第217話 ランニングのナイター・・・その1

当たり前の話だけれども、わたしは高校生だ。

当然、学業が本文だ。

各教科から山のように出された夏休みの課題も一応計画的に進めて来た。

というのも、お寺の仕事があるのできちんと計画を立てないと両立できないからだ。


「もより、宿題終わったか?」


お師匠はわたしが小学生の頃から高校2年生の今まで、毎年夏休みの終わり近くにこう訊いてくる。

そして、最近はこうも言うようになった。


「やること前倒しでやって体を開けとかないと、神仏のお手伝いはできんからな」


本当にもっともなことなのでわたしは、頷くことしかできない。そして、いつの間にかわたしは今日すべきことは何がなんでも今日の内に終わらせるってことが習い性となった。


「あ!」

「どうした、もより?」

「今日は走る日って決めてたのに、まだ走ってなかった」

「まあ今日は谷中さんが急にお経上げて、って言ってこられたからな」


そう。谷中さんという檀家さんが、夏休みで親戚の小さな子たちが一堂に集まったからミニ法事ということでお寺にわやわやとお出でになって、お経をあげたのだ。夕方の涼しい時間帯だった。


「ちょっと走ってくるね」

「大丈夫か? もう10時をまわってるぞ。去年の怪我もあるしな」

「大丈夫。今日は県営球場の外周を走るから、照明ばっちりだし」

「そうか。気をつけてな」


地方の県営球場などプロの球団は年に何回かしか試合に来ない。その代わり、県内の草野球チームが『〇〇杯争奪トーナメント』と銘打って毎晩のように試合してる。

自転車で県営球場まで15分。この時間だとさすがに草野球の試合も終わっているだろうから球場外周の街灯の下で走ろうと思ったら、まだこうこうとナイター照明がついていた。どうやらまだ試合してるようだ。

ラッキー、いつもより更に明るいと思ってストレッチを始めると、球場のスタッフフォルダをぶら下げた男の人に声をかけられた。


「お嬢さん、ランニングですか?」

「はい。ちょっと球場の周りを走らせてください」

「もしよろしかったらスタンドのランニングコースを走りませんか? その方が安全でしょう」

「え。嬉しいですけど、いいんですか? 一応入場料とか使用料とかかかるんじゃ」

「いえ。構いませんよ。延長戦で観客もだいぶ空いてますから気兼ねなくどうぞ」

「わ。ありがとうございます」


お言葉に甘えて球場内に入った。

今日は草野球じゃなくって都市対抗野球にも出場してる県内運送会社と県外製薬会社の実業団チーム同士の練習試合だという。延長戦に突入し、観客は少なくなっているが、両チームのベンチと応援団は大いに盛り上がっていた。


「かっとばせー、カ・ニ・タ!」


ちょうど県内チームの4番バッターの打席だった。わたしはスタンド最上部に設けられたランニングコースを軽く走りながら試合の行方も気にかける。

正直野球のことはあまりよく分からないのだけれども、どうやらサヨナラのチャンスが巡ってきた場面だってことはわかった。


パアン


「ットライーック!」


ピッチャーのボールがミットに吸い込まれた時の小気味いい音と、主審の威勢のいいコールが球場内に響き渡った。


「へえ。なんかいいな」


真夏だけれどもこの時間だと風は涼しい。空を見上げるとぽっかりまあるいお月様。


「どうなるんだろ」


わたしのランニングの速度が極端にゆっくりになり、とうとうわたしはどっかりと一塁側の座席に腰を下ろしてしまった。


「とりあえず、この打席だけでも」


とりあえずも何もこの打席で試合が終わるかもしれないのに、わたしは心の中で言い訳をしながら両者の対決に釘付けになった。

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