3.朝食
顔洗ってついでに頭も冷やしてからキッチンに向かう。
料理はもうすっかり冷めちゃってて、仕方がないからパンを薄く切るとベーコンエッグを載せたパンの上にかぶせ、スライスチーズもはさむともう一度トースターに放り込む。簡易ホットサンドだけど、冷たいよりはいいに違いない。
それからインスタントだけどスープを用意する。お湯を入れればすぐだから、彼女が来てからにしよう。
コーヒーを入れようと思ったけど、牛乳が切れてた。今日買ってこなきゃ。
チン、とトースターが鳴った。
扉を開けるとチーズの匂いが広がる。
ああしまった、これならピーマンの輪切り乗っけてケチャップかけてピザトーストにすればよかった。晩はピザトーストにしよう。
空腹を思い出したのか、ぐぅぅと腹が鳴った。
「うわあ、いいにおい」
女の子の声が耳に飛び込んできて、僕はあわてて振り向いた。
そうだ、ついいつもの日常の積もりでいたけど、彼女がいたんだ。
すっかり忘れていた。ううん、考えることを頭が拒否してた。
赤茶の髪の毛をした彼女は、僕が渡した服をちゃんと着ていた。白いTシャツの上に紺色のジーンズ生地のワンピース。
だけど、胸元が苦しかったのだろう、前開きのワンピースはずいぶん下までファスナーが開けてあって、そこからこぼれた白い布に包まれた大きな二つの塊に視線が釘付けになる。
「あの、これでよかった? こういう服、着るの初めてで……」
「えっと、うん、たぶん大丈夫」
大丈夫とか言いながら僕はそっぽを向いた。
このワンピース麻紀姉が着てるところを見たことがあったけど、全然胸元が盛り上がってなかったような……。
「と、とりあえず朝ごはん食べよう?」
トースターから出来上がったホットサンドを皿に移すとテーブルに置いた。
スープもお湯を注いでくるくると匙でかき回す。ドリンクポット使ったらもっと楽に美味しいのが作れるはずなんだけど、麻紀姉が買ってくれないんだよな。
今度母さんたちに連絡取れることがあったら頼んでおこう。
「えっと、はい」
彼女はテーブルの向かいの席に座ってキョロキョロと物珍しそうに周りを見回している。
「どうぞ。召し上がれ」
召し上がれだなんて言うほどのことはしてないんだけど、スープカップを置いて席に座る。
彼女の頭の上の耳は不安そうに前倒しになったまま、あちこちクルクルとまわっている。
髪と同じ色の尻尾が背後でうねうねと動いてる。そういえば、スカートなのにどこから尻尾が出てるんだろう。もしかして、スカートの裾がめくれ上がって……?
それ以上考えるのを放棄して、僕はホットサンドを手に取った。
彼女はしばらく鼻をひくひくさせていたが、僕の方を見ておもむろにホットサンドに手を伸ばした。
もしかして、食べ方がわからないのだろうか。
視線をサンドイッチに戻してがぶりとかぶりつく。うん、やっぱりケチャップが欲しくなる味だ。今晩にでも再チャレンジしてみよう。
ちらりと彼女を見ると、彼女も同じようにしてかぶりつくところだった。
途端に頭の上についている耳がピンと立つ。
「美味しい!」
花開くような……というよりはなんだろう、太陽が顔を出したみたいに僕には感じられた。胸の奥がぽっとあったかくなるような……それほど彼女の笑顔が眩しく見えた。
「こんな美味しいもの、食べたことない」
「どういたしまして」
大した料理はしてないんだけど、喜んでもらえるとやっぱり嬉しい。
正面切って褒められるのは久々のことだ。照れくさくてはにかみながら、僕は答えた。
◇◇◇◇
スープと、ついでに出したヨーグルトまでぺろりと完食すると、彼女は手を合わせて「ごちそうさまでした」とつぶやいた。
自分で作って自分で食べることがほとんどだから、いただきますもごちそうさまもしないことのほうが多い。麻紀姉は夜は遅いし、朝も時間がずれたりするから一人で食べるのにも慣れた。
だから、食卓に誰かがいて、ごちそうさまと言われるのはくすぐったくて嬉しかった。
僕も手を合わせて久々に「ごちそうさまでした」と口にした。
皿を食洗機に放り込むと、食卓に座ったままの彼女の前に冷たい麦茶の入ったマグカップを置いた。
途端に彼女は居住まいを正した。耳も尻尾もぴんと空を向いている。
「じゃあ、話してくれる? なんで僕が昨日を覚えてないのか、なんで一緒に寝てたのか。それから、君が誰なのか」
食事を一緒に摂ったおかげだろうか、いろいろぐちゃぐちゃになってた頭も冷えたみたいだ。
彼女はテーブルに視線を落としていたが、やがて小さくうなずいた。
「……ごめんなさい。あなたを巻き込んじゃって……。あの時、道に迷ってたの。だから、高いところに登ったら見通しが良くなるかなと思って、近くの街灯に登ってたの。そしたら、足滑らせちゃって……落っこちたところにあなたが通りがかって……」
そういえば、夢の中でも彼女はそんなことを言っていた。
「持ってた救急キットで治療したの。でも、救命カプセルに入れても十二時間以上かかるって診断が出て……あんな場所で治療なんかできないし、あなたのうちを探して運んだの」
「探した?」
彼女は小さくうなずくと、僕の左腕の輪っかを指差した。
「それ、個人用の端末でしょ? 緊急時の連絡先に住所があったから、タクシー捕まえて運んでもらったの」
そういえば、この輪っか、装着者に異変が起こった場合には登録されてる連絡先に自動で通知が飛ぶようになってる。今は麻紀姉が連絡先になってるんだっけ。
「じゃあ、あれは夢じゃなかったんだな」
ふっとばされて、彼女がぼろぼろ泣いてて、体が動かなかったことも、声も出せなかったことも。
彼女はうつむいたままうなずいた。
口の中が乾燥してるのがわかる。麦茶を一口飲んで、ため息をついた。
「夢の中で体が動かなかった。ひどい怪我だったんだね」
やはり彼女はうなずいた。
「
「キャスター?」
普通によく聞く言葉だけど、彼女の言っているそれとは違うように思った。どこのことだろう。
「えっと……
猫星。それなら聞いたことがある。確か輸送大手の『キャットシューター』が猫星の企業だって遊真が話してたっけ。
宇宙版『どこでもドア』と呼ばれる異星間ゲートと異星連絡船を所有・運営してる企業の八割が猫星に本拠地があるって言う。
その猫星?
「じゃあ、君は……」
驚いて僕が言いかけると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「わたしはパトリシア。パトリシア=ヘーヴェン。
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