出会い
無事ホームに降り立った鋼太郎はざっと周囲を見回してみたものの、電車の中で確かに耳にしたあの音もしくは声を発するようなものを見つけることができなかった。
壁に埋め込まれた文字化けしている広告、
煌々と光りうなる二台の自動販売機、
並ぶプラスチック製の灰色のイス、
停止したままのエスカレーター、
結構な段数の登り階段、
どれも普通の駅と代わり映えのしないものばかり。
周囲をいくら見回してもこれといったものは見当たらない。
壁広告の内容をスルーすればの話だが。
広告であるならば見る者に広告主の意図する内容を伝えなければならないというのに、それは文字化けしたメールの文面やブロックノイズの集合であった。
ある種の現代アートの展覧会の告知なのかと思ったが、場所も日時の記載もなかった。
向かい側のホームはやはり無人。
レールの先を目で追っていくと、地上への出口を現す小さな光は見えず塗り込めたような黒、地上への出口には夜であってもトンネルの闇とは違った濃い紫や街灯が見えるはずであるのに、それさえも見えなかった。
「そうだ、時間は?」
腕時計をみると、十五時三十七分を示していた。
午後授業が終わってから友達とダラダラと過ごしてからの下校、それから電車に乗ったので十六時三十分はゆうに過ぎていてもおかしくないというのに――やはり何かがおかしい。
ホームにある時計も同様の時間を表示していた。
なにかの勘違いだろうかと、自分の時計と駅の時計とを交互に見ていた鋼太郎は、確かに、確かに何者かの声を耳にした。
「やっぱり誰かいる……」
登り階段を見上げるも声の主の姿を認めることはなかった。
ということは階段を上がった先に人がいるのだろう、早速エスカレーターの前まで来てみたが動く気配はなく、人を感知するセンサーに手をかざしてみても全く動くことはなかったため、仕方がなく階段を昇ることにした。
よくあるパターンのひとつ。
突然エスカレーターが動き出し、利用客を食い殺すかもしれないと考えたからだ。
鋼太郎は若さにまかせ、階段を一段抜かしで駆け上がっていった。
駆け上りながらも、自身の吐息とは異なる、他人の息遣いを耳にした。
咳のような、独り言のような、言葉にならない何かを。
思っていたよりも長い階段を、一段また一段と昇るにつれ、寂しさ・不安・喜び・安堵といったものが程よくシェイクされたそれは、胃のあたりで右へ左へざぶりざぶりと揺れ軽い吐き気となった。
しかしそれを飲み込み、勢いがやや落ちたものの一段抜かしで駆け上がった。
ふくらはぎは硬くなり、膝は笑い始め、脈拍はドラムロールの如く跳ねた。
そして吐きだす熱い息が湿気となって頬を濡らした。
鋼太郎はぐんぐん階段を駆け上がり、最後の力を振り絞って頂上の踊り場へと飛び出した。
ガクガク震える両膝に手をつき上半身を支えて息を整え、人の気配のする方へと顔を向けた。
「す……すみません。こ、ここ……ここは――――」
大きく喘ぎながらも息を整えようと懸命に息を吸いこみ、なんとか笑顔をつくった。
動悸にシンクロして上下に揺れる視線の先で、人影を三つ、確かに認めた。
後ろ姿――逆光で服装はよく分からなかったが、身体にフィットした何かを着ていた。
それら三つの人影の頭部がゆらりと動き、彼らと目が合った。
時間が凍りついた。
正しくいえば、凍りついたのは唯一鋼太郎の時間だけであった。
互いの距離は五メートルほど離れていた。
たったそれだけの距離であるのに、彼ら三人の口から発せられた言葉の内容を聞き取ることができず、方言にしても意味不明であった。
これまでに聞いたことのない発音、外国語にしても聞いた試しもないものだった。
階段を駆け上がらずに普通にしていればわかることであるが、その言語らしきものの内容云々よりも、まずは彼らの姿形に意識を向けるべきであった。
十分に酸素を取り込み脈拍が正常であれば気付くはずだ、彼らの異様さに。
服はおろか装飾品らしきものさえ一切身につけてはおらず、一様に素っ裸、
一対づつの腕・脚・目・耳に鼻がひとつに口がひとつであるのは人間と同じ、
股を大きく開いて立ち若干の猫背で両腕をだらりと下げる者、
小さな金属製のフックがついた木片を握りしめる者、
ぶ厚い胸筋をばりばりと掻きむしる者、
といった具合に駅の利用客としては三者三様に異常であった。
これをおかしいと思わなければ、自分が同類であることに気付かないイカれ野郎である。
一見すれば自分と同じように見えても、まったく異なる存在であることを悟った。
背中・腕・脚・胸のそれぞれに針金のようなゴワつく毛が生えていた。
雑に手入れをした空き地のごときまばらな頭髪、豚の鼻を切り詰めたような短い上向きの鼻、引き裂いたような大きな口、幅広のしっかりとした顎に並ぶ濁った黄色の乱杭歯、切れ長の細い目は斜視のように焦点が合っておらず、『異形』という言葉を想起して止まない。
短い鼻をヒクヒクと動き、血走った六つの目玉が、鋼太郎の身体を嘗め回した。
生乾きの手ぬぐいで撫でるような、じっとりとした視線が執拗に鋼太郎を嬲ったのち、再度両者の視線が絡みあった。
鋼太郎は、ぜいぜいと酸素を貪る呼吸音がいつの間にやら聞こえなくなっていた。
それに代わって膝から始まった震えは身体を駆け上がり、ガチガチと鳴る歯の音が全てを支配していた。
それは恐怖。
本能がそれら三人――三匹というべきかもしれない――を『危険』と判断を下したが、すぐにその場を立ち去るという指令を下そうとはしなかった。
いや、出来なかった。
あまりの現実離れした存在に鋼太郎は白痴のような表情でその場に立ちつくした。
そんな鋼太郎なぞ意に介していないかのように、ゆったりと振る舞う彼ら三匹は、たっぷりと時間をかけて腕をもちあげていった。
危険だ――そう解ってはいても膝は大笑いして全く使い物にならなかった。
恐怖と疲労の両者が逃げようとする気力を、ゆっくりと、確実に削いでいた。
鋼太郎の股間で優しい温もりが広がるのに合せ、狂人としか見えない三匹は静かに両腕を胸の高さまで持ち上げ、カマキリのようなポーズをとった。
そして温泉に浸かって湯を身に染み込ませるように、彼等はゆっくりと腰を落としていった。
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