第115話 Goodbye Mom その4

「もより、この先にね、マンションがあるんだよ」

「?」

「13階建ての」

「ふーん・・・?」

「もう何回も屋上に行った。緑化されてていつでも屋上に登れるんだよ。鍵もかかってないから。フェンスも低いし」

「・・・・」

「一志が本当に私を救えるのか、試そうか?」

「!」

 コンマ1秒以下の間も置かず、彼女は走り出した。

 わたしも走って追う。何てスピードだ。

 雪でしょわしょわの道を彼女は長靴で猛スピードで駆ける。

 逆にわたしの方はいつものスピードが出せない。咄嗟にわたしは長靴を脱ぎ捨てる。氷水をもっと冷たくしたような、”痛み”、が足に突き刺さる。

 もう目の前にあるマンションに彼女が飛び込んだ。既に1階に停まっていたエレベーターに入った。わたしもそこに向かってダッシュする。

「あ!?」

 冷たさで麻痺している足裏なのに、激痛が走る。

「ああ・・・・」

 一瞬怯んだ隙にエレベーターの扉が閉じてしまった。ランプは13階目指し、上昇していく。すぐに階段を見つけ、靴下をずぶずぶ言わせて駆け上がる。床に血の筋を引きながら。

 どうやら雪に埋もれていた金属片かガラス片をまともに踏みつけたようだ。

「くそっ!」

 汚い言葉を吐いて気合いを入れ、スピードを上げる。

 住人とばったり出くわした。主婦っぽい女性が、小さな女の子を庇うように壁にびたっと張り付く。

”鬼気迫ってんだろーなー”

 自分の姿を想像する。ひょっとしたら警察に通報されるかもしれない。でも、それどころじゃない。

 ようやく屋上への最後の階段を上り、ドアノブを回してそのまま右足で蹴開ける。反動でコンクリートの壁に当たり、”があん”、という、とんでもなく大きな音を立てる。

 彼女は屋上の中央にいた。

 わたしの姿を確認すると、申し訳程度の高さしかないフェンスに向かって走り出す。

 わたしに止めて欲しくて待っていたのか、死ぬところを見せつけるために待っていたのか、それは分からない。

 そんなもん知ったこっちゃない!

 

 間に合わない、と脊髄で判断し、雪の間から見えた花壇に使われている、半分に切断されているコンクリートブロックをむしり上げ、両手で力任せに投げつけた。


「ぎえっ!」


 わたしはお尻を狙ったつもりだったけれども、それは彼女の左足のアキレス腱辺りに当たった。

 ごっ、という音と彼女の叫び声からして大けがしたかもしれない。

 倒れ込んでいる彼女に向かってゆっくりと歩く。

 彼女はきっと何かに憑りつかれていたのだ。あの時からずっと。

 そうでも思わないと、やってらんない。

 へたり込んだまま彼女は見上げる。

「死ぬ!」 彼女がわたしに向かって叫んだ。

 わたしは右拳で彼女の左頬を殴った。

「お前、親にこんなことして・・・」

 返す裏拳で右頬を殴る。


「やめろ!」


 やっぱり通報されていたらしい。

 振り向きもせずにもう一度右拳で殴ろうとしたところを、治安のプロである警官2人に取り押さえられた。そのまま警察署に連れて行かれるようだ。


 わたしは、今日、生まれて初めて人を殴った。


 それがたまたま親だった、ってだけだ。

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