侍の魂

 ダークブレットのアジトに向かい空を飛ぶレイニールの背中で、エリエが不安そうに眉をひそめている。


 まだ深い闇に包まれている空を高々度で飛行していると、雲の上は遮るものもなく。雲を構成する白色の粒子状の結晶と、無数に煌めく星と大きく浮かぶ月が寄り添うように優しくレイニールの黄金の体を照らしている。


 だが、そんな幻想的な光景を前に、橋の所に残してきたカレンのことが気がかりで仕方なかった。

 橋の前に現れた男は見るからに不気味で、しかも不可解な動きをしていた。それは移動速度に特化した固有スキル持ちのエリエだからこそ気が付いたことだ。


「……あいつ。大丈夫かな?」


 いつもは喧嘩ばかりしているエリエとカレンだが、どんなに喧嘩していても仲間だ。やはり、彼女のことが気になるらしい。


 残してきたカレンを気にかける様に、心配そうに後ろを振り返るエリエの肩に手を置いてデイビッドが微笑む。


「大丈夫。カレンさんは強い……それは、戦ったお前が一番よく分かってるだろ?」

「そうだけど……」


 それでも表情を曇らせているエリエに、デイビッドが険しい表情で言葉を続けた。


「俺達の目的は星ちゃんの奪還だ。今はあの子を助け出す事だけに集中しないとな」

「……うん。分かってる」


 小さく返事をするエリエの、頭を撫でながらデイビッドは笑みをこぼす。だが、デイビッドもカレンのことを気にかけていないわけではない。


 いや、おそらくここに居るメンバーの中で、彼が一番彼女のことを気にしていただろう。

 サラザ達を男と仮定しなければ、本来あの場面で一番に残るべきだったのは、男であるデイビッドだった。そう彼は思っていたのだから……。


 どんなに悩んでも、胸にモヤの掛かった様なこの違和感が解決することはない。今はカレンの去り際に言った『助ける相手を間違えるな』この言葉に従って星を逸早く救出することが最優先だ。


 2人会話を終えると、静かに前を向いた。

 本来ならば飛竜の群れが飛び交っているはずなのだが、襲われたのは最初だけで今は視界に捉えることもできない。


 いくら高々度とはいえ、レイニールが飛べるのはシステムでのフィールド限界の境界線領域まで……もし強引に振り切ったとしても、本来ならば雲の下にいる飛竜が何体かの感知範囲に引っ掛かってもおかしくはないのだが、そんな様子が一切感じられない。その感じがとても不気味で、メンバーに幻想的な雰囲気を楽しむ余裕などは全くなかった……。

 

 すると、静寂を破る様に突然サラザが声を発した。


「……おかしいわね~。さっきまでうるさかった飛竜達が完全に消えたわ~」

「そうですね。これは、やはり何らかの操作をされたと見て間違いないですかね?」


 それに答えるように、難しい顔をしているデイビッドが言葉を返す。


 確かに急に設定されているはずのモンスターが消えるというのは、何者かの操作があると考えるのが正しい。しかし解せないのは、相手がこちら側に有利になる改悪をしているというところだろう。


 本来は空は防衛の要。しかも、エミルはフリーダムの中でも武闘大会で何度も優勝する腕前の持ち主。


 それだけではなく。エミルが大会優勝者にしか与えられない特別なアイテムやフリーダムで珍しい飛行手段であり、強力な攻撃手段でもあるドラゴンを多く所有しているのは調べればすぐに分かる情報だ――システムを改変するくらいの能力を持っている人物が、そんな簡単なことを知らないはずはない。


 っとなるとこの場合は何らかの理由で、飛竜を消したと考えるのが妥当なところだろう。

 それが攻撃を仕掛ける為なのか、それとも意図的な場所へと誘導する為なのかは分からない。だが、これは逆にチャンスだ――当初の計画では陸路を進むしかなかったが、今なら上空から敵のアジトに一気に侵入が可能だ。


 この場にいる全員がそれは分かっていた。


 それもそうだろう。こんなチャンス、次はいつ訪れるか分からない。

 罠という可能性は捨てきれないものの『この千載一遇の好機を逃す手はない!』突如としてデイビッドが声を上げる。


「どういう意図があるかは分からないが、これはチャンスだ! この機に乗じて一気に敵の懐に飛び込もう!!」


 彼の言葉に、皆決意した表情で静かに頷いた。

 その提案に誰も反対する者など居ない。何故なら、デイビッドの強攻策とも取れる意見はダークブレットのアジトに乗り込む時に、すでに皆の心の中にあった考えだったからだ。


 高度を下げて突撃に備えていたその時、レイニールの焦りを隠し切れない声が響く。


「皆! 下を見ろ! 物凄い数の敵が弓を構えているぞ!!」

『――ッ!?』


 レイニールの背中から地面を覗き込んだ全員が思わず声を失った。


 当然だ――前方の地面には数百の敵が弓を構え、降下してくるであろうレイニールを待ち構えている。どうして今まで発見できなかったのか、不思議なくらいの大隊だ――。


 その理由はすぐに分かる。気が付かなかったのではなく、気が付くはずがなかったのだ。

 何故なら、その兵隊達の後ろにある青い複数の魔法陣から、敵がぞろぞろと出現していたからである。


 おそらく。敵は奇襲に備えて用意していたトラップのだろう。地面に青く光る魔法陣は、今もなお敵を吐き出し続け、その数はねずみ算的に膨れ上がっていく。


 その光景を見ていたデイビッドが険しい表情で静かに言った。


「――レイニールちゃん。もっと高度を落としてくれ……俺が降りて、敵の注意を惹きつける……」

「なっ、何言ってるのよ! バカじゃないの!? あの数を相手に1人でどうするっていうの!?」


 真っ先に声を上げたエリエが、その提案を否定した。


 だが、デイビッドは険しい表情を崩さぬまま、腰に差した刀を握り締めて。


「このままではカレンさんの方にまで敵の手が及ぶ可能性がある。誰かが敵の気を惹かないと、後方に残してきたカレンさんが危ない!」

「……でも」

「それに、この中で俺が最も防御力の高い鎧だ。俺以外、この高度から飛び降りて、無事でいられる保証はない!」


 デイビッドはそう言って、自分の侍のような甲冑を叩いた。


 確かに彼の言う通り。ゲームシステム上では、防御力が落下ダメージ以上ならば、HPの減少はない。しかし、逆にそれが下回っている場合は、有無を言わさずHPが『0』になり死亡する……。


 言うなれば、デイビッドのこの主張は全く根拠はなく、必ず上回っているという保証もない。その場しのぎのハッタリに過ぎなかったのだ。


 だが、デイビッドの言う通り。この大群が進行してカレンの元に行くような事態だけは避けなければいけない。

 また、全員で相手をするという方法もあるが、その場合は敵に敵襲を知られてしまい、救出対象である星を他の場所に移される危険があった。


 そんなことになれば、本末転倒もいいところだ。その為、この場では誰かが囮役となる。言い方が悪いと犠牲になる以外の選択肢がない。


「……エリエ。星ちゃんの事はお前に任せる。今はあの子を助ける事に集中しろ……」

「でも……あんな大群とやり合えるはずが……」

「……俺なら大丈夫だ。俺には星ちゃんから預かったこの【炎霊刀 正宗】がある。これなら、複数戦闘も可能だ……それに頃合いを見て必ず撤退するさ!」


 デイビッドはちらっと刀に目を落とすと、すぐに決意に満ちた眼差しでエリエの青い瞳を見つめる。


 エリエはその決意に満ちた瞳を見て、デイビッドの覚悟を感じ取ったのか、小さく頷くと。


「分かった。星の事は私に任せて!」


 っと、力強く頷いて見せた。


 そのやり取りを見ていた孔雀マツザカが、自信満々の笑みを浮かべてデイビッドの肩を叩く。


「なら、わたーしの作った。この簡易形パラシュートを持っていくザマス!」

「おう、助かる!」


 デイビッドは孔雀マツザカが差し出したリックサックを手にすると、レイニールに敵の前に降下するようにと指示を出した。


 突然、空から急降下して来たレイニールに向かって矢が雨のように放たれる。月を背にしていたレイニールだが、月をもってしてもその黄金に輝く巨大な体を隠しきることはできなかった。


「ふん。我輩にはそんなもの効かぬ!」


 その直後、レイニールの口が赤く輝き、炎が勢い良く噴射される。


 放たれた炎は飛んできた矢とともに敵を薙ぎ払うと、辺りに断末魔が響き渡り多くの敵のHP残量がPVP最低値『1』になって黒く焦げた彼等がその場に横たわる。


 その最中、デイビッドが背中から飛び降りる。それを確認して、直ぐ様レイニールが急上昇を始めた。


 レイニールは翼をはためかせ、一目散にその場を飛び去っていく。


 エリエはそんなデイビッドの後ろ姿を見て小さく呟く。


「……死ぬんじゃないわよ……デイビッド」


 飛び降りたデイビッドは、孔雀マツザカから受け取ったリュック形のパラシュートを開いて降下を始めた。

 一時的にだがレイニールの攻撃によって乱れた敵が体制を立て直し、直ぐ様デイビッドに向かって矢を放つ。


 デイビッドは咄嗟に刀を鞘から抜き、飛んで来る矢を片っ端から斬り落とす。だが、その中の数本がパラシュートの翼の部分に穴を開け、次第に落下速度が速まる。


「くっ! こうなったらこれは邪魔だな……着陸時にバランスが取れなくなる!」


 デイビッドは早めに破れたパラシュートを見限り、空中で切り離すと地面に刀を突き刺し着地した。


 地面が窪み、それと同時に辺りに大量の土煙が上がる。


 徐々に迫ってくる敵の集団が、獲物を構えて刃先を土煙の方へと向けている。すると、突如としてその土煙の中から赤黒い炎が飛び出してきた。


 その炎は辺りの敵を巻き込み、敵のHPが『1』になってもその体を燃やし続ける。


「ぎゃあああああああああッ!!」「火だ! 離れないと焼き殺されるぞ!!」「まだ俺は死にたくねぇー!!」


 辺りからは多くの悲鳴が上がり、恐怖で無秩序に動き回る兵士達であふれかえって敵の陣形が乱れ始めていた。

 まさか広範囲に発動できるスキルを有しているとは、彼等は思ってもいなかったのだろう。


 敵がデイビッドの思わぬ攻撃に慌てふためいていると、その中から髪を後ろで束ねた菊があしらわれた黒い着物姿のリーダー格の女が狼狽える者達に声を上げる。


「馬鹿者。この程度で狼狽えるな! そんなんじゃダークブレットの名が泣くよ!!」

『はい。姉さん!』


 その場に居た多くの者がそう声を上げると、女は満足そうに頷いて右腕を天に掲げた。


「ほら、野郎ども! 仕返しだよ! 撃ち抜いてやんな!」


 号令の直後、まだ土煙の中にいるデイビッド目掛けて一斉に矢を放つ。


 空を覆うほどに放たれた矢が降り注ぐようにして、土煙の中を目掛けて襲い掛かる。


 デイビッドは再び刀を頭上に構え、勢い良く振り下ろす。


「焼き尽くせ! アマテラス!!」


 正宗の鋒が地面に突き刺さり、赤黒い炎を放つ。


 その炎は向かっていくる矢を光りに変えて吸収し、更にその勢いを増した。

 地面を駆けるようにして敵の集団に襲い掛かる赤黒い炎に、再び敵の兵士達が慌てふためいていると、彼等の前に立ちはだかり今度は女が懐から短刀を取り出して前に突き出す。


「掻き消せ! イザナミ!!」


 女の足元に水が一瞬で満ちてそれが波の様に地面を走り、デイビッドの赤黒い炎を呑み込んで相殺する。

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