練生時代の行動については現在調査中。


 以上を天使長カイル・ヴィナ=ロイヤネスに報告する。

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