第15章 巫族討伐
第61話 風に舞いし君に降る花
うららかな陽光の中で、
たまに吹く穏やかな風に、庭の桜花が散らされて、まるで天祥を誘うように盛大に天に舞い上がって行く。花見日和を絵に描いた様な心地の良い春の午後である。
にもかかわらず、天祥の気分は、厳冬の寒風吹きすさぶ只中にあった。
花見日和を絵に描いた様な……という辺りが、実はその落ち込んだ気分に、更に拍車を掛けている。
花見日和の本日、燎宛宮では、まさに花見の宴が催されているのだ。近衛の隊士である天祥も、当然、その警護の任務に付くはずであった。皇帝陛下もご臨席する宴である。遠目ではあるが、優慶を見られる又とない機会だったのだ。
前年の暮れに、太后が病の床に付いてから、その執務のほとんどを優慶が引き継いだ。勿論、宰相である天海の補佐はあるが、その忙しさは以前とは比べ物にならない。慣れない公務をこなすのに、連日、夜遅くまで執務室にこもりきりになる事も珍しくないのだそうだ。そんな訳で、優慶がお忍びで街へ下りるという事も自然と無くなった。よって、今では、天祥が優慶に会えるのは、近衛の任務で皇帝の警護に付く時だけなのである。
それなのに、その大事な日に、天祥は屋敷で悶々とする羽目になった。理由は棋鶯子の保釈に絡み、役人に
「はあ〜」
天祥が幾度目かのため息を盛大に付いた所に、背後から笑い声がした。
「何だか置いてきぼりを食らった子供みたいだな」
「劉飛……兄さん……あれ?花見の宴は?」
「途中で抜けてきた。今日は、何だか人がやたらに寄って来てさ。挨拶しすぎて、首は痛くなるわ、人の顔見すぎて、頭痛くなってくるわ、愛想笑いしすぎて、顔は強ばってくるわでさあ……次から次へと、これがうちの息子です、娘です、以後お見知りおきを……って、一体何のつもりなんだか。そんなにあっちもこっちも来られたって、顔なんか覚えられるかっての。宴を楽しむどころじゃないし、早々に退散してきたんだよ」
劉飛のぼやきに、天祥は思わず吹き出した。
劉飛は、自分が燎宛宮で噂に上っている事を知らないのだ。次期皇騎兵軍元帥の最有力候補として、自分の名前が上がっていることを。元帥が代われば、幕僚の入れ替えもある。息子を持つ親にとっては、これは出世の好機なのであるし、娘を持つ親にとっては、若くて独り身の元帥となれば、当然、ぜひうちの娘を嫁に……という話になるのである。そういう世情をそもそも劉飛は理解していない。
「……らしいよなあ」
「何だよ?」
「兄さんは、旬の人、なんだって話」
「はあ?何だいそりゃ……お、そういえば、お前に土産があったんだ」
言いながら劉飛は、懐から、懐紙に包まれた小さな包みを取り出して天祥に渡した。
天祥が懐紙を開くと、中から菓子が出てきた。桜の花びらをかたどった、砂糖菓子である。この季節の定番の菓子であるが、天祥はその懐紙に何か書かれているのに気づいた。
――風に舞いし君に降る花、と読める。
「これ、誰かからの頂きもの……?」
「あ?ああ。俺甘いのだめだから、お前にやる」
天祥は、菓子を丁寧に包み直すと、劉飛に付き返した。
「こういうのは、気持ちの問題だからさ」
「気持ち?」
「恋文つきの菓子なんか、頂けませんって話」
「こ……?」
やっぱり、気づいていないのだ。天祥は苦笑する。
「風に舞いし君に降る花……って、要するに、風に舞う花びらになって、あなたの元に降りて行きたい。この花びらのお菓子は、そんな私の想いの塊です……好き好き劉飛さま、お慕いしております〜ってことでしょう、お兄さま」
天祥の口調に劉飛は肩を揺らして笑う。
「……おまっ、深読みしすぎ。これは、陛下からの頂きもので、俺だけじゃなくて、宴に来た奴はみんなもらってんの」
「……陛下からの……」
天祥は思わず手の中の包みを見据えた。
陛下が配ったお菓子。それを貰う人が大勢いたって構わない。その中にいる、ただ一人の人に渡す事ができれば、それでいい。これは、ただ一人の人に、その思いを伝えたくて綴った言葉……そう思うのは、考えすぎか。
この言葉は、優慶が劉飛に贈ったものなのだと、そう思うのは……
「……兄さんはさ、好きな人とかいないの?」
ほんの少し、間があった気がした。しかし、天祥がその表情を伺った時には、そこに別段の変化はなかった。
「何だよ、唐突に。っていうか……お前からそういう話題を振られるとはな。何だ?好きなお姫様でも出来たか?」
逆にそう聞き返されて、天祥は劉飛には、自分の気持ちを知っておいて欲しいと、そう思った。
「この命に代えても、必ず守るって決めた人がいる。その為に俺は、誰にも負けないぐらい強くなる。そう決めた」
「……そうか」
天祥の突然の決意表明に、劉飛はやや圧倒された様に相槌を打った。
「お前に、そんな子がな……ああ、そっか、それで八卦なのか」
誰にも負けないぐらい、強くなりたいから。
そこまでしても、守りたいものがあるから。
その純粋な思いが、何だか眩しく感じた。
「兄さんは、そんな風に守りたいものはないの?」
「そうだなあ……まあ、守るって言えば、俺の場合、皇帝陛下をお守りするってことになるのかな?それが俺の仕事だしな」
「仕事……」
「そう。仕事。でも、間違いなく、命がけでやってるぞ」
「……命がけで」
忠義の為とはいえ、劉飛が優慶を命がけで守っているという事実は、紛れもない現実として天祥の目の前に存在している。その事実の前では、天祥の思いなど、ちっぽけなものに思える。自分はまだまだ未熟だと、思い知らされる。
「……早く大人になりたいよなあ」
天祥の呟きに、劉飛が苦笑する。
「お前ねえ、年だけ取ったって仕様が無いんだからな」
「分かってるよ……」
それでも、もがかずにはいられない。
劉飛との差を少しでも縮めたいから。
いつか必ず追いついて、追い越さなければならないから。
……風に舞う花びらが、自分の所に舞い降りてくれる様に。
桜の花が、風に煽られて、また盛大に舞い上がる。この花びらは、今はまだ、空に舞い上がって消えていくだけ。
――まだ、あの人の所には届かない。
胸に疼く何ともいえない思いを持て余しながら、天祥の瞳はその花びらをいつまでも追いかけていた。
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