第47話 勇者の走る道 結菜 VS 翼

 結菜と翼はともに並んで走っていく。

 お互いに一歩も譲らない。結菜は走りながら隣を伺った。

 翼の走りは力強く美しかった。文武両道に優れ、様々な賞を取っているというのも頷ける話だった。

 だが、確かに兄の言う通りでもあった。

 結菜は今まで葵と走ってきた。麻希と走ってきた。リリーノと走ってきた。

 それに比べたら今回は全然勝てる強さだった。


「行ける!」


 そう判断した結菜は前に出ることにする。

 美久との修業で困難に立ち向かう覚悟も出来ていた。

 だが、それはリスクもある行為だった。



 声援で盛り上がる会場で、その危険性に葵はいち早く気づいていた。


「まずいな、これは」

「まずいか?」

「おいしいよー」


 葵の呟きに答えたのは、会場の出店で食べ物を大量に買って抱え込んでいた神様とリリーノだった。


「このたこ焼きはたまらんのう。ハフハフ」

「こっちの唐揚げもおいしいよー。ムシャムシャ」


 葵は自分の考えを整理するためにも、二人を話し相手にすることにした。


「結菜は今までずっと誰かの後を追いかけて走ってきた。それが前に出た時、自分の走りが見つけられるかどうか」


 葵は二人の戦いを見守った。



 その葵の不安は的中していた。

 結菜が前に出た時、そこには誰もいなかった。

 ただ真っ直ぐに伸びている道だけがある。

 その道が酷く、遠く、長い。

 この道で合っているのだろうか、このペースでいいのだろうか。

 それを教えてくれる前を走る者はいない。

 結菜の心に大きな不安がのしかかってくる。

 結菜は今まで数々の速い人達と走ってきたが、ずっとその後を追いかけて走っていただけでもあった。

 それがいざ自分が前に出た時、自分のペースが掴めないでいた。

 結菜の走りには迷いが生じてきていた。

 そんな結菜の背中を、後ろで走りながら翼はじっと見つめていた。


「頼りない背中、自信の無い態度。勇者を名乗るには不足かもしれませんわね」


 翼がスピードを上げて並んでくる。結菜は驚いて隣を見た。

 翼の顔には呆れがあった。


「もういいですわ。あなたはそこでただ走っていなさい」


 翼が抜きに掛かってくる。結菜を弱者だと言わんばかりに。

 そんなことが許せるわけがなかった。みんながここまで繋いでくれたのだ。


「わたしは負けません!」


 自然とそんな言葉が口をついて出ていた。結菜の中にもう迷いはなかった。

 翼は笑ったようだった。


「わたくしにそんな態度を取るなんて、いい度胸ですわね!」


 勝利を目指す翼の眼光が増した。

 翼は確かに葵や麻希やリリーノに比べたらたいしたことがない相手なのかもしれない。

 だが、決して結菜が楽に勝てる相手ではなかった。

 翼はこの町の王者だ。

 その王者の走りに結菜は立ち向かう。


「前へ! 少しでも前へ!」


 レースはすでに最後の走者であり、終盤を迎えていた。出来ることは全ての力を出し切って戦うことしかなかった。

 人々の声援を受ける中、結菜は死に物ぐるいで走っていた。

 そんな結菜の姿を翼は見ていた。

 翼にとってこのレースの目的は三つあった。

 一つはこの道のことを人々に知ってもらうこと、一つは結菜が勇者であるか見極めること、


「人々の応援を受け、必死になって戦っていける。なるほど、勇者としての素質はあるようですわね」


 三つのうち二つの目的が果たされた今、後は最後の目的に向かって走るだけだった。


「勝つ!!」


 単純だが最高でもある、そのたった一つの最後の目的に向かって翼は走る。


 

 結菜は走る。ここは知らない道だ。だが、知ることが出来た。

 多くの人達と出会い、ここまで導いてもらった。

 ここは誰の道だ。


「ここはわたしの道だ!!」


 自信が結菜を強くする。知らない道と思っていた場所が結菜に答えた気がした。

 結菜はかつての伝説を感じる。力が出る。

 翼と真っ向から対決する。


「ここは勇者が走った道。わたしの道。わたしの道は譲らない!」


 ゴールはもうすぐ。

 最後のコーナーを曲がり、長く続く直線の先にそれが見えた。

 二人は同時に仕掛けた。仕掛けようとした。が、


「え」


 不意に翼の視界が真っ暗になった。道はここにあるはずなのに、何も無いかのような浮遊感。


「なんですの、これは……はっ」


 翼は我に返った。レースはまだ続いている。道は変わらずここにある。

 上がり切っているスピード、最後の直線。ペースを乱した翼はペダルから足を踏み外してしまった。


「しまった!」

「翼様!」


 辺りの声援が悲鳴に変わる。

 翼は何とか体勢を立て直そうとするが、上がり切ったスピードはそれを許しはしなかった。

 その時、道路脇に並ぶ人々の頭上を跳び越えて新たな自転車が飛び出してきた。

 乗っていたのは結菜の学校とも翼の学校とも違う、他の学校の制服を着た少女だった。

 自転車から投げ出された翼は素早く滑り込んできたその少女に抱き止められた。

 その少女は片手で翼の体を抱えたまま、もう片方の手で自転車のブレーキを掛けた。

 自転車は勢いを殺しながらもスピンしたが、少女は難なく停止させて、翼の体を地面へと降ろした。


「大丈夫だった?」

「は……はい」


 翼は気が動転して、それだけを答えるのがやっとだった。


「良かった」


 少女は人の良い笑みを浮かべた。

 近くの生徒達がやってくる。


「翼様、足にお怪我を」

「早く保健室へ」

「え……ええ……」


 遠くゴールに結菜が入っていくのが見えた。少女が自転車を走らせ、そこへ向かっていく。

 もうレースが続けられる状況ではなかった。

 翼は生徒達に促されるままにその場を後にした。



 結菜がゴールした時、期待した声援は無かった。

 振り返ると翼が来ていなかった。

 遠くに生徒達に肩を貸されて歩く翼の姿が見えた。

 代わりに自転車で走ってきたのは見知らぬ少女だった。

 平凡な結菜の学校の制服とも、伝統と格式を感じさせるお嬢様学校の制服とも違う、都会っぽいお洒落な制服を着ていた。

 その少女に結菜は会ったことがないはずだったが、その面立ちはどこかで見覚えがあった。

 少女はきつい視線で話しかけてきた。


「人助けよりも勝利を優先するその態度。あなたは伝説の勇者にふさわしくないわ」

「あなたは……?」


 結菜は面喰いながらもやっとそう訊ね返した。

 少女は自転車に乗ったまま堂々と答えた。


「わたしは伝説の勇者、佐々木明美」


 それだけを伝えて去っていく。


「佐々木明美……あけぴょん……?」


 そうと気づいた時、少女の姿はもう道の彼方に消えていた。

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