第216話 永遠の夏休み・・・その3
『一度に大勢で渡らないでください』
という標識が立てられた近隣住民専用の細い鉄橋をカン・カンと走ると、すぐに河川敷の土手に出た。
キーン、という音が間近に聞こえる。
顔を上げると、ちょうどジェット機がわたしとちづちゃんの真上を通過するところだった。
「うわ。すごいね」
ちづちゃんの呼びかけに対してもわたしは多分別の感覚を持っていた。
わたしは、『すごくない』という感覚だったのだ。
おそらくこんな間近で飛行中のジェット機の腹を見ることができる場所など世界でも稀だろうと思う。けれどもあまりにもリアルすぎて却って現実離れしているのだ。
わたしが見上げたジェット機は、縮尺10分の1ぐらいの精巧な模型にしか見えなかった。
空港に向かって更に高度を下げるジェット機を見送ったわたしたちは現実になかなか戻り難かった。
けれども、目の前のちづちゃんはもっと現実離れしていた。
「もよちゃん、ほんとに2人きりになれたね」
「ちづちゃん?」
「もよちゃん、好きい」
そう言ってわたしに正面から抱きついてきた。
お互い汗ベトベトだし暑いし。
まあ、本音を言うと嫌なわけじゃなく、むしろこのままちづちゃんの頭をぽんぽんと撫でてあげたいぐらいの気持ちも起こりかけてたのだけれども、ぐっと我慢して質問した。
「あなた、ほんとにちづちゃん?」
「・・・ばれたか」
そういうとちづちゃんの顔をした誰かの目が、やや青がかったシルバーに変わった。既視感があったのでそのままストレートに尋ねる。
「黒猫さん?」
「あら。よくわかったわね。初見だったのに」
さっきわたしが買った絵葉書の黒猫の目だ。
「ちづちゃんを解放して」
「ごめんごめん。もうちょっとだけ貸して」
「ダメ。それに、わたしにちづちゃんの体の使用許可なんて出せない」
「あらあら。いい友達ね。安心して、悪さしようなんて思ってない。ただ、あなたと少し遊んでみたかっただけよ」
「わたしと?」
「そう。神社に入ってきた時、あなたのこと、あ、かわいい、って思っちゃって。だからこの子には悪いけど、なんとかしてわたしの絵葉書を買ってもらうよう誘導役になってもらったって訳よ」
「気に入ってくれたのは嬉しいけど、わたしは人間だよ」
「うん。わかってる。猫だからって猫が好きとは限らないでしょ。性別も別に関係ない。わたしはあなたっていう人間が気に入ったのよ、もより」
「黒猫さん。うれしいけど、不毛だよ」
「そんなことない。そりゃあ、わたしとあなたが一緒に高校通うなんてのは無理だけど、こうして夏休みの間だけはわたしみたいな異次元のモノと一緒に遊べるじゃない」
「ん? そこがよくわかんない。夏休みに異次元のモノがどうしたって?」
「あら、知らないの? 夏休みの時って現実を離れて心が安らぐでしょ? そういう精神状態の時にはわたしみたいな異次元というか異世界のモノがあなたのような生身の子に接しやすくなるのよ」
「ほんとかなあ?」
「ほんとよ。現にあなたの今年の夏休み、複雑怪奇現象のオンパレードじゃなかった?」
「言われてみれば・・・」
「みんな多かれ少なかれそういうこと経験してるんだけど、 無かったことにしてるだけよ。言うと頭おかしいって思われちゃうから」
「じゃあ、黒猫さんに会ったこと、友達に話していい?」
「いいよ、もよりの好きにして。それより、ねえ、続き」
「いや、それは勘弁」
わたしは、別のモノとはいえ、ちづちゃんの容姿をした彼女を軽く突き飛ばし、するっと逃げた。
「あ、待って」
少々本気を出して逃げる。
「まって、行かないで」
彼女の呼びかけがなんだか真に迫ってたので立ち止まり振り返った。
彼女はめそめそと泣いていた。
「どうして泣くの?」
「わたしも現実に帰りたくないの」
「現実って、あなたの世界の?」
「うん」
「どうして?」
「よしよししながら聞いて」
非常に躊躇したけれども、まあ猫を膝の上で撫でるってシチュエーションと考えれば仕方ないと諦めた。木陰のベンチに腰掛け、彼女がぐてー、と頭をわたしの膝に乗せた。
「わたし、ブサイクだってみんなに言われるんだ」
「え。でも、あの絵葉書は・・・」
「それはあのおねえさんが優しいから。わたしのコンプレックスを察してあんな風に書いてくれたんだと思う。だって、ほんとのわたしの絵葉書だときっともよりに構ってももらえなかったと思う」
そんなことないけど多分ハガキを買うまで行ったかどうかはわからないと。彼女はゴロゴロと甘えてきた。
「みんなわたしに、『しっ、しっ』て言うんだ。それに、わたしが道を横切ろうとすると、『あ、ヤベ』とかいって別の道に行っちゃうし」
まあ、黒猫に横切られたら縁起悪いとか言うしね。
「だから夏休み入ってからの蚤の市にわたし賭けてたの。夏休みだからわたしの波長に反応してくれる子が早く来るようにって」
「色々大変なんだね」
「ほんと、やんなるよ。あーあ」
そう言って背伸びをする動作がやっぱり猫だ。一応聞いてみた。
「あのさ。もしかして、あなたが今年の夏休みを長引かせてた?」
「え。そんなことまでばれてたんだ」
「え。ほんとにそうなんだ」
「まあ、わたし1人じゃないけど、現実逃避したい同志が集まってちょっとした儀式をね。『ヤスミノービル』っていう儀式なんだけど」
「え? なにノービル?」
「ヤスミノービル」
「そのままじゃん」
「でも、見事成功して、そのお陰でもよりに会えた」
「あのさ。あなたは現実では猫なんだよね」
「うんそう」
「猫としてわたしに撫でられたりして遊ぶのはどうなの」
「え」
「それじゃダメなの?」
「・・・よく考えたら、そっちの方がいい」
「じゃあさ、夏休みとか関係なく、現実的に猫と人間として会おうよ」
「う・・・ほんとだね」
「ところであなたのほんとの容姿が分かんないと見つけらんないし撫でてあげらんないよ」
「うー。じゃあ、嫌だけど絵葉書出して」
言われるままに絵葉書を渡す。
彼女が手に取るとなにやら称えた。
「ホンタイサラシロシュツ」
適当だな、と思ったけれども無言で渡す絵葉書を受け取ると、絵が別猫に変わっていた。
「それがわたし」
「普通じゃん」
「・・・かわいい、とは言ってくれないんだね」
「普通でいいじゃん」
一応お互いに現実世界で会う約束をした。彼女のお気に入りのテリトリーは市立図書館近辺だという。
もうちょっともうちょっとと彼女は甘えて長話になった。
「黒猫さん。そろそろ暑くてきつくなってきたらさ。図書館のあたりに近いうちに行くから」
「わかった。約束よ、もより。じゃ」
「ちょちょ‼︎ そんな突然に入れ替わったら・・・」
いきなりぱっちり黒目のちづちゃんに変わった。どうやら本物が解放されたようだ。
ただ、今わたしは膝の上に乗せたちづちゃんの顎というか喉辺りをゴロゴロと撫でている真っ最中だった。
「え」
一瞬事態を掴みかねるちづちゃん。
ただし、時間の問題だった。
「え? え? え?」
「いや、ちづちゃんこれはね・・・」
数日後。
一応事情を説明し、現場検証のために図書館に行った。ちづちゃんと2人で。
「もよちゃん。別にわたしは全然嫌じゃなかったよ、撫でられてても」
ちづちゃんも黒猫さんと変わらないかもしれない。
絵葉書はおねえさんが書いた通りの元のしゅっとした黒猫に戻っていた。
だから、向こうから寄ってきてもらわないとわからない。
「にゃぁ」
丸っこく愛らしい黒猫がすすっと路地から出てきてわたしの足元に擦り寄る。
彼女だ。
いじらしい。
ただ、その後ろからもう一匹すり寄ってきた。
そして彼女はわたしの足元から離れ、その猫とじゃれあう。
なんだろうか、何かここ数日の間に劇的な展開でもあったのだろうか。
「・・・オス猫?」
ちづちゃんがぼそっとつぶやく。
そしてわたしも駄目押しのように呟いた。
「リア充?」
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