第226話 あなたが欲しい・・・その7

カラン、とドアが開く音と、「いらっしゃいませ」というマスターの声が同時だった。

わたしはマスターの声が曇ったのを聞き逃さなかった。一瞬にして店の空気がどんよりと澱んだ。


「社長、ちゃんと社内で待機しててくださいよ」


ああすまない、という熊山社長の言葉が終わる前にその男はどかっと席に腰を下ろし、ホット、とマスターに注文した。


総務部長だ。


わたしは彼の外観を分析する。

年齢はまったく分からない。けれども社長と種川さんの年齢、総務部長というポストから、五十代半ばだろうと推測する。

全体的に痩せてはいるけれども腰回りに肉がついている。頰はこけているけれども顎はふくよかだ。口角は一応上がってはいる。

けれども、黒縁の眼鏡の裏の、目が、徹底して無表情だった。


「この学生たちは?」


こちらから自己紹介しないと厄介だとわたしは瞬間的に悟った。


「はい、わたしたちは北星高校の2年生です。今日は熊山社長のご厚意で御社の会社見学をさせていただいてます。わたしは上代と申します」


わたしが先陣を切ると賢いみんなも悟ってくれて、4人順番に自己紹介してくれた。


「ふうん。聞いてないな」

「ええ。お伝えしてませんので」


一対の会話だけで近本総務部長と種川総務課長の空気感が分かった。


「近本部長、みなさんにご挨拶を」

「ああ。近本です」


熊山社長の言葉にすら一言で終わってしまう。そして不機嫌な顔になり、種川さんに命じた。


「種川君、学生たちにはもう帰ってもらって」

「・・・はい」


人格を畏敬できない人間でも上司は上司という厳しさを種川さんは理解しているようだ。わたしらに丁重に挨拶をしてくれる。


「すみません、今日はありがとうございました。みなさん、これは粗品ですけれども」


会社のロゴが入ったポストイットを手渡してくれる。帰るしかない状況だと分かってはいる。けれどもこのまま帰ってしまうとわたしは将来に渡って後悔することが分かっていた。


近本は、人間ではないから。


「近本部長」


わたしから声を掛けられて、近本は声を出さずになんだ? という顔でわたしを見る。

何とかこの場にとどまる方法はないかと超高速で脳を回転させたけれども、咄嗟に機転の利く言葉を選べるほどわたしに人生経験はない。ストレートに言うしかなかった。


「あなたは、何者なんですか?」


数秒の間を置いて、近本が言った。


「種川君!」

「は、はい」

「君は人を見る目ゼロだな。この無礼者をさっさと帰らせなさい!」


わたしの言った意味が分からない熊山社長も種川さんも失望の目を向けてくる。

当然だろう。わたしの発した言葉は近本を侮蔑する言葉なのだから。


つらい。


けれども、近本は悪鬼神だ、などと言えるはずもなかった。


わたしたちは押し黙って店を出る。腕を組んで怒りのポーズで立っている近本の横を通り過ぎる時、初めて彼の目がいやらしい笑みを浮かべた。そして、誰にも聞こえない声でわたしにこうつぶやいた。


「もより、お前が、欲しい」

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