第10話 魔王を追って 2
事態の解決が進まないまま三日が過ぎた。
魔王は見つからず、兄を元に戻す方法も分からなかった。
だが、結菜の中に焦りは無かった。
状況に慣れてきていたのもあったが、今のまま自転車で走るのも楽しくなってきていた。
それに兄が自転車になっているからと言って特に困ることもないし、結菜はもうこのままでもいいのではないかと思い始めていた。
「今日も魔王の手掛かりを探してみるか」
授業が終わり、すでに放課後の習慣となりつつあることを結菜が始めようとすると、その日は教室を出る前にクラスメイトの少女に呼び止められた。
「ねえ、田中さん。ちょっといいかな?」
「はい」
話し掛けてきたのはこのクラスの委員長の高橋美久だった。
明るく気さくな性格の彼女はクラスの人気者で友達も多く、このクラスの中心のような存在だった。その瞳にはらんらんとした子供っぽい好奇心と意思の強さが感じられる。
体は小柄だが存在感は大きい、このような大物が自分に何の用があって話しかけてくるのか。結菜は緊張に息を飲み込んで身構えた。
美久は彼女らしい元気で溌剌とした口調で話しかけてきた。
「田中さんっていつも早く帰ってるけど家で何かしてるの?」
「何も」
結菜は緊張しながら答えた。少しぶっきらぼうな返事になった気がしたが、美久は細かい事は気にせずに話を続けてきた。
「だったらさ、田中さんもあたし達と遊ぼうよ。実はあたし、このクラスのみんなと仲良くしたいと思ってるんだよね。田中さんとはまだ話したこともなかったから。田中さんのこともっと知りたいと思ってるんだ」
美久は期待に目を輝かせている。その瞳は自分の言うことは必ず聞いてくれると信じている瞳だ。結菜はその期待には答えられないと思った。
「ごめん、用事があるから」
「用事? やっぱりあるんだ。あたし達に手伝えることだったら何でも手伝うから。遠慮せずに言ってみて」
「ごめん、そういう簡単な用事じゃないから。それじゃ」
結菜は教室を出ていく。
「あ、田中さん」
美久の声を背に、結菜は廊下を歩いて行った。
駐輪場から飛び出し、校門から道路に出て、結菜は自転車を走らせていく。
美久には悪い気がしたが、兄のことでこれ以上他人に関わって欲しくはなかった。
魔王の手掛かりを見つけるといういつもの目的を旗印に、まだ走ったことの無い道を適当に走っていく。そうしていると自転車の兄が話しかけてくる。
「なあ、結菜。いつもすまないけどな」
「何よ。改まって」
「俺のために無理をしなくていいんだぞ。いつも早く帰ってるじゃないか。友達との付き合いだってあるだろう」
「そう思うなら早く元に戻ってよね」
意外と兄は察しがいい。結菜は最近になってそのことに気づき始めていた。
「まあ、そうなんだけどな。魔王の手掛かりは何か見つかったか?」
「何も。お兄ちゃんは他に何か元に戻れそうな手掛かりは思いつかないの? あの黒い棒のこと以外にさ」
「うーん、特にはないなあ。そもそもあの黒い棒が俺がこうなった原因なんだろうか」
「今更そんなこと言われても困るよ」
みんなあれが原因だと思っているのに、違っていたら捜査が振り出しに戻ってしまう。兄もそれは分かっているようだった。
「そうだなあ。他に手掛かりや方法が無いなら今の行動を続けるしかないかあ」
「そうだねえ」
そんなことを話し合っていると道路の角にコンビニが見えてきた。
「あ、こんなところにもコンビニがあるんだ。ジャンプ買ってくるね」
「おう、頼む」
結菜はコンビニの前に自転車を止めた。その時、隣に黒い自転車があるのに気が付いた。
「魔王の自転車か。まさかこんな所にいるわけないよね」
黒い自転車なんてどこにでもあるありふれた物だ。探しても見つからない人物がこんなところにいるわけもない。
そう思いながらも自転車に気を取られてよそ見しながら歩いたのがよく無かった。自動ドアを開けてコンビニに入った所で結菜は危うく出てくる人とぶつかりそうになった。なんとか避ける。
「ごめんなさい」
「いえ」
眼鏡の彼女とすれ違い、本を探そうと棚に目を向けたところで気が付いた。
「今の、魔王!?」
眼鏡を掛けた冷静で知的そうな少女。前に会った時のことを思い出す。確かに彼女に間違いなかった。
なぜこんな所にいたのか。そんなことを考えている余裕はない。
結菜は慌ててコンビニを飛び出した。だが、すでに求める彼女の姿はどこにも見えなかった。
放心しそうな意識を兄の声が呼び戻す。
「何をしているんだ、結菜! 今魔王が隣の自転車に乗って発進したぞ! 今俺達が来た方角の方だ!」
「うん!」
結菜は急いで発進する。来たばかりの道を自転車で走っていく。
「この道で捕まえられるといいんだがな」
「うん」
どこかで曲がられて路地にでも入られると見つけられなくなる。結菜は後悔していた。
もっと真剣に見ていれば気づいたはずなのだ。魔王なんてどうでもいいと思い始めていた心の隙を完全に突かれていた。
「いたぞ! あそこだ!」
兄の声で前方を見る。交差点を曲がって横断歩道を走っていく魔王の姿が見えた。
「あの方角って」
「俺達が来た方だよな」
「まさか学校に? 待てーーーー!」
その声に魔王は振り返り、すぐにスピードを上げて横道に入っていった。
「だから何で叫ぶんだ」
「だって、みんなが自転車に変えられたら」
結菜は恐ろしい想像をしていた。
どうしようもない危機感を持っていた。
もし、学校のみんなが魔王の力で自転車にされたら……そんな悪夢を見てしまう。
「まだそうと決まったわけじゃないだろ。慌てるな。落ち着け」
「うん」
結菜は走っていく。魔王が渡ったばかりの交差点を渡る。
そこは結菜が毎日走っている学校への道だ。
知っている道なら戦いを有利に運べるかもしれない。結菜は自信を持って自転車を走らせる。兄に指示されるまでもなく、自分で最適のラインを選んで走る。
その鬼気迫る姿に下校する生徒達が何事かと振り返るが、構う余裕はない。
結菜は魔王の背中を捉えた。
「誰か魔王を捕まえて!」
何かを期待して叫んだわけではない。周囲に人がいたからつい叫んでしまっただけだ。
けれど前方で自転車を押して談笑していた生徒達のグループが魔王の行く道を塞いでくれた。
遮られた魔王は自転車を止め、結菜は追いついて自転車を止めた。
「田中さん、こいつを止めればいいのね。手伝うわ」
道を阻んでいたのは美久のグループだった。
「高橋さん」
結菜はどう言っていいか迷ったが、
「結菜、魔王から視線をそらすな!」
兄に注意されてすぐに意識を魔王に戻した。
魔王は前方で道を塞ぐ美久達を見てから結菜の方を振り返った。今度は眼鏡の下の気の強そうな瞳までしっかりと見えた。
「あなたの仲間ってわけね」
「高橋さん達は関係ない」
「ふう」
魔王は一つ息をつき、睨んできた。まさか睨まれるとは思っていなかった結菜は一瞬で気圧されてしまった。
魔王は不機嫌そうだった。眼鏡の奥の瞳が結菜を責めていた。その感情のまま口を開く。
「なんのつもりなの、あなた。人の後を血相を変えて追いかけてきたりして。道まで塞いで邪魔をして」
結菜は何も言えない。魔王と会うと戦闘になるのかと思っていたけど、相手はただ話しかけてきただけだった。
結菜がどのように言おうかと迷ってまごまごしていると兄が叫んだ。
「言ってやれ! 結菜! 俺のことを! 正直にだ!」
その声に魔王が驚いた顔を見せた。
「その自転車、喋るの?」
驚いたのは結菜も同じだった。
「お兄ちゃんの声が聞こえるの?」
二人の間に言い知れぬ空気が流れる。美久達には聞こえていないようだった。美久は一瞬ぽかんとした表情を見せたが、すぐに気を引き締めた。
仲間に合図をし、結菜が話している隙に背後から魔王を捕まえようとにじりよっていく。
魔王はその行動に気づいていた。背後の少女達を自転車の前輪を持ち上げて回転させて追い払い、元の体勢で着地してペダルを踏みしめた。その足に力が籠められるのを結菜は見た。
「気を付けろ! 結菜! 来るぞ!」
「うん!」
結菜は魔王が向かってくるのかと思っていた。美久のグループは大勢いて、こっちは一人なのだから、こちらに向かってくるのが当然の判断だった。
だが、何としても進路を阻むつもりだった。
道の左には田舎らしい田んぼが広がり、右は高台へ続く急斜面の壁になっている。道さえ塞げば何とかなるはずだった。
だが、魔王はあろうことか自転車で横の垂直に近い壁を普通に走って登り切り、その上で自転車を止めて見下ろしてきた。
結菜は見上げるしかない。
とても人間業とは思えなかった。同じことをやれと言われても無理だと断言できる。
悠真は驚いた声を上げた。
「なんだあれは! 本当に俺と同じ自転車なのか!」
悠真は自分が自転車だから魔王本人よりも彼女の自転車の性能の方が気になっているようだった。
「魔王!」
「あれが魔王!」
結菜の声に美久も驚いた声を上げた。
驚くみんなを魔王と呼ばれた少女は全く感情の色を感じさせない冷静な瞳で見下ろしてくる。
「なんのつもりか知らないけれど、わたしを魔王と呼ぶのは止めてちょうだい。不愉快よ。わたしは黒田麻希よ」
「黒田麻希」
「それが魔王の名前!」
美久まで同じように呼ぶのを見て、魔王は少し頭痛がしたように眉根を寄せた。すぐに元のポーカーフェイスに戻って話を続ける。
「やっかいごとに巻き込まれたくなければこれ以上わたしの邪魔をしないことね。それがこの時代のあなた達のためよ」
そう言い残し、魔王は高台の向こうに走り去っていった。
結菜も美久達もそれをどうすることも出来ず見送った。
「魔王めえ」
「また逃げられたな。葵がいないとあいつを捕まえるのは無理だな」
「うん……」
「落ち込むのは分かるが元気を出せ」
結菜は悩んでいた。自分は本当に兄を戻したいと思っているのだろうか。思うなら気を抜かずに普段からもっと真剣に事態に打ち込むべきではないのだろうか。
今回は完全に不意を突かれて慌てふためいてしまっていた。
気が沈む結菜に美久が話しかけてくる。
「田中さん。いえ、結菜様!」
「結菜様?」
結菜はびっくりして振り返った。ほとんど話したことの無いクラスメイトにいきなりそんな呼ばれ方をしたら驚くのも当然だ。ましてや相手はクラスでもっとも人望の厚い委員長だ。
彼女は何かを期待しているのか爛々と瞳を輝かせていた。今までで一番の輝くような瞳だった。
その眩しさに結菜は目が眩むのを覚えてしまう。
美久は実に彼女らしいはきはきとした声で言った。
「結菜様がただ者でないことは何となく察していました。しかし、まさか魔王と戦っていらした伝説の勇者様だったなんて! あたし達に出来ることがあれば何でも言ってください! 微力ながらお手伝いいたします!」
手伝いと言われても結菜は困ってしまう。美久は誤解しているようだが、結菜はただ者なのだ。もちろん伝説の勇者でなどあろうはずもない。
助けを求めようと美久の友人達に目を向けると彼女達も困ったように苦笑いしていた。
どうやらこれが美久の素の性格らしい。
どうしようかと考え、結菜は答えた。
「えっと、じゃあ、魔王の行きそうな場所を見つけてくれたら……嬉しいかなあ?」
戸惑いながらも言う結菜に、美久は拳をぎゅっと握りしめて元気に声を上げて答えた。
「魔王の行く場所を見つけてくればいいんですね。分かりました! お任せください、勇者様!」
「あの、勇者って呼ぶの止めて……」
「あ、そうですね。もしかしたらバレたらまずいことでした?」
「うん、まあそうだけど、周囲の目があるし……」
結菜は周囲を伺った。みんなが見ていた。美久の友人達も他の一般生徒達もだ。
美久もみんなが見ているのを見て理解した。彼女は頭の良い委員長なのだ。
「分かりました。では、行ってきますね、結菜様!」
美久はびしっと敬礼すると自分の取り巻き達に指示を飛ばし、自転車に乗って走り去っていった。
その姿を結菜は自転車の兄と一緒に見送った。
「今のがお前の友達か」
「うん。うちのクラスの委員長で高橋美久さん」
「委員長と友達とはな。上手くやってるようだな」
「美久さんは誰とでも友達になってるような人だから。わたしにも気を使ってるんだよ」
「そうか。お前も頑張れよ」
「うん」
何だか敵と戦おうって気分を削がれてしまった。
美久とその友達が探してくれているし、結菜はその日は帰ることにした。
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