エミルの嘘

 始まりの街の敗北から星が眠り続けて、今晩で4日目……。


 一向に起きる気配のない星の手をエミルは握り続けていた。


 寝ている星の頭上をレイニールはパタパタと飛び回り、時折心配そうに星を見下ろしながらエミルと適切な距離を常に保っている。会話程度なら可能だが、どうやらレイニールはいつまで経ってもエミルに慣れないらしい。


 眠り続けている星の手を握り締め、早く目覚めることを願いつつ。エミルの心のどこかには、目を覚ました時に星にどうやってこの状況を説明すべきか考えていた。

 目を覚ませば、人一倍使命感の強い星のことだ。自分が街を守れなかったと知ればきっと悲しむだろうし、何より自責の念にかられるのは分かりきっている。今は星には始まりの街のことと、現在自分達が置かれている状況は秘密にしておいた方がいいだろう……。


 そうエミルが心に誓ったその時、握っていた星の小さな手が微かに動く。


「――ッ!? 星ちゃん!?」


 無意識に星の手を握り返すエミル。


 星がゆっくりと瞳を開けるとぼんやりと映し出された人影はスーツ姿の母親の姿だった。


「……お母さん?」


 かき消えそうな声で呟く星の耳に飛び込んできたのは母親の声ではなく、この世界で慣れ親しんだエミルの声だった。


 すると、星の瞳に見えていた母親の姿が心配そうに手を握っているエミルの姿へと変わる。


「――大丈夫? 星ちゃん」

「……エミルさん。あれ? ……ここは?」


 星がゆっくりとベッドから上半身を起こして辺りを見渡す。


 見慣れない部屋の風景に困惑していると、頭の上にずっしりとしたほんのり温かい何かがのしかかってきた。


「主。心配したのじゃ! 数日間も目を覚まさなかったのだぞ!?」


 頭上でパシパシと叩いているレイニールを見上げた。


 星は頭の上に両手を伸ばすと、レイニールの体をがっしりと捕まえて自分の顔の前へと持ってくる。


「ごめんね。心配かけて……」


 そう言って、真っ直ぐに星の顔を見つめているレイニールを自分の胸に抱きしめる。


 次にエミルの方を向いて星は、不安そうに眉をひそめた。


「――あの、街は……街はどうなりました?」


 その質問にエミルは悟られないように、にっこりと微笑んで星の頭を優しく撫でると。


「――きっと悪い夢でも見たのね……あなたは森の近くで剣を振っていた時に倒れてからずっと寝てたのよ? 練習するのはいいけど、無理しすぎてはだめよ?」

「……えっ? でも、そんなはず……」


 彼女のその言葉を聞いて、星は混乱する頭で懸命に思考する。


 だが、夢を見ていたと言われるとそんな気もするが、心の中で『そんなはずはない』と否定する自分もいた。


 妙にリアリティーがあり。あの悪夢の様な激戦が幻だったと言われても、俄には信じられない。

 困惑した様子で表情を曇らせている星に、エミルは表情から心の内を感づかれないように微笑みを絶やさずに告げた。


「このゲームには無理をしすぎると、システムの保護機能が働いて、少し前の記憶を消してしまう事があるの。きっとそれが働いて忘れてしまったのね、可哀想に……でも、星ちゃんが無事で良かったわ。倒れていた星ちゃんを、私がこのホテルまで運んだのよ? もう。気を付けなきゃだめよ? レイちゃんが教えてくれなかったら、モンスターに襲われてたかもしれないんだから、レイちゃんにもお礼を言っておきなさいね」


 エミルの迫真の演技に、全く疑う様子もなく星は胸にぬいぐるみの様に抱いていたレイニールを見下ろすと「ありがとう。レイ」とお礼を言う。


 レイニールもエミルの咄嗟に出た嘘に合わせるように頷く。


 大きく息を吐き出すとした星は、ほっと胸を撫で下ろし。


「……本当に夢でよかった」


 っと呟くと、安堵したように小さく笑う。


 だが、いくら星の記憶との違いを嘘で塗り固めても現状、始まりの街はすでになく、今は千代に滞在しているという事実は消えない。


 レイニールは星の腕の中から這い出ると、ふわふわと空中を飛んでエミルの肩に止まると耳元でささやく。


「――いったいどういうつもりなのじゃ!」

「これでいいのよ。知らない方がいい事だってあるわ。それに誰がなんと言おうが、あの子にはもう戦わせない――敵は全て私が撃破する。たとえあの子にどんなに凄い力が隠されていても、あの小さな体には負荷が掛かり過ぎる……そんな諸刃の剣の様な力。小学生のあの子に、これ以上は使わせられない」


 すると、ギロリと鋭い瞳がレイニールを捉え、恐怖を感じたレイニールの体が硬直する。その青い瞳には輝きはなく、代わりに底知れない闇と殺気が込もっていた。


 彼女は本気で敵も星に戦いを強要しようとする者も倒すつもりなのだろう。ここまでの殺気は、ライラが星にちょっかいを出してきた時以来だ――。


 怯えていたレイニールに向かって、エミルが低く呟く様に告げる。


「――レイちゃんも、話を聞いたからには手伝ってもらうわよ?」


 レイニールは慌ててエミルの肩から離れると、何度も頷いて見せた。


 なにか内緒で話をしているエミルとレイニールを不思議そうに見ていた星に、今のやり取りが嘘のようにエミルが笑顔を浮かべて、パンと手の平を鳴らす。


「そうだ。ずっと眠ったままだったからお腹空いてるでしょ? 何か食べ物を貰って来るわね! ……レイちゃん。窓のカーテンは絶対に開けさせちゃダメよ?」


 にっこりと微笑んでそう星に言うと、近くにいたレイニールに小声で告げて扉に向かって歩き出す。


 歩いていたエミルがドアノブに手を掛けると、背中から星の声が響いた。


「――あの……待って下さい!」


 星の声にドアを開けるのを中断したエミルが徐に後ろを振り返ると、星は少し恥ずかしそうに頬を赤く染めている。

 呼び止めたのはいいが、布団の上で手をいじりながらタイミングを見計らっているかのように、なかなか言葉にできずにいた。


 そんな彼女ににっこりと微笑むと、エミルは優しい声音で告げる。


「ふふっ、ゆっくりでいいわよ。これからいくらでも話をする時間はあるんだから」


 再び扉を開けようとドアノブに手を掛けたエミルを、星が再び呼び止めた。


 やれやれといった感じでエミルがもう一度振り返ると、星が勇気を振り絞って言葉を発した。


「――あの! 寝ている時に手を握っててくれて、その……う、嬉しかったです。ありがとうございます」

「別にお礼を言われる事はしてないわ。まだ起きたばかりなんだから、無理はしないでゆっくり休んでなさいね」


 にこにこしながら嬉しそうにそう返すエミルに、星が頷くとエミルはゆっくりと部屋を出ていった。

 部屋の中に取り残された星とレイニールは互いの顔を見合わせると、お互いに笑顔を浮かべる。


 空中でホバリングしているレイニールに向かって、星は両手を伸ばすと「おいで」とにっこりと微笑んだ。

 呼ばれたレイニールも星の方へとふわふわと飛んでくると、星は近くにきたレイニールを両手で掴んでぎゅっと自分の腕の中に抱きしめた。


 レイニールの体から伝わる熱が、今のこの時間が夢ではないと教えてくれる気がして、星は確かな安心感を得ていた。だが、起きてからずっと心の隅で引っ掛かっていることがある。それは、やはり始まりの街であった惨劇のことだ。

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