ドタバタな日々2

 エミルの鉄拳がエリエの脳天に突き立てられ。


「いぎゃい!!」


 普段は決して聞くことができないほど、エリエは大きな悲鳴を上げると慌ててエミルから離れ、涙目になって両手で殴られた箇所を押さえた。


 おそらく。エリエ本人はまさか殴られると思ってはいなかったのだろう。

 目を丸くさせて突然殴られたことに驚きながら、涙で滲んだ瞳でエリエが直ぐ様声を上げた。


「いった~い! なっ、なにするのよ~。エミル姉」

「それはこっちのセリフよ! なに? 私の胸は皆のものって! 私の胸は私のものです! それに、エリーには触らせるって言ってないでしょ!」


 そう声を荒らげて拳を振り上げているエミルに、エリエが両手を前に突き出して慌てふためきながら言った。


「だって! 星だけずるいじゃん! 私にも触る権利はあると思う!」

「ほお~。あんなにしっかり触っておいて……星ちゃんなんて、指先がちょっと振れただけで満足してるのに!」


 拳を鳴らしながらゆっくりと迫ってくるエミルに、エリエは両手を前に出して後退る。


「ちょっと、タンマッ!!」

「――問答無用ッ!!」


 エミルの振り下ろした拳をギリギリでかわすと、エリエは慌てて湯船から飛び出して一目散に逃げた。それを追い駆けるようにしてエミルも浴槽を飛び出す。


 エリエは赤鬼の様に真っ赤に顔を染めているエミルから逃げるように浴室内を走り回る。


「こらー!! お風呂の中で走るなー!!」

「なっ! エミル姉に捕まったら殴られるでしょ!?」

「そんなの当たり前でしょー!!」

「そんなの理不尽だー!!」


 腕を振りかざしエリエを追いかけ回すエミルと、鬼ごっこを続けているライラとイシェル達を見ていて、星とレイニールは呆れ顔で顔を見合わせてため息を漏らす。


「ほんとに、皆して何やってるんだし……」


 そこに、ミレイニも浴槽内をカエルの様に泳いでやってくる。

 エミルが見たら「浴槽内を泳ぐな!」と一喝されそうだが、今はエリエを追いかけるのに必死で、こちらのことは気にする暇もなさそうだ。 


 星は少し気まずそうに愛想笑いを浮かべている。

 正直、同じくらいの歳のミレイニに向かって、どう接したらいいのか分からなかったと言う方が正しいだろう。


 丁度いい距離感を保とうとする星とは異なり、ミレイニは積極的にグイグイ迫って来るのだが、どうしても人慣れしていない星は物怖じしていたのだ。


 しかし、それも無理はないだろう。星は現実世界では友達と呼べる存在もおらず、同い年の子との接触も出来る限り避けてきた。その中でも、何の突拍子もなく無意識に迫ってくるミレイニは完全にイレギュラー的な存在だった。


 先程も脱衣所でなかなか服を脱ごうとしない星の服を脱がそうとしたり。洗い場でも体をエミルに洗ってもらっていた星のことを凝視していたりと、何かにつけては星に迫ってくるのだ。その後、ミレイニもエリエに体を洗ってもらっていたが……。


 とにかく、ミレイニとは距離が近くなることがしばしばあった。

 ミレイニからしてみれば、比較的に歳の近い星が一番仲良くなりやすいと考えているのだろうが、星からしてみればその真逆で、歳が近いが故にここに居る誰よりも緊張してしまう。


「そう言えばさ。星ってあたしのこと嫌いだし?」

「……えっ?」


 そのミレイニの言葉に、星はドキッ!とすると今までのことを思い返す。

 ちゃっかり名前を呼び捨てにしていることは気になったが、それはこの際置いておこう……。


 しかし、星が彼女に何かした覚えが全くない。少なくとも嫌われるような行動を取った覚えなどない。だとしても、自分の行動の何かが彼女を不快にさせたのかもしれないと、星は冷や汗を流しながら「どうしてですか?」と聞き返した。


 緊張した面持ちで、次にミレイニが何を口にするのかを息を呑んで見守っていると。


「だって星って、私が話し掛けるとビクついてるイメージだし。そんな態度を取られると、誰だって嫌われてると思うし」

「……あっ」


 そのミレイニの指摘は適切だった――星にも思い当たる節がいくつもある。だが、その行動も決してミレイニを嫌ってのものではなく。ただ単に、接し方――距離感が分からなかっただけなのだ……。


 どう返答すればいいのか、表情を曇らせ俯いている星の顔をミレイニが覗き込んで首を傾げている。


「どうしたんだし? 顔真っ赤だし」

「えっ? あっ、ちょ、ちょっとのぼせたかもです!」


 突然目の前に顔を近付けてきたミレイニから星は視線を逸らすと、慌てて湯船を飛び出して脱衣所に向かって走り去っていった。その後を湯船に浸かっていたレイニールが慌てて上がると、小さいドラゴンの姿になり後を追い駆けていく。


 脱衣所に戻ると星は体を拭いてバスタオルを体に巻き付け、脱衣室にある鏡の付いたテーブルの丸い木製の椅子に腰掛けた。


「はぁ……」


 小さくため息をついた星の横に、小さいドラゴンの姿に戻ったレイニールが翼をはためかせながら寄って来る。


 レイニールはテーブルに降りると、がっくりと肩を落としている星に向かって話し掛けた。


「なにも普通に話せばいいではないか。エリエ達とは普通に話してるのに、何を躊躇うことがあるのじゃ?」

「……だって、私と話しても楽しくないだろうし……」


 星が弱々しくそう告げると、レイニールは少し呆れたようにため息を漏らして翼をはためかせ星の肩にちょこんと乗った。


 そして星の顔に視線を向けると。


「我輩は主と喋っていて、楽しくないと感じたことはないぞ?」

「……本当?」

「うむ!」


 疑うように返事をした星にレイニールが力強く頷く。


 そしてレイニールは飛び上がると、星の目の前で腕組みしながら。


「ああ、主はもっと自分に自信を持ったほうがいいのじゃ!」

 

 そう言って微笑みを浮かべるレイニール。


 その表情に、星も少しだけ勇気をもらえた気がした。

 備え付けになっているドライヤーを手に長い髪を乾かしていると、一番最初に浴室から出てきたのはカレンと紅蓮だった。


 2人は終始無言だったが、話し掛け難いほどにギスギスとした雰囲気を醸し出している。


 互いに表情は硬く、近くにいるだけでピリピリとした空気が伝わってくる。


「なるほど……これはもう話し合いにはなりそうにありませんね……」

「そうですね……」


 浴室から出てきた2人は隣り合わせに置かれたかごから紅蓮は赤い着物、カレンは紺色の浴衣を取り出すと無言で袖を通す。


 お互いに険しい表情のまま、沈黙を守りそれ以上の言葉を発することはない。だが、その表情を椅子に座りながらビクビクして窺っている星にも、空気に乗ってピリピリとした感覚が伝わってくるほどだ――。

 

 2人は早々と着替え終えると、互いに睨み合って。


「「これは――」」

「――マスターに決めてもらうしかありませんね!」

「――師匠に決めてもらうしかないですね!」


 っと声を合わせて言うと、静かに脱衣所を後にした。

 歩いていく足音が徐々に小さくなると、息苦しい空気が完全になくなり。星の強張っていた肩から力がスッと抜けた。


 その場の空気を敏感に感じ取っていた星とレイニールは、互いに深呼吸をして落ち着かせると顔を合わせ、そしてレイニールが先に言葉を切り出す。


「緊張したのじゃ」

「……うん。凄かったね」


 星は生唾を呑み込んで、レイニールの言葉に応えるようにゆっくりと首を上下に動かす。


 それから黒く艶やかな長い髪をドライヤーの熱になびかせながら乾かしているが、長い為なかなか乾かない。すると、浴室の扉が勢い良く開いて中からミレイニが飛び出して来た。


「う~ん。さっぱりしたし~!」


 両手を広げて気持ち良さそうに突き上げて伸びをすると、星の姿を見つけてピクッ!と体を震わせる。それとは対象的に星はビクッ!と悪寒を感じて背筋を伸ばして身震いする。


 逃げるように出て来た手前、どうしてもこの場はバツが悪い。

 この場から少しでも早く逃げ出したいと思うものの、あまりの出来事に星の体は金縛りにあった様にピクリとも動かせない。すると、その嫌な予感が的中した……。


 星を見つめる瞳がキラキラと輝き、星の方へと駆けてきた。


「星、私の事を待っててくれたしッ!?」

「……えっ? いえ、髪を乾かして――」

「――やっぱり。星は私の事が好きなんだ! もっと仲良くするし!」


 駆けてきたミレイニは星にガバッと抱きつくと、星の濡れた髪が当たるのも気にせず、嬉しそうに飛び跳ねていた。嫌な予感は的中したが、最悪の予想は外れた様だ――。


 突然の彼女の行動に、驚きと困惑の表情を交互に浮かべている。そこで、星はある重要なことに気が付く。

 そう。浴室内を走り回っていたエミル達がいつまで経っても出て来ないことに気が付いたのだ――イシェルに追い回され、命の危険があるライラは仕方ないとしても。


 捕まっても打たれるだけで、疲れて誰よりも早く打たれることを選択すると予想していたエリエとエミルが一向に出て来ないのはおかしい。


「あの、エミルさん達は?」


 星がそのことをミレイニに尋ねると、両手の手の平を上にして首を振ると、彼女は少し呆れ顔で答えた。


「ああ、エリエ達ならお風呂場で倒れてるし。全く、本当に大人気ないし」

「お風呂場で倒れてる!?」


 その言葉を聞いた直後。ミレイニは慌てて浴室に向かって走り出す星に声を上げた。


「ちょっと待つし!」


 だが、その声に星が止まることはなかった。


 体に巻きつけていたバスタオルがはだけるのも構わずに星が浴室に飛び込むと、そこには息を荒らげて地べたにへたり込んでいるエミル達の姿があった。


「しっかりしてください。エミルさん!」

「……レベルが同じ者同士が……こんな事しても無駄……だったわ……」


 直ぐ様、星が駆け寄るとエミルが弱々しく掠れた声で告げる。


 がくっとその場に垂れるエミルの手を取って星が、あたふたしていた。

 もちろん。ゲームである以上ステータスは、レベルによって一定だ。その数値を本来ならば、装備品などでステータスの上下を調整するのだが、ここは浴室――浴室で装備を身に着ける者などいない。


 即ち、ここに居る者全員のステータスは一定である。その為、敏捷のステータスが同じ者同士が追い駆けっこすると、結果は同じ共倒れとなってしまうのだ……。

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