第14話 尼御前の墓

尼御前の墓というのは、地元の人に祀られているが、好んで行くような雰囲気の場所ではない。近くに墓地があり、集落から離れていて、どこか寂しげ。尼御前の墓の眼下には、小さく、美しい砂浜が広がっているが、地元の人はこの美しさを特別なものだとは思っていない。奇跡的にハイリ星につながった時空の穴に、だれも気がつかないのは人があまり近づかない場所だから。

でも、毎日この砂浜に通うひとりの少年がいた。名前は谷内くん。谷内くんは中1になったばかりだが、しばらく、学校を休んでいる。見た目は普通の子供だか、精神的に少し大人びていたのか、幼稚な同級生達になじめず、入学から1ヶ月もたたないうちに休みがちになった。今では毎日、学校ではなく、この砂浜に通っている。お父さんは漁師で、谷内くんが起きる前に漁に出ているから、学校をさぼっていることを知らない。お母さんは5年前、少2の頃に他界しており、いつもひとりぼっちで兄弟もいない。近所には友達もいない。

ある日の朝、谷内くんがいつものように砂浜に大の字に寝そべっていると、頭の方から聞いたことのある女性の声で「おはよ」とやさしく挨拶された。びっくりして胴体をよじりながら跳び起きると、そこには担任の原桜子(はらさくらこ)先生の笑顔。

無駄のない仕草で谷内くんの隣に座り、靴を脱ぎはじめた。裸足で体操座りになって気持ち良さそうに海を見ている。

波の音を聞きながら、波と砂の間に吸い込まれそうな、か細く、頼りない声で、

「先生も学校さぼっちゃった、、、」

と呟いた。

波がふわっと押し寄せて、砂の上に海が広がるように、先生の目の中には涙が広がってこぼれそうだった。谷内くんは何も言えず、先生の横顔を見つめた。先生はしばらく水平線に浮かぶ嵯峨の島を見つめ、裸足のまま立ち上がり、パッパッとお尻についた砂を落とした。谷内くんに「お参りしよっか」と声をかけ、くるりと尼御前の墓の方へ歩きはじめた。後ろから付いてくる谷内くんの気配を背中で感じながら、尼御前の墓はね、、、と語りはじめた。

「その昔、このあたりの港は唐との貿易が盛んでね、唐に渡る船は福江島を最後に出港したのよ。唐に渡ったまま帰ってこない貿易商の夫をひたすら待ち続ける女性が、尼さんになってね、ついには船の沈没を知り、夫の死を嘆いて海に身を投げたと言われているのよ。それが尼御前の墓、自殺した場所なのよ。」

谷内くんは初めて聞いた話に驚きながらも、どこかこの話に違和感を感じながら、先生の綺麗な後ろ姿を見つめていた。

ゆっくり歩いて尼御前の墓に着くと、いつもとは様子が変だった。先日の台風で枯れた花が散らばり、墓石が倒れている。その足元には不気味な穴が出現していて、底が見えない。先生も谷内くんも穴のように目を丸くし、怖くて躊躇しそうになったが、手を合わせる前になんとなく穴を覗き込んだ、その瞬間、谷内くんより少し前かがみだった先生が、音も立てずに吸い込まれていった!

谷内くんは反射的に顔をあげ、後ずさり。一瞬の出来事に何が何だかわからない。そのまま声も出せずに呆然、しばらく呆然。

ふと、砂浜の方に目を向けると、波打ち際にぽつんと並べて置かれた先生の靴が、いまにも波にさらわれそうになっている。

穴の中から〈自殺した場所なのよ〉と先生の声が聞こえたような気がした。

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