第106話 クリスマス・フィードバック・ブディズム その17

「大事な話しがある」

 四十九日も終わった頃、お母さんとわたしはお師匠からご本尊の前に来るようよばれた。

 お母さんはお兄ちゃんの遺体を霊安室で確認したその夜からほとんど眠れなくなり、病院でうつ病と診断された。薬は飲んでいるけれども、気が付くと部屋の隅にうずくまって泣いてばかりいる。

 家事もできなくなり、わたしとお師匠で食事やお寺の雑事を賄うようになっていた。

 いつものようにうずくまっているお母さんの手を引いて、ご本尊のお堂へ向かった。

 正座してご本尊に向かっていたお師匠は、わたしとお母さんの気配に気づくと、ゆっくりとこちらへ向き直った。2人が座るのを待って、ゆっくりと口を開く。

「あの日、”一志を天に召す”、と伝えられた」

「・・・・え?」

「一志の寿命は16歳だ、と告げられたんだ」

 お母さんはうつむいたまま無言だ。

「え?お父さん。それは、ご本尊からお告げがあった、ってこと?」

「・・・ご本尊かは分からないが、一志が天寿を全うするんだ、ってことが私の心に伝わった」

「何、言ってんの?」

 わたしは自分が抑えきれなくなるのを感じた。

 あの日の朝、「今日は出掛けるのか」、とお兄ちゃんに訊いた一言は、こういうことだったのだ。だったら、いくらでも避ける方法があったんじゃないの?

「お父さん、どうしてあの時・・・」

 そこまで私が言ったところで不意にお母さんが声を発した。

大悟だいごさん」

 母は、お師匠の本名を呼ぶ。

 すっと姿勢を正すお師匠。

「大悟さん、私たちは仏様に仕えて人助けをしてきましたよね」

「・・・・私達では人を救えない。救ってこられたのはあくまでも仏様方だ」

「私は嫁としてお姑様にもきちんとお仕えしてきたつもりです」

 お師匠はその言葉には頷く。

「なら、どうして・・・」

「・・・」

「どうして一志が死ぬんですか?私達は何か悪いことをしましたか?」

「・・・何も悪いことをしていないと断言できる人間など一人もいない。それは檀家さんであろうと私達であろうと同じことだ」

「でも・・・・他の人に比べたら善根を積んでましたよね!」

 お母さんが語尾で声を荒げた。堰を切ったように叫び始める。

「仏様にお仕えして、お念仏も心の中で朝から晩まで称えてるのに、どうして一志が殺されるの?どうして!!」

「一志は、極楽に行った。仏様方から花もて迎えられ、天寿を全うしたんだ」

「気違い!!」

 発音が正確に聞き取れないぐらいの絶叫で、お母さんはお師匠を罵った。そのまま線香立てを、がっ、と掴む。

 お母さんが一体何をしようとしているのか分からずに、コンマ数秒、ぼうっとしたが、すぐに分かった

 お母さんは線香立てをご本尊に投げつけようと、右手を振り上げた。

「お母さん、駄目だよっ!」

「こんな仏なんか、要らん!!」

 ご本尊に唾を吐きかける勢いの母から線香立てを奪い取った。

「ええい、もより。お前まで、そうなのか!!」

 わたしにも鬼のような形相を向けたかと思うと、お母さんはそのまま走り出した。

「お母さん!」

 わたしも慌てて後を追うが、お母さんは何かが憑りついているんではないかと思うほどの速さだ。あっという間に玄関まで辿り着き、そのまま裸足で外へ飛び出す。躊躇する間もない。わたしも裸足で外に走り出た。

「誰か、助けてえーっ!」

 わたしではない。お母さんが叫びながら家の前の通りを走り抜けていく。恥ずかしい、とか、考える余裕もない。わたしは全力疾走し、30mほどでお母さんを背後から抱き止めた。

 わたしがそのままぎゅっと力を込めると大人しくなった。

 静かに、泣いている。

「帰ろ」

 2人して裸足で歩く。

 じろじろ見る人もいるけれども、別に、構わない。

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