第136話 一応、バレンタイン(その10)
「これってポピーですよね?」
「ポピー・・・ええ、
「じゃあ、あの男の子は?」
わたしは、”男の子”、と断定したけれども、アップで描かれた、オレンジ色鮮やかなポピーの花の後ろにかろうじて子供だと分かるぐらいに小さな人影が描かれている。
「男の子・・・あれは男の子なんですね」
「はい。年は多分小学校低学年ぐらいてしょうか。日本人の子ではないですね」
「そうですか。実は、この絵は私の友人が店のオープン祝いにくれたものなんですよ」
「はい」
「彼は水産関係の会社に勤めてて、東南アジアによく出張に行ってたんですね。その出張先で買ってきてくれたんですよ。タイだったかな・・・」
「多分、ミャンマーじゃないですか」
「あ、そうです。もう30年程前なので、まだ、”ビルマ”、って呼んでた頃ですけど」
「きれいな絵ですね。でも、ちょっといわくがあるんじゃないですか?」
「ええ。その友達はいわゆる日の目の当たらない・・・つまり売れないけれども強烈に伝えたいメッセージを持った芸術家を愛してましてね。この絵の作家もそうだったっていってました。どうやら麻薬ビジネスのために劣悪な条件で働いている子供たちのことがこの絵の本当のテーマのようですね。中には親が麻薬中毒にされてしまった子供たちもいるようです」
「ちょ、ちょっと待って」
学人くんが割り込んでくる。
「じゃあ、もよりさんがケーキを甘く感じなかったのは、この男の子のせいってこと?」
「多分」
「でも、コーヒーは甘かったんだよね」
「そこんところが男の子のかわいいところで。コーヒーは苦いから興味がないけど、”あ、あのケーキ甘くておいしそう。ちょっといたずらしよう!”、って感じじゃないかな」
「そんなリアルな・・・」
「かわいーじゃない」
「ちょっと俺、そこで食べてみていい?」
がたっ、と自分のレモンケーキの皿を手に学人くんとおわたしは席を入れ替わる。学人くんが1口ぱくっと食べる。
「甘いんだけど・・・」
わたしは学人くんを傷つけないように丁寧に解説してあげる。
「多分、わたしがなんとなくその子の気を受け止めちゃったんだろうね」
うーん、と唸る学人くん。ちょっとだけわたしは意地悪してみる。
「っていうか、そもそもその男の子は男子高校生には興味ないんだろうね」
うん、うん、と学人くん以外の全員が納得した。
わたしはマスターに訊いてみる。
「この絵は多分そんなに害のあるものじゃないとは思います。現にわたし、こっち側のこの男の子の視線から外れた席でケーキ食べたら普通に甘いです。どうしますか?」
「いや、開店以来飾ってあって、店の風景の一部になってますからね。お客様には席を移動していただくようにします」
「あっ、それっていですね。店の雰囲気を損なわないようにするのこそ本当のお客さんへのサービスですね」
空くんの言葉を聞いてにこっとする店主。このマスターも好きだし、空くんの感覚も好きだな。けれどもちょっと疑問に思うことを、わたしはマスターに訊いてみる。
「あの、マスターはこういう話を普通に聞いて下さいましたけど、信じていただいているんですか?」
「信じるも何も、私は別の件でお祓いをお願いしたことがありますから」
「え、そうなんですか?」
「はい。実はこの店の場所は以前刑場だったんですよ」
「あ、はい・・・」
この刑場のくだりを言いそびれていた。
「処刑された方々の念なのか、2年ほど前にアルバイトの店員が何人も、テーブルでグラスやお皿を落として割って、お客さんに怪我をさせそうになることが続いて。あるバイトも責任を感じて何人も辞めたんですよね。たまたまお客さんの中にお寺関係の方がいて、お祓いを頼んだんですよ」
「・・・?」
「ああいうのを、”本物”、というでしょうね。何か特別なまじないをする訳でもない。道具を使う訳でもない。営業時間中、本当に普通の私服で来られて、お客さんに目立たないようにってカウンターの中に入ってくださって。本当に、20~30秒ほどただ目を閉じただけで、”これで大丈夫ですよ”、って。私は訳も分からないけど、その日を境にぴたっと事故が起こらないようになりましてね」
「・・・」
「私がお布施か何かさせてください、としつこく言ったら、”じゃあ、コーヒー1杯ごちそうになります”、ってそれだけですよ」
「あの、その人って・・・」
「言っても大丈夫だと思いますけど・・・駅南にある、”咲蓮寺さん”、っていうお寺のご住職ですよ」
「あの・・・それ、わたしの父です」
「え!?」
「わたし、咲蓮寺の娘です」
「ええ!?あ、いや、そう言えば小さな女の子を連れていらしたことがあったかも・・・でも、あの時は背が・・・」
「背が?」
「いや、その・・・大きくなられましたね」
いい人だけど、失礼だな。
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