第225話 あなたが欲しい・・・その6

「ロウキが動いています」

「ロウキ?」

「労働基準監督署です」


熊山社長が連れ出してくれた会社の向かいにある喫茶店。こんな公共の場所で会社の機微情報とか個人情報とか話していいのかな、と思ったけれども大丈夫ですと種川さんは言う。


「この店は社長が唯一心休まる場所なんです」


土曜の午後。お客さんは全員常連のひとり客ばかりらしい。身なりもごく普通の人たちだ。


「この店に集うのは本物の『紳士淑女』だけです。決して他人の不幸をネタに噂したり陰で笑うような人たちではありません。マスターもそうです。この店にお連れしたのはあなた方も『紳士淑女』と分かるからです」


わたしたちには過分な言葉だ。けれども熊山社長の次の言葉にわたしは現実の厳しさを知った。


「裏を返せば、大多数は他人の不幸をネタにしようという人たちばかりということですよ。残念なことに会社の人間も含めて」


社長が促すと種川さんがタブレット端末をわたしたちに示してくれた。

そこには熊山運輸と亡くなった金田さんに関するネット上の書き込みが溢れかえっていた。


『熊山運輸、マジブラック』

『会社に殺されたな』

『死ぬくらいなら会社辞めればよかったのに』

『社長、出て来い!』

『潰れてしまえ』


この辺はまだましな方だ。種川さんが画面をスクロールするともっとおぞましい言葉や表現が出てきた。理解不能だけれども、熊山社長の性癖をまことしやかに記載した書き込みまである。


「金田さんが会社のマネジメントが拙いせいで自殺したというのは事実なんですか?」


わたしの社長へのストレートな問いに、五人組のメンバーが驚いている。熊山社長はあくまでも冷静に答えてくれた。


「金田さんが亡くなった、という結果が全てです。ジョーダイさんがおっしゃる通り、社のマネジメントが拙かった。社長である私の責任は免れません」

「社長」


種川さんが静かに会話に入ってきた。


「金田さんが所属していた配車課は確かに多忙な部署です。トラックの運行上の安全を確保する重要な役割がありますので必要な場合は残業も確かにあります。ですが、当然法定の範囲内で課員の負担にも配慮した常識的なものです。それに社長の方針で、必要な残業はきちんと認め、残業代をしっかり払って適正に業務を行うことが顧客の信頼を掴み市場競争力を増すという風土が徹底しています。過度なノルマでサービス残業を助長したり不当な長時間労働を課すことはありません」

「断言できますか、種川さん」

「ジョーダイさん。私は1人の社会人として断言します。私にも誇りがある。熊山社長が不実な経営者であれば私はとうの昔に辞職しています」


わたしは種川さんの姿を見て『勤め人』というものの厳しさを知った。一国一城の主にも劣らぬ気高さだ。


「わかりました。ところで、種川さんは総務課長ですよね。総務部長はどうしてるんですか?」

「部長は今、労働基準監督署に出向いています」

「? あの、わたしが世の中のことをよく知らないだけかもしれませんけど、企業の総務部長の立場であれば、まず金田さんのご家族への対応を優先するんじゃないんですか?」

「・・・恥ずかしながらジョーダイさんの感覚の方が正しいと思います。部長は会社の存続の危機だとものすごい剣幕で、呼び出された訳でもないのに朝から労基へ行ってしまいました。止むを得ず私が社長に同行して今朝金田さんの奥さんと親御さんにお悔やみを言いに行きました」

「・・・ご家族からは厳しい言葉をいただきました。奥様からは、『人殺し』と。・・・まだ幼稚園の娘さんが私を見上げる目が、本当に辛かった」


社長は目を潤ませてそう言った。


わたしは確信した。そして、訊いた。


「総務部長のお名前を教えて下さい」

近本ちかもと、です」


その名前を聞いた途端、わたしの背骨に悪寒が走った。

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