第122話 Ordinary New Year's Day(その6)

「みなさん、明けましておめでとうございます」


 お経が終わり、お師匠が手をついて年始の挨拶をする。わたしは丸い石油ストーブにかけておいたほーじ茶をみなさんに入れる。


「もよちゃん、手伝うよ」


 湯呑に入れたお茶をちづちゃんがお盆に載せて配ってくれた。

 さすがちづちゃん。

 優しくて気が利いておまけにかわいい。

 男子3人は足がしびれて立てないらしい。かっこつけずにあぐらでよかったのに。

 

 お師匠の話が始まった。


「”新しい”、というのはごく素直に良い事です。こうして新しい年を迎えられたのは幸せなことです」


 うんうんと頷く檀家さん、手を合わせ、南無阿弥陀仏と称えるおばあちゃんもいる。


「ところで、私の娘は昨日、大晦日の日に16歳になりました」


”ほおっ”、という人。”おめでとうございます”、と祝ってくださる方。恥ずかしい。


「16歳という新しい年齢。ですが、生身の人間としては、1つ古くなったということでもあります」


 皆、しんとして聞き入る。お師匠の話は上手い。人の気を反らさない。


「ご存知の方もおられると思いますが、私の長男は16歳でこの世を去りました。通り魔に刺され、死んだのです」


 一口、お茶を啜る。


「親の情としては、”痛恨”、の一言であり、犯人を恨みました。また、保護者の責任として子を護れなかったことを悔いてもおります。全く私は凡夫そのものです。ただ、唯一それでも良かったと実感できたことがあります」


 檀家のおじいちゃんと一緒に来た幼稚園ぐらいのお孫さんも食い入るようにお師匠を見てる。不思議だ。


「それは、長男が、この世で生きている内に仏法と出遭えたことです」


 お師匠はぐるっとオーディエンスを見渡し、話す速度を緩める。


「親の欲目を抜きにしても長男は生まれながらに立派なものを持っていました。勉学も、スポーツも、家のことや妹の世話も、私の想像以上のことを常にやってのけた。人格、というよりも、人間のくらいそのものが私よりもはるかに上だと感服していたほどです。だが、なぜか決して、”南無阿弥陀仏”、と称えることが無かったのです」


「あっ!!」

 

 わたしはほんとに声を立ててしまった。


「もより、お前も気付いたろう。一志・・・長男はお寺の仕事は一生懸命やってくれました。お花も換え、掃除をし、母親がお供え物の料理をするのも長男が手伝う方が味が良いくらいです。私がご本尊に向かってお念仏を称える時も、2,3歳の頃から後ろに座り、黙って手を合わせています。心の中で、”南無阿弥陀仏”、と称えているのだろう、そう思っていました」


 ああ・・・と呻くようにして合掌の手をすり合わせる檀家さん。


「ところが小学校に入学して間もない頃、わたしにこんな事を言って来たのです。”お父さん、僕はお寺の子に生まれたから仏様を敬っています。お寺のお手伝いも嫌ではありません。とても楽しいです。お父さんの住職の仕事も人助けだと尊敬しています。” うん、と私は目を細めました。ですが、次の言葉に唖然としました。”でも僕は、南無阿弥陀仏と称えるだけで人間が救われるなんて、とても信じられません。そんなに簡単なら、世の中の人みんなが幸せになってるはずです。戦争なんかも起きないし、いじめなんかもある訳ないです。お父さん、他のことは何でもします。朝のお勤めもお寺の仕事も。でもお念仏だけは称えることができません。信じられないものに頼ることはできません。だから、それだけは許してください”」


 冷えた空気が更に凍り付いて行くのが分かった。

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