第11話 魔王を追って 3

 美久達が協力してくれることになっても事態はすぐには進展しなかった。

 結菜が昼休みにお弁当を食べようとすると、美久が自分の弁当を持ってやってきた。彼女が机を引っ付けてきて一緒に食べることになった。

 美久は明るい世間話をしてきたが、結菜は適当に相槌を打つだけだった。美久は心配そうにのぞき込んできた。


「結菜様、魔王の事を考えているんですか?」

「うん、見つからなくて」

「申し訳ありません。あたしが委員長でなく、生徒会長だったらもっと大きな権力を動かせるんですが……」

「いや、そんな大きな権力は動かさなくていいから。これはわたしの問題だから」

「結菜様は心配してらっしゃるんですよね。みんなのことを」

「うん……」


 自分がみんなの、どれほどのことを心配しているのか結菜にはよく分からなかったが。

 ただうなずいた。

 美久は胸を叩いて答えた。


「任せてください。あたし達がきっと突破口を見つけてみせますから。不安になることはありません。もう少ししたら調査結果をまとめてお見せできると思います。それで昨日のドラマのことですけど」


 美久は場を和ませるように気楽な話をしていたけれど、結菜の気分が晴れることはなかった。



 何事もなく平穏な日常を過ごしているうちに姫子から電話が来た。

 結菜は家でその電話を受け取った。


「ごめんなさい、急に電話をして。一度結菜さんと、葵さんを抜きで話をしたいと思ったんです」

「わたしも姫子さんと話をしたいと思ってたよ」

「それじゃ、この場所で。お時間はよろしいでしょうか」

「うん、今から行くから」


 結菜は自転車に乗って呼ばれた山のふもとの公園へと向かった。

 今までは葵の提案で会っていたのに、姫子から呼び出されるのは珍しいことだった。

 道を走っていると兄がいつものように話しかけてきた。


「今日はどこに行くんだ?」

「いつもの探し物」


 兄に騒がれたくはないので、結菜は姫子に会いに行くことを彼には話さなかった。


「一人でか? 姫子さんは誘わないのか?」

「うん、向こうから誘って来たら行くけど、お兄ちゃんのことでいつまでも他人には迷惑を掛けたくないから。わたしの気持ちも分かってよね」

「ああ、分かってるよ。葵も姫子さんもお兄ちゃんの友達だからな。お前にはお前の付き合いがあるし、遠慮する気持ちは分かるよ」

「分かってるなら理解してよね」

「でもな、葵はともかく姫子さんとは仲良くしてくれないとお兄ちゃんは困るな」

「どうして? お兄ちゃんの彼女だから?」

「それだけだったら良いけどな。それだけじゃないんだ」

「?」


 結菜には兄の言うことがよく分からなかった。


「まあ、お前にもいつか分かるよ」


 兄はそれだけ言って、その話を打ち切ってしまった。



 結菜は町にある山のふもとに辿りつく。


「行ってくるからここで待ってて」

「ああ、頑張って行ってこい」


 結菜は山道の始まる入り口に自転車を止めて、歩いて少し行ったところの公園に入る。

 結菜が来たことに気が付くと、春の終わりが見え始めた山の自然の写真を撮っていた姫子はカメラを下ろして振り返った。


「こんにちは、結菜さん。ごめんなさい。急に呼んだりして」

「いえ、それで何かあったんですか?」


 わざわざ呼び出して来たのだ。何かあると考えるのが自然だった。

 姫子は公園から見える山の景色を見つめた。


「ここでよく悠真さんと会っていたんです。一緒に写真を撮ったりして、いろいろと話もしたりして……悠真さんはどうしていなくなったんでしょうか?」


 姫子の瞳はいつになく真剣だった。真剣に悩んでいた。

 結菜は気後れするのを感じていた。その答えも意気が消沈した物になってしまう。


「それは魔王にさらわれて……」

「本当にそうなんでしょうか?」

「え……」


 姫子の言葉に結菜は相手が事情に気づいたのかと思った。

 女の勘とは鋭いものだ。ましてやそれが彼女であるという立場の人間ならなおさらだ。

 結菜はそれはまずいと思った。

 もし兄が自転車になっていることが知られたら、姫子は結菜の自転車を奪って取り上げてしまうかもしれない。

 それは一番良くないことだった。結菜にとっては今のまま事態が解決しないことよりももっとだ。

 だが、姫子は結菜の心配とは別の事を考えているようだった。


「悠真さんはわたしと会うことが嫌になったんじゃ……それでどこか遠くに……」


 結菜は安心しつつ彼女に話しかけた。


「そんなことないよ。お兄ちゃんってもてないし、本当に姫子さんのことが好きなんだから……」


 それは事実だった。事実だからこそ自然と言葉が口に出た。姫子は寂しそうに見つめてきた。


「うん、ありがとう、結菜さん……」


 結菜はそれからも姫子と他愛のないことを話し合った。お互いの趣味のことや学校のことなんかを。兄のことや今回の事件のことをそれ以上話すことは無かった。

 そのことに結菜は安心を感じていた。



 もう少しここにいると言った姫子を置いて結菜は自転車のところに戻って来た。


「姫子さんに会ってきたのか?」

「どうしてそう思うの?」


 結菜は内心でびくりと思いながら訊ねた。


「この先の公園でよく会っていたんだ。姫子さんいないかなあ」


 悠真は動ければ背伸びして見渡しそうな声音で言った。結菜はさっさと自転車にまたがって出発することにした。


「いないよ。お兄ちゃんがいないんだもの」

「そうだな」

「帰ろう」


 結菜はペダルをこいで走り出す。短い公園前の山道はすぐに終わりを迎える。


「あ」


 結菜はそこで自転車を止めた。

 登山道の入り口に知っている人がいた。今まで魔王と呼んでいた少女、黒田麻希だ。

 葵がいなければ魔王は捕まえられない。

 その言葉と以前逃げられたことを思い出し、結菜はすれ違おうとした。

 だが、そこに麻希から声を掛けてきた。彼女らしい冷静で落ち着いた声だった。


「この町というのは思ったよりも狭い物ね。あなたが田中結菜、そして田中悠真だったのね」


 結菜は足を止めた。麻希が見つめてくる。今日の彼女はどこか機嫌が良さそうだった。

 口元にうっすらと笑みを浮かべ、訊くまでもなく話しかけてくる。


「あなたのお兄さんのことは知っているわ。彼はこの町の素晴らしい地図を作った。それを先生は大変褒めたものよ。今はその自転車になっているのかしら」

「誰のせいで!」


 結菜はかっとなって睨み付け、腕を振るおうとした。麻希は微笑んだだけだった。


「誰のせい? 何のことが?」

「俺が自転車になっていることがだ!」


 結菜に代わって悠真が言った。麻希の態度は変わらなかった。


「それがわたしのせいだって言うの? 冗談でしょう? あなた達まさかそれでわたしの後をしつこく追いかけてきてたの?」

「だって、逃げてたじゃない」


 やましいことが無ければ逃げたりなどしないはずだ。結菜はそう考えていた。

 麻希の考えは違うようだった。ため息を一つついてから答えてきた。


「知らない人が血相を変えて叫んで追いかけてくるのよ。誰だって逃げるでしょう。あなただってそうじゃない?」


 そう言われればそうかもしれない。

 結菜を見つめる麻希の瞳は敵対的な物ではなかった。


「わたしはただの人間よ。人を自転車にするなんて出来るわけもない。もしそんなことが出来るとすればそれはこの山の神様じゃないかしら」

「神様?」


 それをイメージしようとする結菜に麻希は説明してくれた。


「この山にはこの町を見守ってくださる神様が祭られているのよ。せっかくだからあなた達も叶えたい願いがあるなら願ってきてみればどう? 叶うかもしれないわよ」

「話をはぐらかそうって言うのか」


 言いくるめられそうになっている結菜に代わって悠真が話しかける。麻希は結菜の自転車を見つめた。確かに声が聞こえているのだと結菜は思った。


「あなた、この町の地図を作ろうって言うのに町の守り神様に挨拶もしに行かないの?」

「勝手なことを言うなと言っているんだ。お前が何を考えているかは知らないが、何かを企んでいることは分かっているんだ。あの黒い棒はなんなんだ」


 悠真の詰問に麻希は軽くほくそ笑んだだけだった。


「あなたにとっても得になることよ。ストリートフリーザーが完了すればこの町の地図は永遠に固定されることになる。あなた達が新しい地図を作る必要ももうなくなるということよ」

「どういう意味なんだ?」


 悠真は訊ねるが、麻希はそれ以上教えてはくれなかった。


「……話しすぎたわね。あなた達に言うようなことでは無かったわ。さよなら、最後にあなた達と話せてよかったわ」


 麻希はそう言い残し、自転車で走り去っていった。

 追いかけようとしない結菜に悠真は話しかけた。


「結菜、追いかけないのか?」

「だって、魔王はお兄ちゃんがこうなった原因には関係ないって」

「そんなこと分からないだろう。あいつが勝手なことを勝手に言っただけだ。少なくともあの黒い棒のことは聞いておかないと。結菜?」

「ごめん、今日はもう帰るね。疲れちゃった」


 結菜はうつむいて自転車をこぎ出した。悠真はそれ以上結菜を急かせることはしなかった。

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