第135話 一応、バレンタイン(その9)
「あ、よかった。空いてる」
わたしとちづちゃんが以前と同じ2人がけのテーブルに向かい合って座り、隣のテーブルに男子3人が座る。ウェイトレスが注文を取りに来る。
「どうする?」
男子3人はもうケーキは避けたいというニュアンスの会話をこそこそしてる。
「ザッハ・トルテ」
「ティラミス」
わたしとちづちゃんが迷うことなく当時を再現したメニューをオーダーする。どうやらコーヒーが苦手らしいちづちゃんも、より忠実に再現しようとモカブレンドを頼んでくれた。
「ちづちゃん、ごめんね。ほんとは紅茶の方がよかったんでしょ」
「ううん。コーヒーも試験前とかに飲んでるから。それより、もよちゃん。ケーキ食べられる?」
「うん、頑張ってみる」
ぐ・・・という男子の表情がちらりと見えて面白い。
「・・・じゃあ、レモンケーキ」
「・・・アプリコット」
「・・・レアチーズケーキ・・・」
気持ちはよく分かる。少しでも酸味のあるケーキを慎重に選んでいるんだね、君たちは。
ああ、こういうのを見ると、男の子ってかわいいもんだな、ってちょっとだけ思う。
「どう?」
わたし以外の4人が、せーの、で一斉にフォークを口の中に入れた。
みんな、苦虫を噛み潰したような顔をしてるけれども、それは吟味の表情だろう。
「甘い・・・」
「うん、普通」
「ケーキの味、だよね」
「おいしい」
うーん。
「じ、じゃあ、いくよ」
オータムホテルの時と同じように4人の視線がわたしのフォークに集中する。本当は破片を齧るくらいにしたいのだけれども、当時と同じように横に倒した直方体の端を8mmほどフォークでさくっと切断する。そのまま真上から垂直に切っ先を突き刺し、あの時と同じスピードで口に投入する。
「どう・・・?」
ちづちゃんが病人を心配するかのような眼差しでわたしの表情を覗き込む。
「やっぱり、甘くない・・・カカオの味しかしない」
「ええ!?」
「もよちゃん、ごめん。ちょっと一口食べさせて」
うん、と頷くわたしのザッハ・トルテの端っこをちづちゃんがつつく。ぱくっ、と口にする。
「・・・甘いよ?」
「え!?」
うーん、と唸る男子たち。わたしの方から勧めた。
「みんなも一口食べてみて」
「え、でも・・・女の子のケーキに自分たちが口をつけるとなると、つまり間接的に・・・」
やっぱり男の子って面白い
「わたし、そういうの全然気にしないから。あ、でも、ちづちゃんは・・・」
「わたしも平気。気にならないよ」
「あ、そう・・・」
3人ともちょっと残念がってる。自分たちがはにかみの対象じゃないって言われてるのと同じだと思わせちゃったかな。
「じゃあ、失礼しまーす」
変な断り方をして男子3人も、ぱくっ、と食べて同時に言った。
「甘い」
「もしかして、わたし、味覚障害なのかな?」
「そんなことないと思うけど。もよちゃん、コーヒーに砂糖入れて確かめてみたら?」
「うん」
ブラックのコーヒーに砂糖壺からスプーン1杯すくって入れ、飲んでみる。
「あ、甘い・・・」
「うん、分かった」
ちづちゃんがそう言って、さっと手を挙げ、ウェイトレスを呼んだ。
「あの、とっても変なことを訊くんですけど、この壺の砂糖って種類はなんですか?」
「?白糖ですけど・・・?」
「じゃあ、このザッハ・トルテに使ってる砂糖は?何か特別な砂糖を使ってるとか。例えば人によっては甘みの感じ方が違うとか」
「え?すみません、ちょっとお待ちください」
ウェイトレスはカウンターの奥に入って行く。入れ違いでマスターと思しき人が出て来て、ちづちゃんとわたしに軽く礼をする。
「お客様、どうされましたか?」
「あの・・・このザッハ・トルテを食べたんですけど、彼女だけが甘みを感じないんです。他の4人はみんな普通だったのに。彼女はコーヒーの砂糖の甘みはちゃんと分かったんです。なので、ケーキの砂糖は何か特別なものを使っているのかと思って」
「さあ・・・それは・・・お出ししているケーキは全て市内の洋菓子屋さんに納入してもらっているものなので、作り方まではちょっと・・・」
「じゃあ、その洋菓子店に訊くしかないか・・・」
学人くんがつぶやいた時、わたしは視線を感じ、はっとした。
「ごめん、ジローくん、これちょっと貰うね」
わたしはジローくんの前にあるレアチーズケーキの皿を取り上げ、わたしのザッハ・トルテの皿と置き換える。そしてレアチーズケーキを口に放り込む。
「やっぱり、甘くない」
そう言って壁を見上げる。
「これか!」
つられてみんなも一斉に壁を背に座るちづちゃんの頭のやや上に視線を上げる。
そこにあるのは、小さな額に入ったオレンジ色の花の水彩画。
そうだ。あの日もわたしは一瞬だけ、このポピーの花を見上げた記憶がある。
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