第69話 波紋

 それから半月程の後、華煌京の東六条大路にある璋家の屋敷で、劉飛の婚礼の宴が催された。

 当初は、当人の要望で、ごく内輪の者だけで静かに行う予定であったのだが、現役の元帥の息子の結婚であり、おまけに宰相が仲人で、ついでに新郎が次期元帥になる予定であるという様な話が燎宛宮に広まると、その宴に招待されたいと思う人々は大勢いたようで、結局は、かなり盛大なものにならざるを得なかった。


 その顔ぶれも、陛下がいない事を除けば、燎宛宮で朝議に出ている様な重臣ばかりであり、婚礼の宴と言いながら、酒が入り、無礼講の様相を帯びて来ると、日の暮れる頃には、そこは政治論争が飛び交う色気のない場所になっていた。


「……巫族を討ったというのも、まやかしであろうな。長老の首を送って寄越しただけで、外には何も無い」

「左様、手の者をやってみたら、天河沿いに、ちゃっかりと、補給の為に築いた砦を残しておるとか」

「先の討伐の折の砦をそのままにか?それは、穏やかでないの。何を目論んでおるのやら……」

「皇騎の元帥の目処も立ったしな、そろそろ河南の問題を本腰を入れて考えねばならぬな」

 目出度い宴の席には似つかわしくない、剣呑な会話がそこここに飛び交う。



 そんな空気に嫌気が差して、華梨は宴から外れ、静かな裏庭の方へ足を向けた。

 不意に、物陰の暗闇に不穏な気配を感じた。咄嗟に、八卦で防御の陣を張る。間髪入れず、そこに、いかづちの攻撃が来た。華梨は手の平を返し、そこに光の球を導く。そして、たちまちその雷を球に収束して、封じ込めてしまった。

「今は、そういう気分ではないのだけど……」

 言って、相手に球を投げ返す。それを棋鶯子の手が掴んだ。

「……封印珠って……お前は、五行の系術師ではないのか」

 封印珠とは、相手の気をことごとく封印する球である。攻撃力のない星見が、その身を守る為に使う、護身用の術具だ。

「……私はただの星見。劉飛様は、星見と八卦師の区別がつかないから、八卦師だと思っておられる様だけど」

「星見って言ったって、ただのって事はないだろう……この私の術を封じておいて……」

「そうね。ただの……というのは、語弊があるかもしれないわね…」

 華梨が不敵な笑みを見せる。その背後に、大きな気配を感じて棋鶯子はその場に立ち尽す。

「今後二度と私の前には立ちはだかるな。次は、容赦せぬ」

「……」

 動けなかった。声を発することすらも出来なかった。棋鶯子はただ、華梨が立ち去っていくのを見送ることしか出来なかった。





 都に置いている部下から、定期的に送られてくる報告書を読んでいた周翼は、その中の一文に思わず釘付けになった。


『皇騎兵軍首位大将、劉飛様、ご婚姻の儀、相成りし候。そのお相手は、よう茗香めいか様と……』


「楊茗香……まさか麗妃様なのか」

 周翼は卓上の書類を慌てて書き分け、現れた隙間に占術盤を描き出す。その右隅に、昨日までは影も形もなかった赤い小さな星が輝いているのを見つけて、愕然とする。

「……天闇星てんあんせい……分かっているのか、華梨……これは諸刃なのだぞ」


 天闇星――それは全てを滅ぼすという凶星だ。


 相手を滅ぼすだけではなく、それを仕向けた者にも滅びをもたらす。故に諸刃なのだ。

「何故……この様な真似を……」


……これは、白星王に謀られたな……


 藍星王の声が聞こえた。

「このままでは……何か手を……」

 自分の声が動揺に上ずっているのに気づいて、周翼は大きく息を吐いて心を落ち着けようとする。だがその頭の中は、目まぐるしく動いていた。

「……事によっては、麗妃様の暗殺を考えねばなりません」


……白星王が、ここまで周到に用意したのだ。付け入る隙などないだろう……


「しかし、このまま手をこまねいていては、赤星王の封印が、解かれてしまうのではないのですか」


……そうだな……封印は解かれる。だから、お前が考えなくてはならない事は、封印が解かれた後の事だ……


 赤星王を再び封印するには、蒼星王の力が必要だった。蒼星王の封印を解除する。

 だが、それは……


……それだけは……出来ない……


「まだ、少しの猶予はあります。赤星王の封印が解かれる前に、事態を収拾する策を講じるべきです」


……お前が、そう思うのなら、そうすればいい。蒼星王の封印は、お前の意思なくば、解くことは出来ないのだからな。だが、覚悟だけはしておけ……


「……はい」


 実は、赤星王は麗妃の中に、二重に封じられていた。麗妃が直接に、赤星王の宿主になるという訳ではないからだ。麗妃が、星王を宿した者と結ばれてもうける子供。それこそが、赤星王の宿主となる。

 そのからくりを知っているのは、藍星王と彼に頼まれてその仕掛けを施した白星王のみだ。だから、橙星王を宿す劉飛との婚儀は、白星王が謀ったものと言わざるを得ない。その出現を阻止するには、星を宿す子供を産む前に、麗妃の命を絶たなければならない。しかし暗殺など姑息な手では、あの白星王には通用しないだろう。


 ならばどうする……

 周翼の中に、その答えは出ていた。ただ、その決断をするには、気持ちに整理を付けなくてはならない事があまりに多かった。

 だが、ついに周翼が口を開いた。


「未だ時期尚早ではありますが、例の計画を早めるしかないかと」


……風伯の計か……


「はい。早ければ、来春。都へ進軍します」

 周翼は苦渋に満ちた表情で、藍星王にそう告げた。





 冥王が、両手にそれぞれひと振りの剣を持ち、緋燕ひえんの眼前に差し出した。

「これは……九星王剣。天界にあるはずの宝剣が、なぜここに…」

 緋燕は冥王の意図を確認する様に、その顔を見据えた。


 九星王剣。

 その剣は、二振りでそう呼ばれている。


 その一つは、九星動王剣きゅうせいどうおうけんといい、天界の四天皇帝が携えるという宝剣。

 今ひとつは、九星静王剣きゅうせいせいおうけんといい、冥府の王が携える宝剣である。

 それが、今目の前に揃ってある。


「これで、星王を、狩ってこい」

「……狩る?」

 冥王が剣の柄を緋燕に示す。そこには、それぞれ透明な水晶が五つと四つ、合わせて九つ埋め込まれていた。

封神球ふうじんきゅうという言葉は、聞いたことがあるか?」

 地上の八卦師が、封魔球という術具を用いるのは知っている。それが魔物を封じる水晶だというのなら、封神球というのは……

「よもや……神を……封じる水晶なのでしょうか…」

 緋燕の声は緊張に掠れた。

「当たりだ」

 冥王が満面の笑みを見せる。それが、その感情に伴う笑顔で無いことは、分かる。緋燕の背筋を冷たいものが走った。


「冥府の王の名において命じる。地上にいる星王を全て、この冥府に召喚する。……いい加減、地上のごたごたには、ケリを付けなくてはならないだろう?私は、地上の星王共に、この混乱を収める事はもはやできぬと判断した。ならば、彼らの存在は、地上への余計な干渉以外の何ものでもない。即刻止めさせるべきであろう。四天皇帝が手を出さぬというなら、この私がやるしかあるまい」

「……」

「星王を無理やり冥府に連れてくるとなれば、この宝剣に封じて連れて来るしかないからね。この九星王剣で、宿主の胸を刺し貫けば、その生死に関わらず、そこに宿る星王を封神球に取りこむことが出来る」

「……しかし、それでは……覇王の候補となっている者たちは……」

「運が良ければ生き延びるだろうし、悪ければ死ぬ。人間なんだから、そんな事は今更な話だ。彼らはこれまで、星王の守護を受けていたが故に、寿命とは無縁の生を生きていただけの事。それが元に戻るだけだ。遣り残した事があろうが、思い残した事があろうが、死ぬ時は死ぬ。それは誰だって同じだろう」

「……」

 人の生死を司る神の言い様に、緋燕は戸惑いの色を浮かべる。しかし冥王は、半ば押し付ける様に、その手に剣を握らせた。そしてその耳元に、囁くような声で言う。


「そなたが、この任を果たせば、今度こそ、そなたの願いを叶えよう。羅刹族の罪を許し、羅刹王羅綺の復活を約束する」

 その言葉に、緋燕は弾かれた様に、顔を上げた。この仕事をやれ遂げれば、この屈辱的な従属から解放される。そう思った途端、緋燕の中にあった戸惑いは消え失せた。


……今度こそ、羅綺を救い出す事が出来る……そして全てを昔のままに、元のままに戻せる……


 緋燕は立ち上がって、二振りの剣を腰に差して頭を垂れた。

「全てを、御心のままに」

 その返事を聞いて、冥王は満足そうに頷いた。


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