もよりがシュジョーを救う法
naka-motoo
高校1年生
第1話 ジョーダイ・もより
わたしの3年間の始まりの1日。単に高校の入学式、ってだけじゃなくって、自覚を持って生きていこうっていう区切りの1日。昨日までのわたしと今日からのわたしは、体の細胞の1個1個に至るまで入れ替わった新しい人格なのだ!
ちょっとかっこよすぎるかな?けれども、これは実感。
女子中学生から女子高生になっただけじゃなく、わたしは”後継者”になったのだ!
「じゃ、みんな、簡単に自己紹介してください。フルネームでお願いします」
え、フルネーム?、と軽い戸惑いの声が北星高校普通科、1年2組の教室のあちこちから聞こえる。
フルネーム?のぞむところだ。
1人ずつ、がたっ、と音を立てて立ち上がり、ホワイトボードの前に行って名前を書き、軽いエピソードや趣味なんかの話を交えて自己紹介を始める。何人目かの男の子の番。わたしの前の席の男の子だ。
「小室(おむろ)・・・」
おー、と何人かが声を上げる。”オムロ”なんて、粋な名前だなー、とわたしも思う。けれども、その次の瞬間、
「・・・次郎(ジロー)です・・・」
爆笑、とまではいかないけれども、結構な笑い声が起こる。
太郎、でもなく、次郎。太郎ならば男らしくといったイメージで今の時代でも結構かっこいい印象を与えるかもしれないけれど、次郎か・・・といった感じのみんなの反応。
「名前のとおり、次男です」
ジローくんがそう言うと、今度こそ爆笑が起こった。ジローくんは首の後ろ辺りに手をやって、照れている。背は低めでちょっとかわいいかも。まだ若そうな担任の定村先生が笑いながらもフォローする。
「いや、素晴らしいと思う。彼のご両親は、長男と次男の役割というものをよくご存知で、オムロ君にもお兄さんを補佐していってほしいという気持ちを込めたんだろうね。日本人らしい、いい名前だと思う」
あ、定村先生って、いいこと言うな。イケメン、じゃないけれども素敵。独身かな。
「はい」
と、定村先生は、ジローくんの後ろに座るわたしを促す。わたしは席を立ち、軽く教室を見回す。この時点でみんなの印象に少なからず残るはずだ。でけー女、って。自称169.5cmのわたしだけれども、今朝測ったら171cmだった。まだ伸び続けてる。わざわざ身長計測用のメジャー付きタペストリーを部屋の壁にぶら下げていることを以て、わたしがこの身長を気にしてる、って分かってほしい。
そんなことより、さあ、始めるか。小さい頃から習ってきた毛筆の要領でホワイトボードに名前を書く。「あ、字、きれい」、という声を発してくれた女子がいる。ありがとう。
「上代もより(ジョーダイ・もより)です」
”もより”という名前を珍しがってくれているような反応もある中、次にわたしが話した内容にもっと反応してくれる生徒がかなりいた。わたしは、こう言った。
「家はお寺です。宗派は浄土真宗で、父は住職です。わたしがお寺を継ぐことになってます。なので、父はわたしの師匠でもあります」
”おー”という、引いてるのかウケてるのか微妙な反応がほとんど。何か訊きたそうな顔はいくつもあるけれども、初対面で遠慮してるのだろう。生徒からの質問はない。かわりに、定村先生から質問がきた。
「上代さんはお父さんの手伝いで休むことがあるかも知れないって話だったね?」
「はい。檀家の方々の月参りは土・日に手伝えばいいですし、葬儀は他のお寺からの応援でなんとかなるんですけど。お通夜なんかで時間に余裕がない時は駆り出されると思います。ただ、夜なので、全休じゃなくって、準備のために早退させていただくことはあると思います」
定村先生は更に話を膨らませる。
「跡を継ぐってことは上代さんが住職になるってことだよね?」
「そーです」
「結婚は・・・・あ、していいんだっけ?」
「はい。浄土真宗の宗祖、親鸞聖人も妻帯してました」
「上代さんの場合、夫帯か・・・・」
わたしはにこっ、と笑う。
「今日びお坊さん関係の男子に限ったら選択肢が狭まるので、サラリーマンの相手を見つけてきて、彼とわたしの共働きで生計を立てたいと思ってます」
「うーん、ある意味、究極のキャリアウーマンだね」
「そーです!」
「でもなんだかお寺のお婿さんって、悪い事できなさそうで大変かもね」
「いえいえ。なんてったって、”悪人正機”ですからリラックスしてください」
わたしは気分よく自席に戻る。途中で補足する。
「あ、
最初のお昼の休み時間、弁等やらコンビニのおにぎりやらを持って何人かの女子がわたしの席の周りに集まってきた。
「ジョーダイさん、一緒にバレー部に入んない?背、高いしさあ」
「”もより”でいいよ。ごめん、部活はちょっと無理なんだ。帰ったら寺の仕事があるから」
と言って、付け足す。
「買い食いぐらいの時間はOK」
「もよりはお経とか読めるの?」
「うん。父親に、お経読むまで遊びに行っちゃだめ、って叩き込まれてたから」
「もより、兄弟は?」
「いない・・・・っていうか、今はいない」
「今は?」
「兄貴がいたんだけど、去年、亡くなってね」
「そうなんだ・・・・ごめん」
「ううん、全然。まあ、だからわたしが寺を継ぐことになったんだけどね」
わやわやと喋り、昼休み時間が終わりに近づくとみんな席に戻って行った。
「さて、授業、っと」とかなんとか言いながらわたしがノートやテキストを出し始めると、目の前の学生服が不意に振り返った。
「ジョーダイさん」
「”もより”でいいよ」
わたしがそう言うと、オムロ・ジローくんは一瞬ためらいながら、
「じゃあ、もよりさん」
「なあに、ジローくん」
わたしは彼の許可なくジローくんと呼ぶことに決めた。う、と、ちょっと不満そうな顔してる。あ、やっぱり可愛いなあ。背はひょっとしたら160cmないんじゃないかな。
「もよりさんは住職の修行してるってことは、お祓いとかできるの?」
「お祓い?」
「うん」
わたしはジローくんの真顔を見て、冗談を言ってるんじゃないってことが良く分かった。もっとも、ジローくんはそもそも冗談を言わないような雰囲気の子だけれども。ただ、わたしは期待に添えない答えをする。
「ごめん、わたし、お祓いってやったことない。何で?」
ジローくんは真顔のまま、静かに話す。
「金縛り、ってのに遭うんだけど、最近ずっと」
「え、そんなの本当にあるんだ?どんな風になるの?」
「えっとね。夜寝てるとベッドの足下の方になんだかよく分からないけど、黒い人影のようなものが見えて。それで、上半身を起こそうとするんだけれども体が動かなくて。最初は夢かなとか、寝相が悪くて体がしびれてるのかなとか思ったんだけど、ほぼ毎日続いてるとさすがに」
「へー」
「それで、なんとか無理に首だけ横に少しひねって時計を見るといつも午前2:00前後なんだよね」
「うんうん」
わたしも興味が出て来た。
「春休みに何回か徹夜して見張ってようって思って、机に向かってずっと本を読んでたことがあったんだけど、そしたらやっぱり2:00ちょっと前に背後で何か気配がして、座ったまま体が動かなくなって・・・・」
こわっ!
「振り返ろうとしても、体の関節がびくともしなくて・・・」
「でも、振り返らなくて良かったのかもね。大体ホラー映画でそのパターンって、振り返ったら終わり、みたいな」
「ホラー映画って・・・」
「誰かに相談してないの?ご両親とか」
「一応、親には言った」
「そしたら?」
「気のせいだって。受験の疲れと、新しい学校に入る不安で緊張してるんだろうって。高校生活が始まれば自然と治まるよって言われた」
「ふーん」
ジローくんの眼がちょっとわたしの視線から外れる。
「信じる?」
わたしは間髪入れずにわたしのポリシーをそのまま言う。
「信じるも信じないも”事実”なんでしょ?」
ジローくんはわたしの迫力にたじろいで答える。
「う、うん」
わたしは微笑して続ける。
「ジローくんは嘘をつくような人には見えないし、それに初対面のわたしにそんな話をするってことは、すごい切実だってことだよね?わたしが信じようと信じまいと、ジローくんの金縛りは”事実”だよ」
「ありがとう・・・」
ジローくんは訳も分からず感謝の言葉を発しているに違いない。
「大丈夫。何とかなると思う」
わたしはジローくんの胸の辺りを見て力強く言ってあげた。
さてさて。
わたしがジローくんのことを”お師匠”に相談すると、彼は「お寺に連れて来なさい」と言ってくれた。
ジローくんに「ウチに来て」と教室で話している所を男子生徒に見られた。すかさずその生徒は、
「ジロー、いつからジョーダイさんとそんな間柄になったんだよ!」
と、半径5mぐらいに聞こえる結構な大声を出した。半径5m=教室全体ということだ。ほとんどの生徒は”何事?”という顔を一瞬するだけでまた雑談に戻っているけれども、1名の男子生徒と1名の女子生徒がまだこちらを凝視している。大声を出した男子生徒もわたしとジローくんの間近でジローくんを睨みつけたままだ。
わたしは勘がいい方なので薄々気付いてはいた。
”でかい女”はかっこいいとか、スラっとしてるとかいうプラスのイメージを持たれることが結構あるということを。だから、最初の自己紹介の時以来、何人かの視線を感じてはいたのだけれども、大声を出した男子生徒のお蔭で、その輩共があぶり出される形となった。
教室の後ろの隅の方にいた男子生徒がこちらに歩き出した。と、その対角線上にちょこっと立っていた女子生徒も、迷いつつも俯き加減でこちらに進み始めた。
ジローくんと大声を出した男子生徒を含め、4人。わたしの周りにわらわらと集まってきた。
「えーっと」
大声を出した男子生徒は総合司会のように場を仕切り始める。最初にこう質問する。
「みんな、何?」
それはわたしの台詞なのだが。
「何って、その・・・」
別の男子生徒がぼそぼそと喋る。
「いや、ジョーダイさんが何か困ってるみたいだったから・・・」
女子生徒はずっと俯いて上目遣いでこちらを見ている。
「ジローが、ジョーダイさんの家に押しかけようとしてるみたいだったからさー」
大声を出した生徒は自分の都合のよいように記憶がすり替わっている。どうやらわたしが総合司会の座を奪うしかないようだ。
「そうじゃないよ。わたしがジローくんに、ウチにおいでって言ったんだよ。ごめん、ちょっとまだ覚えきれてないから、もう一回フルネームで自己紹介してよ」
と、そう言ってからわたしは付け足す。
「ジローくんはみんなもう憶えてるだろうからいいよね」
大声の彼から順に始める。
「田辺
「堀場
「脇坂
「学人くん、空くん、えーっと、千鶴だから、ちづちゃんね」
ちづちゃんはわたしにちゃん付けで呼ばれたのが嬉しかったのか、はにかんだ笑みで俯いてしまった。わたしは間髪入れずに問いを発する。
「ところで、キミ達は、何?」
学人くんがさっき発した質問。わたしの予想通り、何がしか信念のありそうな空くんから答え始める。
「いや、初日の自己紹介がかっこよかったから、記憶に残ってて。そしたら学人くんが何か大声出してるから、ジョーダイさんが学人君に絡まれてるのかと思って」
「ちがうよ!」
学人くんがまた大声を出したのでわたしは切り口を変える。
「まあまあ。で、学人くんは、何?」
「いや、俺はジョーダイさんが色々大変そうだから気にかけてあげなくちゃいけないなって思って」
「わたしが大変?って何が?」
「いや、お寺の跡取りだって言ったから、その、いじめられたりしたら大変だな、って・・・」
「ふっ」
わたしは軽く微笑する。学人くんがわたしのことが気にかかるっていうのは本当は全然別の理由なんだろうけれども、追求するのはやめてあげることにする。
「ありがとう。学人くんって親切なんだね」
「いや、まあ・・・」
おー、ほとんどちづちゃんと同じくらいのはにかみようだ。熱くなりやすいけれども、いい子なんだろうな。
「で、ちづちゃんは?何かわたしに興味があるの?」
ちづちゃんに対しては男子よりもやや丁寧な訊き方をしてあげる。
「はい。ジョーダイさんの自己紹介かっこよかったな、って。だから友達になりたいと思って・・・」
うーん。ちづちゃんは華やかさはないけれども容姿は整ってると思うし、背だってわたしみたいにでかくもなく、ごく平均。それに北星高校に入学してるってことは学業もそれなりに頑張っていた筈だ。何をこんなにおどおどしてるんだろう?
「ちづちゃん。同じクラスになった時点でもう友達なんだから心配しなくていーよ。でも、ちづちゃんから友達になりたいなんて言われたらすごく嬉しい。ありがとう」
「はい」
「でも、その”はい”って言うのはやめようよ。”うん”でいいよ。対等な立場なんだから。わかった?」
「は・・・うん」
「あと、”ジョーダイさん”なんて言わなくていいから。”もより”でいいよ」
「うん。もより・・・さん」
まあ、いっか。わたしもちづちゃんって呼んでるし。さて、さて。本題に戻るか!
「えーっと、みんな何か縁があってジローくんの相談に首を突っ込んでくれたみたいだから。ジローくん、いいよね?みんなにも話してあげなよ」
うん、とジローくんはちょっと嫌そうだけれども金縛りの体験を説明する。ジローくんの話はさっきわたしにした話よりも数段上手かった。まるで怪談話が得意なある芸能人のトークライブみたいに。気が付くと放課後の教室には傾いてきた夕陽が差し込みわたしの周囲の机で輪になって座っている5人の顔をオレンジ色に浮き上がらせている。それが余計に雰囲気を醸し出している。
「気のせいじゃないの?」
学人くんらしい答えだ。大人の答えだと思う。
「仮に気のせいだったとしても、ジローくんの体験そのものは事実。いいよ、学人くんはこういう話、興味ないんだったら」
「いや、ある、ある!」
学人くんはどうやらわたしとの接点を維持したくて必死なようだ。悪い気はしない。
「じゃあみんな、お
全員が、うん、と頷く。
集合の日時は土曜の午後にした。部活とかないのかなって思ったけれども、奇跡的に全員が帰宅部だった。まさか、とは思ったけれども、以前わたしは誰かに”お寺の仕事があるから部活は無理だね”と言ったことがある。まさかそれを聞きつけてわたしの行動パターンに合わせているんじゃなかろうな。
ともかく当日は春の暖かな日となり、わたしはみんなを駅まで迎えに行く。さすがに高校となると結構遠方から通っている生徒もいるので、まあ、わたしの方から気を遣ったのだ。それに駅周辺の風景というか雰囲気っていうのがわたしは結構好きだ。
「あとはジローくんか」
集合時間の13:00を5分過ぎている。
「本人が遅れるってどういうことだよ」
学人くんがいらいらし始めているので、わたしは全く別の話題に切り替える。
「みんな、ごはん、食べた?」
これ以上単純な質問はないはずなのに、皆、顔を見合わせてお互いをけん制しているようだ。
「どうしたの?」
「ううん、どっちが正解かな、と思って」
「は?」
ちづちゃんの予想外の台詞にわたしもオウム返しする。
「”どっちが正解かな”って何?」
「いや・・・もう済ませた、って言った方が準備のいい奴って評価されるのか、まだだって言った方が、じゃ、一緒に食べよ、ってもよりさんと食事ができるのか、どっちがいいのかな、って・・・・」
空くんは真顔で話している。
「あの・・・お寺だからお供え物のお下がりとかあるから食べたいhとは食べればいいし、お腹いっぱいなら無理して食べなくてもいいし、どっちでもいいから!」
”今どこ?”っていうメールを送信したところでちょうどジローくんが改札に姿を現した。学人くんなんかは文句を言おうと準備してたみたいだけれども、ジローくんを見てその気が失せたようだ。ジローくんの顔は、今まで見たどんな病人よりも白い。
「ごめん。遅れて・・・」
輪郭も顔のパーツも確かにジローくんなのだけれども、暖かさでうっすらもやのかかった空と同色の顔色のせいで、平面が服の上に乗っかっているように見える。ジローくんには申し訳ないけれども、とても怖い。言葉が出てこない。
「大丈夫か?」
そう真っ先に声をかけたのは学人くん。はっ、とわたしも我に返る。お寺の跡取りのわたしが怖がってどうする。
「ジローくん、大丈夫?タクシーで行こうか?」
「歩いて、どのくらい?」
「10分くらい」
「うん、大丈夫。歩ける」
ジローくんが先頭に立つ。不思議なことに、”こっち”とも言わないのにわたしの家への道順を辿り始める。
「どうしたの?」
空くんがジローくんの背をさする。
「ごめん。家を出た途端に寒気がして。背中ががくがくしてちゃんと歩けなくて。電車に乗り遅れちゃったんだ」
見ると、歯をがちがち鳴らしている。生まれて初めて本当に歯を鳴らして悪寒に耐えている人というものを見た。
「風邪かな?」
ジローくんはこの現実を否定したくてそう言ったんだろうけれども、そんな訳ない。風邪とか病気とかいったものとはまるで異次元の状況だ。それくら、このわたしだって分かる。
「お師匠、彼がジローくん」
お師匠ーわたしの父親にしてこの”
「分かった。もより、すぐにご本尊の前にお連れしなさい。私も直ぐに行く」
挨拶抜きだ、という雰囲気が全員に伝わった。
「俺らは」
学人くんがわたしに尋ねる。
「何も言わなかったからいいと思う。一緒に来て」
黒光りのする板張りの廊下をきしきしと音を立ててぞろぞろと進み、三十畳の本殿へ。ご本尊の前の住職の座布団のすぐその前に檀家さんのための座布団を運びジローくんを座らせる。
「胡坐でいいから。楽にしててね」
わたしはそう言ったけれどもジローくんは正座した。みんな座布団をそれぞれ運ぶのを手伝ってくれて、わたしはジローくんの右隣に、みんなもめいめいに座る。
「ありがとう」
わたしがみんなにお礼を言うと、黒衣をきちんと身に着けたお師匠が入って来た。
「ジローくん。何、ジローくん?」
「小室次郎です」
「分かった。苦しいと思うけれども、少し辛抱していてください」
お師匠はそう言うと、ご本尊に向き直る。そして、手を合わせた。
お経を上げる訳でも、呪文を称える訳でもない。前にも何度か見たことはあったけれども、目を閉じ、ただ手を合わせるだけ。2分程経ち、ジローくんに向き直る。
「背中をこちらに向けて」
お師匠がそう言ったので、わたしはジローくんに手を添えて反転するのを手伝ってあげる。お師匠はジローくんの背中を右手でさすり始めた。
1分程さすり続け、「もう大丈夫」と、お師匠は静かに手を離す。「さ、こちらを向いて」と、ジローくんをもう一度ご本尊に向き直らせる。
「さ、皆さん、今日はようこそお越しくださりありがとうございました。ジローくんはもう大丈夫ですから。皆さん、気を付けてお帰りください」
「ちょっ、ちょっと、お師匠!」
「何だ?もより」
「お師匠が大丈夫って言うから大丈夫なんだろうけど、他にもっとあるでしょ!」
「ああ、そうか。皆さん、それぞれ宗派は違うでしょうが、何かのご縁ですから、ご本尊に手だけでも合わせていってください。では」
そう言って立ち上がりかけたので、わたしは必死に止める。
「そうじゃなくって、このまま帰ったら一体なんだったんだろう、って、家に着いてからみんな不安になるでしょう。特にジローくんは何も説明が無かったら余計に不安になるよ」
「ジローくんの苦しみを救ってあげるのが目的だったんだろう?なら、それは果たせたんだから、いいだろう?」
わたしは、自分の譲れない部分を父親にぶつける。
「お師匠は信じることよりも何よりも、”事実”をそのまんまの形で見つめ、向き合うことが大事だっていつも言ってるじゃない。だったら、わたしたちにもジローくんに起こった事実を教えてよ!」
おそらく、わたしは必要以上に激しい口調になっていたのだろう。みんな、わたしの言葉の激しさに驚いている。
「分かった。では、皆さんに3つ約束をしていただきたい。いいですか?」
「まず、その約束を言ってみてよ」
わたしは自分でも駄々っ子のような気がするけれども、みんなに関わることだ。引き下がらないよ。
「・・・1つ、ジローくんにとっては人に知られるのが辛い部分がありますが、いいですか?ジローくん」
ジローくんは数秒間を置いて、声は出さずに、”はい”、と唇を動かして頷く。
「2つ、皆さんも決して他人事と考えないで頂きたい。ジローくんの身に起こったことではあるけれども、それぞれが自分自身の問題として真摯に考えてください」
全員、頷く。
「3つ。これからお話しすることは、皆さんが信じようが信じまいが、”事実”です。けれども、それを事実として納得し難い、あるいは認め難い方もおられると思います。この私の頭がおかしいんじゃないか、と感じる方もおられると思います。私も話す以上は後には引けない。お聞きになって、私が異常だと感じられたら、私という人間のことは忘れて頂きたい。また、せっかくもよりと親しくして頂いているのに残念ではありますが、もよりとの友達付き合いもお止め頂くほかありません。さあ、皆さん、お聞きになりますか?」
あ・・・3つ目が一番みんな考え込んでる。これはわたしにとって嬉しいことなんだろう。ありがとうみんな。これだけで充分。でも、長い。1分近くの静寂をおいて、意外にも最初に声を出したのはちづちゃんだった。
「はい。聞きます」
今までにない、はっきりした力強い声だ。ちづちゃんの返事を合図に、みんな「はい」と声を出して頷く。ありがとう、みんな。仮にお師匠とわたしが危ない親子だって思われても、それはみんなが悪いんじゃない。平気だよ。みんな、自分のココロのままに感じてね。
お師匠が頷いて、口を開く。
「
「生霊・・・・」
ジローくんが小さな声で繰り返す。
「幽霊、ってことですか?」
空くんがジローくんの聞きたそうなことをフォローする。
「何と呼べば正確なのかは私も分かりません。”念”というか、”想い”なのか、”恨み”なのか。姿形として見える場合もあるだろうし”気”のようなものを感じるだけのこともあるだろうし。とにかく”生霊”をかけた相手が実際に居て、ジローくんはその相手と”黒い影”や”金縛り”という現象で関わりを持った、ということです」
「生霊ってことは、生きてるんですか?」
「生きて、普通に生活しています」
「誰、ですか?」
今度は空くんではなく、ジローくん本人が訊く。お師匠はジローくんの目を真っ直ぐ見つめる。ジローくんが本心で知りたがっているのか確認しているようだ。数秒の間が空く。確認が終わったらしい。
「私はジローくんが決していじめをするような人間じゃないっていうことがよく分かります。ジローくんの人相を見れば分かる。ただ、たった一度だけ、不本意ながらいじめに加わったことがありますね?」
「・・・・」
「中学校3年生の冬休み明けの時。今からまだ数ヶ月前のことですね?」
「はい・・・・」
みんな、驚いている。お師匠が駄目押しをする。
「中途半端にこういうことを言うとかえって納得しかねるでしょうから正確に言います。相手は男子生徒、イニシャルはT.N。ジローくんは学内の暴力を取り仕切っているR.Mという男子生徒に強制されて、席に座っているT.Nくんの後頭部めがけてテニスボールをぶつけた。たった一度、最初で最後のジローくんの”いじめ”ですね?」
「はい・・・・そうです!」
ジローくんは本当にがっくりといった感じでうなだれてしまった。
「お師匠!」
「何だ!」
わたしが非難の声を上げると、それ以上の気合でお師匠に返された。怯みそうになるけれども、頑張って続ける。
「どうして状況も読まずにこの場でそこまで言うの!」
お師匠は静かに続ける。
「これが、事実だからだ」
何の迷いも無くそいう言い切るお師匠の言葉とジローくんの反応とでみんな驚愕している。これが事実と認めざるを得ないことに。そして、どうやってだか分からないけれども、お師匠がその事実をここまで詳細に知り得ていることに、ジローくんが苦しげな声で話し始める。
「西・・・・T.Nは僕をいじめたことがありました。だから、R.Mは、”お前もやれ”、と僕にテニスボールを渡したんです。言い訳にしかなりませんが、断ったら僕もその場でいじめの標的に加えられたでしょう」
ジローくん、かわいそう。
「でも僕は、T.Nにボールをぶつけた罪の意識ももちろんあるけれども、本当に忘れられないのは、その後のR.Mの言葉です。”よーし、これでジローも同罪だ!”って、でかい声で笑ったんです」
みんな、一言も発しない。
「僕は、馬鹿だと思いました。そして、いじめがバレそうになった時、もしR.Mが、”ジローだってやってたぞ!”って先生に言ったら。受験の内申にひびかないかなんてことを心配してる自分が嫌になりました」
わたしはジローくんに助け舟を出すつもりでこう言った。
「じゃあ、ジローくんを苦しめてたのはT.Nって子の生霊だったの?」
「そうだ」
お師匠は冷静な口調でかすれた声を出す。
「なんでR.Mに取り憑かないのよ!一番悪いのはそいつなのに!」
お師匠は悲しそうな眼をしてわたしを見る。
「T.NくんはR.Mくんにも当然恨みの念を真っ先に送っている。いじめの真っ只中の当時から念じていたけれども、R.Mくんはどうやらそういったものをはなから受け付けない精神の持ち主のようだね」
「何、それ?ジローくんはおとなしいから生霊にやられたってこと?」
「おとなしいという表現は間違いだ。ジローくんは”責任感が強い”からT.Nくんの生霊を受け止めてしまったんだ」
うーん。
「それは悲しいことだし辛いかもしれないが、まさかこんなことしないだろう、という相手にされる仕打ちの方がダメージが大きい場合もある」
”はい”、とジローくんは泣き出しそうだ。
「じゃあ、その生霊を浄霊したんですか?」空くんだ。
「浄霊というか、外した。いや、逸らした、と言った方がいいかな。念の吸収先だったジローくんから逸れたので、後はその良くない念は本人の所にしっぺ返しとなって返っていくしかない」
「R.Mは?」
「別に何のダメージも受けない」
「そんな・・・・」
え?ちづちゃん?
「そんなの、不公平です!」
一同、びくっ、となる。まさかちづちゃんがこんな大声を出すなんて誰も想像してなかった。
「どうして、R.Mだけ平気なんですか?全部R.Mのせいなのに。ジローくんがかわいそうです!」
ちづちゃんに空くんが声を掛けようとしたところでお師匠が話し始めた。
「貴女は自分がR.M以上の悪業をやっていないと断言できますか?」
「え?・・・・それは・・・・」
ちづちゃんはいつものちづちゃんに戻っている。
「神に誓ってやっていない、と言えますか?」
「・・・・言えません」
ちづちゃんの言葉にお師匠は笑顔になっ。ちづちゃんに頭を下げる。
「お嬢さん、失礼なことを言って申し訳ない。ですが、今貴女が言った通り、この私も悪業をやっていないと言い切ることはできないのです。言い切れる人間は一人も居ない筈なのです。ですから、皆さんもジローくんのこの出来事を自分自身と、自分にとってのT.NくんやR.Mくんに置き換えて考えてみてください。それから、ジローくん」
”はい”、と答えてジローくんはお師匠を見る。
「多分、ある程度大人にならないと無理だと思いますが、T.Nくんともし会うことがあったら、ジローくんが何故テニスボールをぶつけざるを得なかったのか、理由を話してあげてください。ジローくんは引け目を感じずに正々堂々と話せばいい。ジローくんが非難されるようなことは何も無いのだから。それに、そうした方が、T.Nくんも救われます」
「あの・・・」
さっきからずっと黙っていた学人くんが口を開く。
「生霊とか今の事全部、どうして分かるんですか?何か見えるんですか?」
お師匠はごく普通の日常会話のように答える。
「映像、ではない。音声、でもない。文字、でもない。何というか、気が付いたら、あ、そうなんだ、という感じですね」
わが師匠ながらアバウトだな!
「それって、神様か何かがそう伝えてくるんですか?」
学人くん、際どい質問するなー。
「神様なのか、仏様なのか、あるいは悪魔なのかは分かりません。こういうことが分かることがいい事なのか悪い事なのかも分かりません。私自身は先代ーつまり私の父か、先々代ー私の祖父が、何かの理由で私に色々伝えてくるんじゃないか、と思ってます」
お師匠の言いつけでみんなにお茶を淹れ、お下がりのお茶菓子を出す。改めて1人ずつお師匠に自己紹介をし、学校のことやらお寺の生活のことやらでしばし雑談。
「もよりさんはいつも”お師匠”って呼んでるの?」
学人くん、いい質問だね。
「もちろん。親子とは言え、けじめをつけないとね」
そう言うわたしの横で、お師匠が苦笑いをしている。
「もよりは私のことを”お父さん”と呼びたくないだけですよ」
「え?」
みんな不思議そうな顔をする。でもこれ以上説明するのは面倒。今日は疲れた。
ジョーダイ家の家庭の事情は、また今度。
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