第64話 薫子と王子様とお姫様②

「……」

 私が御坂くんに助けられてから、数日が過ぎた。

 彼のクラスの人がみさかとかゆうきとか呼んでいたので、読み方は御坂悠輝であっていたらしい。

 あの日以来、ついつい御坂くんを目で追ってしまう。

 休み時間に廊下で、偶然教室から出てきた彼を見ただけで、私は嬉しくなった。

 お昼休みに、教室からグラウンドの方を見て、御坂くんがいたら、昼休みが終わるまで、ずっと見つめていた。

 しかし、あの日から一度も会話できていない。クラスも違うし友達になったわけじゃないし、機会がないのだ。

 放課後になると、みんな友達同士で声を掛け合って、一緒に帰ったり、おしゃべりしたりしている。

 私は、いつもそれを羨ましく思いながら、教室を後にする。

 今日、私は何となく図書室へと向かうことにした。

 だいたいの教室の場所も覚えることが出来たので、私は迷うことなく図書室にたどり着く。

 途中で御坂くんに会えないかとちょっと期待したが、勿論そんなことはなかった。彼はだいたいすぐに家に帰っているようだ。いつもお昼休みに一緒にいる子達と遊ぶ約束でもあるのかもしれない。

 私は、図書室に入ると、お料理関係のコーナーへと向かう。目的はクッキーの作りかたが載っている本だ。この前、ニャニャミのクッキー型を買ったので、次のお休みにクッキー作りにチャレンジする予定だ。今日は、そのためのレシピが欲しい。ママが教えてくれるって言ってたから、いらないかもだけど。

「むー……」

 私が目当ての棚に近づくと、一人の女の子が本を見ながら唸っていた。

 肩にかからないくらいのセミショートの黒髪で、肌が白くとても可愛い女の子。同じクラスの……高木さんだったかな?

「もっと分かりやすく書きなさいよ……この通りじゃ美味しく出来ないのはもう分かってるのよ……」

 高木さんはぶつぶつ本に向かって文句を言っている。

「……」

 私は声を掛けようか悩んだ。彼女がちょうどお菓子関係の本棚の前にいるため、このままでは目当ての本を取れないのだ。

 でも、この子もお菓子作りに興味あるのかな……。

 私の頭の中でいくつかの選択肢が思い浮かんだ。

『高木さんもお菓子作り興味あるの? 私今度のお休みに家で作るから一緒に作らない?』

 上手くいけば、お友達になれそうな選択肢……。

「おかし……」

 私は、思い浮かんだ台詞を言おうと思ったが、恥ずかしくなって尻込みしてしまう。こんなことを言えるなら、多分今頃友達が出来ているのだ。

『ごめんね高木さん。本取りたいから、ちょっとどいて貰って良い?』

 こっちはどうだろう。一番無難だし、もしかしたら高木さんの方から、お菓子の話題振ってくれるかも……。

 私は意を決して高木さんに声を掛けることにする。

「あっあの……高木さ――」

「適量って何よ! ところどころあやふやな言葉で誤魔化すなぁ!」

「ひっ……」

 何て言ったかは小声だったので聞こえなかったが、高木さんがイライラしているのはすっごく伝わってきた。

 私は口をぱくぱくさせてしばらく固まる。

 いっ……今話しかけるのは無理だよぉ……。

『……(今は諦めて高木さんが動くまで他の棚で時間をつぶす)』

 これしかなかった。

 私は、声を掛けようとして固まった態勢から、踵を返して、その場を離れようとする。

「もう今日はいいや……あれ? たしか……一ノ瀬さん? いつから……」

「うぇっ……!」

 私が動くより早く、高木さんがこっちに気づいてしまった。

「えっ……いやっ、あの……今来たところ……?」

「っ……!」

 誤魔化したつもりだったのだが、私の反応から、さっきまでのを見られていたことに気づいたのか高木さんは顔を真っ赤にした。

「いっいや……これは……えと……べ、別に私が料理が下手って訳じゃなくて……本が悪いから、つい文句言っちゃっただけで……」

 よく分からないけど、高木さん的にはかなり見られて恥ずかしい姿だったようだ。

「はっ!」

 あることに気づいて小さく呟いた。

 私、久々にクラスメートとお話ししてる……!

 これはチャンスだ。今、上手くお話出来れば、とっとと友達に……。

「あっあのたか――」

「何でもないからぁー!」

 高木さんは、持っていた本を勢いよく棚に戻すと、そのまま走って図書室から出て行ってしまった。

「また…………だめだった」

 転入してきてから何度目かの友達作り失敗に私はかなりへこんだ。




 その後、本棚を物色した結果、高木さんが見ていた本が一番分かりやすそうだったので、それを借りて私は帰ることにした。

「イラストとかで補足してくれてて分かりやすいのに、高木さんは何が不満だったんだろう……?」

 私は、高木さん言葉から、この本は分かりにくいのだろうと見るのを最後にした。しかし、実際は一番分かりやすい本だったのだ。

「不思議だなー」

 小さく呟く。

 ゆっくり物色していたせいか、帰りが大分遅くなってしまった。早く帰らないとママが心配するだろう。

「ちょっと、走ろうかな」

 私は、少し焦って小走りになる。ママは私が友達作りで悩んでいるのも気づいていたみたいだったし、これ以上心配を掛けたくない。

「…………えっ!」

 右足が何かを踏んで滑った。私はそのままバランスを崩して前のめりに倒れる。

 咄嗟についた手と膝が痛かった。

「っ……うっ……」

 私はそのまま動けなくなる。目頭が熱くなって涙が溢れてきた。

 自分が踏んづけたものを見ると、潰れた缶だった。誰かが飲んで捨てたのだろう。

 こっちに来てからのことを思いだして、ますます涙が溢れでる。ずっと友達も出来なくて、一人ぼっちで……。

「……っ」

 あの時みたいに助けてよ……。

「……みさか……くん」

「大丈夫か?」

「……えっ?」

 私は突然掛けられた声に驚いて、顔を上げる。そこに居たのは御坂くんだった。

「っと、立てる?」

 そう言いながら、御坂くんが手を貸してくれる。私はその手を握って何とか立ち上がった。

「膝のところ血が出てるな。えっと……こっち」

 見ると、左膝の所のズボンが破けていた。血も出ていて、見ただけで余計に痛くなった。

 御坂くんに手を引かれて歩き出す。私が痛くて足を庇うように歩くと、肩を貸してくれた。

 私は、今起こっていることが現実と思えなくて、頭が混乱していた。

 ほんの少し歩くと小さい公園があった。そこの蛇口のところで私の膝に水を掛ける。

「っ!」

「ちょっと我慢して」

 水で傷を洗い終わると、御坂くんは持っていた鞄から絆創膏を取り出すと貼ってくれる。男の子が好きな、何とかライダーのだった。

「その柄これしかなくて……家に帰ったら、別のに張り替えて……」

「う、うん」

 私は返事をしながら、傷を洗うために上げていたズボンの裾を元に戻した。

 傷はずきずきとまだ痛むが、泣きたい気持ちはなくなっていた。

「そういえば、俺の名前知ってたんだな」

「えっ……?」

「ほら、さっき御坂くんって」

「あっ」

 言われて顔が熱くなった。さっき思わず呼んだのだ。そこに居ないはずの御坂くんを。

「う、うん。他の子が呼んでるの偶然聞いてて。うん、偶然……」

 偶然というところを強調する。名前を確かめたくて、聞き耳を立てて居たのを知られたら恥ずかしくて死んでしまう。いないはずの御坂くんのことを呼んでしまったなんてもっとばれたらいけない。

「そ、それに名札に書いてあったから……」

「そっか」

 御坂くんは特に気にした様子もなく頷いてくれた。

「えっと、改めて、俺は御坂悠輝。そっちは……」

「いっ一ノ瀬……薫子」

「一ノ瀬か、改めてよろしく」

 そういって優しく笑う御坂くんに心臓がドクンと跳ねた。

「えっと、送ろうか? 肩くらいなら貸せるけど……」

「肩……」

 そういえば、この公園に来るまで肩を組んでいた。つまり、体が密着して……。

 ようやく少し落ち着きかけていたのに、また顔が熱くなってきた。意識してしまうと恥ずかしくてたまらない。

「だっ大丈夫。そ、そんなに遠くないし……」

 慌てて私は断った。本当は御坂くんが家まで送ってくれるのは凄く嬉しいのだが、ずっと肩を組んでいたら、恥ずかしすぎて死ぬ自信があった。

「それに、御坂くんも用事あるんじゃないの?」

 小学校では名札を付けてないといけないのだが、御坂くんは今付けていない。つまり、一度家に帰って出てきたということだ。

「親に牛乳買ってくるように頼まれただけだから別に良いんだけど……」

 御坂くんは心配そうに私を見つめてきたが、少し間を空けてぽんと手を鳴らした。

「あっ家まで男子が行くの嫌だよな。ごめん気づかなくて」

「えっいや、そういうわけじゃないんだけど……」

 しかし、ドキドキして恥ずかしいからとは、絶対に言えない。

「通学路から逸れちゃったけど、道分かる?」

「大丈夫」

「そっか。じゃあ、また学校で」

「う、うん……またね」

 私の返事を聞くと、御坂くんは小走りで行ってしまった。

「……またね」

 久々に口にした言葉に口元が緩む。しかも、相手は御坂くんだ。

 膝はズキズキと痛むし、擦った手のひらはひりひりしたが、帰り道、私の心はとても軽かった。



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