第48話 町の勇者
翼は保健室で治療を受けていた。
幸いにも怪我はたいしたことはなく、軽い擦り傷に絆創膏を貼ってもらっただけだった。
診察が終わり、保健室の入り口で翼が来るのを待っていた苺が心配の声を掛けた。
「翼様、お怪我は大丈夫ですか?」
「ええ、軽い擦り傷でしたわ。心配を掛けましたわね」
「良かった。それにしてもこんな時に叶恵さんはどこに行ったんでしょうか」
苺が気にしていたのは怪我の他にその事もあった。
渚はアクシデントを起こした大会の運営の対応で忙しく、銀河も姉の手伝いに駆り出されている。姫子は彼氏と一緒に置いてきた。
親しい人で叶恵の姿だけが見当たらなかった。
翼は少し寂しそうに微笑んだ。
「叶恵さんもあれで忙しいんですのよ。いつもわたくしのために良くしてくれるからといって、いつも頼るというのも悪いというものですわ」
「そう……ですよね」
「さて、会場の方に戻りませんと。きっと渚が首を長くして待ってますわ」
「はい」
翼と苺は保健室を出ていく。
結菜はそこで待っていた。
「あら、待っていてくれたんですの?」
「あの、怪我は……?」
「この通りピンピンしていますわよ。子供の頃には何度もした、他愛のない擦り傷ですわ」
「良かった。あのさっきの人は」
「佐々木明美ですわね」
「知ってるんですか?」
「町の外にそのような者がいると聞いたことがあります。会ったのは初めてですが」
「そうですか。そんな凄い人がいるんだったら、わたしは……」
「胸を張りなさい、田中結菜。あなたはこの町の勇者なのですから」
「それって……」
「行きましょう」
怪我をしながらも翼の足取りには迷いは無い。
結菜は翼の後について、苺と一緒に歩いていった。
会場にはまだ多くの人達がいた。
翼が姿を現すと、さっそくお嬢様学校の生徒達が集まってきた。
「翼様!」
「お体は大丈夫なんですか?」
「ええ、みんなにも心配を掛けましたわね。この通りピンピンしていますわ」
翼の無事の報告を実況席の萌香と掛太郎も受け取った。
「みなさん、翼様は無事です! ああ、良かったあ」
「運営する側の生徒会の者として僕も安心しました。あれ? 萌香さん? もしかして泣いているんですか?」
「だって、翼様に何かあったらわたしは……わたしはもう生きていけなーい、うわーん」
「ちょっと、萌香さん落ち着いて。ぼ、僕の制服で鼻水を拭かないで! 一旦放送を切ります!」
放送でも翼の無事が伝えられて会場にも安堵の息が広がっていった。
会場の前方に設置されていた檀上では、事故の状況や運営側からの説明を行っていた渚が怒った顔で待っていた。
「翼、遅い。みんな心配してたのよ」
「あなたにも心配を掛けさせましたわね」
「わたしは心配してなかったけどね。こんな怪我ぐらい昔は何度もしてたでしょ」
「違いないですわね」
軽口を叩きながらも、渚は肩の力を抜いて安堵の息を吐いていた。
「さあ、締めの挨拶はあんたがしなさい。あんたの我儘で始めた大会なんだから」
「ええ」
渚にマイクを渡され、翼は檀上の中央へと歩み出た。結菜はそれを壇の下の横から見ていた。
会場の多くの人達の視線を集めながら、翼は言った。
「みなさん、今日はわたくしの開いた大会にお越しくださいまして誠にありがとうございました。この大会に参加してくださった勇気ある方達、応援してくださった町のみなさん、数々のご声援とご協力によって無事大会は終わりを迎えることが出来ました。みなさんに最大級の感謝を述べるとともに、ここでわたくしから最後に発表することがあります。結菜さん」
「はい?」
いきなり呼ばれて結菜はきょとんとしてしまった。
辺りを見回しても近くに相談出来る知り合いがいない。
姫子は悠真と会場のどこかにいるはずだし、渚は檀上の横に立って結菜を微笑んで見つめているだけだった。
「早く行きなさいよ」
結菜がどうしようか迷っていると苺につつかれてしまった。
結菜は仕方なく檀上に昇って、翼の横へとやってきた。
大勢の視線を集めるのはとても恥ずかしかった。
翼は戸惑う結菜を見つめて言った。
「結菜さん、せっかくの勝負に水を差して悪かったですわね」
「いえ、わたしの方こそ助けるべきだったのにゴールしてしまって」
「勝ったのはあなたですわ。おめでとう」
「ありがとうございます」
翼は笑んで結菜を祝福し、続いて会場のみんなの方へ向かって声を上げた。
「ここでみなさんに発表することがあります。それは結菜さんのことです」
「え」
結菜は思わず固まってしまった。翼は何を言うつもりなのだろう。
翼はマイクを手に、大勢に向かって話しかけた。
「彼女の勇気ある走り、それはみなさんも目にしたことでしょう。わたくしはここにその勇気を称え、この大鷹翼の名に置いて、田中結菜をこの町の伝説の勇者として認めます!」
「おお! 伝説の勇者!」
「頑張れよー!」
「応援してるからなー!」
会場から大勢の人達の歓迎の声と拍手が上がった。
誰も反対する者はいなかった。
結菜は恥ずかしかったが、誇らしくもあった。
大勢の人達に認められ、褒められるというのは気分のいいものだった。
最初は美久が言い出した伝説の勇者という言葉。
それは今や町中に広まって、みんなが勇者を歓迎していた。
結菜は勇気を出して会場のみんなに手を振った。
会場が大きな暖かい声援に包まれていく。
こうして結菜は町の勇者となったのだった。
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